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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第四章:安城の新たなる歴史【天文十四年(1545年)~天文十五年(1546年)】
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武田信虎


武田信虎。

武田左京大夫五郎信虎。

幕府相伴衆(将軍が殿中や他家訪問の際に随伴する役割)であり、甲斐守護。

入道して無人斎道有を号する。


永正四年(1507年)に家督を相続してからおよそ25年戦い続け甲斐を統一。

主に嫁さんの実家と争ったり、和睦したり、また争ったりしていた。

統一戦中期には離反した家臣の処分に追われていた印象。


乱暴者で無慈悲な暴君のイメージがあるが、甲斐統一後は、割と周囲の豪族と婚姻による同盟を行い、戦以外の方法で取り込んでいる。


幕府、朝廷への献金も行っており、左京大夫は自称ではなく、正式に任じられた京職だ。

とは言え、実際に京の東側を守る職に就いていた訳じゃないので、武家官位であるんだろう。

生活に窮した貴族によってこうした官位は売られていたから、信虎のこれもそうなのかもしれないな。


甲斐統一事業の途中で何度も争った今川とも、家督争い中の義元を支援して同盟を結んだり、信濃侵攻に際しても、諏訪、村上など信濃の有力豪族とは争わない融和政策も取っている。


一般的に信虎の追放は、民を省みず戦を続ける信虎を、嫡男晴信と重臣達が排した事になっている。

けど、その後の晴信の動きを見ると、むしろ戦を続けたがっていたのは晴信の方じゃないのか? とも思える。


まぁ、恐らくは信虎と嫡男晴信の政策方針の不一致によるお家騒動だろう。

結果的に晴信が勝ったので、自分を正当化するために、信虎の悪逆非道を捏造させたんじゃないかな。


客間に居たのは、体格は決して良いとは言えない剃髪の老人。

しかし背筋はぴんと伸びており、真っ直ぐに前方を見据える目には、力強い輝きが灯っている。


僧服を身に纏っているのに、全くそうは見えないのは、この老人が纏う、戦国大名としての凄みというか、雰囲気のようなものが原因だろう。


保長に調略を依頼したのは確かに俺だけど、あの人本当に俺に仕えてくれるの?

というか、俺自身、使いこなせる気がしないんだけど。


左京大夫の職を拡大解釈して、数百名の兵と共に京に送っちゃ駄目かな。


でも今の京の情勢的に、少数の兵を送り込むのはどう考えても悪手だよな。

やるにしても親爺に相談せずに独断でやるのはまずいだろうし。


まぁ、考えても仕方ない。

折角来てくれたのだから、とりあえず話を聞こう。


「駿河からはるばるお越しいただき、誠に恐悦至極にございます、無人斎道有様」


「よい。既に甲斐守護でもない拙者など、ただの俗に塗れた坊主に過ぎん。三河守にまで任ぜられた者が、へりくだるな。家臣の手前だろう」


謙遜しつつ説教された。


「では無人斎道有殿。この度はこちらの呼び掛けに応えていただき、有り難く思う。して、安祥家に武士として仕えていただける、という事でよろしいのだろうか?」


「うむ、そのつもりだったからこうして三河に参ったのだ」


「領地などは与えられず、銭のみでの雇用となる。戦の際には、こちらが指定した兵を率いて貰う事になるが?」


「構わぬ。拙者と駿河から連れて来た側室、それと、駿河で生まれた二人の子が生活できる程度の禄を貰えれば十分だ」


「……本当のところを聞きたい。我らは今のところ、武田と争う予定はない。むしろ、娘婿である義元と敵対しているが」


「親兄弟が争うなど、今の世では珍しい事ではあるまい。拙者自身、息子に追放された訳であるしな」


「追放されたは、民を省みずに戦を続けたからだと噂に聞いているが、真相やいかに」


「戦を優先していたのは事実。だが、支配した土地の扱いを巡って息子と対立したのが原因だと拙者は考えている」


「詳しく聞いても?」


「隠すような事ではない。拙者は甲斐も、信濃も同じように扱うつもりであったが、息子の晴信は甲斐を優遇するつもりだった。その違いよ」


つまり信虎は領有した土地を全て平等に扱おうとしていたが、晴信は甲斐を優遇し、その分を信濃などから搾り取るつもりだったんだろう。

後者は俺の想像だが、今の信濃の状況を見れば間違っていない筈だ。


本拠地の民から支持を受け、そのうえで国力を落とさない手法ではある。

成る程、それなら甲斐の民が信虎の追放を喜ぶのも頷ける。


「甲斐の守護に返り咲きたい気持ちなどはあるのか? 先にも述べたが、安祥家は武田と争うつもりはない。外交政策的には、同盟さえあり得る」


「今すぐ晴信めが頭を下げて拙者を迎え入れるというなら受けるがな。して、安祥が、弾正忠家でも良いが、武田を滅ぼすのはいつになる?」


言ってにやりと笑う信虎に、俺は一瞬唖然としたが、すぐに苦笑いが漏れた。

成る程。それは信虎の言う通りだ。

武田と安祥が戦うためには、今川という大き過ぎる壁を超えなければならない。

三河から侵入する方法もあるが、それは松平の領地の向こうだ。


「一切ない、と言われるよりは納得できる返答だな」


「くく、認めつつも降参の言葉は口にしない。嫌いではないぞ」


うぅむ、やはり年の功、経験の差か。ちょっとこれは勝てる気がしないな。


「怖がる事はない。拙者は安祥からの誘いに応じてこちらに参ったのだ。つまり、拙者が仕えるかどうかではなく、そちらが拙者を雇うかどうかの話よ。雇うというなら、どのような条件でも受け入れるわ」


