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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第四章:安城の新たなる歴史【天文十四年(1545年)~天文十五年(1546年)】
93/209

【百話達成&書籍化記念】 登場人物一覧 1544~1546(天文15年まで)


*拙作の設定であり、史実とは異なる場合がございます。ご了承ください



●安祥長広(1525~)

 通称:三河守、五郎太夫

 織田弾正忠家の分家、安祥家の初代当主。織田弾正忠家当主、織田信秀の庶長子。

 分家の独立と同時に改名した、元織田信広。

 信長が元服した事で、大手を振って三河支配に乗り出す。


●織田信長(1534~)

 通称:三郎

 織田弾正忠家当主、信秀の嫡男。那古野城城主。

 元服しても言動は変わらずうつけ。

 実は女性であり、信秀を始め、弾正忠家の一部しかその事実を知らない。

 本人は隠しているつもりだが、割と無頓着。『吉法師悪ガキ軍団』に衆道の根を植え付けている可能性が高い。

 母親である土田御前と年々そっくりになって来ており、悩みの種。

 家督相続のため、信秀にあちこち連れ回され、政務の勉強中。


●於広(1533~)

 西三河北部の豪族、佐久間全孝の娘。

 弾正忠家との同盟のために、長広の正室となる。

 元気で明るい性格。あまりの幼さのために、同衾は先送りとなる。

 穏やかで優しい於大をお姉様と呼び慕っている。


●獅子丸(1545~)

 信広の長男。母は於大。



●三木重忠(1533~)

 通称:与十郎

 三木松平初代当主、松平信孝の嫡男。姫城城主。

 信孝が『矢作・緒川の戦い』で討死したのち、安祥家との同盟から服属に切り替える。

 その際、松平の家名を改めた。

●岸教明(1530~)

 通称:三之丞

 長広家臣。

 三木松平家臣だったが、主君と同じく安祥家の家臣となる。

 西条城攻めで武功を挙げる。


●碧海大久(1518~)

 通称:五郎太郎

 元信秀家臣。長広家老、碧海古居の嫡男。長広家臣。

 東広瀬城攻めに従軍。


●恩大寺祐一(1516~)

 通称:隼人正

 西三河の豪族。猿投城城主。松平家に仕える。

 矢作・緒川の戦いに長広が勝利して矢作西側の支配者が確定したため、安祥家に降る。

●猿渡勘鉄斎(1502~)

 祐一家臣。東広瀬城攻めに従軍。

●二本松和仁(1513~)

 通称:太郎次郎

 祐一家臣。東広瀬城攻めに従軍。


●中条常隆(1512~)

 通称:出羽守

 金谷城七代城主。清康に敗れ、松平家に臣従する。

 矢作・緒川の戦いに長広が勝利して矢作西側の支配者となったため、安祥家に降る。

 剣法中条流の系譜。

 のち安祥家剣術指南役に就任する。


●榊原長政(1479~)

 通称:七郎右衛門

 三河上野城城主、酒井忠尚家臣。

 『矢作河原の戦い』に従軍。

●大須賀康高(1527~)

 通称:五郎左衛門

 三河上野城城主、酒井忠尚家臣。

 『矢作河原の戦い』に従軍。

●本多俊正(1520~)

 酒井忠尚家臣。

 東広瀬城攻めに従軍。

●高木重正(1512~)

 通称:長次郎

 酒井忠尚家臣。

 東広瀬城攻めに従軍。


●矢田助吉(1518~)

 通称:作十郎

 上和田城主、松平忠倫家臣。

 『矢作・緒川の戦い』において、主君忠倫が暗殺されたため、上和田城防衛の指揮を執る。

 のち脱出し、安祥家に仕える。

●佐崎直勝(1520~)

 通称:三蔵

 松平忠倫の弟。佐崎城城主。

 『矢作・緒川の戦い』において、忠倫が暗殺されたため家督相続。

 安祥家に降り、松平の家名を改める。


●松平家次(1521~)

