Episode-EXTRA9 『ルーム19・普通な彼女の×××××の場合』
「変わったね」と最近よく言われる。
家族からも親戚からもそして知人からも。
そして、
「――それにしても変わりましたね、上之宮さん」
本日は昔馴染みの友人からもそんなことを言われた。
季節は新年を迎えた後の冬。新入生としての一年が終わろうとしている今日この頃にだ。
何故このタイミングで?
そう思って「はい?」と聞き返す。
すると、その友人――桝谷さんは「昔に比べてですよ」とニコリと笑った。
ちなみに今は二人で下校のために校舎を歩いている最中。
校舎の外へと出るとお互いに家から迎えの車が来ているため、二人で歩いての下校は教室から昇降口付近までのわずかな間だけだ。
「そうですか?」
「そうですよ。入学して同じクラスになったときから少し変わられたなとは思っていたのですが、その後も日を追うごとに変わっていって、今では一年前が嘘の様ですよ」
そう言って桝谷さんがほほ笑む。
そして、付け加える様に「あの少し踏み込んだ質問かもしれませんが…」と口にすると、そこで桝谷さんは少し逡巡するような仕草を見せるが、
「別に構いませんよ、何ですか?」
そう私が先を促がすと何かを決心した様に「では」とゆっくりと口を開き始めた。
「あの…うら若い女性が急に変わるには、――恋によるものが大きいと聞きました。それで、もしや上之宮さんにも恋人さんができて変わられたのでしょうか?」
「…はい?」
が、飛んできた質問は私の予想だにしないものだった。
それ故に私はきっとすごいポカンとした表情を浮かべながらそう今日二回目の「はい?」を口にしたのだろう。
そして、遅れてその桝谷さんの質問の意味を理解して、
「ふっ」
と思わず笑い声が漏れてしまった。
「あれ? 違いました?」、と困惑する桝谷さん。どうやら質問と言いつつもほぼ確認に近かったのだろう。
…まぁ、実はそこまで完全な見当はずれとは言えないかもしれない。
「ええ、違いますよ」
が、とりあえずは誤解を解くためにそうキッパリと否定しておく。
すると、桝谷さんは「あっ、そうなんですか」と少し顔を赤くしながらもどこかがっかりした様な表情を微かに浮かべながら納得する。
長い付き合いだが、珍しい表情だ。
「何かあったのですか? 私でよかったら聞きますよ」
その反応が少し気になり、今度はこちらから問いかける。
「…えーっと、実はですね。どうやら私事なのですが高校を卒業した後すぐに結婚するらしいことが先日ほぼ決定しまして。相手の方とそのご家族と今年の四月に初めて会食をすることになったのです」
「あー」
その言葉でなんとなく桝谷さんの言いたいことがわかった。
…それにしても政略結婚か。時代錯誤も甚だしいが、今の世であっても名家では実際少なくはない。
当然、出がらしとはいえ上之宮家の私と昔馴染みということは彼女も名のある家の娘。そんな彼女とこんな進学先でも一緒になったときは素直に驚いたものだ。
「ですが、私はお付き合いどころか男性と話した経験も同年代の方よりもずっと少なくて」
そんな私の心の声を余所に桝谷さんが話を進める。
「なので、もし上之宮さんにお付き合いしている方がいらっしゃったのなら、アドバイスでも頂ければ…と考えていたのですが…、どうやら私の勘違いだったみたいですね」
「ご期待に添えずごめんなさい。私も男性との触れ合いに置いては、桝谷さんと同様かそれ以下しかございませんよ」
「あっ、いえいえ。上之宮さんが謝ることなんてありません。私が勝手に間違って解釈しただけなのですから」
頬を赤くしながら、桝谷さんが手をブンブンと振る。
まぁ、確かに恥ずかしくなる気持ちはわかる。でもこんな私とずっと友人でいようとしてくれた彼女をこのままにしておくのも忍びないので、
「あの…恋愛相談にはあまり上手く答えることはできないかもしれませんが、桝谷さんの悩みならいつでも友人として真摯に聞きますよ」
そうフォローを入れておく。
すると桝谷さんは一瞬ポカンとした後に、お上品に笑いながら「本当にお変わりになりましたね」と言った。
そして、
「では、その時はお言葉に甘えさせてください」
「はい、わかりました」
そんな言葉を最後に交わして、私と彼女はいつも通りの場所で別れのだった。
「お迎えご苦労様です」
「いえいえ、お嬢様こそ本日もお疲れ様でございます」
