《第101話》明けまして【前編】
除夜の鐘はここでは聞こえない。
さらに元旦の天気を見ると早朝は薄曇りとあり、初日の出も望めないのであれば少しゆっくり休もうかとベッドに潜り、目覚ましは2人ともに9時にセットした。
が、いつもの癖か、8時頃には2人ともに目が覚め、無言でアラームが鳴るのを待っていたが、やはり黙って寝続けることはできなかったらしく、どちらともなく向かい合うと、
「……おはよう、莉子さん」
「おはようございます、連藤さん」
2人で背伸びをし、ベッドから立ち上がった。
部屋を2人同時に出てはいくが、莉子はトイレへ、連藤は洗面所へと向かっていく。
トイレを済ませて顔を洗いに行くと、髭を剃り終えた連藤が今度はトイレへと向かっていった。
2人ともに身支度を整え、すぐにキッチンに向かっていく。
雑煮の準備である。
「莉子さんの家はどんな雑煮だったんだ?」
昨日多めに取った出汁を鍋へ移しながら連藤が尋ねると、
「うち? うちは角餅の醤油ベースの鶏だし。
連藤さんとこは?」
「うちは塩出汁だったな。角餅は同じだな」
「具は?」
話しながらも2人で冷蔵庫の前で佇んでいる。
入れる具の共通点を探ろうとしているようである。
「ムネ肉とネギ、だな」
連藤はそう言いながら、鶏ムネ肉と長ネギを取り出した。
「あとうちは大根と人参、三つ葉もあったかなぁ」
今度は莉子が野菜室から取り出し、連藤を見ると小さく頷いた。
これらを具にしようと決めたのだ。
「じゃ、連藤さん、お願いします。
私はお餅を焼きます」
「え」
「え、じゃなく、来年は私の雑煮を作りますから」
「……来年か……鬼が高笑いだな」
「……明日、作ります」
「ああ、楽しみにしてる」
雑談はほどほどに雑煮を仕上げていく。
連藤が野菜を切っていくのだが、本当に見惚れるほどの包丁さばきだ。
厚さは均一であるし、大根と人参が花びらの形になっているのが憎らしい。
「連藤さん、お餅焼けました」
「こちらも出来上がったから、早速いただこうか」
おせちを広げ、お猪口に酒を注ぐと、
「「今年もよろしくお願いいたします」」
挨拶と同時にお猪口の酒を飲み込むと、さっそく箸を手に取り、まずは雑煮に箸をつけた。
やはり昨日、昆布と鰹節で出汁を取り、さらに追い鰹をした汁は、旨みが深い。
具もシンプルなのがいいのだろう。
鰹の風味がよりよく鼻を抜け、後味がさっぱりな塩味はいくらでも食べられそうである。
さらにお猪口のお酒は昨日の日本酒である。
昨日に比べて香りも舌触りもまろやかに変化している。
引き締まった喉ごしはそのままに、お米の香りが花の香りのように変化するのは面白い。
「お雑煮美味しいです、連藤さん」
「それはよかった」
完成された御節の味も、連藤家は本当に質の良い暮らしをされていたのだろう。
素材そのものの味を大切にしているのがよくわかる。
伊達巻であれば卵の甘みにはんぺんの甘みがよく際立つ出汁の分量であるし、筑前煮に至っては根菜の風味が大事に扱われている。
「おせち、美味しすぎてお酒飲みすぎちゃいます……」
止められない箸をなぶりながら莉子はぼやくが、
「これからお参りにも行くんだ。歩ける程度にしといてほしい」
連藤はいつもどおり、冷静である。
これからの予定を組み立てながらおせちを摘み、だいたいお腹が満たされたところで行動開始だ。
改めて外出用に身支度を整えていく。
が、莉子自身、普通に出かける服しか持ってきていない。
「連藤さん、なんか服、かしこまったほうがいいの……?」
「なんでだ?」
