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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第四章:安城の新たなる歴史【天文十四年(1545年)~天文十五年(1546年)】
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梅坪城仕置き


天文14年9月。


安祥城評定の間にて、俺の前で三人の武士が頭を下げていた。


「金谷城城主、中条出羽守常隆。五郎三郎様に忠誠を誓いまする」

「猿投城城主、恩大寺隼人正祐一。同じく五郎三郎様に忠誠を誓いまする」

「姫城城主、松平信孝が嫡子、三木与十郎重忠、五郎三郎様に忠誠を誓いまする」


前の二人は矢作川西岸において、中立の立場を取っていた勢力。

姫城を奪取した時点でこちらに従うよう要請していたのだけど、親爺への配慮のために表明時期を調整している間に、上和田城の消耗戦略を消極的だと取られて態度を硬化させられてしまっていた。

第二次安城合戦で判定勝利をもぎ取った事で、『矢作・緒川の戦いでこちらに与力しなかった事を謝りに来い』と要請すれば、素直に従ってくれるようになった。


重忠は信孝が討死した事で急遽元服し、その挨拶と、姫城とその領地をこのまま任せて貰えるよう、要請に来たわけだ。


ちなみに、第二次安城合戦前に従属の要請をしていた家は、他に梅坪城の三宅家があるが、これは呼んでいない。

三宅家からは、謝罪と赦しを請う書状が戦の後、度々届けられているが、俺はその全てを無視している。

流石に書状を持参した使者を斬るような真似はしないが、一通目以降は、使者の前で読まずに破り捨てていた。


梅坪城の三宅家は、件の戦で東広瀬城の三宅家と組んで、こちらと明確に敵対した家だ。

これを簡単に許しては、今後、戦況が五分か、こちらが不利な戦が起きた時、簡単に裏切られてしまうからな。


「中条常隆、恩大寺祐一の忠誠を受け入れよう。与十郎重忠は変わらぬ忠心を期待する」


俺は大仰に応えた。こういう時は尊大に振る舞った方が良いのだ。頭を下げた相手が自分の判断は間違っていなかった、と思える人物を演じないとな。


「ところで与十郎、家名を変えて良いのか?」


「はい。父は過分にも安祥織田家と対等の関係を結ばせていただいておりましたが、拙者は若輩者ゆえ、五郎三郎様に従属させていただきたく、その忠誠の証として、松平の名を捨てさせていただきました!」


