《第45話》頼ること 頼られること
久しぶりの巧の来店に莉子は喜ぶが、巧の表情は硬い。
いつもであれば、「ただいまぁ」といいながら椅子に腰をかけるのに、今日はその声もなく、頭を下げている。
「巧くん、何事ですか?」
莉子はグラスを拭きながらその光景に見とれるが、ゆっくりと顔を上げた巧の表情は固まったままだ。
「莉子さん、本当に申し訳なかったです……」
意味がわからないんだけど。
莉子は首を傾げながら、一度グラスを置くと、カウンターに腰を下ろした巧の隣に移動した。
今の時間は閉店間際で誰もいない。
わざとこの時間に来たのか、この時間しか来れなかったのかはわからないが、ちょうどいいタイミングではある。
「ねぇ、神妙な顔してどうかした? なんかあったの?」
「いや、俺の人選ミスで、莉子さんにとても迷惑をかけてしまって……
この前の連藤の出張で彼女を当てたのは俺なんです。
それで、その、木下が同性が好きなのは知っていたんですが、まさか、莉子さんに迷惑がかかるような動き方をするとは思っていなくて……」
彼自身がどういうわけか傷ついているようだ。
あの巧くんがこんなことに傷つくとは思えないのだが、彼の心情は落ち込むばかりだ。
「そんな大袈裟にしなくていいよ。
私が避けていればいいんだし」
「いや、俺がもっとしっかりしてれば」
口ごもりながらも続きそうな言葉は、後悔と懺悔だ。
莉子はそれを読み取ると、
「巧!」
莉子が大きめの声をかけた。
「はいっ、」
「できなかったことを悔やむな!
人が問題ないといったものに、ダラダラと囚われるな!
前を見ろ、前!」
肩をバシリと叩く。
「あんたはもっと大きなことにしっかり構えていなさい」
そういいながら、巧の気持ちに寄り添う酒を考えてみるが、炭酸系がいいか、それともスッキリがいいか、渋めのがいいか、首を傾げながら厨房に戻り、最近お気に入りだったスパークリングワインを手にしてグラスとともに戻ったとき、莉子は固まった。
巧の肩が小刻みに震えているのだ。
時折すする音が聞こえることから、泣いていることがわかる。
そっとティッシュを差し出し、様子を見てみるが、泣き止むタイミングが見つからない。
ワインクーラーにボトルを詰めて、莉子はカウンターを挟んだ厨房側に椅子を置くと、そこに座り込み、グラスの片付けを再び始めた。
グラス拭きもあと2個となったとき、
「……莉子さん、ごめん」
「謝るな」
「…うん……」
若い彼の肩に、抱えきれないほどの重圧を抱えながら今まで来たのだろう。
失くしたくないものが多くて、それでも消えていくのだろうから、辛い日々だったに違いない。
自分の安易な采配で、迷惑が広がったと思っているところも彼らしい。
扉がカランと鳴った。
小さく、優しい扉の音だ。
「莉子さん、呼んでくれてありがと」
言いながら巧の横に腰をおろしたのは瑞樹である。
「巧さぁ、無理してるなら無理してるって言わなきゃだめだよ?
最近、そっち忙しいからあんまし連絡してなかったけど、
いつでも駆け付けるからさ」
巧の肩が再び震えて、小さく頭が上下に揺れた。
「店はクローズにしとくからゆっくりしてって」
莉子が立ち上がり、扉に手をかけた時、新たに二人、現れた。
「呼んでないっすけど」
クローズの看板に切り替えながら言うが、
「はぁ?
俺たちは飯食いに来たんだよ」
「莉子さん、すまない。
どうしても莉子さんのパスタが食べたくなってしまって……」
クローズを出しているのに強気な三井には相変わらず殺意が沸くが、この状況のなか、店に入れていいものか……思いあぐねながら瑞樹を見やると、大丈夫と頷いた。なら入れるか。
「奥にでもかけて」視線で訴えてみるが、三井には効果がなかった。
「巧じゃねぇか。
……泣いてんのか…?」
なんであからさまにいうの! と思うが、
「先日からミスが重なってたからな」
連藤が追い打ちをかける。
残酷すぎませんか?
