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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第四章:安城の新たなる歴史【天文十四年(1545年)~天文十五年(1546年)】
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天文十五年の安祥家


「寒いな……」


「もう年の瀬でございますからね」


天文15年、12月初旬。俺は数名の共と、吉良義昭、富永元忠を連れて西条城の南、三河湾を臨む村に来ていた。

浜に桟橋をつけた程度ではあるが、元々港があったこの場所を、大々的に改造し、西尾湊として整備するためだ。


もう縄張りは済んでおり、工事が始まっている。

しかし、この時期の海辺はただ寒いだけでなく、風が強くて厳しい。


綿の入った上着、褞袍どてらの増産を急がせようと決意したのだった。


東広瀬城は一応俺が管理する事になったが、近いうちに親爺に渡す事になっている。

一度は西広瀬の佐久間家が所有する話が出たんだけど、義父さんが断っちゃったんだよな。


今の自分達にその力が無いとか言ってな。

息子の秀孝は大分荒れたそうだ。お家騒動とか勘弁してくれよ。


ただ、城は親爺に渡すが、周辺の領地は安祥の支配地だ。

それでも遠すぎるので、佐久間家に委託する形になった。


ようは土地から生まれる利益の一部を受け取れるという事で、秀孝も納得したようだ。


どうも、年下の俺に対抗心を抱いているらしく、あまり良い印象を持たれていない気がする。


もう一人の義理の兄、水野信元さんは、緒川城の救援に成功したお陰か、書状のやりとりをする程度には仲良くなった。


前世的に言えば、二十代の男性と、三十代の男性が文通するとか、ちょっと薔薇の花が背景に浮かびそうな話だが、この時代だと割と普通だ。

今でも親爺は北条と文のやりとりをしているそうだし、前世の話になるが、信長も伊達家と文を交わしている。


まぁ、ある種の外交努力だよな。

俺も平手政秀みたいに、書状で一首詠むくらいの事はした方が良いんだろうか。


やめよう。下手が下手な事をしても良い結果を生む訳が無い。

馬鹿にされるだけならともかく、馬鹿にされていると取られたら大変だからな。


ちなみに、俺と同い年の義理の兄である、刈谷城城主の水野信近とはあまり良い関係を築けていない。

緒川城より近い位置にあるから、仲良くしたいんだけど、なんか壁がある感じなんだよな。


同い年という事で、余計に対抗心を燃やされているのかもしれない。


ちなみに、東広瀬の三宅氏は、高貞の弟の高清が継ぐ事になった。


さておき、安祥では様々な産業が始まっている。

木綿や綿製品、蒸留酒である凝命酒、算盤、液体石鹸、干し椎茸、菜種油。裏作で大量に作った小麦を、水車を利用して挽き小麦粉にして販売したり、領内ではうどんを作らせたりもしている。

