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café「R」〜料理とワインと、ちょっぴり恋愛!?〜  作者: 木村色吹 @yolu
第2章 café「R」〜カフェから巡る四季〜

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《第54話》願うもの 叶うもの

 星がこぼれるほどの光の波は美しい流線を描き、空の端から視界の端まで続いている。

 それを挟んで輝くのが、織姫と彦星である。


 はっきり言うが、どれが織姫でどれが彦星かがわからない。


 街灯はなく、他の民家もなにもない土地で見上げる天の川はそれは圧倒される光量で、どれが一番星かなど比べられないほどの輝きなのである。本当に星が降るとはこのことだと思えたものだ。黒い厚紙に穴をたくさん開けて光が漏れた時のあの光の線がわかるだろうか。地面まで降り注ぐほどに星が煌めいて、木々の青さも見えるほどだった。確かその日は新月だったのだと思う。月がない日のほうが、よく見えるんだよと、祖父に言われたからだ。

 幼い頃に訪れた北海道で見上げた過去の夜空は、今でもしっかりと覚えている。


 だがこの都会では、星は数えるほどしか見えない。

 それが都会らしさであり、ここの土地は24時間、人が動いている証拠になる。


 どちらもそれが普通で、特別なことなのだ。


 確か七夕の日は、織姫と彦星が逢うことを許される日、と記憶をしている。

 彼らは年に一度会えるこの日まで、1日1日を必死に塗りつぶしながら過ごし、ようやくと当日を迎えても、あっという間に時間が過ぎて、翌朝には涙ながらにまたあの川の岸へと互いに離れて、来年のこの日をじりじりと待ち焦がれるのか。

 二人はこのことに納得をしているのだろうか?