勿論、限度はあるがな、と信虎は笑いながら言った。


「では無人斎道有殿を侍大将待遇で迎え入れる。暫くは警邏衆、作事衆、軍事衆にて安祥家に慣れて頂く。その間は年二十貫の俸禄として扱い、その後は年三十貫を基本給とするが、よろしいか」


「駿河から連れて来た、側室と息子達の住む場所もよろしくお願いしたい」


「承知した。侍大将格は城内に専用の屋敷がある故、後程案内させよう。息子達は武士として育てるなら、養育もさせていただくが?」


「その方が安祥のやり方を学べるであろう、よろしくお願い申す」


そう言って、信虎が頭を下げた。

かつて一国を支配した武士のその態度に、俺は胸が熱くなるのを感じていた。





天文15年10月。

領内では稲刈りが終わり、裏作の準備が始まっている頃、俺は金谷城に来ていた。


視察や見学ではない、これからの戦に関しての話し合いを行うためだ。


城内に入って目に飛び込んで来たのは、数十人の武士達が整列して体を動かしている光景だった。


あれって、俺が教えたラジオ体操第一だよな。


ラジオ体操は全部しっかりやると、それなりの運動になるので、俺は健康のために朝と夜に行うようにしていた。

別に領内の民や、家臣達に教えた訳ではないのだが、陣幕などでも、朝と夜、甲冑を脱ぐ暇があるならやっていたためか、いつの間にか広まっていた。


ただの運動だけでなく、朝は全身に血が巡り、すっきり目が覚めるし、夜は体温が上がる事で眠りやすくなる。

夜は風呂上りにストレッチも行っているが、こちらは領民は勿論、家臣達にもあまり浸透していない。

そもそも家に風呂が無い場合が多いからな。


共同浴場のようなものを設置しようにも、設置費用だけでなく、水も燃料も膨大な量が必要となるので、提案だけして計画自体は中断している。


西条城近辺で温泉でも湧かないかな。海辺の近くってそういうのが多いイメージだけど、どうかな。

一応、安祥城の近くで温泉が湧いている場所があるというので、そこの拡張工事中だけど、どれほどのものができるやら。


さておき、ラジオ体操――流石にそのままの名前だとアレなので安祥体操とした――をやっている家臣は多いが、流石に城単位でやっているのはここくらいだろうな。

金谷城城代の中条常隆は、剣法中条流の祖の末裔だそうだ。この中条流は、その後富田勢源に伝えられ、富田流となり、かの有名な剣豪、佐々木小次郎に繋がる訳だ。


そして中条常隆自身、この中条流の達人だと言う。そのため、金谷城城代と共に、安祥家剣術指南役の任務も与えてある。

俺は習っていないが、獅子丸が成長したら習わせようと思っている。


ちなみにこの中条家、1200年代の頃には尾張守護を歴任し、1300年代の頃には伊賀守護に任ぜられるなど、地味に名門だった。

しかも1300年後半には、二代続けて、尾張、伊賀の守護職を兼任していたという。


その後は守護職自体に任ぜられていないので、その頃から幕府内での地位低下が始まっていたのかもしれないな。


常隆の代には、金谷城周辺の領地のみを有する程度にまで没落してしまっていた。

そこで、周辺の梅坪三宅、寺部鈴木らと結んでなんとか三河の豪族に対抗していたのだが、結局松平清康に敗北し、松平家に臣従する事になったらしい。


寺部城の鈴木家は健在だが、矢作川の東にあるので松平宗家に臣従したままだ。

一応、調略の書状なんかは送ってるけど、まだ色好い返事は来ていない。


「殿、このような恰好で申し訳ございません」


そしてラジオ体操を行う一団に混じっていた中条常隆が、上半身裸のまま俺に気付いて近づいて来た。

ラジオ体操の他にも運動をしていたのか、鍛えられたその肉体には珠のような汗が浮かんでいて、湯気が体の周りから立ち上っているのが見える。


この時代の10月はもう冬の季候だし、それでなくとも戦国時代は小氷河期だ。

しかも今は早朝。この時期、この時間に上半身裸でも寒そうにしてないって、朝からどれだけ動いてるんだろう。


「いや、良い。朝に向かうとしか伝えていなかったからな」


「殿、私も混じって来ますね!」


「ああ、常隆、良いか?」


「ええ、勿論ですとも」


俺について来た於広が、木刀片手にラジオ体操を続ける一団に小走りで駆けていく。

俺との同衾を目指して、体を大きくしようとしている彼女は、よく食べ、よく動く事が大事と教えられ、それを実践している。

最近はもっぱら、中条常隆とその部下に混じってのラジオ体操と剣術の稽古だ。


身長も高くなったし、大分肉付きも良くなって来たのだが、ふとした時に見る二の腕や、僧帽筋の盛り上がりに若干引く。


まぁ、健康的なのはいい事だ。

いい事、だよな?


