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死にゆく勇者を救うため、妃として後宮に潜入しましたが、私の命も危険です  作者: 桐山なつめ
第2章(後編) 嘘と真実、そして聖剣

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第10話 ……ミルディナ

 椅子に座ったまま、私は身を硬くする。

 肩がこわばり、背もたれに触れるのすら恐ろしく感じた。


 無意識に封魔の環(シール・リング)へ触れそうになり、ぐっと堪えて指先を握り込んだ。


 テオドリックはサイドテーブルの上に置かれた水差しを傾けると、

 黙ったまま、静かにグラスへ水を注ぐ。

 ぽたぽたと滴る水音が、静寂の中でやけに耳についた。


 なんて静かな夜なのだろう。


 ――今、この部屋には、二人きり。


(……昔は、よく二人で宿屋に泊まったっけ)


 長い旅路の最中、寝つけなかった夜も一度や二度ではない。

 湿った布団に寝転んだまま、共に魔導書を読み耽ったり。

 魔物から回収した戦利品を眺めたり。

 朝になれば忘れるような、他愛のない話で笑いあって。


 どちらかが先に寝息を立てるまで、傍にいた。


 それなのに、今は――。


 皇帝と六妃(影妃)

 ずいぶん、距離が遠くなってしまった。


(でも、それもこれも……私のせい)


 テオドリックはグラスに指をかけたまま、私をじっと見据えている。

 魔灯が揺らめき、部屋が一瞬、わずかに陰った。


 その静けさを破るように。


「グリゼナの侍女と、ニア・レイスンは無事だ」


 テオドリックが、独り言のように言葉を落とした。

 はっとして、顔をあげる。


「隠し部屋に閉じ込められていたそうだ。

 憔悴しきっているが、数日で快復するだろう」


 ふうっと、張り詰めていた緊張がわずかにほぐれていく。


「……良かったです」

「だが、グリゼナは気が触れてしまった。

 あの様子じゃ、魔道具について聞き出せまい」

「……」


 私は指先を膝の上でそっと絡ませた。


「……治療の手立てはないのですか」


 声を絞り出すと、彼の眼差しがにわかに鋭くなった。


 グラスにかけていた指を静かに外し、

 腕を組んで、鋭い眼差しを真っ直ぐこちらに向けた。

 聞くべきではなかったかもしれない、と思ったときにはもう遅かった。


「あんな目に遭わされたのに、心配か?」

「……はい」

「お人好しだな」


 自分でも、相当だと思う。


 たとえ罪人であっても、人が傷つくのは胸が痛むのだ。

 咎められるだろうと、覚悟した。

 しかし、テオドリックはただ、呆れたようにため息をついただけだった。


「……僕の主治医を治療にあたらせるつもりだ。

 あとは、グリゼナ次第だろう」


 彼の主治医は、帝国でも屈指の名医だと噂を耳にしたことがある。


 ……正気に戻る可能性がある。

 それだけで、胸の曇りが晴れたように感じた。


(でも……それは優しさ? それとも、ただ利用しようとしているだけ?)


 ふつ、と重たい感情が湧いた。


「あの」


 テオドリックの口元が、わずかに引き締まった。


「陛下は、グリゼナさまの侍女が行方知らずになっていたことを、ご存知ではなかったのですか」

「……」

「後宮でも、噂になっていたようですが」


 彼は私の言葉を受けて目を細めた。

 組んでいた腕に力がこめられ、不愉快そうに眉根が寄る。


「後宮内の揉め事に、逐一口を出せと?」


 やはり、知っていたのか。


(気づいていながら、見て見ぬふりをしていたの?)


