安祥家、始動
「……という訳で、俺はこれより安祥と名乗り、この地で独立する事となった」
信長の元服の儀から十日後、俺は安祥城に戻り、そこで新年の宴を開催した。
その席で、安祥家分立と改名について家臣達に伝える。
親爺があれから何も言って来ないのが不気味だが、俺から言うのもなんだから、信長の正体を知ってしまった事に関しては、とりあえず棚上げしている。
信長に言った通り、俺にその正体をバラすつもりはないし、それを理由に信長に反抗する気も無い。
だから、親爺から何も言って来ないのであれば、俺も何かを言うつもりはない。
信長や政秀が、親爺に何も言ってない可能性だってあるしな。
「誠におめでとうございます。この碧海古居、殿に仕えて二十年。この日を待ち望んでおりました!」
感極まったのか、古居が涙を流す。
古居をはじめ、尾張時代からの俺の家臣は、親爺の家臣でもあり、その親爺から貸し与えられているという扱いだ。
直接仕えているのは俺だが、親爺に対して忠誠心も恩義もある。安祥織田家の弾正忠家内での立場を常に気にしていたはずだ。
特に古居は、弾正忠家をはじめ、周辺の勢力との交渉、折衝を任せてあったからな。気苦労もその分大きく、喜びも一入なのだろう。
「儂の分家確立に伴い、碧海監物五郎左衛門古居、松原惣兵衛福池、西尾藤五郎住吉、堀内与四郎公円、米津三郎兵衛四椋、桜井弥次郎親田は正式に儂の家臣となる事が決まった」
取り上げられて、家臣再編は覚悟していたからな。これは素直に良かった。
家臣達もそれを聞いて喜んでくれている。俺も同じ気持ちだ。
手間暇だけじゃなく、やっぱりこれまで共に戦って来た仲間だからな。
できる限りこれからも共にやっていきたい。
尾張に居た者達だから、史実で信長に仕えていたかもしれないから、このまま残しておくのは怖いと言えば怖い。
とは言え、彼らが史実でどんな活躍をしたか、俺は知らないから、残すのが良いのか、返した方が良いのかわからんからな。
積極的に尾張の武将を登用するつもりはないけど、与えられたなら活用するつもりだ。
それに、やっぱり今更こいつらと離れるってのは、寂しいよ。
「勿論、希望する者は尾張に戻れるそうだが……?」
「今更それは言いっこなしですよ、殿」
俺の注釈に四椋が抗議の声を上げる。他の家臣達も同調した。
「立場上、一応言っておかねばならんのだ。儂とて今更、じゃあ尾張に帰ります、とか言われたら悲しむわ!」
俺の冗談めいた言い方に、家臣達も素直に笑ってくれた。
「古居、其方の息子達を家臣とする許可も出た。後で希望を聞いておけ」
「そのような配慮をされずとも、今すぐにでも呼び寄せて……」
「あくまで本人の意思を尊重させよ。無理矢理仕えさせても良いことはない」
「はは」
「反対に福池」
「は」
「其方の息子は将来儂の家臣とするために養育することが決まった。こちらは決定事項だ」
既に元服して親爺に仕えている古居の息子と、まだ元服を果たしていない福池の息子じゃ立場が違うからな。
「はは。妻子共々安祥に越してきておりますんで、問題ありませんや」
次に俺は、安祥城の城主になってから家臣になった者に顔を向ける。
「安城豊今庵的栄はこれまで儂が個人的に雇っている形であったが、この度正式に安祥家で召し抱える事とした。よいな?」
「これまでの立場も気楽で良かったのですが、こうなっては仕方ありませんな。これからもお仕えいたします。武士らしい名前でも考えておきますかな」
的栄の言葉に周囲で笑いが起きる。まぁ、正式に家臣となるからには、仕事をわんさか押し付けるつもりだったからな。
有能な家臣を遊ばせておく余裕なんてウチに無いし。
「西尾小左衛門義次も、このまま儂に仕えることができる。希望があるなら、弾正忠家に仕えることができるが?」
「このまま殿の下で学ばせていただきたく存じます」
義次はまだ東条吉良家からの人質扱いだったからな。
「石川助十郎清兼もこのまま仕えて貰う。また、先年こちらにやって来た、子の彦五郎も元服した後は家臣とするが、良いな?」
「はい。三河の安寧、殿に託します」
「この場にはおらぬが、大久保弥八郎も、いずれ元服させ、我が家臣とする。留め置け」
「はは」
いずれは誰かの養子に出すべきかな。まぁ、その辺りはあとで考えよう。
「緒川水野家には改めて同盟を申し入れたいが、よろしいか」
大事な話があるから、と無理を言って出席してもらった水野信元に水を向ける。
「こちらこそよろしくお願い申す。詳しい条件などはのちほど話し合いましょう」
独立したとは言え、俺は弾正忠家との縁が切れた訳じゃない。その安祥家と同盟を結ばないとすれば、親爺との関係も悪化するかもしれないからな。
