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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第四章:安城の新たなる歴史【天文十四年(1545年)~天文十五年(1546年)】
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西条城攻略戦 弐


西条城を攻めるため、安祥城からは常備()を二千出す事になった。

分立からコツコツと常備兵を増やしていって、作事衆が千、警邏衆が千五百。そして軍事衆という部署を追加し、これを二千五百抱えている。

とは言え、常時安祥城の周辺にいるわけではなく、警邏衆と作事衆は、北は西広瀬城から、南は姫城まで、安祥家の領地の各地に派遣されている。


派遣されている間、彼らの給料と飯はその領地持ちだ。

来年は半分安祥から出し、再来年以降は全部安祥で持つ事になっている。


計算上、一昨年の年貢と安祥で取り扱っている商品の売り上げで、この人数を雇う事が可能であるとわかっているからな。

再来年には収穫量も上がっているだろうし、商売の規模も拡大できているだろうから、余裕だ。


親爺からは、資金提供の要請は受ける、という言質も貰っているからな。

あまり頼ると依存してしまうから、頼るのは最後の手段とするつもりだ。


いずれは全ての城と領地を安祥の下で管理し、武将達は全員銭で雇うようにするつもりだけど、今はまだ難しいな。まぁ、これからこれから。急いだって仕方ない。改革を急ぐと謀反を招いてしまうってのは、歴史が証明してる。信長とか、信長とか、信長とか。

三河一向一揆も、家康が三河統治を急ぎ過ぎて、寺社勢力を蔑ろにしたせいだって説もあるからな。

慎重にいかないと。

分立即謀反なんて、無能もいいところだろ。親爺じゃなくても粛清したくなるよ、そんなやつ。


まだ領民達の中には『戦は出稼ぎ』と考えている者も居るので、補給部隊などの非戦闘員を中心に志願を募ったところ、千五百が追加されてしまった。


これに加え、姫城と佐崎城からも兵を出し、およそ五千となった。

それぞれ大将は三木重忠と佐崎直勝。どちらも初陣は済ませているが、安祥家家臣としては最初の戦だ。

昨年の安城合戦に二人は参加していないので、それも含めての参戦だ。


武功を挙げさせるというより、家臣として公平に扱うための措置だな。


ちなみに山崎城の信時は、親爺の家臣のままなので、親爺に援軍の要請を記した書状を送り、後詰を頼む事にした。

戦の経験を積ませてやりたいが、庶子とは言え、弾正忠家の一門を、前線に出す訳にはいかないからな。


「荒川左兵衛佐義弘と申します。この度は、お声かけいただき、まことに恐悦至極に存じます」


荒川城にて城主、荒川義弘と会う。

既に具足を身に着け、戦準備は万端整っていた。


中々凛々しい顔つきの青年武将だ。確か俺より三つ上だったか。

15歳で元服すると、すぐに荒川家を分立し、自分の兄を攻めたんだから、相当な武闘派だよな。


「今回、其方が以前討った、吉良持広の養嗣子である、義安が当主を務める、東条吉良家と結んで西条城を攻める。これに対して思うところはないか?」


「ありません」


俺の問いに、義弘ははっきりと言い切った。


「ならば何故、自らの兄を討った? 東条吉良家に思うところがあったからではないのか?」


「恐れながら申し上げますと、あの頃は三河を制するのは今川だと思っておりました。故に、拙者は今川と通じ、親織田派であった兄を討ちました。しかし、今はあの頃とは情勢が変わりました」


「つまり、今川より儂を選んだ、と?」


「その通りにございます」


その時その時でつく側を変えるのは、確かに戦国武将らしい考え方だな。

わかりやすいとは言え、それ故に、全面的な信頼は置きにくい相手だ。


「そもそも、名門吉良家と言っても、それは西条吉良家であり、東条吉良家はそこから独立した家。言ってしまえば謀反人の家系でございます。その分家ともなれば、名より実を取るのは当然でございましょう」