 表情に出ていたのかもしれない。

 テオドリックの表情が、険しくなる。


「まるで、僕が人殺しを容認しているとでも言いたげだな」

「いえ、とんでもないことでございます」

「……」


 影妃の私が、皇帝のテオドリックに意見するなど、許されることではない。


(でも、ここは引けない)


 ただ静かに、彼の瞳を見返す。

 やがて、目を逸らしたのはテオドリックの方だった。


「侍女が行方不明になっているという報告は受けていた。

 調査をさせても証拠と死体があがってこない以上、僕が介入できる余地はない」


 そこで、彼は小さく息を吐くと、目を伏せた。


「……僕も人間だ。剣聖宮のすべてを掌握できるほどの力はないし、暇もない。腹立たしいがな」

「……」

「――だが」


 青い瞳がこちらに向けられ、鋭く私を射抜いた。


「手の届く罪は見逃すつもりはない。僕が裁く」

「……そうでしたか」


 ――剣聖宮で、人がいなくなるのはよくあること。


 ルカは、そう言っていた。


 陰謀と愛憎が渦巻くこの後宮で、すべての罪を暴くことなど、もとより叶わぬ夢。

 グリゼナを見て、思い知った。


 それでも。


(……あなたは、変わっていなかった)


 ようやく、少しだけ……安心した。


(一瞬でもこの人を疑ってしまった自分が、情けない)


「申し訳ございません」

「なぜ謝る」

「いえ。……陛下がお優しい人で良かったです」

「……優しい?」


 空気が変わった。


(あ、まずい。余計なこと言ったかも)


 テオドリックの手が、グラスの縁をなぞった。

 指先にわずかな力がこもり、水面がかすかに揺れる。


「シャロン・ファルネス」


 名を呼ばれ、背筋が伸びた。


「いくつか、聞きたいことがある」


(来た……!)


「……な、なんでしょう」

「君はグリゼナの鏡を、見事に修復したそうだな」


 やはり聞かれていた。


「たまたま……うまくいっただけです」


 作り笑いを浮かべたものの、声が上ずるほど緊張しているのが自分でも分かった。


「それにダンジョンや魔道具についても、詳しいようだ」

「昔。その……冒険者として旅をしていたものでして」

「ほう……魔力のほとんどない魔女が、冒険者か。

 さぞ役立たずだったのだろうな」


 ――むっ!!


「そんなことないです。私は、ちゃんと……!」

「ちゃんと?」

「……! いえ。その通りです。……ほんと、仲間に恵まれました」

「そうか」


 テオドリックの口元が、わずかに上がったように見えた。


(今……まさか笑った?)


 動揺する私をよそに、彼はすぐに表情を引き締めた。


 無言のままグラスを手に取り、水を一気にあおる。

 氷が、カランと乾いた音を立てた。


 少しの沈黙ののち、静かにこちらを見据える。


「率直に言う。

 君は否定していたが、僕はどこかで会ったような気がしている」


 ギクッ!!


(まずいまずいまずい。表情に出したら終わる)


 なんとか笑顔を保つ。


「あ、ああ~。あるかもしれませんね。世界は意外と狭いものですから。

 ……ギルドとか、酒場とか……ダンジョンですれ違っているかもしれません」


 テオドリックは、一言も発さない。

 まったく納得のいっていない顔だ。


 その圧に、息が詰まりそうになった。


(……完全に疑われてる)


 背中を伝って、汗が落ちていくのがわかる。

 刺すような視線に耐えきれず、私は顔を伏せた。


 彼は小さく息をつくと、グラスをテーブルに戻した。

 その手つきが、心なしか荒々しい。


「奇妙だな」

「……と、いいますと」

「君は妃だろう。僕の妻になりたくはないのか?」

「そ、それは……はい、あの……そうですね」

「それなのに、今すぐここから逃げたいという顔をしている」


 全身に震えが走り、さあっと身体が冷たくなっていくような気がした。


「緊張のせいも、あるかと」

「…………」


 再び、沈黙が落ちる。

 私は俯いたまま、せわしなく指を絡ませた。


(何なの。何が言いたいの)


「ミルディナ」


 予想だにしない言葉に、心臓がひっくり返りそうになった。


「ミルディナ・キリ=レイン」

「――ッ!」

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