《第136話》久しぶりのおでかけ
昨夜はそれほど遅くには寝てはいないのだが、体に怠さが残っている。
莉子は何度目かのスヌーズでなんとか起き上がるが、隣にいるはずの連藤はすでに起きているようだ。
壁を伝うようにリビングへと向かうと、芳しいコーヒーの香りと、卵焼きの甘い匂いが漂っている。
莉子はすぐさまグルンと首を回した。
カウンターに並べられているのは、これから食べるであろうお弁当だ!
「わぁ! お弁当っ」
はしゃぐ莉子の声で起きたことに気づいた連藤は莉子の方へと首を傾け、
「莉子さん、その、起きれたか……?」
心配そうに、少し申し訳なさそうに聞いてくる。
莉子はその意味を理解すると、乾いた笑いを転がし、
「……ええ、まぁ。
あー、その、お弁当、ありがとうございます。あと何作ればいいですか?」
「あとはおにぎりだけだな」
「したらそれは私が作りますね」
いつも通りに頭を起こした莉子は、まずは顔を洗いにと洗面所に向かおうとするが、連藤に呼び止められた。
手招きするので、近くへ来いということだ。
莉子は指図どおりに近づくと、
「莉子さん、おはよう」
「あ、連藤さん、おはようございます」
ぺこりと頭を下げるが、連藤は何かを待っているようだ。
ちらちらと目で訴えてくる。
が、何か全く見当がつかない。
「……連藤さん、ごめん……何?」
「朝、起きたらキスしてくれるって約束しただろ?」
「え、いつ?」
即聞き返したが、聞いてから思い出す最悪のパターンだ。
少し昔に、何か約束した気がしないでもない……
「忘れたとは言わせない。確か先週の夜だった」
莉子は真顔で記憶をたどっていた。
そうだ。
先週の水曜日だ。
ひとりで飲みに来ていた連藤が、キスしてくれたら、その日1日元気で過ごせる。
だから泊まった日はキスしてほしいという、堂々としたお願いだった。
すっかり忘れていた……
「連藤さんの記憶力には脱帽っすね」
一言いい置き、莉子は素早く頬にキスをし、顔を洗いに出ていった。
連藤はにやりと顔をほころばせるが、
「口が良かったなぁ……」
言いながら卵焼きをひっくり返した。
「あー、恥ずかしかった……」
莉子は呟き、ジーンズを取り出した。
こんなことで照れるものでもないが、何か新しいことするというのは、緊張するものだ。
もぞもぞと着替えた莉子は歯を磨いて、顔を洗う。
「よし」
莉子は走るようにリビングへ戻り、椅子にかけておいたエプロンを掴むと、炊飯器の前へと立った。
連藤はその動きにいつも驚かされる。
キスをしてから、ものの5分程度の支度だ。
間違いなく、自分の出社準備よりも早い。
「連藤さん、おにぎりの具、何がいいですかね?」
いつもの通り、しゃっきりした声が連藤の後ろから聞こえてくる。
冷蔵庫の前に立っているようだ。
「やはり定番の梅干しでいこうか」
「塩強めで握りますね」
莉子は冷蔵庫から梅干しを取り出し、海苔を準備しおえると、粗塩を手に取り握り始めた。
が、ラップ越しだ。
手で握る方が確実に美味いのだが、今回は遠出をすることもあり、ラップでおにぎりだ。
「手で握りたい」
「いいぞ、俺は」
「でもふたりでお腹壊したら悲惨だから」
「……まぁな」
ラップで包んだあと、海苔は食べるときに包めるようにジップロックに入れておく。
卵焼きも切り分けられ、お弁当箱の中央に鎮座し、それを囲むように唐揚げ。彩にプチトマトとブロッコリーが添えてある。たったこれだけの品数だが立派に見えるのは連藤の盛り付けが綺麗だからだろうか。
「連藤さん、本当に目が見えてないんですよね?」
「なぜ確認する?」
灰色の目で莉子がいるであろう場所に顔を向けた。
滑るように手が動くことで、場所を探りながら動いているのがわかるのだが、演技に思えて仕方がない。
「お弁当、綺麗すぎるんだもん」
「どれも慣れと感覚だな。こうできるまでに俺も相当苦労してる」
鼻を鳴らすように自慢げに言った連藤だが、その苦労は尋常ではないだろう。
だが彼はそれを当たり前にできるように、自身で訓練してきたのだ。
「……いつもありがとうございます」
毎日そつなくこなしている連藤に莉子は素直に感謝した。
彼の日頃の努力がこうして形になっているのだろう。
───私は彼に何ができるのだろう……
「……に、出発する?
莉子さん……?」
「あ、ごめんなさい。
出発ですね。朝食なんですから、もう出ましょうか」
すぐ出かけられるのも理由がある。
莉子の車が連藤のマンションに収納されているのだ。
実は莉子のカフェには駐車場があっても、車庫がない。
いつも外に停め、乗るたびにシートをかけたり外したりしていた。
なんとなくその話をしたとき、
「俺の駐車場を使えばいいんじゃないか? 少し不便かもしれないが、屋根はあるし、さらに安全だ」
連藤のマンションの地下には駐車場が完備されているのだ。
彼があの部屋を買ったとき、2台分の駐車場が割り当てられていたのだが、現在は1台分を貸しだし、1台分を客人用に空けて使っていた。
とはいっても、客人などそうそう来るものでもなく、マンション自体にも客人用の駐車場が5台分準備されている。使用することがないと言ってもいいほどだ。
ひと通りの説明を聞いた莉子は、その言葉に甘え、車を置かせてもらうことにした。
そのため、連藤の家からのお出かけが楽チンに!!!
保冷剤と一緒にお弁当をリュックに詰めて、ホットコーヒーを魔法瓶に。コーヒーのお供のブラウニーも添えれば、完璧である。
「よし、連藤さん、出発しましょうっ」
腕時計を見ると7時30分。
もう外は暑そうだ。
今から出れば8時ぐらいには到着する。少し遅いが朝食と言っても問題ない。
「莉子さん、コーヒー飲みながら行こうか」
ホットコーヒーを片手に走り出した車は、通勤ラッシュで混む道とは反対に進み出した。





