吉良義安

さて、東西吉良氏の惣領は、間違いなく西条吉良氏なんだが、西条城と東条城は同時期に築かれている。

築いたのは足利家三代当主、足利義氏。文治年代の人物であり、鎌倉幕府の要人だ。

この義氏が承久の乱の功績で三河国守護職を得て、矢作川を挟んで築いた二つの城が西条城と東条城な訳だな。

築城年は承久３年（１２２１年）。

そしてこの時代は、今みたいに守護職がその地方に住む事はほぼ無く、基本的には京で政治に関わっていたから、代わりに土地を治める人物を入れる必要があった。

西条城に入ったのが、西条吉良氏の祖になる、長男の長氏。

東条城に入ったのが、奥州吉良氏の祖となる、三男の義継だ。

どちらも庶子で、足利家を継ぐ人間じゃなかったからだな。

ちょっと親近感。

まぁ、名門の分家や、下剋上の原因なんかを調べていくと、大体庶長子が家督を継げなかった故に起こして（興して）いる場合が多い。

この時、当時この辺りに住んでいた吉良氏の養子に入ったとかの話が残っていないし、そもそも、長氏以前に吉良氏が出て来ない事から、義昭の言葉通り、八ツ面山で雲母（きらら）が採れる事から適当に名乗ったのかもしれないな。

それこそ、庶長子である長氏が、本家からの粛清を回避するために、敢えてそのような名乗りをしたのかもしれない。

そう思うと、ますます他人事じゃなくなるな。

義継は奥州吉良氏、あるいは、前期東条吉良氏の祖。

南北朝時代に、子孫の貞家が奥州管領（のちの奥州探題）となった事で、前期東条吉良氏は、陸奥へと移って、足利政権の奥州統治の要となった。

南北朝時代には、東条城も三河吉良氏の領地だったが、時の吉良氏の当主義満が留守にしている間に、義満の四男、尊義が東条城とその領地を横領。東条吉良氏として独立してしまう。

そしてその後、一世紀以上に渡って、東西吉良家は互いに正当性を主張して争い続ける事になる。

そんな内戦を続けていれば、勢力が衰えるのも当たり前だよな。

室町時代の開始から今まで、吉良氏は三河の守護も、奥州吉良氏が所領を持っていた武蔵の守護も得られていない。

恐らくこれは、足利家の一門であるが故に、中央の政争に注力していたからだろう。

結果として、地方の荘園を削られてしまい、中央で力を誇示する事ができなくなってしまった訳だ。

地方で新興の勢力に敗北した訳でも、中央の政争に敗れた訳でもない。

本当に、お家騒動のみ(・・)で滅亡寸前にまで追い詰められた珍しい名門だ。

そして現在の東条城城主であり、東条吉良家当主の吉良義安も結構な苦労人だ。

そもそもが、西条吉良家の人間でありながら、東西吉良家の和睦のために、東条吉良家の当時の当主、吉良持広に養子になり、東条吉良家を継ぐための準備を始める。

その途中で、義安の兄であり、西条吉良家の当主であった義郷が死亡したため、西条吉良家を継ぐために家に戻った。

そして西条吉良家を継いだところで(・・・・・・・)、持広が討死してしまう。

なので、西条吉良家を弟の義昭に継がせ、自身は東条吉良家を継いだ。

しかもこれで終わっていたら、和睦にあたってちょっとバタバタしたが、なんとか収まって良かったね、で済んだのだが、持広を討った相手がまずかった。

下手人は東条吉良家の分家である荒川家の当主、義安の義理の叔父になる荒川義弘なのだが、彼は当時、今川に臣従していた。

東西吉良家は足利家一門としての繋がりで、今川と友好な関係にあったんだが、義理とは言え、父を討った相手の主筋と友好的な関係を続ける事はできなかったんだろう。

当時、伊勢の所領で匿っていた松平広忠を親爺に売ろうとしたんだ。

それ自体は未遂に終わったんだが（保長の話だと、彼がその情報を事前に掴んでいて、広忠と一緒に居た重臣に伝えたらしい）、結局親今川派の西条吉良家と、親織田派の東条吉良家に分かれてしまった。