 通称:監物丞

 桜井松平二代当主、清定の嫡男。梅坪城城主。

 尾張国品野城主だったが、桜井松平の安祥家への従属により、品野城を弾正忠家に返還し、梅坪城に入った。


●大久保弥八郎(1537~)

 元服前。

 広忠家臣、大久保忠員の次男。

 松平忠倫が上和田城を乗っ取った時、人質となった。

 その後、安祥家に送られ養育されている。

 最初は長広に敵愾心を抱いていたが、徐々に感化され、矢作・緒川の戦いおいては自ら降る事を宣言する。


●安楽(1532~)

 安祥家の諜報部門、黒祥衆の筆頭。歩き巫女を従えるくのいち。

 元伊賀の忍び。

 武士並の待遇で取り立ててくれた長広に恩義を感じている。

 幽霊が苦手(倒せないから)。妖怪は大丈夫(倒せるから)。

 服部保長が安祥家に仕官したのちは、技術指導を受ける。



●佐久間全孝(1493~)

 通称:九郎左衛門、諱:重行

 西三河北部の豪族、佐久間家の当主。西広瀬城城主。於広の父。

 弾正忠家との関係強化のため、娘の於広を長広に嫁がせる。

 元大内家臣の名門だが、一豪族としての立場を弁えており、長い者に巻かれる性格。

●佐久間秀孝(1515~)

 通称:長七郎

 全孝の嫡男。於広の兄。

 父と違って拡張思考。義弟の長広に対抗心を燃やしている。


●鳥居忠宗(1525~)

 通称:彦左衛門

 岡崎譜代家臣、鳥居忠吉の嫡男。

 渡長太郎として長広に近付き、岡崎城のスパイとなる。

 『矢作・緒川の戦い』ののち、父忠吉が隠居。家督を継いで渡城城主となる。

 安祥家が安定するまで、表向きは松平家家臣として振る舞う。

 スパイ続行中。

●清丸(1534~)

 元服前。

 岡崎譜代家臣、鳥居忠吉の次男。

 『矢作・緒川の戦い』ののち、安祥家に人質として送られる。

●康千代(1539~)

 元服前

 岡崎譜代家臣、鳥居忠吉の三男。

 『矢作・緒川の戦い』ののち、岡崎城下に人質として残る。


●彦五郎(1534~)

 元服前

 安祥譜代七家のひとつ、石川家当主、石川清兼の三男。

 清兼の安祥家への仕官に伴い、養育されていた浄妙寺から安祥城へ移る。


●妙春尼(1518~)

 水野忠政の娘。石川清兼の継室。近守、信元の異母妹。信近、於大の異母姉。彦五郎の母。

 清兼の安祥家への仕官に伴い、匿われていた浄妙寺から安祥城へ移る。


●荒川義弘(1522~)

 通称:左兵衛佐

 長広家臣。荒川城主。東条吉良家当主、吉良持清の次男。

 分家として独立後、今川に臣従し、生家である東条吉良家を攻める。

 その際、兄持広と家老を討ち、東西吉良家の統一計画を頓挫させている。

 矢作川西岸で安祥家の力が強くなってきたため、今川から鞍替えし、安祥家に降る。


米津よねきづ勝政(1497~)

 通称:左馬助

 碧海郡米津領主。清康、広忠に仕える。

 矢作川西岸における安祥家の影響力が強くなったため、長広に降る。

●米津政信(1530~)

 通称:小大夫

 勝政の嫡男。

 父勝政と共に安祥家に降る。

●細井勝宗(1537~)

 通称:喜三郎

 碧海郡六つ名村の豪族。

 父は広忠に仕える。父の討死を受け、元服し家督を相続。

 矢作川西岸における安祥家の影響力が強くなったため、長広に降る。

●伊奈忠基(1502~)

 通称:半左衛門

 幡豆郡小島の豪族。清康、広忠に仕える。

 西条城攻めの際、西条吉良方として従軍し、敗北。

 矢作川西岸における安祥家の影響力が強くなったため、長広に降る。

●伊奈貞政(1518~)

