《第74話》夜のドライブ
「連藤さん、今からおでかけしませんか?」
電話がかかってきた30分後には莉子が玄関まで迎えに来ていたのだが、その時間は22時。
夜である。
これからどこへ行こうと言うのだろう。
連藤は部屋着に上着を引っ掛け出ていくが、莉子からストールも巻いてと言われ、ちぐはぐな格好になる。
「これで大丈夫でしょ」
連藤の手を取ると莉子は軽やかに歩き出すが、引き止める声も聞かずにただただまぁまぁと繰り返すだけだ。
莉子は優雅な手さばきで助手席へ連藤を導くと、莉子も運転席へと腰を沈めた。
肌に触れる空気の感覚、音の響きから、屋根が開いていることがわかる。
「オープンで走るのか?」
「夜のオープン、気持ちいいんですよぉ」
語尾といっしょにアクセルが踏み込まれ、車はすぐさま発進した。
都会ではあるが、21時を過ぎてくると交通量はそれほどでもない。軽快な運転を続けているが、どうも木々の隙間を縫う道を選んでいるようだ。虫の声が時折響いてくる。また湿度のある空気が頬を抜け、走る速度のおかげか肌寒く感じる。
「寒いですか?」
「いや、ストールのおかげでだいぶ暖かい」
「それならよかった。まだ寒かったら言ってください。シートヒータ入れますから」
ラジオからは軽快なトークが響き、莉子はその会話を聞きながら笑い声を転がしている。
「……莉子さん、何かあったのか?」
いつもよりもより明るい雰囲気の莉子の空気に違和感があるのか、連藤がいつになく真剣なトーンで話すが、莉子はふふふと声を上げると、
「これに深い意味はないよ。でもストレス発散に結構一人で夜中に走ってるんだ、私。
たまには連藤さんを誘ってみようと思って」
「危険じゃないのか?」
「何が?」
「夜中に運転だなんて」
「いつもは30分程度だもん。車からも降りないし」
「そうか。
………いつもは…?」
「今日は少し遠くまで行きましょうか」
夜風がだんだんと冷たく感じてくるが、それも気持ちがいい。
きっと空も晴れているのだろう。
聞きなれた曲がかかると莉子が鼻歌でそれをなぞっている。曇りの日にそんな鼻歌は出てくることはないはずだ。
「月は綺麗なのか?」
「死なないですよ?」
「いや、そうじゃなくて……」
「ああ、今日は曇りですよ」
さすがとしか言いようがない。
莉子のそのテンションの切り替えに圧倒されながら、連藤はまぶたに月を浮かべてみる。
いつかみた大きく赤い月だ。
少しイメージと違うため、青白い月に切り替えた。
こちらの方が今日のドライブに似合うだろう。
他愛のない会話とラジオから流れる話に合いの手を入れながら走る車だが、香りが変わった。潮くさい。
───これは、海だ。
「莉子さん、海が近いな」
「はい。今日は海の近くの夜間でも開いている公園へと向かっております。
この前行った展望台のほうではないのです」
「ああ、南の方の大橋を渡った先だな」
「そそ! 橋を渡りきったらひと休みしましょう」
風をきる音の隙間から波の寄せる音も聞こえてくる。夜の潮騒もおつなものだ。
少し蒸し暑い湿気った空気と潮の香りが、残りの夏を醸し出している。肌に張り付く空気の感触が少しひんやりとしているのが、夜であるからなのだろう。
盆が過ぎると徐々に秋めいてくるものだ。
「さあ、到着しましたよー」
潮の香りが肺いっぱいに広がった。
ブロックに当たる波の音が軽やかに響き、夜だからこその音の反響があって、どことなく新鮮な気持ちになる。
だが風をきることがなくなると、むわりと空気がまとわりついてきた。
「やはり停まると暑く感じるな」
「ささ、ストールを外して、ちょっと涼しくなってください。
そーしてー、ホットコーヒーとビスコッティを食べましょう!」
莉子は後部座席に積んでいたポットを取り上げるとコーヒーを注ぎ、手渡した。
大きめのマグカップに注がれたコーヒーは濃いめで香りが香ばしい。
ゆっくり啜ると胃の底から熱が湧き上がってくる。
「さ、左手出して。ビスコッティつけながら食べてください」
少しボリュームが上げられたラジオからは、夜中ならではのトークが繰り広げられ、くだらない笑いがパーソナリティーから溢れてくる。
莉子もぶふふと笑うが、
「あ、連藤さん、こういうの聞かないよね」
思わず手を伸ばした莉子だが、
「いいや、たまにはいいな。学生の頃を思い出す」
連藤も同じようにぶふふと笑いながらコーヒーを飲み込み、ビスコッティを頬張った。ナッツが練りこまれ、かなり香ばしく焼き上げられている。コーヒーに浸しても歯ごたえがしっかりしており、かなり食べ応えがある。
「このラジオ聞いたら帰りましょうか」
実に楽しそうに声が弾んでいる。
莉子のストレス発散の方法を連藤も味わいながら、
「莉子さん、こういうドライブも楽しいものだな」
「でしょ? また来ようね!」
夜風はこれからどんどん冷えてくるだろう。
その時は天井を開けるのだろうか。
それでも彼女と楽しく寒さを楽しめたならいいなと思う連藤だった。





