4-11 撤退戦3
さて、第二ラウンドと見栄を切ったものの――
ゼロ距離で放った覇斬は、見事にウォルリルの長い毛によって防がれ、皮に浅い傷を付ける程度にとどまってしまった。
そして私は、その反動でウォルリルから飛び降りてしまっている。
場所は相変わらず氷壁の横だが、氷の中には魔物たちがぎっしりと詰まっている。
つまり、だいぶ避難民たちに近づいてしまったということだ。
正直、このままウォルリルと戦い続けても勝てる見込みが無いので、どこかで切り上げたいところなのだが、いかんせん奴が私を標的にしてしまっているからな。
私が体から飛び降りたことに気付いたウォルリルは、振り返って睨みつけてくる。
「吐いたか?」
まだそのことを気にしていたのか。毛をカットされるよりも吐しゃ物が嫌いか。
「吐いていない」
「ならばいい」
いいのだろうか?
まあいい。今はくだらないことを考えていても仕方がない。
こいつを倒す糸口を見つけなければな。
さっきの動きを見る限り、体に張り付くというのは意外といい手段ではなかっただろうか。実際、張り付いて何度も突き立てた剣は、奴の肉へと刺すことができている。離れた位置から覇斬を連発するよりもよっぽど効果的だ。
だが、それは奴も分かっていること。今度はそう簡単に張り付かせてくれないだろうな。
まあそれでも、あの技をもう一度使われないだけマシか。
「行くぞ」
活性化した脚部で地面を蹴り、ウォルリルへと斬りかかる。
ウォルリルは後方にステップしながら腕を振るう。その腕を躱すと、即座に牙が迫ってきた。
口の中はどうだろうか? 肉には剣が刺さった。もしかしたら口の中は柔らかいのでは?
迫る牙に意識を集中させ、口の中目掛けて覇斬を放つ。と、ウォルリルはとっさに口を閉じて覇斬をかみ砕いた。
やはり口の中も軟らかいか。なら積極的に狙うのはそこだな。
だが明らかに狙い続ければ向こうも警戒するはずだ。まずは口元から注意を逸らす。
ウォルリルの右側から背後へと回り込むように走る。ウォルリルは常に私を正面にするように体の位置をずらしていく。
半周したところで氷の壁が目の前に迫ってきた。すぐ横で戦っていればそうなるのも当然だろう。私はその壁に向かって覇斬を放った。
バリンッと激しい音と共に氷が砕け散り氷壁に一本の割れ目ができる。私はその間へと滑り込み氷の向こう側へと移動した。
これで一瞬でもウォルリルは私を視界から失う。そして私を得物ととらえているウォルリルならば逃すまいと追いかけてくるはずだ。
その方法は――
「そこ!」
氷壁をジャンプで飛び越えてきたウォルリルの腹目掛けて覇斬を放つ。
「グルル」
覇斬はウォルリルの腹部に直撃した。ウォルリルは苦悶の声を漏らしながら、崩れた体勢を強引に立て直して着地する。
だがそれだけの時間があれば再び懐へと飛び込むには十分だ。
「喋ることはできても、本能的に出るのは唸り声なのだな」
足元へと入った私は、小さく呟くと切っ先を前に両腕を引く。突きの大勢だ。そして覇衣を物質化させ、剣を補強さらに巨大なものへと変化させる。
そのまま一拍待つと、私から離れようとするウォルリルが飛び退り光が降り注いだ。
「今!」
巨大になった剣で突きを放つ。その切っ先は真っ直ぐにウォルリルの顔へと目掛けて直進し、咢によって挟み込まれた。
「くっ!」
「グルル」
覇衣が咢によって削られていく。だが少しずつ剣がウォルリルの喉へと近づいていく。
我慢比べだ。私の覇衣が尽きるのが先か、切っ先が奴の喉に届くのが先か。
「ハァァアアアア!!!!」
気合を込めて魂を燃やすように覇衣を絞り出す。咢の中で砕けた覇衣がボロボロとウォルリルの口回りから零れ大気へと溶けていく。
その中に、地面へと落ちるものが混じった。
「グゥ……」
切っ先が喉に届いたのだ。まだ浅いが、奴の喉に出血を強いている。
このまま行ける。
私がさらに力を込めようと一歩足を踏み出した瞬間、ふと地面を踏みしめていた感覚が遠のく。
「しまっ!?」
気づいた時、私は剣ごと持ち上げられていた。
さらにウォルリルが激しく首を振って、剣を持った私を氷壁へと叩きつける。
「ぐはっ」
とっさに覇衣で肩を守ったため骨や肉に異常はない。だが、無視しがたい痛みに体が強張る。
剣から手を放してしまい、氷の壁を滑り落ちる。
「くっ」
「どうやらここまでのようだな」
剣をペッと吐き捨てたウォルリルは、悠然と私を見下ろす様に立つ。地面に膝を突きその巨体を見上げる私は、化身級の持つ存在感に威圧されていた。
心が折れそうになる。愛剣を失い体を強張らせている自分の姿は、とても騎士には見えないだろう。
――だが!
