《第215話》真空パックでローストビーフ③
連藤が着替えている間に、莉子はパタパタとスリッパを鳴らしながら盛り付けだ。
タコとブロッコリーのサラダ的なものはバジルソースがメインで、ニンニク風味をよくきかせておいたため、小ぶりのガラスボウルへ盛り付け。
飴色玉葱のキッシュは、四角いパウンド型で作ってきた。
木製のまな板の上に型を外す。それを食べやすい大きさに切り分ければ、完成だ。
着替えを終えた連藤が、自身のセラーから、一本、赤ワインを持ってくる。
「どんな味か、楽しみだ。ドイツのピノ・ノワールになる」
「ドイツですか。冷涼な雰囲気があるので、ドライなんでしょうか」
「俺もそういうイメージがあるが、どうだろう」
「あ、あとローストビーフを切れば食べれますんで」
「わかったよ」
連藤は勝手知ったる部屋なだけに、いつもながら華麗な動きで皿を出し、カトラリーを出し、グラスを準備していく。
一つ一つの所作が丁寧だからできる技にしか見えない。
莉子なら、慣れてきたら余計に雑になりそうだと、何度見ても思う感想を心で呟きながら、真空パックのままのローストビーフを取り出した。
「……火が入り過ぎていませんように!」
パックを切る。いつもはラップにくるみ、アルミ箔にくるみをしているので、肉汁の多さが気になっていたが、今回は少なめな気がする。
それが焼き目をつけていないからなのか、真空パックからなのかはわからない。
わからないが、少なからず、真空パックは良さそうだ。
フライパンを熱し、さっと表面に焼き色をつけていく。
見栄えのためだが、ここでバターで焼き色をつければコッテリローストビーフになりそうだし、ガーリックオイルにすれば、しっかり風味がつきそうだ。
「それはまた今度……と」
莉子はテフロンのフライパンに油をしかずにそのままささっと焼き色をつけ、まな板へ。
切れ味の良すぎる包丁を取り出し、刃全体を使って、1枚、薄めに切り取った。
「おー!」
思わず莉子から歓声があがる。
綺麗なピンク色なのだ。
「ローストビーフかな」
匂いと作業工程でわかった連藤がキッチンのそばまでやってくる。
「そうなんです。ローストビーフなんですけど、今日は焼き色をつけないで真空パックで火入れをしてみて。そしたらめっちゃ綺麗な色に仕上がってて。感激です。味は保証しないですけど」
「莉子さんが歓声をあげたときは、美味しいに決まってる」
連藤は鼻歌混じりにダイニングテーブルの席に着く。
莉子は盛り付け終えたローストビーフを手に、二人の真ん中にその皿を置いた。
チーズも添えて、連藤が要してくれていたパンもある。
かなり豪勢な夕食だ。
「さ、ワイン、注ぎますね」
ピノ・ノワールは色が薄いガーネットのようなワインだ。
今回はドイツで採れた葡萄、ピノ・ノワールだ。
色味は少し濃いめだが、香りがとてもいい。
「いい感じのワインですよ」
連藤のグラスに注ぐと、莉子は連藤の指をグラスに添えさせる。
そのまま連藤はグラスのステムをつまみ、香りをかいでいく。
俯き加減で、長いまつ毛が揺れる横顔を堪能できるのは自分だけだと、莉子はとなりの席に腰を下ろし、肘をついてじっと眺めていた。
その顔がふわりとほころび、莉子を見る。
「……これはゆっくり飲もうか。だんだん開いていきそうだ」
「そうですね。今日はゆっくりの日ですし。じゃ、腹ごしらえしましょうか」
連藤の皿に料理を置いていく。
「6時にローストビーフ、10時にキッシュ、2時にサラダを置いてます。皿の上の小皿にパンがあります。ローストビーフ、連藤さんの家のバルサミコ酢かけてます。甘めだから美味しいと思って。あとはチーズ、どうします?」
「3時のところにお願いしたい」
「はい、……これで完成」
莉子も同じように自分に盛り付け、手をパチンとあわした。
「「いただきます」」
洋風の料理なのに、どうしてこんな挨拶になるのか。
ただいつも二人一緒の食事のときにはすることが多い。
手をぱちりと鳴らすのも、この動作をしますよ、という合図になる。
莉子にとってはこの習慣は、いつも心が躍るタイミングだ。
家族っぽいのはもちろん、いつもダラダラと食事や休憩、仕事に区切りがない莉子にとって、いい切り替えになるからだ。
莉子はさっそくとローストビーフにフォークをさした。
そっと切り分け、バルサミコ酢をまとわらせて、ひと口。
「……ん〜! 柔らかくできたー」
火の入りはちょうどいい。
肉も和牛を使った甲斐がある。柔らかいのはもちろん、脂の入り具合もちょうどいい。
「おいしー。ワインに合いますね」
空いた連藤のグラスにワインを注ぎ、自身のグラスにも注いで香りをかいだ。
また違う華やかな香りが漂ってくる。
ひと口含むと、果実味はもちろん、しっかりとタンニンも感じる。
奥深いワインだ。
「莉子さん、今日のワインは当たりみたいだな」
「これ、また買ってもいいかもしれないです」
「そうだな。それほど高くなかったから、いいかもしれない」
「そうは言っても、お高いんでしょー?」
「いいや、3000円クラスのワインになる。それでこれなら、かなりいいな」
「おー、お手頃価格はいいですね」
ワイン飲みあるある。
『1本3000円は、お手頃ワイン』
たった750ミリしかないボトル1本に、3000円は高いと感じるのが普通なのだが、ワインは沼なのだ。そして、推しなのだ。
ワインは価格=味として比例しないものだが、それでも3000円クラスは安定した味わいがある。と思っている。(莉子談)
「今度は皆さんで、お手軽ワインの飲み比べとかしてみたいですね」
「それは店に入れるワインの試飲会と考えていいのかな」
「そうとも言いますね」
二人の会話はつきない。
二人だけで過ごすことが少ないのもあると思う。
でもぱったりと言葉がなくなることもある。
語り合わなくてもいい時間の過ごし方も二人にはあるのだ。
ゆっくりと、じっくりと、ワインの香りが開いていくなか、二人の心もじっくりと満たされていく──