その後は戦こそ無かったが、そんな状態で協力なんてできる筈もなく、そのまま今に至る訳だ。

そして今、俺は東条城に来ている。

東条城は標高２９１メートルの茶臼山の麓近くにあり、東条城自体も小高い丘の上に築かれている。

大手門は南にあるが、そこを登って行くと、二の丸と三の丸に挟まれる造りになっている。

堀こそないが、中々に堅牢な城だ。

客間に通された俺は、東条城城主であり、東条吉良家当主の吉良義安と相対していた。

今年で２９歳という事だが、もう少し老けて見える。

というか、なんか疲れてる感じがする。

経緯はどうあれ、父親が匿っていた広忠を親爺に売ろうとした程の人物だから、もっとギラギラした感じだと思ってたんだがな。

「流石は『翼を持った虎』と謳われる三河守殿ですな。西条城をいとも容易く攻略したばかりか、西条吉良家そのものを飲み込んでしまわれるとは」

「お褒めいただき、ありがとうございます」

簡単に挨拶を交わしたのち、義安が褒めて来たので、お礼を言って頭を下げておく。

社交辞令とは思うけど、その二つ名なんとかならんかな。

いつの間にか流れてたんだが、一体誰が名付けたんだ？

親爺が三河の勢力に対して威圧するために流してんのかな？

今度調べてみよう。

「それで、西条吉良家はいかがなさるおつもりでしょう？」

「安祥で召し抱えております、西尾義次に継がせるつもりです。とは言え、西条城城代自体は別の人間ですし、領地も安祥が管理する事になりますが」

「義弟ですか。そうですな、東西吉良家の和睦を改めて考えるのであれば、それが有効でしょう」

「ありがとうございます」

「そして、東条吉良家はいかがなさるおつもりですか？」

「我々としては、このまま同盟関係を続けたいと思っております。吉良家惣領を左兵衛佐殿に継いでいただきたく存じます」

「成る程。西条吉良家がそもそも消える訳ですか」

俺の言葉から、それを見抜いた義安に驚かされる。

俺は義次に西条吉良家を継がせるつもりだったが、吉良姓を名乗らせるつもりはなかった。

いずれ義昭にも改名して貰うつもりだったんだ。

今は親織田派とは言え、矢作川の東側に居城と所領がある東条吉良家。いつ今川や松平につくかわからない。

その口実を与えないためにも、吉良家は統一し、それを義安に率いて貰うのが一番良いと考えたんだ。

「弟は、どうなりましたか？」

「義昭は安祥の家臣として召し抱える事になりました。近く、吉良の名を変えさせるつもりです」

本人も『駄洒落の家名』とか言って、あまり執着してないっぽいからな。

それとなく打診してみたら、「ならば西尾でいかがです？　そして小左衛門を儂の養子にいたしましょう」とかノリノリだった。

実は義次が、安祥家内でも屈指の高給取りだと判明した事が理由じゃないと信じている。

「なんでしたら、私が西条城に移りましょうか？」

「え？」

「防衛の観点から見ても、東条城の管理を安祥家が行った方がよろしいでしょう。いっそ、我らも安祥に降って……」

「お、お待ちください！」

いずれは取り込みたいと思っていたけれど、流石に今回は想定外だ。

義昭は色々言っていたが、それでも吉良は鎌倉時代から続く武家の名門。

いくらウチに力があるからと言っても、何でもかんでも取り込めば反発は必至。

だから暫くは同盟関係でいようと思っていたんだが……。

「西条城は元々私の居城でもありますし。私も元々西条吉良の出。それこそ東条吉良家は謀反人の家系ですからね。残すならば西条吉良家でしょう」

俺の制止を聞かず、そんな事を言う義安の声には、疲労の色が滲んでいた。

あれ？　ひょっとしてコイツも……？

「まぁ百年以上も前の先祖の悪行など私にとってはどうでもいいのですよ。私自身、嫡男では無かったので、独立した家を継げる、というのはやはり嬉しいものがありましたしね。それこそ東西吉良家が力を合わせて、吉良家を盛り立てよう、なんて思ったりもしましたよ。けれどなんですか？　なんなんですか！？　今川、松平、織田が順番にやって来て三河を好き勝手に闊歩して！　吉良は吉良で、対抗しようにもまるで歯が立たないし！　おまけに折角東西吉良家が統一されようって時に、叔父上が謀反ですよ！　西条吉良家とも結局和解できないままですしね！」

