《第17話》オーナーの切り替えは早い
疲労困憊のオーナーがとった行為とは?
「ちょっとオーナー、顔色、めちゃ悪いよ!」
「へ?」
カウンター下から現れた彼女だが、なんのことだかと頬をかく。
「いや、ちょっと鏡で見てごらんって」
常連の女性客にコンパクトを差し出され、まじまじと自身の顔を見た。
久しぶりに見た顔は、色白を通り越して、青かった───
「これ、私……?」
「ねぇ、オーナー何かあった?」
何かあったと言えばあったのか?
連日、遅くまでの客が多かったのと、ここのところ客入りもそこそこ良かったため、営業時間の延長と仕込みの時間の延長で、睡眠時間が削られていたのだ。
「もう決めた!」
莉子は叫ぶとそこらの紙に太マジックで書きなぐり始めた。
書かれた文字は、
『日曜日から月曜日まで臨時休業。
火曜定休で、
水曜日から本格始動!』
「ということなので」
裁判で判決が出た時のように紙を上下に持つと、本日は土曜でそこそこ客が入っているため、見せびらかすようにそれを掲げた。
「明日ここで待ち合わせしてたのに」
「店の前で待ち合わせたらいいよ」
莉子は明るく言うが、オーナーとしてそれはどうだろう……
そのままの勢いで外に張り紙を出し、営業時間の変更をFacebookに上げる。
Twitterと連携させ、一つ区切りをつけると、
「今日の営業は21時まで。
ラストオーダーは20時30分。
あと10分でラストオーダーにします」
───もう、無茶苦茶だ……
ほぼ常連客だからできることなのだが、新規のお客様も驚いた顔が隠せない。
そのままの勢いで携帯を取り出し、莉子は電話をかけ始めた。
「あ、莉子です。
急にかけてごめんなさい。
明日って午前中から時間空いてますか?
……あ、本当ですか?
明日休みにしたんで、ドライブ行きませんか?
……はい、はい、じゃ、私が迎えに行きますから。
……ええ、はい、じゃあ」
携帯をしまうと、
「はい、ラストオーダーです」
無慈悲のオーナーがそこにはいた───
いつもどおりの時間に起きるが、今日の準備はドライブ用のお弁当だ。
サンドイッチにしようと思い、昨日少し仕込みをしておいた。
鶏の唐揚げは下味がついてるし、ゆで卵も茹でておいた。殻をむけばOK!
野菜も適宜に切って水気を取ってある。
キャロット・ラッペ、ようは人参の洋風サラダもできている。味もよく染みているだろう。
ポテトサラダは翌日の方がポテトがしっとりして美味しいし、しっかり冷えている。
さて、油に火を入れ、ゆで卵の殻をむいていく。
ゆで卵をは適当にちぎりマヨネーズ、塩胡椒をふったあと、泡立て器でガシャガシャと混ぜていく。
ふわふわの玉子サンドがこれでできるだろう。
唐揚げも片栗粉をつけて揚げていく。
衣が固くできるので、お弁当にいれても少しはサクサクしてくれるハズだ。
あと、自分が食べたいエビフライも揚げていこう。
サンドイッチ用のパンに、まずは玉子サンドを作っていく。
マスタードをパン塗って、さっき作ったふわふわ玉子をたっぷりのせていく。
次にライ麦パンにマヨネーズを塗ってから野菜をのせ、キャロット・ラペをのせ、ローストビーフをのせて、もう一方のライ麦パンにはマスタードを塗って挟む。
さらにサンドイッチ用のパンに生クリームを塗りつけ、そこに桃の缶詰を挟めていく。
しっかり水気を切ってのせ、これだけでも美味しそう……
端っこを切って味見をしておく。
ライ麦パンにクリームチーズを塗り、そこに自家製鶏ハムを挟む。トマトもいれておこう。
胡椒をたっぷりふって、パンを挟めば完成。
あとはおかず!
おかずは鶏の唐揚げ、エビフライ、ポテトサラダを詰め込み、さらに、生ハム、チーズ各種、タコとオリーブのバジル炒め、あとは適当なフルーツを差し込んでおく。
結構豪勢なお弁当になった気がする!
