《第122話》今日もカフェは平和です
「……調子が悪い」
ぼやきながらカウンターの椅子に腰かけたのは星川だ。
「星川さん、何か食べます? 飲みます? どうします?」
莉子は様子を伺いながら、水を入れたグラスを差し出し、胃腸薬など準備するが、
「多分、低気圧のせい」
「あー……」
莉子はそれで納得したのか、とりあえず、温かな緑茶を差し出した。
現在21時。お客様はまばらだ。
先日のマッチョカップル(♂)は律儀に来てくれている。
本当に心強い。
そして何より、微笑ましい。
どこぞの若いカップルより互いを尊重し、認め合い、慈しみあっているのがオーラでわかる(妄想補填あり)。
「莉子ちゃん、お茶ありがと」
へばりついたまま湯呑みを取り上げ、お茶を啜る。
「今日は三井さん待ちですか?」
「ううん。なんか家に帰るのも嫌になっちゃって、寄っただけ」
「そっか。なんかあったかいうどんでも食べます?」
「うどんなんて出てくるの?」
驚く星川に莉子は真顔で説明した。
「冷凍のうどんの月見うどんです」
あまりの真顔に驚きながらも、何も手を加えていない料理だということなのだろう。
彼女はひとり納得し、
「……それでいい。お願いしていい?」
「はーい」
月見うどんとは言ったが、少し手間をかけてやるか。
そう思った莉子は1人用の土鍋に湯を張り、出汁の粉を入れた。さらにめんつゆ、甘みがあった方がいいかと少しだけみりんを加え沸騰させる。
沸騰したところで冷凍うどんと小口切りのネギを入れ、煮えるのを待ち、さらに生卵を落とす。
半熟加減のところで火を止めて、小さな小鉢に天かす、ゴマ、とろろ昆布、鰹節、すりおろし生姜を乗せ、まずは土鍋、次に薬味セットを隣へ置いた。
「はい、星川さん、あったまってね」
一言添えると、どうしてか涙目になっている。
「莉子ちゃん、ありがと……」
言いながら蓋をあけると、大きな湯気の塊が星川の顔にかかった。
それに微笑みかけるように彼女は一息つくと、箸を持ち、左手にレンゲを構え、うどんを持ち上げた。
白いはずのうどんは少し煮込まれたため、醤油色に染まっている。
それがとても懐かしい色だった。
母親が作ってくれたものに本当にそっくりなのだ。
めんつゆの味はもちろん、少し甘めなのもそっくり。
何か落ち込むと夏でも構わず鍋焼きうどんを作ってくれた母。なぜなら鍋焼きうどんが好物だったから。
好物はいつまでも母親は忘れないものだ。
さらにそこに天かすを加えるとコクが増していい味に変わる。
ゴマもかけるとそれだけで風味が増してくれる。
これだけのトッピングがあると迷うほどだ。
味の変化を楽しむと、食欲がなかったはずなのにするするとうどんが胃の中へ吸い込まれていく。
「莉子ちゃん、すごく美味しいっ」
頬張りながら言った星川の笑顔は、本当に綺麗だ。三井も惚れてしまうのは間違いないだろう。
「お口にあったなら良かったです」
「莉子ちゃんのおかげで元気出ちゃった。ありがと」
「鍋焼きで元気出るなら、いつでも作るんで来てください」
「そうさせてもらうわ」
柔らかく目元が緩んだ。
本当に幸せそうな笑顔だ。莉子も作りがいがあったというもの。
その笑顔の先にいる筋肉カップルを見たとき、莉子は思い出したことがあった。
ササミのオイル漬けを作ってみたんだった。
「星川さん、ゆっくり食べてね」
莉子は冷蔵庫にしまっておいたササミのオイル漬けを一口大に切り、小皿に盛ると、2人の席へと移動した。
「お話中、失礼しますね」
「あ、莉子さん、今日のサラダ、ドレッシングがすごく美味しいです」
輝く笑顔で話すのは少し小柄の鈴木信宏だ。
「根菜も入ってたんで、結構腹持ちあって助かります」
筋肉の厚さも身長も半端ない佐藤茂晴に言われると、少し莉子も安心する。
