《第47話》怠けた結果
雨が降るのは仕方がないとして、この湿度の意味がわからない。
なぜ紙を置いておいたら湿気って字が書けなくなるのか、なぜ塩分の多い味噌汁にカビが簡単にわいてくるのか───
「あー、この季節大嫌い」
莉子は手で扇ぎながら、エアコンにリモコンをかざした。
厨房内にもエアコンをつけたのは間違いない。
大正解であり、大正義だ!
ひと段落した厨房に脚4本の無骨な椅子を引き込むと、さらに大型冷凍庫からチョコレートアイスを取り出した。2Lアイスの箱だ。そこからディッシャーでアイスをほじり、大ぶりのコーヒーカップへと放り込んだ。それにティースプーンを突き刺して、さらに冷蔵庫を探ってみる。
そこには微発泡の赤ワイン、ランブルスコがあるではないか!
フルーティーな香りとあと味の甘みはまるでジュースのよう。
それとこのビターな甘みのチョコレートで合わせてはどうだろう。
適当なコップに注ぎ入れ、一口飲み込み、アイスを頬張ると……
「───甘美なる融合!」
葡萄の芳醇な香りがカカオと絡み、ふくよかな風味と程よい甘さが口に広がる。
まるでワインがベリーシロップになったようだ。
これはチョコレートケーキにも合うのではなかろうか……
だがこの滑らかで冷たい食感、そして、微発泡の弾ける渋みが口いっぱいに広がり、涼しさを口元から彩ってくれる。援護射撃のようにエアコンが首元を撫で、なんてここは楽園なんだろう───
だがそれは瞼の裏の世界で、目を開ければ無骨な厨房だ。
灰色に染まったコンクリートと鉄の柵のように棚が並んだ厨房は、本当に冷ややかに見える。
だが一度コンロに火が灯れば、灼熱の砂漠のように汗が湧き出てきてしまう。
合わせてオーブンも使用すれば、赤道直下と言ってもいいのではないだろうか。
ランブルスコを飲み、アイスを食べ、エアコンにあたりながら体を冷やすが、厨房に打ち水をすることにしよう。
コンクリートを打ちこんだ厨房は、床が洗えるようになっている。
逆に言えば、床を水浸しにしても問題がないということ。
ワイングラス片手にホースで水を撒いていく。
黒くくすみながら染み込み、それだけでも冷たく見えるのがいい!
今日はカビ対策も兼ねて、1日エアコンをかけておこう。
「しっかし、はかどんないな、今日……」
ぼやくのも無理はない。
今日は彼女は詰まった下処理業務のために1日お休みを取ったのだ。
なのにできたのは、玉ねぎを10キロ皮をむき、スライスしたぐらい。
ビーフシチューの仕込みと、カレーの仕込み、ミートソースの仕込みも終わらせたかったのに、何もできていない。
「明日の午前中も休みにするかなぁ」
スプーンをなぶりながら、ビーフシチュー用の寸胴鍋に玉ねぎを入れ、さらに大きめのフライパンに玉ねぎを入れ放置すると、スライスした玉ねぎをフードプロセッサーに詰めみじん切りにし、それは深めのフライパンで炒めていく。
「あー……もうこれだけで暑い……」
そう言いながらも、ホワイントソースも手作りしているため、それの作業にも取り掛かる。
なんだかんだと終わったのは、現在18時である。
なんとかビーフシチュー、カレー、ミートソース、ホワイトソースの在庫を確保したので、良しとしよう。
今日は木曜日。なぜ今週の火曜日にできなかったのか。
それは理由は簡単だ。
暑かったから。
ではない。
火曜日はたまたま都合が合ったので、連藤の病院に付き添っていたのだ。
帰ってきてからやってしまおうと考えていたが、連藤と楽しく夕食まで過ごしてしまったら、もうやる気など削がれてしまって、ゆっくり風呂に浸かって眠ってしまったのである。
あのとき、ビーフシチューだけでも作っていれば……
だが後悔先に立たず。
言葉通りにあとからとばっちりを受けているのである。
今日の売上分が仕込みの時間で消えるとは、なんとも情けない。
とは思いつつも、このチョコレートアイスとランブルスコのコンビは外せない。
ボトルも半分を飲み干してしまった。
「後は寝るだけだから、飲み干して寝るか」
誰ともなく呟くと、グラスに再びワインを注いだ。
芳醇な香りが鼻先をくすぐったとき、チャイムが鳴った。
チャイムの画面に映し出されたのは、連藤である。
すぐにドアを開けに駆け出した。
「連藤さん、おかえり。
どうしたの?」
「また莉子さん、酒を飲みながら下準備していたな……」
すかさず口をふさぐがもう遅い。
「いい加減、体のことを考えながら飲んだほうがいい」
「……わかってまーす。
で、急にどうしたの?」
「いや、なんとなく、莉子さんがどうしてるかと思って寄ってみたんだ」
「まま、上がって」
莉子は連藤を二階へと案内し、すぐに厨房に戻るとランブルスコとアイスを持参し、戻ってくる。
「連藤さん、外暑かったでしょ?
冷えたランブルスコとチョコレートアイス、食べない?」
連藤は眉を一つ持ち上げると、
「莉子さん、まさかとは思うが、一日それしか口にしていない、ということはないよな?」
莉子の動きが固まった。
「……だって、美味しかったんだもん……」
莉子が小さな声で呟くと、連藤は大きくため息をついた。
「だと思ったから寄ったんだ」
連藤はおもむろにカバンから紙袋を取り出したかと思うと、保冷バックのようで、惣菜が入った保存容器が次々に現れる。
「今日はこれで夕食にしよう。
そのワインとアイスはしまってきてくれ」
千里眼がここまでくると、何も逆らえなくなる。
莉子はおとなしくワインとアイスをしまい、取り皿など一式揃えてテーブルへ運ぶことにした。
皿をトレイに乗せながら、莉子はひとりガッツポーズをする。
お小言はあったが、連藤のご飯が食べられるのだ!
今日はなんて素晴らしい日なんだろう。
「莉子さん、上機嫌だが、食事にアルコールはなしだぞ」
「こんなに美味しそうな料理なのに!?」
再び落ち込む莉子だった。





