Episode-EXTRA8 『ルーム19・怪物の一族に生まれし鷹の場合』
平等なんてものはこの世には存在しない。
当たり前のそのことを私は中学三年生でようやく骨の髄まで思い知った。
我が家はずっとずっと昔から続く旧家の家系。
私のご先祖さま方は古くから日本を支え続けてきた優秀な人材が大半を占めており、今世でもそれは変わってはいない。
我が家に生まれた子どもは、幼少のころから数多の高度な習い事を当然のように受けさせられる。
文武両道は当たり前。その中で更に特出した才能をその身に宿すことが望まれていた。
大学も国内進学の場合は最悪でも西か東の最高学府を現役で合格卒業するのが当然とされている。そして、不思議なことにその普通の人から見れば恐ろしい程に高い基準をうちの人間は楽々とこなしてしまうのだ。
名家の血を継ぐ者たちの才覚というやつだろう。
しかし、そんな中にも数世代に何人かはそのできて当然の基準を満たせないものが生まれる。
俗に言う落ちこぼれというやつだ。
ここまで話せばわかってくれただろう。
――その失敗作の落ちこぼれが私という訳だ。
自分が他の兄弟姉妹とどこか違うと感じ始めたのはいつだっただろうか?
他のみんなが当たり前にできることが、私は努力して練習しないとできない。
他のみんなが一日で終えることが、私は二、三日かかってしまう。
もしかしたら、私には一抹の才覚も無くどれだけ年月をかけて努力しても絶対に埋まらない程の差が彼ら彼女らとあればよかったのかもしれない。
しかし、そうではなかった。
私はごく一般、全国の同い年の子ども達と比べれば明らかに優れていた。でも、我が家ではそれではだめなのだ。
私は運動も勉強もその他も人並み以上にはできた。能力値を5段階評価で表すならば、どれも最低でも4.7とか4.8とかはあったと思う。
他の兄姉たちは当たり前の様に5を叩き出し、時に自分の得意なジャンルでは5段階評価ではありえない6や10といった成果を上げる才覚を有していたというだけだ。
しかし、今よりも子どもの頃の私はその同じ年月を生きていてはどうあっても埋めようのない彼我の差を理解してはいなかった。
地道に自分にできることをこなせば、いつか私も兄や姉の様になれる。私にもきっと…。
そう思っていた。
しかし、そんな考えは中学三年生の時――高校受験の時に砕け散った。
我が家の人間の通う高校は昔から決まっていた。更にその高校には付属の中学校が存在した。
しかし、本物の才能はより高度な試練を乗り越えるものという理念の元に中学校はその高校とは全く別の私学へと通わされる。その上で付属の中学からの入学ではなく、受験による外部入学というより狭き門を通過するという試練を課されるのだ。
それは何の利も意味もない行為だ。が、現にその方法で我が家のご先祖様も父も姉も兄もその高校へと入学していた。
だから当然ながら私もその方法で高校受験に臨んだ。
そして、
―――張り出された合格者番号。そこに私の番号は無かった。
初めは見間違いかと思った。
しかし、何度目を擦っても一番最初から最後まで見返しても私の受験番号が無い。
「………落ちた…?」
1分ぐらい経っただろうか。
ようやく擦れた声が喉を越え振動となって外部へと出る。そして、ツーッと一筋の涙が右目から溢れたのはほとんど同時だった。
…怒られる、いや怒られるじゃ済まない。怒鳴られる。ぶたれる。家から追い出される。絶縁される。
脳が自身の不合格を理解した瞬間に洪水の様に溢れ返ったのは、両親への恐怖だった。
しかし、私は怒られもぶたれもしなかった。
恐怖で震えビクビクと自身の不合格を告げた私の瞳に映ったのは、信じられないものを見る様な目で私の顔を見る両親の姿だけだった。
その瞳はまるで汚物を映したかのように不快と嫌悪で濁っていたのをよく覚えている。
あの日は体調がいつもより良くなかった。
追い込みをかける為に数日前からしていた深夜の勉強のせいで寝不足だった。
他の受験生の子とは違って私のとってあそこは通過点だった。だからこそ絶対に落ちてはいけないプレッシャーがあった。
それに受験一色だったであろう他の子たちと違って私は他にも習い事をいくつも掛け持ちしてたんだ。だから受験勉強に割ける時間が他の子とはまるで違う。
それにあの日のテスト問題は私の苦手なところばかり出た。
それから数日、私は食事も喉を通らず自室で一人誰に聞かせるでもなくそう言い訳を続けた。