「信宏さん、茂晴さん、あのね、実はササミのオイル漬けって作ってみたの。
2人はこれ、食べれるかな? って」
そう言いながら小皿に差し出されたササミは、しっとりとした断面をこちらに向け、早く食べてと言っているようだ。
「砂糖と塩を揉み込んでオリーブオイルやコンソメで煮たものなんだけど……」
「僕たち、もう一線から離れてるんで、それほど体は厳密に鍛えなくても大丈夫なんで。
いただきまーす」
莉子の言葉半分で信宏はフォークでそれを突き刺した。
一口で頬張ると、目を見開いた。
「茂くん、めっちゃうまいよ、これ」
「お? 俺ももらう」
すぐさま茂晴も一切れを口に放り込んだ。
「うわーめちゃジューシー。すっげーうまい。
莉子さん、金額上がっていいんで、これサラダにのせてくれます?」
「わかりました。あ、金額は上乗せはないです。
食べられるようなら安心しました。明日来られたら、サラダにトッピングしますね」
そう言って莉子がカラになった皿を下げようとしたとき、そっと手を掴まれた。
「ね、莉子さん、あの、事件の人、来てない?」
莉子は一瞬顔を強張らせたが、首を横に振った。
「茶髪でスーツの人見るとドキドキするけど、大丈夫、本人じゃないと思う」
その言葉に2人は小さく頷くと、
「明日は俺たち来れるんだけど、明後日からしばらく遠征入るから来れなくなるんだ。
だから俺たちの仲間数人、持ち回りでここに来るようにしてるから。
マッチョサラダって言ったら、俺たち食べてるやつ出してやって欲しい」
莉子は深々と頭を下げた。
「ここまでご迷惑かけてしまって本当にすみません」
「ジム上がりで筋肉に合わせて食事できるところなんて、そんなないし、オートミールとかプロテインとかも常備してくれて本当に僕たち大助かりなんです。
特に大会あると外食もままならなくて。でも、ここだと考えて出してくれるから、いつもの食事でも外食気分で食べられるのはすごく違って、こっちが感謝してるぐらい」
2人はそう言って笑うが、莉子自身感謝の言葉が見つからないほどだ。
あれから警察も閉店時間11時ごろになると近くを牽制巡回してくれるようにもなり、少し安心があるが、ジム終わりの9時ごろにサラダを食べに来てくれるマッチョの心強さと言ったらない。
週末は巧や瑞樹も率先して顔を出してくれていて、閉店まで1人で過ごすことはあの日以来、まだ来ていない。
本当に恵まれた環境にいると莉子は心の中で呟いた。
「マッチョサラダ、しっかり出せるように準備整えておくんで、よろしくお願いします」
莉子は再度頭を下げると、2人も慌てて座ったまま頭を下げた。
カウンターへと戻ると、星川がつゆを飲みつつ、頬を赤らめている。
かなりあったまったようだ。
「星川さん、汗かいたんじゃないですか?」
「わかる? ……ねぇ、莉子さん、シャワー貸してくださる? ついでに泊めてく」
ドアベルが鳴った。
そこに現れたのは連藤である。
「莉子さん、ただいま」
「おかえり、連藤さん、今日もありがと」
「なにも問題はない。佐藤くんたち、今日も来てるのか?」
「もちろん。2人の席に行きます?」
「ああ、お願いしたい」
連藤は筋肉のつけ方を2人から学んでいるようだ。
本当であれば2人のジムに通うことができればいいのだが、それが難しいため、ポイントを聞いて自身のマンション内でどうにかこなせないかと思っているらしい。
マッチョ2人の席に連藤を座らせ、再びカウンターへと戻った莉子に、
「連藤くん、とうとう両刀になったの?」
「なんであんたの頭はそればっかなんですか……」
莉子は心底大きなため息を吐く。
———進み始めた春の今日、カフェは平和に過ごせています。