 忠元の嫡男。広忠に仕える。

 西条城攻めの際、西条吉良方として従軍し、敗北。

 父に従い、長広に降る。

●伊奈忠家(1520~)

 忠基の次男。

 父に従い、長広に降る。

 東広瀬城攻めに従軍。


●武田広虎(1494~)

 通称:無人斎

 元甲斐国守護。武田家当主、晴信の父。元祖『甲斐の虎』。

 晴信と領地経営の方針の違いから対立、駿河に追放される。

 娘婿、義元に養われていたが、長広の誘いに応じ、仕官する。

 入道し、無人斎道有を名乗っていたが、還俗し、名を改める。

 未成熟の長広に伸びしろを見出し、教育する事に楽しみを見出す。


●三宅貞保(1485~)

 通称:右衛門大夫

 東広瀬城主、三宅光貞の父。

 娘婿、御船城城主、児島義高とともに安祥家に降る。

●児島義高(1510~)

 通称:右京亮

 御船城主。貞保の娘婿。

 西三河で安祥家の勢力が大きくなったため、降伏する。


●三宅師貞(1495~1545)

 通称:隼人正

 西三河の豪族。梅坪城城主。

 長広から度々勧誘を受けるが、これを拒否。『矢作・緒川の戦い』で松平側につく。

 『梅坪仕置き』にて長男、康貞と共に切腹して果てた。

●三宅政貞(1518~)

 通称:藤左衛門

 梅坪三宅当主、師貞の次男。『梅坪仕置き』で父と兄が自害したため、家督相続。

 その際に安祥家に降り、家臣となる。


●吉良義昭(1518~)

 通称:三郎

 西条吉良家当主。西条城城主。東条吉良家当主、義安の弟。

 室町幕府の名門だったが、衰退したため、今川家に臣従する。

 安祥家に西条城を落とされ、降伏、家臣となる。

 西条吉良家の後継者では無かったのだが、後継者の長兄義郷が亡くなり、跡を継いだ兄義安が、東条吉良家当主、持広の討死により、東条吉良家を継いだため、家督を相続する。

 当主としての教育を受けていなかったせいで領地経営に四苦八苦しているところに長広から誘いがあり、降る。

 トップではなく、NO.2として輝くタイプ。

●富永忠元(1532~)

 通称:伴五郎

 長広家臣。東条吉良家老、富永忠安の息。

 西条吉良家家臣であり、牟呂城城主だったが、安祥家の西条城攻めに屈し、降る。

 父の仇である荒川義弘を恨んでいる。

●富永資広(1508~)

 通称:孫太夫

 長広家臣。東条吉良家老、富永忠安の弟。牟呂城城代

 兄忠安が荒川義弘に討たれた際、幼かった忠元を引き取り養育する。

 資広が西条吉良家家臣だったため、忠元も西条吉良家家臣となった。

●高橋信正(1515~)

 通称:出羽守

 長広家臣。

 西条吉良家家臣だったが、主君の降伏に従い、安祥家に降る。

●大河内基高(1512~)

 通称:善左衛門

 吉良家宿老、大河内氏の一族。義昭家臣。

 主君とともに安祥家に降る。

 東広瀬城攻めに従軍。

 

●吉良義安(1516~)

 通称:三郎、左兵衛佐、上総介

 西条吉良家当主、吉良義堯の次男。東条吉良家当主、吉良持広の養子となる。

 妻は清康の妹。

 西条吉良家を継いだ、兄義郷の急死を受けて西条吉良家に戻り跡を継いだが、すぐに持広も討死したため、弟の義昭に西条吉良家を継がせて、自分は東条吉良家を継いだ。

 義理の父と家老を討ったのが今川方の荒川義弘だったため、今川を裏切り織田弾正忠家につく。

 そのために広忠を弾正忠家に売ろうとしたため、松平家とも縁が切れる。

 西三河で勢力を増して来た安祥家と同盟を結ぶ。

 安祥家が西条城を攻め落とし、西条吉良家の義昭が吉良の家督を捨てた事で、東西吉良家を統一し、吉良家惣領となる。

 目まぐるしく変わる三河の情勢に合わせて立場を変える事に疲れている。


●三宅高貞(1518~1546)