莉子は思うが、ここには関わってはいけないと厨房に潜り、パスタを作ることにする。
アサリと白ワインがあるので、もう、これでいいだろう。
───ボンゴレビアンコだ!
たっぷりのお湯を沸かし、パスタを茹でる準備を始める。湯が沸けば塩を加えて、パスタを茹でることにする。
次にニンニクをみじん切り、赤唐辛子はヘタと種を除いておくが、少し辛めがいいので、種を多少残してみる。種が一番辛いので、苦手な人は要注意。
フライパンにオリーブオイル、ニンニク、唐辛子を入れて弱火にかけ、ニンニクの香りをじっくり移していく。ニンニクが狐色になったところでアサリを投入し、白ワイン、みじん切りにしておいたパセリを入れて、蓋を閉めて蒸し焼きにする。アサリの口が開くまで2〜3分だろうか。
開いたところに塩・胡椒をふりかけ味をととのえながら、汁を煮詰めていく。
この辺りでパスタが茹で上がっているはずと麺を一本すすってみると、ちょうどいい加減。
すぐに湯切りをし、白っぽく煮詰まったスープの中に入れ込むと、一気にあおる。
再度、塩・胡椒で味を整え、残りのパセリをふりかければ、完成。
大きなフライパンを二つ使用して作成していたため、若干の味の偏りなど気になるが、さきほど準備したスパークリングワインと一緒に食べてもらえば、わからないだろう。多分。
莉子は自分を納得させながら皿に盛り付け、カウンターへと運んでいく。
スパークリングワイン用のグラスも運び、手際よく注いでいくと、不貞腐れた巧の顔が、ゆっくりと持ち上がった。
「俺の好きなヤツ」
そういってグラスをあおる。空いたグラスに再度注ぐと、一口飲んで、パスタをすすり始めた。その動きに合わせるかのように他のメンバーもパスタをすすり、ワインを飲み込む。
「莉子さん、これ辛い!」
瑞樹がわめくが、
「はい、すぐそのワイン飲む」
言葉通りに飲むと、
「あ、辛いの引いてく……」
「ゆっくりお食べ」
莉子もカウンター内に再び腰を下ろし、小さく取り分けたパスタをすすってみた。
良い出汁がでていて、いいお味です。辛味もちょうどいい。
小さく頷きながら食べていると、
「巧、あんまり食事もできていなかったんじゃないのか?」
連藤が言うと、巧は小さく頷いた。
連藤には見えないので、瑞樹が食べてなかったみたい、と付け足すと、
「では、明日から巧の補佐に俺がつくことにしよう。
三井、そっちはしばらく問題ないだろ」
「ああ、目処ついてるからな。瑞樹もいるし。
巧、連藤の動き方見れば、ちったぁ動けるようになると思うぞ。
飯食う時間、作れるしな」
「まぁ、昼食はここになるがな」連藤が笑うが、巧は渋い顔のままだ。
「巧、一人は早すぎたんだ。
秘書も巧の状況に慣れていないから、サポートが回っていないのもあるが、できる人間に頼ることも必要だ。
何もかもを背負えるのが社長ではない。
仕事を与えて信頼するのも社長の器だと俺は思う。
無理をするな、巧」
連藤の優しい声が流れてくる。
「はい」
震えながらも声が絞り出された。
彼の決意の声でもある気がする。
人一倍責任という重圧に押されてきたはずだ。
父親の大きな背中を追っては来ても、それが自分にあるわけではないことを、彼は痛いほどわかっている。
「辛かったね、巧くん。
今、あったかいスープもいれるから、今日はみんなでゆっくりしてって」
巧はくしゃくしゃになった顔で莉子を見つめると、満面に笑顔を作った。
「莉子さんって、やっぱ、俺の母さんだな」
「泣き顔も綺麗っていうのが許せないので、却下」
そう言いつつも、巧の頭をポンポンと撫でたあと、髪の毛をくしゃくしゃにして莉子は再び厨房へと入っていった。