ここは了承するしかないだろうと思っていた。先の防衛戦の傷も、まだ癒えていないようだし。
於大を安心させる材料が一つできたことも喜ばしい。
「佐久間家とは、このまま姻戚関係の継続をお願いしたい」
「むしろこちらから頭を下げる事柄ですぞ、婿殿」
基本的には分立したからと言って、それまで結んでいた関係がリセットされるような事は無い。
けれど、制度というか、書類というか、ともかく、情を抜いて見ると、弾正忠家の家臣であった安祥織田家と、三河で独立した安祥家は別物だからな。
双方が姻戚関係は続いていると思っていても、しっかりと言葉にして、できれば文書にもしておいた方が良い。
何かあった時に面倒が無いからな。
「桜井城、姫城、上野城に関しては、安祥家が接収させて貰う。城主、領地、家臣共々そのままだが、家臣となるか、服属の領主となるか選んでいただく」
「松平清定、叶うならば三河守様の家臣とさせていただきたく存じます」
いの一番に答えたのは桜井城城主の清定だった。
意外だな、こいつが一番独立に拘りそうだったんだが。
そういう意味でも、目敏いというか、機運を読むのに長けているのかもしれない。
「三木重忠、叶うならば、三河守様の家臣とさせていただきたく存じます」
「酒井忠尚、叶うならば、三河守様の家臣とさせていただきたく存じます」
残り二人も、服属ではなく、家臣となる事を選んだ。
これまでは領地の開発を手伝うことしかできなかったが、これで大々的に手を加えることができる。
彼らにとっても領地が潤うのだから、その方が良いという判断だろう。
「佐崎城の松平忠就はいかがいたす?」
先の安城合戦の際、上和田城の防衛戦で暗殺された、松平忠倫の弟にも声をかける。
忠倫が元々持っていた、佐崎城は、彼が上和田城に移った時にこの弟に託された。
領地はそのまま忠倫の所有だったが、子がいなかったため、佐崎郷も忠就が継ぐ事となった。
言ってしまえば、彼は家臣でもなければ、清定たちのように同盟、従属しているわけでもない。
ただ敵でないだけの関係だった。
なのでこの宴に誘ったのもダメ元だったのだが。
「佐崎城ともども、叶うならば、三河守様の家臣とさせていただきたく存じます」
忠就はそう言って頭を下げた。
「このような場で恐縮ですが、拙者も名を改めさせていただきたい」
「うむ、許す」
「ではこれより、佐崎三蔵直勝と名乗らせていただきます」
姫城の重忠と言い、やっぱり忠誠を示す時には松平の名を捨てるのか。
諱まで変えた直勝に、重忠がしまった、という顔をしている。
お前の忠、松平家宗家六代当主、松平信忠の偏諱だもんな。
まぁ、清康より前の当主のことなんて、気にしてないからお前も気にするな。
それを口にすると気にしているように感じてしまうだろうから、敢えて何も言わないでおく。
「恩大寺祐一、中条常隆も安祥家の家臣とする。それぞれの城、家臣、領地はそのままだ」
「ご配慮いただき、有り難く存じます」
「承知いたしました」
この二人は早くに寝返っていた清定らと比べると、やはり立場が弱い。
へたに独立させたままにするより、取り込んでしまって領地開発の恩恵をさっさと受けさせた方が良いという判断だ。
「この場にはおらぬが、三宅政貞とその家臣は安祥の家臣として召し抱える。そして清定」
「は」
「其方の息子が入っていた尾張国品野城を弾正忠家に返せ。替わりに梅坪城を与える」
「本来なら補償がなくても文句を言えぬところを、代替地までいただいて、どうして拒否できましょう。近日中に愚息に伝え、城を明け渡します」
立場と情勢的に断らないのはわかっていたが、やはり了承を得られると安心するな。
「服部半三保長」
「は」
末席に座る、朽木が衣を纏っているような男が返事をする。
こういう日くらい、気を抜いて良いと思うんだけどな。
「其の方も、儂が個人的に雇っていた形であったが、正式に安祥家の家臣とする。勿論、其の方の一族、部下もな」
「有り難き幸せ」
保長は短く応えて頭を下げた。
周囲の武士はあまり良い思いを抱いていないな。やっぱりまだまだ意識改革は遠いか。
さて、もう無いかな?
伝えてない事柄、相手はないかな?
俺はざっと、宴の場に並んだ者達を見渡す。
よし、大丈夫そうだ。
そして俺は酒の注がれた盃を手にし、天に掲げる。
「これにより、安祥家の分立は成った! 目指すは儂が天子様より賜った、三河守の名を汚さぬこと!」
つまり、三河統一を掲げたわけだ。
旧松平家臣は勿論だけど、俺の元々の家臣たちも、それを聞いて興奮し始める。
「今宵この日が安祥家の歴史のはじまりである! 乾杯!」
「「「乾杯!」」」
という訳で安祥長広の野望が始まります。
第一部完、か第二部開始か。
これからもまだまだ続きますので、よろしくお願いします。