 通称:右衛門大夫

 東広瀬城主。光貞の息。

 西三河の豪族。他の豪族と連合し、清康に抗うが、敗れて従う。

 安祥家に東広瀬城を攻められ、降伏。自害して果てる。

●三宅高清(1523~)

 通称:帯刀

 東広瀬城主、高貞の弟。

 安祥家に東広瀬城を攻められ、降伏の証として父と兄が自害したため、家督を相続。

 長広家臣。

 


●坊丸(1536~)

 元服前。

 弾正忠家当主、信秀の息。信長の同母弟。

 真面目で品行方正。頭も良く、武芸にも秀でる。

 家督を継ぐつもりは無いが、奔放な信長に頭を悩ませている。

 周囲からは信長の代わりに跡を継ぐよう示唆されており、困惑中。


●寺沢又八(1499~)

 信秀家老。


●山口教継(1500~)

 通称:左馬助

 信秀家臣。周防国大内氏の一族。鳴海城城主。

 『小豆坂の戦い』に従軍。

●山口教吉(1525~)

 通称:九郎次郎

 信秀家臣。教継の息。

 『矢作・緒川の戦い』に織田方の援軍として武功を挙げる。


●平手久秀(1525~)

 通称:五郎右衛門

 信長四家老の一人、平手政秀の嫡男。信長家臣。

 『矢作・緒川の戦い』に織田方の援軍として武功を挙げる。


●赤川景弘(1518~)

 通称:三郎右衛門

 信秀の馬廻り衆。『小豆坂の戦い』に従軍。

●飯尾定宗(1503~)

 通称:近江守

 信秀の従兄弟。信秀の馬廻り衆。尾張奥田城城主。

 千秋家と同格の元室町幕府幕臣、飯尾家の分家。吉良家を裏切り、今川家に仕えた飯尾家の分家。

 那古野今川家に代官として派遣され、そのまま信秀に仕える。

 娘婿に柴田勝家

●戸部政直(1508~)

 通称:新左衛門

 信秀家臣。尾張戸部城城主。

●祖父江秀重(1522~)

 通称:五郎右衛門

 信秀家臣。津島衆。津島牛頭天王社神官。

●大橋重一(1506~)

 通称:源左衛門

 津島神社神官。大河内重元の息。母は大橋定広の娘。

 大橋定安の養子となり、大内家の家督は弟に譲る。

●河口盛佑(1520~)

 通称:帯刀左衛門

 大橋定広の次男。河口宗持の養子になる。

 於大の母、於富の方を娶る。

●堀田正道(1495~)

 通称:弥三郎

 津島神社神官。斯波家家臣、正純の息。

 父の死により家督継承後、信秀に仕える。

●千秋季光(1500~)

 通称:紀伊守

 信秀家臣。熱田衆。熱田大宮司。

●加藤順光(1495~)

 尾張の豪族、熱田加藤家惣領。熱田加藤12代目。

●加藤順盛(1514~)

 通称:図書助、又八郎

 熱田加藤家惣領、順光の嫡男。羽城城主。

●加藤延隆(1518~)

 信秀家臣。熱田加藤家惣領、順光の弟。西加藤家を分立。

 信秀から要脚、徳政の免除、船運の権利を与えられる。

●武藤雄政(1493~)

 通称:掃部助

 信秀家臣。信秀が那古野城を奪ったのち、勝幡城城代を任せられる。

●佐久間盛重(1508~)

 通称:大学助

 信秀家臣。信長の弟、坊丸の与力家臣。

●長谷川与次(1510~)

 通称:丹波守、宗兵衛

 信秀の馬廻り衆。坊丸の与力家臣。

●山田綱定(1513~)