あ、義昭より根が深いわ。

「ていうか今川！　今川だよ！　なんなんだよ、あいつら！　あいつら所詮吉良家の分家じゃねぇか！　なのに東条吉良家は潰そうとするし、西条吉良家は臣従させようとするし！　今川の方が力が上！？　だったら吉良家を支援して三河支配の手伝いをしろよ！」

ああ、こいつ乱世向いてないわ。

なんて、冷静に見ている場合じゃない。

俺の家臣は勿論、義安の家臣も呆けた表情で固まったままだ。

「まぁまぁ、落ち着いてくだされ、左衛門佐殿」

「…………」

「なんでしょう？」

こちらを無言で睨む義安の雰囲気に、思わずたじろいでしまう。

「左衛門佐は私のもそうですが、父や兄、義父の自称です。しかも荒川義弘まで僭称する始末。別の名で呼んでください」

「しかし、確か輩行名の三郎は義昭と同じでしたよね。そちらでよろしいのですか？」

「それは確かにあまり良い気分ではありませんな。ふむ……上総介ではいかがでしょう」

暫く考えこんでいた義安は名案を閃いた、という感じでその名を口にした。

「元々吉良家の祖、長氏が任ぜられたのが上総介でしたからな。いつの間にか今川家のものになっておりましたが、この機に取り戻しましょう」

「あー、まぁ、よろしいのではないですか……？」

そういや信長の上総介も今川に対抗するために名乗ったって話があるな。

俺が三河で頑張る限り、あいつがそこまで今川を意識する必要は無いから、上総介を名乗る必要性は薄くなるな。

そもそも尾張の守護代は伊勢守に大和守だし、親爺は備後守だ。

確か前世の俺は大隅守だった筈。

つまるところ、尾張から西の国、ようは京方面を見据えての名乗りな訳だな。

前世において、信長の元服後に自称しただろう兄弟の仮名は、安房守、武蔵守、上野介、と東国の名前が並ぶ。

こちらは今川何するものぞ、って感じかな。

まぁ、元々吉良家の祖先が上総介を賜ってたっていうんなら、信長よりは正当な名乗りじゃないかな。

今川がどういう流れで上総介を名乗り、代々伝えて来たかはわからないから、そっちはアレだけどな。

「それで三河守殿！　東条城は譲りますゆえ、西条城に移らせていただけますか？」

あ、その話活きてたんだ。

うぅむ、どうするか。

問題無いと言えば問題無い。

東西吉良家を統一し、義安を吉良家の惣領として立たせるなら、本領である西条城に移らせた方が正当性を主張できる。

けど、正直今、矢作川の東を守る余裕があまりないんだよな。

特に東条城の近くには、今川方の松平家分家である深溝松平があるし、その奥にはやはり今川方の竹谷松平に、義元の妹を嫁にしている鵜殿家が存在している。

けれど、同時に矢作川東から、中央三河の南部にかけて存在している、今川寄り中立、みたいな家をこちらに靡かせる事も可能になる。

特に、竹谷松平の南に存在している形原松平は現当主、松平家広の妻は忠政さんの娘、つまり於大の姉だ。

上手くすればその辺りも取り込めるか？

更に言えば、竹谷松平の現当主の清宗は若干９歳の幼子だ。安祥包囲網の上和田城攻略で父親が討死した事で、急遽元服して家督を継いだらしい。

この清宗の母親は、家広の姉だ。

清宗の父である、清善の母は今川氏親の妹だし、娘の一人を今川家の人質に差し出しているから、相当今川と近しい家ではあるんだが、その関係に楔を打ち込む事は可能だろうか。

