《第102話》明けまして【後編】
玄関から家に入って、広間に行くまでも相当な距離がある───
莉子はその大きさに圧倒されながら連藤のあとをついていくが、どうも足音が増えている気がする。
振り返ると、比呂巳が抱える猫以外の猫がいるではないか。
抱えられている猫は赤毛の長毛種であるのだが、後ろから付いてきた猫は白黒の和風柄の猫と灰色のトラ柄の猫である。
「あ、かずくんに挨拶に来たようだね」
そう言いながら襖を開けて入った部屋は仏間である。
「まずはうちの家内に挨拶してもらいたくてね」
比呂巳は猫を下ろし、仏壇の横へと腰を下ろした。
仏壇の横には歴代の遺影が並んでいる。
カラー写真の遺影はきっと、彼の祖父母、そして母のものだ。
「莉子さん、早々に申し訳ない」
「いいえ、ご挨拶は大切ですから」
連藤の動きにならい、莉子も同じように線香に火を灯し寝かせておくと、焼香を済ませた。
手を合わせながらだが、自己紹介は滞りなくできたと思う。
顔を上げると、莉子の膝に擦り寄る猫がいる。灰色のトラ柄の子である。
「彼、次男坊でデュオって名前なの。甘えん坊なんだ。
その白黒の子は、長男のユイくん。私の横にいるのは、妹のアンちゃん。
三兄弟なんだ」
比呂巳の紹介を受けてか、すでにデュオくんは莉子の膝の上である。
連藤にもユイが擦り寄り、挨拶をしているようだ。
「うちはどうしてか庭に猫が寄りやすくて。
猫が絶えたことがないんだ」
連藤が慣れた手つきで猫を撫でながら言うのだが、莉子には少し違和感がある。
勝手なイメージだが、『動物は好きではない』というタイプだと思っていたからだ。
現に無表情のまま、猫の好きそうな箇所を撫で、手懐けている。これで少し顔がほころべばまた印象もかわってくるのだが、これが彼の普通なのかもしれない。
ひとり一匹を抱え上げ、そのまま客間へと移動していく。
都内でありながら、敷地が広いせいもあり、かなり静かな家だ。
住宅街自体もかなり高級な方々が住んでいるのだろう。
下品な雰囲気は微塵もない。
だがそれが莉子の息を詰まらせていく。
彼女自身がカフェしかしらない人間だからだろう。
自分を蔑み、敷居の高さに怯えているのだ。
「莉子さん、息苦しいだろ?」
「え、いや、」
「俺もここは好きじゃない」
───静かすぎる。
連藤が言葉を吐き捨てた。
連藤の部屋ですら道路を削るタイヤの音、喧騒が聴こえてくる。
莉子のカフェであれば、木々のざわめきがプラスされる。
ここまで雰囲気が静かな場所は、本当に久し振りだ。
「ね、ね、二人ってワイン飲むんでしょ?
せっかく来てくれたら、私なりに用意してみたんだ。
筑前煮もあるんだろうし、ゆっくりしてってよ」
連藤が取り出したタッパから筑前煮を箸でつまむと、小さな小鉢にそれを移していく。
「仏壇にあげてくるね。家内も好きなんだー。
あ、かずくん、この大鉢に、もってきてくれた筑前煮移してくれる?」
焼き物の大鉢だ。
ツヤも色も独特で、それはそれは高そうな器である。
「莉子さん、部屋を出て突き当りの奥が台所になる。
適当な皿をもってきてくれるか?
あとたぶん、重箱もあるから、それも持ってきてくれ」
莉子は言われるがまま、連藤が見た方に進んでいき、突き当たると台所が出てきた。
連藤が台所といった理由がわかる。
昔ながらの台所だ───
ガス台があり、茶箪笥があり、そして大きな冷蔵庫が鎮座している。
莉子はなんとかお盆を見つけ、その上に適当な皿と箸を乗せると、風呂敷に包まれた重箱を手に提げた。
戻るとすでに比呂巳もおり、彼の手にはグラスが3つ、そしてワインボトルが握られている。
「リコちゃん、ありがと。
重かったでしょ?」
すかさず受け取り、手際よくテーブルへと広げていく。広がったお節は本当に豪華としか言い表せない。一段目は洋食おせちで、二段目が和食のおせちが詰め込まれ、こんなものが世にあるのかと莉子は驚いてしまう。
「そう、ワインはよくわからないんだけど、近くの酒屋さんに筑前煮に合うワインを選んでもらったんだ」
そうして出てきたのはブルゴーニュのピノ・ノワールである。
「なんかね、これだと出汁に合うんだって。私みたいなワイン初心者でも飲みやすいからいいよって」
「さすが酒屋さんですね。マルサネですよ、連藤さん」
「それは期待できるな」
「あ、二人とも喜んでくれてる!
よかったぁ」
さっそくと莉子がコルクを抜いて、グラスへと注いでいく。そんななか比呂巳はウキウキと声を弾ませ、
「おせちなんて、久し振りに買っちゃった!
写真撮っちゃおう」
よっぽどこのお正月の時間、そして息子が帰ってきたことが嬉しいようだ。そうでなければこれ程の料理に酒も用意はしないだろう。
比呂巳はおせちをいいポジションに置けたのか、するりとズボンのポケットから携帯を取り出し、レンズを構えた。
そのとき、思わず莉子の声が上がった。
「そのキーホルダー!!」
小さな招き猫が携帯カバーにぶら下がっている。
それを指差し、莉子は叫んだのだ。
───そう、あれは遡ること先月のこと。
確か少し風が強い日だった。
その人はタクシーでカフェに乗り付け、かぶった帽子を飛ばされないように、黒い手袋をはめた手で押さえながら店へと入ってきた。
キャメル色のコートを脱ぎ、帽子を外すと、彼はにっこりと微笑み、
「一人なんですがぁ」
物腰が柔らかく、ロマンス・グレーなおじさまだ。
年齢の割に若く見えるタイプだろう。身につけているスーツも高級なもののようだ。光沢が違う。
「いらっしゃいませ。カウンターでもよろしいですか?」
コートとハット、預かりますね。言いながら莉子はドア付近にあるコート掛けにそれらをぶら下げた。
彼は莉子の言った通りにカウンターに腰をかけると、
「ここのビーフシチューが美味しいって口コミで見たんだ」
そう言って携帯を掲げたのだが、その携帯にぶら下がっていたのが、その小さな招き猫───
「あの、う、うちの店に、一度お越しになってます、よね……?」
比呂巳はにこりと笑ったままだ。
「……親父、あれだけ言っただろ……?」
「ごめんね、かずくん。でも大絶賛の彼女だからさ、どんな人なのか一目見たくて」
手を合わせて謝ってはいるが、反省はないようだ。
お茶目に見せかけるためにウィンクをして見せている。
「でもかずくんの言った通りだったよ。
ビーフシチューは美味しいし、リコちゃんはかわいいし!
ささ、ふたりとも、ワインとおせち、楽しもうじゃない」
頭を抱える連藤と莉子を前に、一人はしゃぐおじさんがいる。
ふたりは横目で睨みながらも、芳しいワインにつられ、おせちをつまむのだった───