 通称:弥右衛門 

 信秀家臣。坊丸の与力家老。

●神戸市左衛門(1518~)

 信秀家臣。馬廻り衆

 『小豆坂の戦い』に武功。

●永田次郎右衛門(1520~)

 信秀家臣。馬廻り衆

 『小豆坂の戦い』に武功。

●川尻秀隆(1527~)

 通称:与兵衛

 信秀家臣。織田大和守家家老、川尻重俊の一族。

 『小豆坂の戦い』で初陣を果たす。

 


●土岐頼芸(1502~)

 通称:左京大夫、美濃守

 美濃国に守護。斎藤利政に擁立されて長男から家督と守護の地位を奪う。

 しかしその後、利政と対立し、尾張国に追放される。


●土岐頼純(1524~)

 通称:次郎

 美濃守護であった父頼武を追放した叔父頼芸と対立するも敗北し、母の生家である朝倉氏を頼って越前へ逃れる。

 『加納口の戦い』においてかつての守護の居城川手城へ入るが、『矢作・緒川の戦い』の裏で再び越前へと追放される。


●斎藤利政(1494~)

 通称:山城守、新九郎

 美濃国主。稲葉山城城主。蝮。

 油売りの商人だったが、土岐家の武士にその才覚を惜しまれたため、武士としての訓練に励み、美濃守護土岐氏守護代、長井長弘の家臣となる。

 当時の守護の次男、頼芸の信任を得るとこれを利用し、守護代長井長弘を殺害。長井新九郎規秀を名乗る。

 美濃守護代の斎藤利良が病死すると、その名跡を継いで斎藤利政と名乗った。

 その後、頼芸と対立し、これを追放して美濃国主となった。

 信秀と何度となく争い、その実力を認めている。

 簒奪による国盗りだったため、美濃の統治に苦労している。

●斎藤義龍(1526~)

 通称:左京大夫、新九郎

 美濃国主、利政の嫡男。庶子であるが、後継者として養育されている。

 六尺五寸もの長身の持ち主であるためか、戦での槍働きで武士は威を示すべき、と考えている。

 謀略を駆使する父を武士の風上にもおけない、と嫌っている。

 どちらかと言えば、前線に立って部隊を指揮する長広に感じる所がある。



●服部保長(1505~)

 通称:半三

 清康、広忠家臣。元伊賀の上忍、千賀地氏の出身。

 12代将軍、足利義晴に仕官するが、清康に認められ、三河へと赴く。

 清康横死後も広忠に仕え、松平家宗家の諜報部門を担当する。

 重用されているが信用されていない事を気付いているが、そういうものだと諦めている。

 『矢作・緒川の戦い』後、長広の調略を受け、安祥家に仕える。


●筧重忠(1512~)

 通称:三郎

 広忠家臣。

 服部保長の部下として活動。『矢作・緒川の戦い』において、松平忠倫を暗殺する。

●筧正重(1523~)

 通称:助太夫

 重忠の弟。広忠家臣。

 『矢作・緒川の戦い』において、松平忠倫を暗殺した兄の逃走を手伝う。


●松平利長(1505~)

 通称:彦四郎

 三河松平分家、藤井松平家五代当主。藤井城城主。

 矢作川西岸に領地を持つため、勢力を拡大する安祥家に対抗し『矢作・緒川の戦い』に従軍する。

 『上和田城攻め』に与力、大きな損害を被る。

 安祥家の西条城攻略後、安祥家に降る。

●松平信一(1539~)

 通称:勘四郎

 藤井松平初代当主、利長の嫡男。

 父と共に安祥家に降る。


●松平忠定(1485~1545)

 通称:大炊助、弥次郎

 三河松平分家、深溝松平初代当主。深溝城城主。

 大場景紀を討ち滅ぼし深溝城を奪取して分立した経緯から、独立性が強い。

 安祥家の影響力を危惧して『矢作・緒川の戦い』に従軍。

 『上和田城攻め』にて討死。

●松平忠次(1521~1545)