桝谷さんと別れた私はいつも通り学内に停められた一台の車まで歩いていった。
その後部座席のドアを開けて、運転席にいる我が家の執事の中でも最古参の老紳士と言葉を交わすとそのまま車内へと乗り込み腰を下ろす。
そして「ふぅ」と一息つく私に、
「こちら頼まれていた物です」
エンジンをかける前に運転席から紙袋が手渡される。
「ありがとう」と一言お礼を言ってそれを受けとると中身を確認するために覗き込む。
「わぁ~」
思わずそんな声が漏れてしまった。
その中にはクレープが三つ、崩れない様に丁寧に置かれていた。
「ご希望のもので相違なかったですか?」
「ええ、これで間違いないです。毎回毎回すみませんね、屋形さん。こんなお使いの様なことを頼んでしまって」
「いえいえ、お嬢様のお頼みですので。そのような事をお気になさらないでください」
「でも、その…おそらくお客さんは若い女性ばかりでしょうし浮きませんか?」
「浮かないと言えば嘘になりますが、老人にとって若い方とお話しするのは苦痛どころか喜びですよ。本日など一緒にお写真をお願いされてしまいました」
そう言って笑いながら、屋形さんがエンジンキーを回す。
まぁ、確かにキチッとした燕尾服に白い髭を蓄えたダンディな老人が甘味のお店に並んでいればむしろ若い女性は好意的に話しかけられたりするもの…なのだろうか?
うーん、よくわからない。でも、屋形さんが楽しいならいいだろう。
「それに――お嬢様は幼少の頃よりわがまま一つおっしゃりませんでしたから、今になってその分を補うように頼って頂くのはこちらとしても大変喜ばしいことなのですよ」
「――そうですか」
「ええ、学業も順調なようですし差し出がましい事を言うようですが、本当にお嬢様はこちらの学園に入学してからお変わりになりました」
「…変わったきっかけはここに入学したからではありませんけどね」
「はい?」
「いえ何でもありません。では、いただきますね」
「? ええ、どうぞ」
そして、車がゆっくりと動き出し私は後部座席で甘いクレープをはむっと口に含んだ。
「ん~」
うん、確かにこれは彼女の言うようにサッパリした甘さで何個でもいけそうですね♪
そのまま特に滞りなく屋形さんの運転する車は、我が家に帰還した。
ちなみに何個でもいけそうとは言いつつも、紙袋の中にはまだクレープがまるまる一つ残っていた。当然、私の胃袋のサイズで実際に何個もいけるわけないですし、何よりこれで夕飯が食べれなくなっては困りますしね。比喩です比喩。
そのまま最後まで丁寧な運転で車が駐車スペースへと入って行く。
そして、完全に停車し屋形さんがエンジンを切ったところで、
「おかえり、春ちゃん」
と不意に横窓がノックされる。
そのいきなりの音に驚き、素早く熱視線を注いでいたスマホの画面から目を離す。
するとそこには、
「ただいま帰りました、姉様」
手をヒラヒラと振る姉様の姿があった。今日は大学院には行っていないのか、ラフな格好のままだ。
そんな彼女に一礼すると、そのまま車から降りる。
「どうかされました?」
「ううん、ただたまには春ちゃん迎えようと思ってね。最近頑張ってるみたいだし」
「特段、努力を今までよりもしているというわけではありません。――ただ、少し趣味ができましてね。皮肉なことですが、それに少し時間を割いたら不思議と心に余裕ができた気がします。それが学業やその他にも良い影響を与えているのでしょう」
「でしょ~、春ちゃんは真面目すぎたんだよ。少しぐらい息抜きしなきゃ疲れちゃうって」
「姉様のおっしゃる通りです」
車から降りて、姉と並びながら家へと入って行く。
ちなみに屋形さんは姉様に一礼すると、仕事に戻っていった。
「そういえば、趣味って何? あっ、前に確か絵画セットとか買ってたよね?」
「はい、それも一つです。たまに絵も描かせていただいています」
「ふーん、一つってことは他にもあるんだね。さっきのSNSとか?」
その言葉でやはり先程スマホの画面を見られていたことが判明した。
だが、どうやら何を見ていたかの詳細は知られていないようで、
「なんか最近の若い子はああいうので知り合った人と実際に会って事件に巻き込まれることも多いって聞くよね。私からしたらそんな簡単に会うのは理解できないんだけど…。大丈夫だろうけど、春ちゃんもそういうのは気をつけなよ」