でも、それがみっともなくて情けなくてくだらない事なのは自分でもわかっていた。
だって、その言い訳全てが『それでも――他の兄弟姉妹や父や祖父やご先祖様は簡単にできるし、実際にできた』で片付いてしまうのだから。
できて当然のことで失敗したのは私なのだから。悪いのは私なのだから。
それから、数日後。
私は一番上の姉の車でとある場所へと向かっていた。
室内には穏やかな森林を思わせるBGMが流れ、姉は鼻歌を歌いながらハンドルを握っている。
当然ながら、この姉は私とは違い天賦の才覚を持ち正しく生まれ育った。
幼き頃から何事もそつなくこなし、我が家の長女として申し分ない人だった。
長いところでも首筋程度に短く切り揃えられた艶のある髪にモデルの様な長身ながらも女性らしいスタイル。そして性別問わずに見惚れる様な美しい容姿。才色兼備とはこういうことを言うのだろうと思う。
そんな彼女は今、大学院に通いながら同時に一人の植物学者として世界から注目されている。それが彼女がその身に宿した5段階評価で10を叩き出す才能。
とは言っても、それ以外の勉強も運動も私なんかよりも遥かに優れている完璧超人なのだけど。
が、他の姉と兄は私のことなど歯牙にもかけないにも関わらずこの姉だけは昔からよく私の世話を焼いてくれた。
それ故に燃える様な嫉妬と劣等感を胸に抱きつつも、私はこの姉のことはどこか尊敬し懐いていた。
「いや~、しかし気持ち良くない天気だよね。縁起がよろしくない」
視界に写る曇り空を見つめながら姉が気軽な声でそう助手席の私に声をかける。
そう、今私たちが向かっているのは私が第二志望で受けた高校の合格発表だった。まぁ、我が家からしたら第二志望などあってないようなものなのだが。
当然この合格発表もネットで見る気になれば見れるのだが、部屋にずっといる私を気遣ってか姉が車を出してくれることになったわけだ。
「縁起が悪くとも、仮にここも落ちようものなら私はもうおしまいです」
「そんな暗いこと言わなくてもさー。たかだか高校受験だよ、まだ十五歳。こんなことでおしまいになるほど人生は非情じゃないよ」
「――っ」
その言葉は姉の本心からの気遣いなのはわかった。わかったが故に、それがより私を惨めにした。
「んっ。まぁ、落ちるなんてことはないと思うけどね。偏差値はそこまで変わらないけど、こっちは付属中学ないし定員も多いからね。逆によかったかもよ、パンフ見たけど中々楽しそうな高校だしさ。私らの誰も経験してないドラマみたいな青春を謳歌できるチャンスかもしれないよ」
それが言葉にせずとも伝わったのか、すぐに姉が話題を別のことに変える。
「――そんなチャンス、私は求めていません。私はたとえ何歩後ろであろうとも姉様たちと同じ道を歩みたかった」
「うーん、ただの姉としては嬉しい言葉かもしれないけど、妹を思う姉から言わせればあんまりよろしくない考え方な気がするなぁ。そもそもうちの教育理念は私は好きじゃない、それを強要して押し付ける父も母もどうかと思う」
「…ならなんで、姉様は決められた道を歩んだんですか?」
その時は何も知らない子どもだったから。親に言われた道が正しいと漠然と思っていた。
そんな答えを私はきっと本能的に求めていた。
しかし、
「一応、これでも長女で長子だからね。私がその決まった道を自分から外れちゃったら妹弟たちにその分の負荷とかシワ寄せがいっちゃうでしょ。それは忍びないからね。ま、その時はそれを曲げてでも行きたい他の道が無かったっていうのもあるけどさ」
苦笑しながら姉の話すその内容は私の気持ちを更に深く沈ませた。
――ああ、そっか。同じ人間、同じ性別、同じ血統、でもこの姉と自分は別種の生き物なんだ。姉は今の私と同じ年齢の時に、自分のことでいっぱいいっぱいな私と違いそんなことまで考えることができたんだ。
そう思ってしまった。
「あっ、でも今は違うよ。他の子たちも流石に大学を出た後は自分の好きなように生きるだろうし、その心配もいらなくなったってのはあるし。なんたって私は両親の紹介する縁談はことごとく断ってるしね。やっぱり愛するのは一生に一人だけで、その相手は心から自分が惚れた人にしたいじゃない。理想は私をどんな状況でも護ってくれて尚且つ尊敬できる人かな」
「そうなんですね」
「それでね。その人にリードしてもらいながら結婚前に一緒に一年間世界中を巡って旅をするのが今のところの私の夢なの。私に全然似合わずのちょっとオトメチックな夢だけど、素敵でしょ」