 通称:五郎左衛門

 三河松平分家、五井松平四代当主。

 分立から代々宗家に対する忠誠心が高い。『矢作・緒川の戦い』に従軍。

 『上和田城攻め』の総大将を任せられる。討死。


●本多広孝(1528~)

 通称:彦三郎

 松平家宗家譜代家臣。広忠の乳兄弟。広忠から偏諱を賜る。

 監視の名目で深溝松平の家臣となる。

 『矢作・緒川の戦い』に従軍。『矢作河原の戦い』に参加。

●酒井忠次(1527~)

 通称:小五郎

 安城譜代七家の一つ、酒井家宗家当主、忠親の嫡男。次男である。

 『矢作・緒川の戦い』に従軍。『矢作河原の戦い』に参加。

●平岩親重(1522~1545)

 通称:左京進

 広忠家臣。妻は竹千代の乳母。

 『矢作・緒川の戦い』に従軍。『矢作河原の戦い』にて討死。

●安藤基能(1523~)

 通称:大工助

 広忠家臣。父、家重は信秀の安祥城攻めで討死。

 『矢作・緒川の戦い』に従軍。『矢作河原の戦い』に参加。

●高力重正(1512~1545)

 通称:新九郎

 松平宗家譜代家臣。信秀の安祥城攻めで、父と兄が討死。

 兄の嫡子だった清長を養育する。

 『矢作・緒川の戦い』に従軍。『矢作河原の戦い』にて討死。

●高力清長(1530~)

 通称:与左衛門

 松平宗家譜代家臣。信秀の安祥城攻めで、父安長が討死。

 叔父の重正に養育される。

 『矢作・緒川の戦い』に従軍。『矢作河原の戦い』にて初陣を果たす。

●杉浦時勝(1525~1545)

 通称:藤次郎

 大久保忠俊家臣。杉浦吉貞の弟。

 『矢作・緒川の戦い』に従軍。『矢作河原の戦い』にて討死。

●土屋惣兵衛(1518~)

 広忠家臣。

 『矢作・緒川の戦い』に従軍。『矢作河原の戦い』に参加。


●松平政忠(1520~)

 通称:源七郎

 三河松平分家、長沢松平七代当主。長沢城城主。

 清康の娘を娶っており、広忠の義理の兄。

 母は岡崎城を乗っ取った信定の娘であるため、清康横死後は宗家と距離を置く。

 今川家の三河支配を防ぐため、今川家に臣従する道を選ぶ。


●米津常春(1524~1545)

 通称:小大夫

 松平譜代家臣。

 『矢作・緒川の戦い』に従軍。『矢作河原の戦い』にて討死。


●鵜殿長持(1513~)

 通称:長門守、藤太郎

 今川家家臣。三河宝飯郡上ノ郷城城主。今川義元の妹婿。

 『矢作・緒川の戦い』に従軍。上和田城を奪取する。

 

●松平清善(1505~1545)

 通称:玄蕃允、与次郎

 三河松平家分家、竹谷松平四代当主。竹谷城城主。

 妻は形原松平三代当主、親忠の娘。母は今川義元の叔母。娘を今川家の人質に差し出すなど、親今川派。

 あくまで三河を治めるのは松平家だと思っており、今川の介入を防ぐために敢えて今川に従う。

 『矢作・緒川の戦い』に従軍。上和田城攻めにて、軍。長広家臣、桜井新田を討ち取るも、大水に飲まれて死亡。



●稲生政勝(1508~)

 通称:七郎左衛門

 水野信元家臣。亀崎城城主。

 水野信元の知多半島統一戦の途中に築いた城、亀崎城に入る。

 稲生水軍党首。

●梶川秀盛(1518~)

 通称:五左衛門

 水野信元家臣。成岩城城主。

 水野信元の知多半島統一戦の途中に攻め落とした成岩城に入る。

 『矢作・緒川の戦い』の前哨戦で成岩城を失う。その後、緒川城包囲前の野戦に従軍。

●高木清秀(1526~)

