Episode-91 『一人の知らない二人の話・とある二人の場合』
「ふー」
歯を磨き終え、私は再びメインルームのドアを開けた。
「ん」
すると、すでに同居人の姿はそこにはない。
もう寝たんだろうな。待っててもらってもリアクションに困るし助かった。その上、テーブルの上に置いたままだった食器も片づけてくれたようだ。
見た目によらず気の利くやつだな。
そんな風に少しだけ鬼村に感謝しながら、私も自分の部屋へと向かおうとしたのだが、
「あー」
そこでテーブルの上にペンを置いたままであることに気付き、踵を返す。
一応、職業柄常にペンとメモ帳は携帯する様にしている。さっき鬼村にサインを書いたのもそのペンなわけだ。
そんなペンの回収にテーブルに近づいていく私だったが、
「?」
その途中である異変に気付いた。
テーブルの上に何かが書いてあるのだ。そして、近づくにつれてそれが文字であることがわかった。
『二ノ前ユキ先生。サイン、本当にありがとうございます。家宝にします。これからもずっと応援し続けます。頑張ってください』
「…いや、直接口で言えばいいだろが。人見知りかよ」
その汚いとまでは言わないが不器用そうな字で書かれたファンレターっぽい伝言に思わず小さな笑みが浮かぶ。
しかし、それには続きがあった。
『私は一足先に自分の部屋に戻ります。おやすみなさい。言うのが数週間遅いかもしれませんが、これからよろしくお願いします、須能一さん』
それは漫画家の私に向けてではなく、漫画家としての私を含んだ須能一という人間全体に向けたメッセージだった。
「…ほう、ヤンキーの癖に宛名をあえて変えるとは小洒落たことしやがるじゃねぇか」
普通なら少しグッと来たりするのかもしれないが、私はそんな感傷的な思いは特になかった。しかし、それとは別にそのメッセージの内容には少々感心していた。
ふむっ、この表現なんかで使えそうだな。こいつ、存外いいセンスしてるかもな。
『ちなみにこのメッセージは百合神様にお願いして三十分程で消えることになってます、テーブルを汚すわけにはいかないので』
そして、メッセ―ジはそう締めくくられていた。
なるほどな。流石に考えなしでテーブルにペンで書いた訳でもなかったか。
つーか、そんなこともできるのか。…いや、当然か。こんな空間を造っちまうんだからテーブルに書かれた文字を消すぐらいは百合神の手にかかればお茶の子さいさいだろう。
「ふぁ~」
そこで思わず欠伸が出る。
うん、それはそうとやっぱ風呂入って飯食ったらまた眠くなってきたな。とりあえずメッセージも確認したし、自分の部屋戻って寝るか。
そう決めてペンだけを回収してテーブルに背を向けると、私は今度こそ自室に歩き出した。
「おやすみ、鬼村」
そして、その声が聞こえていないのは承知の上で鬼村のマイルーム前でそう小さな声で就寝の挨拶をすると私は自分の部屋のノブを捻って、メインルームを後にした。
***―――――
「むーっ…、んー」
怖い夢を見たわけではない、寝苦しかったわけでもない。
しかし、何故だか私の意識は微かに覚醒した。ここで生活し始めてからは初めての経験だ。
紗凪ちゃんと二人のいつもとは違う環境に変化した初日であるためだろうか。だとすれば、結構神経質だな私。
さてここにくる前の現実世界の私ならば、即座に二度寝のパターンだが…、
「すぅー、すぅー」
「うっ」
横から紗凪ちゃんの規則正しい寝息が聞こえてきたことで、半覚醒だった意識が更に少しだけ目覚めに近づく。
更にごろりと寝返りを打つように横に身体を回すと、すっごく幸せそうに眠る紗凪ちゃんの顔が目に入った。
深夜に眠る紗凪ちゃんを見たのは何やかんやで初めてだ。これはとても貴重な体験。そして、言うまでも無くその寝顔は可愛くてしょうがない。
「んー」
そして、当然ながらそれを見てしまったことで私は更に少しだけ目が覚めてしまった。
今何時だろ? げ、まだ全然朝方でもないじゃん…!?
枕元に置いた時計を見て現在の時間を確認すると、私は頭をかきながら紗凪ちゃんを起こさない様にゆっくりと布団から立ち上がった。
もちろん、起きるつもりなどはない。
一杯だけお水でも飲んで、もう一回寝ようって感じの考えだ。起きはしたけど、眠気がなくなったわけではないからまたすぐ眠くなるでしょ。
そう決めて私はゆっくりと冷蔵庫まで歩いていった。
そして、一番上のドアから冷えたミネラルウォーターのペットボトルを取り出してそれをコップに注ごうと、
「………ん?」
したところで気づいた。
ここまで歩いてきたときには一切目に入らなかったが、冷蔵庫を開けて中から光りが漏れだしたことで周囲の視界がより明瞭になった。
それにより、いつも食事の際に使っているテーブルの上に何かが書かれていることに気付いたのだ。
え? なにあれ?
そして目に付いてしまったからには当然気にはなる。
とりあえずコップの真ん中ほどまでミネラルウォーターを注いで冷蔵庫の中へとペットボトルを戻すと、私はコップ片手にそのテーブルの前まで移動する。
「こっ、これは…!!」
そこでテーブルに書かれた文字――いや正確にはメッセージを眼にした私を驚きと衝撃が支配する。
その内容は私の全く予想だにしないものだった。
だが、その驚きは完全に嬉しい誤算だった。もしや、これを見る為にこの時間に私の本能が目を覚まさせたのかもしれない。
とりあえず、気持ちを落ち着けるためにグビッとコップの中の水を飲み干す。
そして、
「――ゆ、百合の波動を感じる!!」
テーブルの前でグッと左拳を握り、私は深夜のメインルームで独りでにそう呟いた。