私の夢は騎士となることだ! 多くの民の前に立ち、その背で皆を鼓舞すること!
ならば私が膝を突いていてはいけない! たとえここで死ぬことになったとしても、その直前――いや死した後も私は自らの足で立っていてやろう!
痛むからだに鞭打って、足に力を籠める。氷壁に手をついて、ゆっくりと立ち上がる。
「何故そこまで人を狙う」
「貴様を殺して逃げた連中も殺す。それが我と奴の契約」
「契約? 奴とは誰だ」
ウォルリルに尋ねつつ、私は半ば確信していた。
おそらく予想が的中していたのだろう。ノーザンライツの中に魔物を操る力を持つ者がいる。
そいつが魔物たちを誘導して町や人を襲わせ、化身級を嗾けてきているのだろう。
ウォルリルが契約といったのは、化身級だからか、もしくは知能の高い魔物はただ従わせることができないということか。つまり、魔物を操るのにも限界がある。
「ここで死ぬお前に知る必要はない」
どうやら答えてはくれないらしいな。
今できることは、防御を固めるぐらいか。どうせなら、全身鎧のアーマメントを学んでおくべきだったか。
ウォルリルが腕を振り上げ、爪に氷を纏わせる。
……クー、すまん
「グルァ!?」
奴の腕が振り下ろされると同時に、氷壁の上から包帯が伸びてウォルリルの動きを妨げた。
続けざまにドンッという重い音が響き、ウォルリルの顔に蹴りが突き刺さる。
「よお嬢ちゃん、久しぶりだな。苦戦してるみたいじゃないの」
ふら付くウォルリルを背に、綺麗に着地した男は楽し気な声で話しかけてきた。
「お前は」
その風体には覚えがあった。
金の短髪に同色の瞳。両腕には包帯が巻かれており、足首はズボンをブーツの中に入れ絞められている。こげ茶色のマントを靡かせ、悠々と歩くその男は――
「傭兵の大先輩が、新人傭兵に強い魔物との戦い方を教えに来て上げたぜ」
――ギルドで最強を示すクラス「制限解放者」を与えられた男、クローヴィスだった。
◇
兵士たちへの大きな被害と、避難民たちへの少々の被害を出しながらも、彼らは足を進め続けていた。
その功が現れたのは、氷壁の攻撃を受けてから約一時間後のこと。
「あれ……なんだ」
それは先頭を走っていた兵士の一人の呟き。それに呼応するように多くの兵士たちが草原の先にあるものを見つけて速度を緩める。
当然先導していたオージンもそれを見ていた。
「バリケードか」
苦々しく呟く。
草原にあったのは、大砲と柵で組まれた即席のバリケード。
起伏の最高点に貼られており、そこを超えればもうアワマエラの外壁が見えてくるだろうという場所だ。
「どこの部隊か分かるか?」
オージンは先導する兵士たちの中で最も目の良いものに尋ねる。
尋ねられた兵士は馬上から目を凝らし、彼らの後ろで揺らめく旗を注視した。
「緑と赤の配色に――」
オージンの脳裏に嫌な予感が過った。
フィリモリス王国の国旗は青と白の上下が下地となっている。さらにアワマエラの町の旗も記憶では緑と赤などという色は使われていなかった。
つまり、その時点で第三者がここに布陣していることになる。
そしてオージンの記憶の中で赤と緑を下地に使っている国は二つ。
メビウス王国とセブスタ王国の二つだ。その違いは旗に描かれている模様。
「盾と剣どちらだ!」
「模様は盾! 盾です!」
兵士の言葉に、オージンは最悪の事態は避けられたと胸をなでおろす。
赤と緑の二色を対角線に配置し、盾を描き込んだものがメビウス王国の国旗だ。
対して二色を上下に配置し、二本の剣が描かれているものがセブスタ王国の国旗だった。
この二つはそれぞれの国の生まれ方を表していると言ってもいい。
メビウス王国はその肥沃な大地を守るために、民たちの中から立ち上がった者たちが作った国であり、主語の象徴として盾を掲げている。対してセブスタ王国は旧帝国の圧政から剣を持って反旗を翻した者たちが奪い取ったものとして剣を掲げているのだ。
その始まり方が今もなお国のあり方に影響を残し、メビウス王国は防衛を主として守りを固め、セブスタ王国は隙あらば土地を奪い、自らの領土を広げることを是としている。
「メビウス王国か。話ができればいいが」
アワマエラを抜けて草原に布陣しているということは、既にアワマエラはメビウス王国の手に落ちたということだ。ここでフィリモリス王国の民である自分たちを受け入れてくれる可能性はかなり低い。
だがせめて、別の場所に移動するだけの有余を与えてもらえれば――
そう思いながら近づいていくと、向こう側をにわかに慌ただしくなり始める。
柵や大砲の前に兵士たちが並び、こちらの様子を窺っている素振りを見せた。オージンは部下に指示を出して、馬車の上からフィリモリス王国の国旗とクシュルエラの町旗を振らせることにする。こちらがセブスタやマーロではなく、町から来たものたちであることを知らせるためだ。