 通称:善次郎

 水野信元家臣。

 『矢作・緒川の戦い』に従軍。

●水野忠守(1525~)

 通称:織部、清六郎

 水野忠政の四男。信元の異母弟。於大の同母弟。


●新海淳尚(1489~)

 知多の豪族。宮津城城主。

 水野信元の知多半島統一事業に反抗し、討死

●榎本了円(1507~)

 知多の豪族。入道して了円と号する。

 成岩城城主。時衆の僧で、門徒を従えて水野信元の知多半島統一事業に反抗。討死

●岩田安広(1505~)

 知多の豪族。今川方に属する。尾城城主。

 水野信元の知多半島統一事業に反抗。


●久松俊勝(1526~)

 通称:佐渡守

 尾張守護、斯波氏に仕える国人領主。

 知多の西岸を支配する佐治氏と争っていたが、広忠の仲介により、佐治氏から長子信俊の妻を迎える事で和睦。

 その広忠の要請により水野家の緒川城を攻め、矢作・緒川の戦いを引き起こす。

●久松信俊(1539~)

 通称:弥九郎

 俊勝の庶長子。佐治為次の娘と松平広忠の仲介で婚約する。


●斯波義統(1513~)

 通称:治部大輔、左兵衛佐

 尾張国守護、斯波氏14代当主。

 没落した名ばかり守護。織田大和守家に擁され傀儡と化している。



●牧野保成(1500~)

 通称:田三郎

 牛久保牧野当主、成種の長男。今川家家臣。

 義元に今橋城奪還を要請する。


●戸田宣成(1499~1546)

 通称:金七郎

 田原戸田家当主、憲光の次男。大崎城城主。

 清康横死後、今橋城城主だった牧野成敏を退けて、今橋城城主となる。

 牧野家の要請を受けた今川家に今橋城を攻撃され、討死。


●戸田康光(1484~)

 通称:弾正少弼

 戸田家惣領。田原城城主。

 今川家に臣従を迫られ、今橋城を見殺しにする。

 

●戸田宣光(1503~)

 康光の次男。二連木城城主。

 今川家に臣従を迫られ、今橋城を見殺しにする。



●天野景泰(1515~)

 通称:七郎

 天野家惣領。今川家家臣。

 岩略寺城普請奉行。

●天野景連(1523~)

 今川家家臣。天野景泰の一族。三河御番役。

 今橋城攻めの総大将。

●伊東元実(1520~)

 通称:右近

 今川家家臣。

 今橋城攻めに従軍。今橋城城代。

●飯尾乗連(1498~)

 通称:豊前守、善四郎

 今川家家臣。元遠江吉良家家臣。

 遠江引馬場城主。三河奉公人として派遣される。

●飯尾連龍(1530~)

 通称:善四郎

 今川家家臣。乗連の息。

 三河奉公人として派遣される。

●二俣長持(1508~)

 今川家家臣。元遠江吉良家臣横地家家老。

 三河奉公人として派遣される。 

●山田景隆(1515~)

 通称:新右衛門

 今川家家臣。

 三河奉公人として派遣される。岡崎城軍監。

●糟谷善兵衛(1523~)

 通称:備前守

 今川家家臣。

 三河奉公人として派遣される。岡崎城軍監。

●三浦義保(1521~)

 今川家家臣。

 三河奉公人として派遣される。岡崎城軍監。



●空誓(1498~)

 三河一向宗の中でも特に強い力を持つ、三河触頭三ヶ寺の一つ、本證寺の十代目。

 綿花を秘密裏に栽培していたが、綿製品の利益により安祥家と結びつき、菜の花など、以降安祥家の商品作物を栽培していく事になる。

 

●盛佑(1483~)

 三河と尾張の国境にある、天台宗の延命寺の住職。

 蒸留酒や果実酒、清酒の製造を長広に持ち掛けられ、これを受け入れる。

 酒好き。

 

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[一言] 変数は一つで良い 2つも有ると グチャグチャ
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