サンドイッチは保冷剤を詰め込んだ袋に大事にしまいこみ、おかずも汁気がでないようにしっかりと包んだ。さらに取り皿にナイフ・フォーク、敷物、コップ、そしてお出かけ用のドリンクを大きなトートバックに詰め込んでいく。
「よし、できた!」
ちょうど8時30分を指している。
今日のパートナーに電話しとくか。
「もしもし、連藤さん?
おはよ。
今から家を出るから、9時前にはマンションの下に着いてる」
心なしか連藤さんの声も明るく聞こえる。
こんな朝からお出かけすることなんて初めてだ!
マンションの前に到着すると、すでに連藤は外に立って待っていた。
すぐハザードを出して止まると、
「おはよ、連藤さん」
「おはよう、莉子さん」手を上げて軽く微笑んだ。
莉子はその手を取ると、
「外で待っててくれてありがと。
私の運転ですが、安全運転しますので、どうぞ助手席へ」
彼の左手を取り、ゆっくりと誘導していく。
座席の位置を確認すると連藤はすんなり席に着いた。
本当に空間把握がずば抜けてる。
足元に杖をかけ、見渡すように体を回した。
シートベルトを渡すと、これもすんなりとはめ込んだ。
莉子も運転席へと体をおさめると、ミラーを確認し、エンジンをかける。
「今日は目的地は内緒です。
のんびりドライブしましょ!」
そうして走り出した車からは、ほどよく音楽がかかる。
10分ほど走っただろうか。路肩に止まったようだ。自動車の過ぎる音がする。
「ホロ、開けますね」
彼女は慣れた手つきでホロを開けていく。
日差しが刺さり混んでくるのが肌に感じる。
今日はそこそこ暑くなりそうだ。
見えない目でも白い光が眩く光った気がする。
「さぁ、ここからどこに向かうでしょうか?」
風が耳元を過ぎていく。
激しい音はなくとも、肌で風を感じるのは久しぶりだ。
自転車に乗っていた学生以来の気がする。
「風になった気分になるな」
「そうでしょ。
ねね、なんの香りがする?」
音ばかりに気を取られていた。
ほのかに土の香りがする。
青い草の匂いもしてきた。
林の横を走っているのだろうか。木々の枝をかする音がする。
風の音も意外に複雑だ。
……少し、臭い。
堆肥の匂いだろうか───
春の香りだ。
土と、草と、新しい香りがする。
「すごく土の匂いがするな」
「ここね、畑があるよ。
今春だから、土に栄養をあげてるんだね。
堆肥の匂い、臭いねー」
彼女の苦笑いが聞こえる。
連藤も笑うが、
「俺の目が見えてれば、もっと楽しいのにな……」
感覚で感じる春を自分は楽しんでいるが、それは自分だけで、共有しているわけではない。
もっと見えていれば、二人で楽しめる世界がある。
自分はそれを知っているだけに、こういうとき、辛さが心の底から沸き上がってくる。
「連藤さんには景色見えてないの?」
鳥が鳴いた。
「私は連藤さんと一緒に景色、見てるんだけど」
いや、囁いている。
なんの鳥かはわからない。
見えていたって、鳥の名前などわからない。
その声が聞こえて、外の日差しが暖かくて、風が強くて。
目が見えていても、見ているものが一緒とは限らない───
彼女といると、自分の悩みが馬鹿らしく思えることがある。
「俺なりに見てた」
強い風が耳元をかすっていく。
彼女の声が大きくなった。
「私も、私なりに見てるの。
お互いに共有しようよ。
絶対、楽しいよ!」
トンネルに入ったようだ。
反響する音がごとごとと響く。
風は凪いで、タイヤが道路を削る音が延々聞こえてくる。
排気ガスの匂いと、土の匂いが混ざってなんとも具合が悪くなる。
だが、それすらなぜか笑えてくる。
「莉子さん、閉めないのか?」
「これ、ホロだから停まらないと閉めれないんだ。
排気ガス辛いから、少し飛ばすね!」
エンジン音が大きく震えた。
途端、胸に圧がかかる。
アクセル踏みすぎだろ!!