「有り難いお話ですが、安祥は新しい家ですので、矢作川西を治めるので今は手一杯です。ここで東条吉良家を受け入れても、混乱するだけで、松平家や今川につけ入る隙を与える事となるでしょう」

とりあえず、今回は断っておく。

先送りにしただけだけどな。

まだ矢作川の西側で、こちらに臣従していない松平の分家も残っているし、そんなにいっぺんに厄介事を抱えられない。

「そうですか……」

本当に残念そうな義安。

義昭とは違って、継ぐつもりが無かった訳じゃないんだろうが、他家を継ぐっていうのは想像以上に苦労なのかもしれないな。

特に義安の場合、言ってしまえば敵の家だしな。

予定通りに東西吉良家が統一されていたら良かったんだろうが、自分の生家と敵対関係になってしまったもんだから余計だよな。

「仕方ありませんね。暫くは、このまま頑張るとしましょう。吉良家惣領として認めて貰えるなら、その名を使って周辺の勢力を取り込む事も可能でしょうから」

そう言って笑う義安には凄みが感じられた。

やはりそこは、苦労人でも、向いてなくても、乱世を生き抜いて来た戦国武将なんだと改めて認識させられた。

「殿、服部保長でございます」

安祥城に戻り、書類仕事をしていると、障子の向こうからそんな声がかかった。

「首尾はどうだ？」

保長とその部下には、三河やその周辺の武士の調略を任せていたからな。

「まずは悪い報告をさせていただきます。殿の指名した、山本勘助なる人物、駿河では発見できませんでした」

「そうか……」

うぅむ、この時期今川にいた筈なんだけどな。それとも、一時騒がれたように、実在しないんだろうか。

「武田に仕える、山本晴幸なる人物が、勘助の名で呼ばれており、人相も殿から聞いていた通りでしたので、某の独断で接触いたしました」

ああ、もう武田に仕えていたのか。確か甲陽軍鑑と他の資料で年代が違ってるんだっけ？

その辺の差もあるのかもな。

「それで悪い報告という事は……」

「はい。断られました。既に十年仕えているそうで」

「え……？」

流石にそれは予想外だ。義元に仕官を断られたあと、駿河に留まらなかったって事か？

武田で記録に残るような活躍をしたのが、記録にある年代頃からで、それまでにも実は仕えていた？

まぁ、前世の事を考えても仕方ない。重要なのは今世の状況だ。

「それと、信濃の真田幸隆なる人物も、存在を確認できませんでした」

おっと？　これも名前が違うパターン？　それともこいつも既に武田に？

「殿から信濃に居なければ、武田か上野を確認せよとの指示をいただいておりましたので、武田を調べてみたところ、真田幸綱なる人物が仕えており、経歴などからこの人物が件の幸隆であると考え、接触を試みました」

そういや嫡男が信綱だもんな。通字が綱だと考えるのが妥当か。

「こちらも既に仕えて五年という事で、話を聞いて貰う事すらできませんでした」

うん？　それって武田が信濃の豪族と結んで信濃に攻め込んだ海野平の戦いが起こったくらいだよな。

あれ？　その時に幸隆（この世界だと幸綱か）って武田に仕えてたんだっけ？

幸綱が武田を呼び込んで信濃攻めに協力した？

あれ？　この分だと保長に頼んだ人材集めは全滅だったりするのか？

折角前世の知識があるんだから、これを利用して、この時期に牢人になっていたり、主家で冷遇されている、のちに活躍する武将を獲得しようとしたんだけどな……。

西国や東北はちょっと遠いしな。

あとは関東か……。

「良い報告が一つ」

「なんだ？」

「殿から指名されていた人物、最後の一人はお連れする事叶いました」

「え？」

正直俺としては、居場所がわかっていて、調略に応じそうな人物の中でも、一番望み薄、っていうかネタ枠みたいなもんだったんだけど。

勘助◎　真田△　最後の一人×、みたいな感じだったんだけど？

「無人斎道有殿をお連れしました。現在、監物（けんもつ）殿（古居(ふるい)の事）の指示にて客間にてお待ちいただいております」

無人斎道有。

入道前の名前を、武田左京太夫信虎という……。