「はい、素敵です。それに姉様ならきっと叶えてしまうのでしょうね」
まるで何も知らぬあどけない少女の様な夢見がちな願望。
しかし、私が発したこの言葉は心からの本心だった。
だって、この姉ならば最終的に絶対に成し遂げてしまうのだから。そういう星の元に生まれてきた選ばれし人間なのだから。
「一人で大丈夫? 私も付いていこっか?」、そんな姉の言葉に首を横に振り私は合格発表会場である高校の敷地内を歩いていた。
そこは同じように合格発表を見に来た人で溢れていた。
その人達と私に違う点があるとすれば、その人たちの隣には家族と思しき誰か――主に父や母、またはそのどちらもがいることくらいだ。
そんな人たちの間を縫いながら、私は合格発表の掲示板まで向かって行った。
目は悪くない。だから、一番前まで行かずともその巨大な白い用紙に書かれた数字は見て取れた。自分の番号と近い数字群を見つけ、そこから段々と自分の番号が書かれているであろう場所へと近づいていく。
そして、
「ん」
そこに私の番号はあった。
しかし、特に感動や喜びはない。当然だ、崖っぷちで掴まなければ終わりの掴んで当然のロープを掴んだだけなのだか――、
「きゃー!! あった、あったよ!! すごいいすごい、私の子とは思えない!!」
そう思いながら、番号の確認もできたし何の感慨も無くそう帰ろうとしたところでそんな叫び声のような声が耳に届く。
見ればダウンジャケットを着た女性が娘と思しき私と同年代の少女を抱きしめ、目に涙を浮かべていた。そして、少女の方も「やっだー…!!」と涙声で嬉しがっていた。
「気にしないの! こんな難関校お母さんだったら受験しようなんて思いもしなかったんだから。毎日勉強してしっかり準備してあなたは頑張ったんだから、立派よ」
そして、再び耳にそんな声が届く。
今度はコート姿の女性が同じく私と同じくらいの少女の頭をポンポンと優しく叩きながらそう慰めの言葉をかけていた。そして、少女の方は「おがあさーんっ!!」と目に大粒の涙を浮かべ悔しがっている。
この二人の違いは単純だ。
合格者と不合格者。
…この二人と私の違いは単純だ。
この試験にかける思い、そして自分を慮って一緒に笑ったり泣いたりしてくれる両親の存在。
――いいなぁ。
そしてそれを見て私の胸中に浮かんだのは、私にとっては何でもない受かって当然のこんな試験で一喜一憂している彼女たちへの嘲りでもその傍らにいる一緒に喜んだり悲しんだりしてくれる両親に対する嫉妬でもなく、
ただ単純な彼女たちの境遇に対する羨望だった。
鳶達の家に生まれた鷹は、手厚く大事に育てられ期待されるのだろう。
鳶達の家に生まれた鳶も鷹達の家に生まれた鷹も、愛情を受け大切に育てられるのだろう。
――では何故、怪物達の家に生まれた鷹だけがこんな思いをしなければいけないのだろう。
コツンコツン、これ以上そこにいるのが心底嫌で私は逃げるようにその場を後にした。
そして、
「――ああ、平等じゃないな。あの子達よりも私の方がずっと優れているのに」
誰にも聞こえない様にそう聞くに堪えない醜い感情を曇り空に向けて吐露した。
その数分後に自分の運命の転換点が訪れることなど知る由もなく。
***―――――
「…。…きちゃん。…春貴ちゃん」
「…んん?」
肩を揺すられ、段々と意識が覚醒する。
どうやらソファで眠ってしまったらしい。まだここに来て日が浅いのにすでに何度か経験済みの寝落ちだ。
でも、しょうがないと思う。この恐ろしい程に柔らかい神の創造物は私の眠気をベッドよりも加速させるてくるのだ。
流石と言わざるをえません、我が主よ。
そして、そんな私を起こしたのは一人しかいない。
何故ならこの空間には人間は私たち二人だけなのだから。
クリンと開いた瞳、後ろでポニーテールにした艶のある黒髪、女性の平均よりもかなり上のスラッとした長身。容姿で特徴的なものを三つ上げるとすればそんな風になる。
彼女こそが私の同居人、高佐悠菜さん。
「大丈夫、少しうなされてたみたいだけど」
「大丈夫です。少しだけ昔の夢を見ていただけです」
「――そっか。って、そうだそうだ。なんか結構お高そうな茶葉使ってお茶淹れたから一緒に飲まない?」
「それはいいですね、頂きます」
そしてあれから一年弱が経過した今、私はそんな同居人と共に共同生活を送っています。