急なハンドルさばきが数回起きた。
たぶん、その度に車を抜かしたのだ。
安全運転はどこに行ったんだろう……
景色が見えないだけ、こういうときは不安にならなくて済む。
心配しても仕方がない。
身を任せるに徹するのみ。
連藤の体が前へ傾いた。
運転が荒いわけではない。
辺りの景色に気がついたのだ。
思わず莉子の左腕を触る。
「──海の匂いがする」
莉子の右手が重なった。
「トンネル抜けたら海!
このルート大好きなんだー!」
すぐにハンドルに戻ったが、少し冷たい彼女手が優しくて、その感触と潮の匂いが夏のイメージにつながっていく。
だがまだ風は少し冷たい。
それが春の季節なのだろう。
潮風を浴び始めてからそれほど経たないうちに、車はゆっくりと停車した。
人の声が聞こえる。
子供の声や犬の声もする。
「ここね、展望台。
公園も隣にあるから、家族連れが多いね。
というわけで、お昼にしよう!」
連藤を席から下ろし、杖は置いてもらって荷物を渡す。
左手は莉子が持って歩き出した。
「杖なくて不安かもしれませんが、私、しっかり誘導するので」
小さい段があります。土の道です。砂利になります。少し坂です。
と、細かく彼女は伝えてくるが、自分の靴の底にもそれが感じられるので、そこまで多くの情報はいらないのだが、彼女の細かい解説は続いていく。
「芝生です。
あと10歩ぐらい進んだら木がありますから、その下に行きましょう」
彼女の手が少し強く握られた。
坂になったようだ。
手を引く力が強い。
一気に登り、
「着いたー!」
連藤の手から荷物を受け取り、素早くシートを取り出すと、そこに連藤の腰を下ろさせた。
彼女はというと、
「一回、休みー!」
寝転がっていた。
「あー、きもちいー
連日の疲れが飛ばされてくわー」
連藤はそれに笑うが、「お疲れ様」とても優しい声がする。
「明日も休みだと思うと、もう、たまりません!
そだ、連藤さん、
初めての遠出に乾杯しよう」
彼女の持っていたトートバックの中には、保冷剤がぎっちり詰め込まれ、そこにはスパークリングワインが差し込まれている。
「これはノンアルコールのスパークリングワインになります。
色味も味も似ていて、すごく美味しー!」
彼女は素早く栓を抜き、プラスチックのシャンパン型グラスにそれを注いだ。
「はい、乾杯。
かちーん」
プラスチックなので音が出ないので自分で演出である。
「おお、香りも葡萄のフレッシュな感じがするし、味もすっきりとしててよく似てる」
連藤がそう言うと、
「でしょ!
今、おつまみあげる」
生ハムやチーズを適当に乗せ、連藤が取りやすい場所へとそっと置く。
食器類が詰め込まれてきたカバンはテーブルとなって二人の間に差し込まれ、手元が見えない連藤も感覚がつかみやすくなった。
彼女は一口飲んで、
「サンドイッチ作ってきたんだ。
食べたくなったら言ってね」
連藤の膝までくると、そこに頭をのせて寝転がった。こんな彼女が初めてのため、驚いた顔をしてしまうが、彼女は気にしていない風だ。
頬を撫でると、目をつむっているのがわかる。
「今日は有意義だな、莉子さん」
「はい、大変有意義です」
眼下には海。
風は春と潮の香りがまざり、新鮮な匂いがする。
日差しは白く、夏のイメージはあるが、それよりもやはり青臭い芝生の香りが春の雰囲気をかもしだしている。
遠くで叫ぶ声は子供を呼ぶ声。
犬のはしゃぐ声も聞こえる。
どれも懐かしい音で、どれも二人で聞いたことのないものだ。
初めての景色の中、二人はただ時間が過ぎるのを楽しんでいる。
二人の腹時計が鳴るまでだけど。
疲れてくると何もかもが嫌になりますね。
すべて投げ出したくもなります。
投げ出したら何も残らないんだけどね!
そういうときはぜんぜん違う風景に自分を置くと、なんか変わった感じがする気がします。
どこかへ行きたい。