振り返った連藤の格好は、擦り切れたジーンズに長袖、その上にN−3Bのジャケットを着る予定のようだ。
「なんでもない」
普通の帰省なんだな、と莉子は納得するといつもどおりの服に着替えた。
ジーンズにニットのタートルネック、その上にカーディガンをはおり、あとはいつものダッフルコートを着れば問題ないだろう。
2人ともに手袋をはめ、マフラーを巻きつけ、ニット帽をかぶり、家を出る。
その際に莉子のリュックサックにはタッパに入れられた筑前煮が詰め込まれた。
「親父が好きなんだ」
そういって筑前煮を詰めている連藤が、莉子にはいつもと違うように見える。
連藤の口から『オヤジ』というフレーズが聞こえたのも、新鮮な響きだ。
タクシーで神社まで移動し、そこで初詣を済ましたあと、連藤の実家へと移動するのだが、連藤が指定した神社が聞きなれない神社だった。
タクシー運転手は慣れたもので「あそこ、穴場ですもんね」などというではないか。
降ろされた先は、本当に知らない神社だった。
だが露店も並び、人も溢れている。
本当にここの近所の人間が来ている、そんな神社だ。
「こんなところにもあったんですね」
「ここは実家から近いんだ。
さ、お参りしたら、甘酒を買おう。今日は冷えてる」
連藤をエスコートすべく手をつなぎ歩くが、いつもいく神社よりも人が少ない。
そう感じるのはお参りまでそれほど待たずに進めたからだろう。
いつもいく大きめの神社であれば、30分は待たされているように感じる。
お賽銭は用意済み。いざ順番となり、連藤を見やると、
「さ、莉子さん、知っていると思うが、二礼二拍一礼だ。
賽銭を投げて、呼吸を合わせて、はい」
そう言われ、連藤にならって頭を2回下げ、2回合わせて手を叩き、1礼をしたとき、お願い事を素早く放った。
『無病息災・家内安全・商売繁昌! 今年もみんなが幸せになる料理が作れますように!』
最後に軽く一礼をしてその場から離れたが、一体連藤はどんな願い事をしたのだろう。
2人で甘酒を飲みながら歩くこと20分、垣根が立派な日本家屋が現れた。
門の表札には「連藤」の二文字がある。
「……ここなんだ…」
莉子はつぶやきながら、思わず甘酒の紙コップを落としそうになった。
かなり大きなご自宅なのだ。
垣根は視界の端から端まである。
門をくぐって玄関に至る間も、庭園といえるほどの広さの庭が広がっている。
「祖父母の置き土産だ。
父も維持ができなくなり次第売るといってるお荷物な家だよ」
さ、ついた。連藤はチャイムを鳴らした。
スピーカーからはいと返事が返ってくると、「俺」それだけしか言わない。
『ああ、かずくん。今開けるねぇ』
穏やかな優しい声が流れてきた。
いよいよご対面である。
なんてことない帰省に付き合わされただけ。それだけ。
そう思うが、緊張するのはどうしてだろう。
「莉子さん?」
「……はい!」
「俺と真逆の人だ。安心していい」
言いながら連藤が莉子の肩を抱き寄せた。
莉子がなんとか笑顔を浮かべたとき、引き戸が開かれ、姿が現れた。
「やぁ、いらっしゃい。久しぶりだね、かずくん。
あ、あなたがリコちゃんね!」
毛の長い猫を抱き、猫の腕を指し棒代わりに振り回している男性が、連藤の父、比呂巳だ。
「ささ、寒かったでしょう?
入って入って!」
物腰が柔らかいというか、少し女性寄りなのだろうか。
あまりの連藤とのイメージのギャップに莉子の思考が追いつかない。
「よく顔だけ似ていると言われる父だ。今はどうかわからんが」
話しながら靴を脱ぐ連藤の後ろで、なぜか見覚えがある気がする莉子だった。