すると向こう側に動きがあった。柵と大砲による封鎖を一部解除し、数名の男たちが馬に乗ってこちらに向かってくる。
服装からすると、兵士だけではない。傭兵も混じっている。
「こちらから攻撃はするなよ」
念のため注意だけは出しておき、オージンは徐々に速度を落とす。すると、向こうから声を掛けてきた。
「速度は落とすな! そのまま駆け抜けろ!」
「後ろの奴らは俺たちが相手してやるよ。あんたらはそのままアワマエラに行きな」
「あ、あんたらは一体」
こちらに駆け寄りそのまま並走する男たちにオージンは尋ねる。
「私はメビウス王国特別遠征兵士隊大隊長のアモズ・クリフトンだ」
「俺は傭兵のクローヴィス。今回はメビウス王国に雇われてる」
「俺たちをどうするつもりだ?」
「特に追い出すなどは考えていない。普通に避難民として扱う。幸いこちらには食料の余裕があるからな。だが、アワマエラは現在メビウス王国の占領下に置いている。反旗を翻す場合命の保証はできない」
「受け入れてもらえるなら構わない。こちらはもう限界だ」
避難民たちも走り続けて限界に達している。反旗を翻す力などどこにも残されてはいない。
むしろ、後ろから今も追いかけてきている魔物から逃げることができるのなら、喜んでメビウス王国に協力するだろう。
彼らはすでにフィリモリス王国という国を見限っていた。
「では数名情報交換のためにこちらに来てほしい。緊急の手紙で魔物が来ていることは分かっているが、詳しいことはまだ分からないところが多い」
「分かった。代表者になりそうな連中を数人そっちに回す。少し待ってくれ」
自分はこのまま避難民を先導する役目があるため、オージンは詳しく話すことができそうな人材を数名頭の中でピックアップする。
自分の副官的な立場の男に、左右それぞれの兵士たちのまとめ役。そして今回の避難に色々と協力してくれた傭兵団風見鶏のメンバーと国境なき騎士団のクーネルエだ。
兵士に伝言を頼み彼らを招集すると、しばらくしてメンバーが集まってきた。
そしてクーが真っ先にその存在に気付く。
「クローヴィスさん!?」
「お、あの嬢ちゃんと一緒にいた子か。久しぶり。嬢ちゃん一人か?」
「ミラがまだ戦っているんです!」
「え! マジ! どこどこ!?」
クローヴィスが追ってきている魔物たちを見るが、戦闘を行っている気配はない。
「もっと後ろです! 化身級らしき魔物がいて、ミラが一人で引き付けていて!」
「化身級だと!? それは本当か!」
クーの発言に最も驚いていたのはアモズだ。
もともとメビウス王国は風見鶏からノーザンライツ参戦の緊急報告を聞いてフィリモリス王国への侵攻を決定しアワマエラを占領した。
その報告の中にノーザンライツが魔物を操っている可能性があると知るさえていたため、追われている彼らとその背後の魔物たちを見て報告が事実である可能性が高いと判断していた。
だが報告書には化身級の話など一切なく、もしそれが事実だとすれば兵士隊だけでは到底押さえられるものではない。
「まず間違いありません」
「アモズさんよ、ちょいと行ってきてもいいか? 追ってきてる魔物だけなら後ろの連中だけでもどうにでもなる」
「もともと私は制限解放者に指示できるほど立場は高くないさ」
どのみち、化身級が近づいてきているとなれば、町から少しでも離れたところで戦闘を行うのが好ましい。ミラ――ミラベル・ナイトロードが一人で足止めしているのだとすれば、一刻も早く増援を送るべきだろう。それも化身級の相手をできるだけの実力者をだ。
それは今、ここにいるクローヴィスと、町にいる同じく制限解放者であるヴァルガスだけだ。
「ありがとよ。嬢ちゃん、どこらへんだ」
「魔物を超えた先に氷の壁が出来ています。それを追っていけば見つかるかと」
「あいよ。後のことは任せな」
「お願いします。ミラを助けてください」
頭を下げるクーを背中に、クローヴィスは全速力で馬を駆るのだった。
◇
「通わけよ。来たらミラベルちゃん死にそうになってるしびっくりしたわ」
クローヴィスがざっくりとここに来た経緯を教えてくれた。
なるほど、メビウス王国が動き、クーが助けを求めてくれたのか。
「それは助かった。クーにも礼を言わなければ」
「ならそのためにも、こいつを撃退しないとな」
クローヴィスはウォルリルを正面にとらえて腰を落とす。
「嬢ちゃん、制限解放者が制限解放者たる所以を教えてやるよ。見てな」
「頼む」
「わんころ! ここからは俺が相手だ!」
ダンッと台地を踏みしめる音と共に、クローヴィスがウォルリルの足元へと踏み込んだ。