まぁ、名門が衰退する理由って、名門である事だったりするからな。

プライドが邪魔をして、新興勢力を侮り、結んだり従属する事ができずに、そのまま滅びることが多いんだよな。


「わかった。東条吉良家と争うつもりがないなら問題あるまい。左兵衛佐義弘の臣従を許す」


「ありがとうございます」


俺は荒川義弘を、荒川家、荒川城ごと家臣に取り込み、合計七千の兵で南下を開始する。

親爺が小豆坂で義元と戦った時とほぼ同数の兵数だ。俺もついにここまできたか、と妙に感慨深い思いにかられる。

安祥包囲網? 戦ってる場所が別々だったから、万を従えた実感がないんだよな。


とは言え、俺は今回の西条城攻め、ひどく緊張していた。


これまでも幾つかの城を攻略してきたが、その多くが、城とは名ばかりの、少し大きい砦程度のものだった。

姫城なんて、隣の誓願寺の方が防御力高いんじゃないか、ってレベルだったからな。

今では、上和田城が落ちた事で、矢作大橋の袂を守る、つまり、対三河の最前線拠点となったから、大規模な改修、増築を進めているけどさ。


今回攻める西条城は、築城こそ鎌倉時代だが、そこから武家の名門が長く拠点としていた、『本物の』城だ。

そこを守る相手も、今までのような、大名の家臣ではなく、大名そのものだ。


城の規模も、兵の数も、今まで攻めた相手とは比べ物にならない。


それだけ大規模の敵を相手にする時は、防衛戦ばかりだったからな。

本格的な攻城戦は初めてなんだよな。


今回こそ、野戦になってくれないだろうか。


姫城から矢作川に沿って5キロ程南下すると、標高70メートル程の男山と、標高40メートル程の女山からなる八ツ面山が見える。

この麓に荒川城はある。

そこから南西に3キロ程の位置にあるのが西条城だ。


その途中、丁度真ん中くらいの位置にある伊文神社に陣を張り、休憩とする。

流石に今日はここまでだな。夜襲をかけるか、早朝に攻撃を仕掛けるか……。


「申し上げます!」


なんて事を考えていると、俺の居る陣幕に物見が駆け込んで来た。


「話せ!」


「東に半里の位置に武装した集団を確認。およそ五百! こちらに向かっております!」


「どこの者だ!?」


「旗印は富永のもの! 西条吉良の奇襲です!」


先手を打たれた!? こんな形での野戦は望んでいない!


戦は相手があってこそのものだとは言え、万事順調とはいかないか。


「すぐに迎撃態勢を整えよ! 荒川城城兵を外縁部に配置! 三木重忠、佐崎直勝の部隊は西条城への備えとせよ! 小左衛門!」


命令を出しながら、義次を呼んだ。


「殿、こちらに!」


「こちらに向かっておる敵は富永某だ。わかるか?」


「おそらく、義昭家臣の富永伴五郎忠元でしょう。年齢的に最近元服を果たしたばかりの筈です」


「なんとも勇ましい事だな。囮だろう」


「数的にそうでしょうね。ただ、父の万五郎忠安は天文8年の八ツ面山付近の戦で左兵衛佐殿に討たれておりますので、敵討ちのつもりかもしれません」


「そうであるなら厄介だ。士気が高いであろうからな」


こうして、俺の西条攻めは、相手に先手を取られた形で始まったのだった。


荒川義弘も、義弘自身が荒川家を興した説と、戸ヶ崎氏が興して、義弘が養子に入った説がある武将です。後に家康の異母妹を娶っている事を考えると、年齢的には後者が正しいのかもしれませんが(生没年不詳)、拙作では前者の説を採用しております。ご了承ください。

そもそも義弘とする資料と、義広とする資料がありますし……。

最後に出て来た富永忠元も、1537年生誕説と、1532年生誕説があります。主流は1537年説ですが、拙作では後者を採用しました。ご了承ください。吉良家随一の勇将ですので(というか主要な記録では、こいつ以外に家臣いないの? と言いたくなるくらいこいつしか戦ってない)、是非とも出したかったという事情があります。

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