と姉様は私を少し心配するようにそう付け加えた。
「安心してください、姉様。アカウントには鍵をかけていますし、誰一人としてフォローしてもされてもおりません」
「…それってやっている意味あるの?」
「検索ツールの一種として使用しています。これもその戦果の一つです。姉様もよろしければいかがですか?」
そう言って、姉様に紙袋を差し出す。
姉様が「なになに?」と興味深そうに中を覗きこむと「わっ」と声を上げる。当然その中にはクレープが一つ入っている。
「最近、巷で流行っているお店だそうです。屋形さんにわがままを言って買ってきていただいたのですが、一つ食べ切れずに残ってしまいまして。姉様、甘いものお好きでしたよね」
「うん、大好き♪ ありがと、春ちゃん」
そう嬉しそうに言って姉様が受け取った紙袋からクレープを取り出すと、「いただきま~す」とすぐさま口に運ぶ。そして「おいひ~」と頬を綻ばせる。
そんな姉の姿を見ているだけで何となく私も嬉しくなった。
…っと、そうだ。一応、三つとも違う味だから。
「姉様、少しはしたないのですが一つよろしいですか?」
「? なーに?」
「あの…一口だけ頂いてよろしいですか?」
そう実際に口にすると、恥ずかしくて顔が熱くなったのがわかった。
でも姉様は「うん、もちろん」と明るく笑うとクレープを差し出してくれた。
…これはこのまま口をつけろということだろうか? 多分そうだろう。そして姉様は意識せずに自然にやっているはず。ならば私が恥ずかしがるのも変な話だ。
「では」
というわけで、決心して姉様からの変則的なあ~んを受け取る。
うん、美味しい。なんというか、若者向けな新鮮な味な気がする。やっぱりあの人は一番味覚が今風なんだろう。
「うん、満足です。ありがとうございます、姉様」
「そう? もともと春ちゃんのやつだし、一口と言わずもう少し食べたら?」
「いえ、先程も言った様に私は車内でもう頂いた後ですから。間食もほどほどにせねばいけませんしね」
「――そっか」
少し間を空けての言葉。
それを言った時の姉様の顔は何かを感じ入っているようだった。
「いや~、今さらながら春ちゃん変わったよね」
「ふふっ、何の偶然か今日友人にも屋形さんにもそう言われましたよ」
「おっ、被ったね。でもホントここ一年の春ちゃんは前よりもずっと生き生きして見えるよ」
「それは自分でもわかります。――姉様のおかげですよ」
「? 私の?」
私の言葉に本当に不思議そうに姉様が首を傾げる。
そんな姉様に、
「ええ、一年前のあの日姉様が合格発表を見る為に外に連れ出してくれなかったら絶対に今の私は無いのですから」
「――それはよかった」
そう改めてこの一年間近く言いそびれていた感謝の言葉を告げると、「では、やることがありますので。また夕食の時に」と姉様に別れを告げると私は自分の部屋へと向かった。
自室のドアを開けて、バックを所定の場所へと戻す。
そして、コートを脱ぐと私は制服からは着替えずに机の二段目の引き出しを開けて、あるものを取り出した。
それは銀色に煌めく一つの鍵。
そのカギを握りしめて、ドアに向ってテクテクと歩く。
しかし、ドアといっても入ってきたドアではない。もう一つこの部屋にはドアがあるのだ。
上之宮家の子ども達の部屋は全て同じ構造になっている。生活スペースとしての入口のドアを開けて入る部屋。
そしてもう一つ。その生活スペースの部屋から更にドアを一つ隔てた部屋。ここは各自趣味として自由に利用していい部屋だ。
例を上げると一番上の姉様はここで植物を栽培している。一番上の兄様はグランドピアノの練習スペースとして利用しているらしい。
――ならば私は?
鍵をドアへと差し込み、カチッと開錠の音が鳴る。
そしてゆっくりとノブを回した。
この部屋に入るたびに思い出す。
あの私の人生が変わったであろう日の記憶を。そして、恐らく私が救われたであろう日の記憶を。
***―――――
「ちょ!? あなた大丈夫!? 何で傘差してないのよ、びしょ濡れじゃない!?」
「………え?」
もう全てがどうでもよくなっていまにも崩れ落ちそうになっていた私に差しのべられた暖かな手の記憶を。
このタイトルの意味は次回判明します。
ちなみに何やら少し不穏な雰囲気がありますが、暗い展開には全くなりませんのでその点はご安心ください。