鹿肉や猪肉を領内で消費するだけでなく、燻製として津島や熱田に卸している。

西尾湊が完成すれば、これらを海運を使って日ノ本の東西へ輸出し、更なる経済発展を遂げる事も可能だろう。


特にそれで北条辺りと良い関係を結べれば、今川、武田への牽制も期待できる。

北条なら領内に金山が大量にあるはずだから、その辺りの情報もそれとなく教えて、金の産出量を上げて貰おう。

勿論、そうして産出した金は、うちの商品を買うために吐き出して貰うけどな。

硫黄も割安で取引させて貰えるかもしれないし。


更に、研究を進めている大型の船が完成すれば、沖に漁に出る事もできるようになるだろう。

そうすれば、海産物も今以上に充実するはずだ。


東広瀬城周辺の領地は山が多いので、棚田は勿論だけど、保長とその配下を東国に派遣した副産物として遠江の蜜柑と甲斐の葡萄を獲得したので、植える事にした。

また、桑の木も植えて蚕を育て、生糸の生産も計画中だ。


ただ、殆どは俺が細部を知らないから、こんなものがある、こんなことができる、という事を領内の職人に教えて研究して貰ってる状態だけどな。

去年あたりから養蜂も進めているけど成功してないしな。


畜産も提案し、牛と鶏をわずかだけど手に入れる事ができたから、あとは領民の忌避感をどうやって取り除くかだな。


そもそも肉食に関する忌避感は、島国であるために、畜産に失敗したら新しく牛馬を手に入れる事が難しかった平安時代の情勢と、仏教思想の利害が一致して広まったものだ。

牛や馬は人の役に立つうちは食わずに働かせる、って考えが普通なんだ。

鶏も時を告げる神聖な鳥として扱われていたからな。


だから肉食を忌避している人でも、害獣である鹿や猪、野生の鳥なんかは普通に食べていたんだ。


まぁ、牛も鶏も、糞を肥料として利用できるから、まずはそこから。

特に牛の糞は乾燥させると燃料としても使用できるそうだから、飼育自体は問題が無いだろう。

後は無精卵は子供が生まれないから、仏様の施しとか言って食べられるようにしよう。

流石に生は怖いから、必ず火を通させてからだけどな。


十世紀頃までは畿内で幾つかの乳製品が造られていたそうだけど、朝廷の衰退と共に消えたらしいんだよな。

牛乳は栄養があるし、チーズには虫歯を予防するだけでなく、虫歯になった歯を修復する力まであるらしいからな。

是非とも復活させたい。チーズがあったかどうかは知らないけど。


いずれ京、それも朝廷に人をやらないとな。勝手に遣わす訳にはいかないから、親爺に相談しないとだけど。


「しかし、ろーまんこんくりーとでしたか、昔の南蛮人はとてつもない知識を持っていたのですな」


港の工事風景を見ながら、義昭が呟く。

彼の目線の先では、木枠に半液状のものを流し込んでいる作業員がいた。


親爺に教えてから約四年。ついに開発に成功した古代コンクリートだ。

親爺は城壁なんかの材料に使うらしいけど、俺は製法を受け取って、最初にこれを使用する事に決めたのが、この港への使用だ。


前世の現代で使われていたコンクリートの耐久年数は五十年程度らしいが、古代コンクリートは二千年以上もの時間の経過に耐える。

ローマやギリシャ、つまりは海が近い地域でこの耐久年数。つまりは、水や塩による被害に強いという事の証拠だろう。


ならば港の材料としてこれ以上適したものは無いはず。


ちなみに信長からは銃弾を防いだ、という事が十数行にもわたって書かれた、やたらとテンションの高い手紙を受け取った。

そりゃ矢盾よりは頑丈だろうけど、銃弾を『防いだ』って、一体どのくらい厚いコンクリートに撃ち込んだんだろうな。


まぁ、防御施設に使うなら、矢や銃弾をどのくらいの厚みがあれば防げるかは重要だから、試す事自体は悪い事じゃないけどさ。


「三河守様!」


書類などを見ながら工事の進捗状況を確認していると、警邏衆の一人が俺に近付いて来た。


「どうした?」


「安祥城に、織田喜六郎信時様が参っているそうです。殿にお話しがあるとかで」


「わかった、すぐに戻る。先に茶や軽い食事を出しておけ」


「はは!」


答えて小物は早馬で安祥城へと戻って行く。


「では、儂は戻るが、二人はどうする?」


「護衛の問題もあります。共に戻りましょう」


「ですな」


忠元が言い、義昭が同意したので、全員で安祥城へ戻る事になった。




「待たせたな、喜六郎」


安祥城に戻り、弟とは言え、正式な来客である信時を迎えるために着替えて、俺は客間へと向かった。


「いえ、お久しぶりでございます、兄上」


信時はさっと立ち上がり、俺に頭を下げる。

所作に品があるな。顔つきも大人びて来た。


やべぇ、なんか込み上げて来るぞ。


「楽にせよ。それで、何用だ?」


「はい、父上から命令がありまして、吉法師、三郎の初陣についてです」


「そうか、いよいよか」


確か史実だと、三河の大浜城。念のために、降伏を促す書状は送らず、今まで放置していたんだよな。

信長公記には吉良大浜とあるため、俺も吉良大浜城だと勘違いしていたんだけど、吉良、つまりは西条城近くにある、大浜城、という意味なようだ。


「其方に話があり、そして其方が儂に話を持ってくるという事は、場所は三河か」


「はい。来年の二月の頭を予定しており、私の山崎城からも兵を出すようお達しがありました」


事前に準備しておけという事だな。


「そして、兄上にも後詰を頼むようにと……」


わざわざ俺に? ひょっとして大浜城が目的じゃない?

あそこ、堀はおろか、碌な防御施設もない、城とは名ばかりの砦未満の屋敷だぞ。


那古野の兵に山崎の兵を加えるだけなら、嫡男の初陣で万が一があってはならないと考えての保険で納得できるが。


「一体どこを攻めるつもりだ?」


「三河の、福釜城だそうです……」


「はぁ!?」


福釜城は、安祥城から西に約5キロ程の位置にある松平の城だ。

松平方や、松平の家臣の城じゃない。

三河松平分家、十八松平の一つ、福釜松平家の居城だ。


これが那古野城と山崎城だけで戦うというなら、それほどの相手と初陣でやり合った、という箔付けのためだとまだ理解できるが、俺に後詰を出せって事は……。


「初陣で城を攻略させるつもりか!?」


「恐らく、弾正忠家の跡取りとして、相応の武功を与えるおつもりなのでしょう」


福釜松平家自体はそれほど大きな勢力じゃない。

しかし、問題は福釜松平家の当主だ。


現在の当主は松平親次。26歳。三河松平史上、最大版図を築いた松平清康から『槍三郎次郎』と称された剛の者。

更に、その父親であり、福釜松平の祖、松平親盛は、『戦については凄腕で他の越す者がいない』と謳われた程の勇将。

何度も言うが、三河松平史上、最大版図を築いた松平清康の全盛期に、そんな風に称されるって、どれほどだよって話だ。

ウチの清定の父親である松平信定の遅参が原因で親盛が討死すると、清康は自分の叔父である信定を家臣の前で面罵したって言うから、よっぽど頼りにされていたんだとわかる。


言うならば、松平随一の武闘派。

それが福釜松平家という家なのだ。


「……安祥ならば、二ヶ月あれば五千を超える兵を一月戦わせる準備が可能だ」


後詰ではなく、主力として福釜城を攻め、信長をお飾りの大将にしてしまうのが一番だな。


「よろしくお頼み申す」


俺の言葉を聞いて、信時が深々と頭を下げた。


まったく、親爺はどういうつもりだ?

これは新年の祝宴で古渡城へ赴いた際には、問い質さないとな。

信長の正体を知っている事を知られているかもしれないなんて、小さな事だ。


もしも信長を亡き者にしようとする勢力が動いているようなら。

俺も覚悟を決めないといけないな……。


安祥家のこれまでの総括のような話でした。

ちなみに、十世紀頃の日本で作られていた乳製品は酪、蘇、醍醐。蘇と醍醐はチーズの一種と言えますが(醍醐はどちらかというと、飲むヨーグルトやカルピスに近いようです)、どちらも製法が現代に伝わっていないため(現在研究中だそうです)、栄養素がチーズと同じかどうかは不明。


そして信長の初陣が、なんだかきな臭くなってきました。


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