客間に通され待っていると、体を拭いて、着替えた常隆が姿を現す。


「さて、東広瀬城攻めでしたな」


「うむ。西広瀬城の佐久間殿に現在調略を頼んでいるが、正直芳しくないそうだ」


戦わずに済むならその方が楽だからな。

とは言え、やはり領地と城を没収で、俸禄のみで仕えるっていうのは受け入れられないんだろうな。


「慣れるとこちらの方が楽だとわかるのですがね。正直、安祥家で力をつけていずれ独立、などと考えていない限りは、問題無いですな」


常隆と恩大寺祐一は既に領地と居城を没収し、金銭のみで家臣となっている。

領内の村の一部は彼らが徴税代官に任じられているが、税がどの程度であっても、彼らが貰える俸禄自体に変わりは無い。

税の増減が、自分達の生活にダイレクトで影響していた以前と比べると、随分と気が楽だろうな。


「上野城の酒井忠尚の戦力を中心に、西広瀬城と協力して東広瀬城を攻撃する。その際、出羽守も大隊長として参加して貰う。予定では軍事衆を六百程率いる事になるだろうな」


「勿論、お受けいたしますとも。可能ならば槍隊を希望したいですな」


「其方は刀で戦うのだろう」


「勿論。産まれてこの方、槍など握った事はございませぬ」


武士としてそれはどうなのか。色んな所に剣豪武将っているもんだな。

精鋭のみで構成された、剣豪部隊とか面白そうだな……。


駄目だ、使い所が城内突入後の屋内戦くらいしか思いつかない。

……城攻めの切り札としてはアリかも。


クロスボウや鉄砲の数が揃って来たら、彼らに使わせて、接近戦時は刀、とかどうだろう。

こればっかりは試す訳にはいかないからなぁ。

失敗=死な訳だし。

戦に勝てたとしても、それで死んだ彼らに申し訳が立たない。


「ともあれよろしく頼む。儂はこれから梅坪城、猿投城へ赴き、同じように出陣を伝える。戦になるなら、十日後に上野城へ向かえ」


「上野城に、ですか?」


「うむ。そこで其方の指揮する部隊と合流。酒井忠尚、松平家次、恩大寺祐一らと合流し、矢作川を渡って、南から東広瀬城に攻め寄せよ」


「成る程。西と南から挟撃する訳ですか」


降すだけなら、全ての戦力を一ヶ所に集めて東広瀬城に脅しをかけた方が良いだろう。


「うむ、松平や周辺の城に援護を求められても面倒なのでな。其の方らには、それを牽制して貰うのも任務に含まれる」


「畏まりました。お方様はどうなさいますか?」


「いつも通りに鍛錬が終わったら安祥に帰してやってくれ」


護衛がついているとは言え、姫が城の外を出歩くのは本当はよくないんだけどな。一応奥方としての仕事は終わらせているらしいし、獅子丸の世話もきちんとしているそうだから、あまり強く言えない。

於大をはじめ、城の女達が全員於広の味方だってのも大きい。

於広の体を慮って三年という期限をつけたから、表立っては誰も言わないが、女達からの『早く抱いてやれ』という目線が時々痛い。

俺に抱かれるために健気に努力をしている於広の邪魔をするな、という無言の圧力が凄いんだよな。

古居ふるい達ですら文句を言えなくなってるんだから、相当だ。


いつの世も、結託した女性は強い。


一先ず信虎さん登用完了。今後どうなるかはお楽しみに。

甲斐に関しては、以前も年貢が三割、というのを描写しました。これは、昔に「甲斐の年貢は三割だったが、信濃などの他の領地からその分を搾取していた」というのを読んだ記憶があり、これを元にしているからです。とは言え、改めて調べても、その記述が見つけられなかったので、何かの小説だったのかもしれません。とりあえず、晴信と信虎の政治方針の違いと、信虎の追放が甲斐の民に喜ばれた理由として、そのまま採用しました。ご了承ください。


そして、調べてみると凄い人だった中条常隆。

ただ本人の記述は少なく、剣術の達人だったというのは本作独自の設定になります。ご了承ください。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] でも流石にこの時代女がそんな強く言えんと思うけどな
[一言] 「甲斐の年貢は三割だったが、信濃などの他の領地からその分を搾取していた」 というのは自分も小説で見かけたことはあります。 あれは創作なんですかね
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