 数多の時間があるのなら、橋ぐらい作り始めてもいいのではないかと思う。

 織姫は機織りの仕事、彦星は牛飼いだっただろうか。昼間に仕事を済ませれば夜は意外と時間があるではないか。

 もしかすると、こっそりとモーター式の素晴らしい船を造り、夜の川で会っているのではないだろうか。

 だからこそ、公の1日で十分なのではないだろうか───


 天の川など浮かばない空を見上げて、莉子はくだらない妄想をしながら赤ワインを喉に通した。

 連藤の部屋のベランダは、広く見渡しがいい。

 高層マンションの素晴らしく良いところだ。

 合わせて、虫もいない。

 自分の店のある場所は公園が近いために虫などザラだ。

 おかげでハーブや蚊取り線香など、生やし放題、焚き放題だ。


 今日は連藤からの誘いでこの部屋に来ていた。

 この赤ワインは自分の持参である。

 アメリカで造られたワインで、葡萄はカベルネ・ソーヴィニヨンになるが、フランスなどと違い、やはりアメリカナイズな味である。

 味がどっしりとして、アルコール度も高く、果実味もたっぷり。

 気軽に飲むにはちょうどいいワインだと選び、持ってきた。

 現におつまみは冷蔵庫にあったトマトと生ハムである。

 気取らない、そんな雰囲気がぴったりのワインだ。

 だがもう一品作ると連藤はキッチンへ戻り、なにやら料理を作成している。

 のんびり飲んでいろとの指示のため、のんびりとトマトを頬張り、のんびりとワインを飲み込んで眼下に広がる都会の煌めきを天の川のように見つめていた。


「天の川かぁ……」


 莉子はグラスを傾け、天の川のイメージを都会の景色に重ねてみる。


『織姫、ちょりーすっ』


 天の川に激しいしぶきを上げながら、モーターボートが現れた。

 小麦色に焼けた肌と逞しい腕が日々の牛飼いの仕事の過酷さを表しているようだ。

 引き締まった胸が着物からはだけ、首には金のネックレスが揺れているが、そこに下がる文字は、HとOのふた文字である。


『彦星ぃ、遅いじゃなぁーい』


 流れた髪を指でくるくると回し、厚い胸板へ織姫がしなだれかかった。

 大きく節々の荒い手で織姫を抱きとめ、彼女の頬を撫でながら、


『今日、川が結構水増しててさぁ、でも来れたんだからいいじゃん』


『許してあげるっ』


 ネックレスを弄びながら、織姫は艶かしい唇でそう言った。

 彦星はすかさず織姫を抱き上げると、モーターボートに乗せ、光の川を舐めるように走り抜けた───


 思わず吹き出した莉子に、連藤は訝しげに見下ろしてくる。

 彼の手にもワインがあり、香りを嗅いでから口に含むと、


「何か楽しいことでも思い出したのか?」


「いや、ちょっと、ま、織姫と彦星を思ってたら、笑いがこみ上げてきて……」


「……意味がわからないな」


「自分でもそう思う……」


 二人は手すりに肘をかけ、夜風にあたる。

 生暖かい空気が頬を撫で、瞬く間に汗が滲んでくるが、冷やしたワインを飲むにはちょうどいい暑さだ。

 こういう日のビールも格別だが、果実味ある味の濃いワインもゆったりとした気分で飲めるものである。


「今日はどうして呼んでくれたんですか?」


 莉子は横に並ぶ連藤を見上げた。やはり横顔が綺麗だ。

 今は家にいるため眼鏡も外され、街明かりの薄い光で彼の横顔のシルエットがおぼろに象られている。

 それがまた幻想的な雰囲気で、いつまでも見ていたくなる。


「今日は七夕だからな。そうめんを食べないと」


「そのため?」


「そのため」連藤は薄く微笑み、後ろの席に手を差し出した。

 莉子はそれにならって腰を下ろすが、テーブルに置かれていたのはいつものそうめんではない。

 こんな具沢山のそうめんは初めて見た。


「焼き野菜をタレに漬け込んでかけたものだ。早速食べよう」


 莉子が手際よく取り分け、二人で食べ始めるが、タレはめんつゆがベースのようだ。そこにオリーブオイル、にんにく、ブラックベッパーがアクセントになっている。具材はナス、ズッキーニ、トマト、きゅうりがサイの目に切られ、味なじみがいい。

 赤ワインとの相性もよく、冷たいそうめんとワインに思わず莉子は声を上げてしまう。


「ほんと、おいしぃ!」


「口に合ったなら良かった」


 洋風でありながらも箸でつるつると啜り食べるのはいいものだ。食べ応えがある気がする。

 莉子はもぐもぐという音を立てながらそうめんを飲み込むと、


「連藤さんに呼ばれなかったら、そうめん食べてなかった。

 でもなんでそうめん食べるの?

「平安時代らしいが、七夕の節句にそうめんをお供えしていたそうだ。

 なので、『お下がり』ってやつだろうな。それを食べると大病にならないということらしい。

 そうめんは暑い夏には食べやすく、夏野菜も一緒に摂ることで夏バテ防止にしていたんだろう。

 先人の知恵は理にかなっていることが多い」


「物知りですねぇ……」


 感心した声を上げる莉子に、


「聞かれると思って予習しておいた」薄く連藤は頬笑んだ。


「……さすが、千里眼」


 お腹をさすりながらも、ワインには手が伸びるのは、もう仕方がないことかもしれない。

 再びワインのグラスを持ち、莉子は手すりへと背をもたれた。

 鉄の手すりが背中を冷やして気持ちがいい。


「莉子さん、」


 連藤は手すりに肘をかけて都会を眼下に置いている。

 お互いに隣にいながらも、背中合わせのように声が聞こえてくる。


「なんですか?」


「莉子さんなら、七夕になんて書く?」


「願い事?」


「ああ」


 莉子は願い事を探しているのか、ワインを飲み込む音だけが響く。


「私は、無難な感じだと、家内安全、商売繁盛かなぁ」


「無難じゃなかったら?」


「……連藤さんとの時間がもっと増えていったらいいなぁ、なんて…」


 言葉尻が小さくなる。気恥ずかしさがあるのだろう。

 こんなお願いをしてもいいのか、それすらわからなかったが、だが莉子はいつも思っていたことだ。

 きっかけがあれば、伝えたかった言葉。

 ようやく吐き出せた気がする。

 少し頬が熱いのはワインのせいばかりじゃないだろう。

 莉子は頬を手で扇ぎながら横目で見ると、連藤は満面に笑顔を散らしているではないか。

 あれほどに目を細めて笑う連藤も珍しい。まさしく、破顔という表情だ。


「莉子さんは、素直でよろしい」


 莉子に向いた顔がいつもと違う雰囲気に見える。

 眼鏡がないだけで、彼が若く、そして柔和な表情ができることが簡単に見て取れる。

 目を色眼鏡で隠すのは、本当は表情を隠していることにつながるのだろう。

 だが彼の白く濁った目は好意的には見られないのだ。むしろ嫌悪されるものの一つである。

 莉子には神秘的な瞳に見え、奥深い彼の雰囲気に似合っているとさえ思う。

 不謹慎なことなのかもしれないが、もう彼の一部としてはまっているのだ。


 そんな彼が不意に耳元に唇を寄せた。


「莉子さん、俺の願い事は…………」


 彼女の鼓膜へとそっと届いた音は、彼女しか得られなかった言葉だ。


 だが一気に茹だった彼女は彼の肩を叩き、悲鳴にならない声を上げるので精一杯だ。


「俺も莉子さんと同じ、

 もっと時間を重ねていきたいってことだが」


「じゃぁ、そう言えっ!」


 真っ赤な顔のまま、莉子はワインを飲み込み、つぎたした。

 連藤のグラスも差し出されたが、普段の倍の量をつぎたしていた。彼女なりの意地悪のようだ。


「やっぱり莉子さんは可愛いなぁ」


 ひとりごちした連藤のグラスはゆっくりと傾ていく。並々入ったワインをこぼさないためだ。

 莉子は隣に並んでふてくされたようにワインを舐めた。やっぱりこのワインは美味しいとにんまりするが、連藤のかけられた言葉を思い出すとまた顔が赤らめてしまう。頬を軽く叩きながら、睨んだ連藤の顔は、この時間をじっくりと楽しんでいるそんな雰囲気だ。


 七夕の夜が更けていく。

 ここでは天の川は望めなくとも、人の願いは届けられるはずだ。


 少しでも多くの人の願いが届きますように。


 莉子は思いながら、ワインを飲み込んだ。

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