「わかった。それだけの覚悟があるなら何も言うまい。姫城はこれまで通りに任せる」


「は! ありがたく!」


そして俺は先の二人に向き直る。


「さて、中条常隆、恩大寺祐一よ。其方らの忠誠は受け入れるが、しかしこれを心底から信用したわけではない」


「それは……」


「仕方のないことかと……」


目を逸らす常隆と、歯噛みする祐一。


「戦支度をせよ。これより三宅家の梅坪城を攻める。常隆と祐一は兵を率いてこれに参陣せよ。与十郎は城へ戻り、矢作東岸に備えよ」


「「「ははっ!」」」


中立の立場の者が敵に回る、味方の者が裏切る。

そのような事態が今後起こらないようにするためにも、見せしめは必要だよな。


一罰百戒。梅坪城には尊い犠牲になってもらおう。




「殿、梅坪城へ向かわれるのですね?」


戦支度をしていると、於広が部屋を尋ねて来た。

その背後には於大、獅子丸を抱いた乳母と続き、小姓達が俺の鎧櫃を担いで入って来る。


「うむ、厳密に言えば裏切られたわけではないが、放置しておくと今後に悪影響が出る故な」


「陣触れなどは出されていないと聞きましたが?」


「安祥城の常備兵だけで十分だからな。春にあれだけの大戦があったのだ。民を休ませてやらねば」


とは言え、領民にとって戦は大事な収入源だ。

なので、荷物運びや飯炊きの人足として三十程度を徴用するよう西尾義次に伝えてある。


「ご武運をお祈りしております」


於大と手分けして俺に甲冑を着せながら、於広は俺の頬に口付けた。

まだまだ幼いが、体は大分大きくなった。背丈もそうだが、こうして密着すると程好い肉付きが感じ取れる。


「獅子丸のためにも、負けられぬな」


「ご無理はなされぬよう」


於広とは反対側から於大が俺の頬に口付ける。


「うむ、父の凱旋を獅子丸にも伝えてやらねばな」


そして於広に兜の緒を締めて貰い、最後に乳母に抱かれた獅子丸の頭を撫でて部屋を出る。

出ようとしたところで、背後から爆音のような泣き声が聞こえた。

どうやら、俺が頭を撫でた事で起こしてしまったらしい。


「も、申し訳ございません!」


乳母が慌ててあやす。

正直、この時代の武士と下女の関係だと、この程度でも無礼打ちにされる可能性があるからな。乳母も必死だ。


「ふふ、元気があって良いではないか。戦の空気を感じ取って昂ぶっておるのだろう。それでこそ武士の子よ」


「殿は扱いが雑に過ぎます」


フォローをいれたつもりだったが、於広からは獅子丸の扱いに関してダメ出しをされてしまう。


「こればかりは慣れていただくしかございませんね」


於大も溜息を吐いて暗に俺を非難する。

ひょっとしたら、この部屋に連れて来るために、苦労して寝かしつけたばかりだったのかもしれない。


前世で子育ての記憶はないし、今世でも、基本は於大と於広、そして乳母、侍女、女房衆に任せきりだからな。

子育ての苦労も知らずによく言えたものだ、などと思われても仕方ない。


「では、そのためにも生きて帰らねばな」


俺は無理矢理そう締めると、逃げるように部屋を出たのだった。




安祥城から北へ4キロ程進むと酒井忠尚の上野城があり、そこから更に北へ矢作川沿いに7キロ程進むと、常隆の金谷城がある。

そこで常隆率いる四百の軍勢と合流。更に北に3キロ程の位置に、今回の攻撃目標である梅坪城がある。

そこから2キロ程北東へ進むと、隼人正の猿投城があり、そこから隼人正率いる三百の軍勢が、こちらの動きに合わせて南下する予定だった。


上野城には先んじて、軍勢が通過する旨の通達を出していたが、忠尚は自分達も与力しましょうか? と尋ねて来た。

第二次安城合戦では忠尚にも負担をかけたので、兵糧と武具の一部を割安で購入する事だけ伝えた。


何もさせない、というのは、意外と気を使わせるんだよな。

多少は負担させることで、相手に意識している事を伝えないといけないらしいから、人の上に立っている人間の更に上に立つ、というのはやはり面倒だと思う。


俺は絶対に家督は継がないと、改めて決心したのだった。


そして安祥城の常備兵六百と、金谷城城兵四百。更に北から合流した猿投城城兵三百が加わり、合計千三百の軍勢で、梅坪城の包囲が完成した。


元々の情報では梅坪城の城兵は四百程だと予想されていたが、今回の募兵に応じたのは二百程度らしい。

第二次安城合戦で、織田方の援軍だった、山口、平手隊に散々に打ち破られた事が悪い影響を与えているのだろうな。


事前に梅坪城周辺に、周囲の城が皆安祥に寝返っている、という情報を流しているし、安祥織田が梅坪城の降伏を拒否し続けている事も流している。

明かな負け戦に、民に見捨てられた状態なわけだ。


俺はこうならないように気を付けないとな。



暫く囲って太鼓を叩かせたり、大声で挑発させたりしていると、城から一人の武士が出て来た。

甲冑を身に着けておらず、帯刀さえしていない。使者だな。


「梅坪城から降伏の使者が参っております」


陣幕で床几に座る俺に、米津よねづ四椋よんりょうが報告して来た。


「うむ、通せ」


俺が命じると、30歳くらいの武士が陣幕の中に入って来た。

俺より十メートルくらい手前で止まり、跪いて頭を下げる。


「梅坪城城主、三宅隼人正師貞が次男、三宅藤左衛門政貞でございます。この度はお目通りかないまして、恐悦至極にございます」


「安祥城城主、織田五郎三郎信広である。さて、降伏の条件は先に伝えてあったと思うが?」


俺の言葉に反応したのは、左右に控える四椋と松原まつばら福池ふくち

そして常隆と隼人正だった。


出陣の前に服部保長を使い、梅坪城には降伏の条件を伝えてあった。

梅坪城の明け渡し。家臣は全て一度安祥織田の所属となる。

現在の梅坪城城主であり、三宅家当主、師貞と長男の切腹。


はっきり言って、全滅覚悟で籠城されても文句を言えない条件だが、当主だけでなく、その長男も切腹、というのは譲れなかった。

当主の切腹のみでは、将来安祥織田家がピンチに陥った時、当主一人が自分の命を犠牲にすれば裏切る事ができるからだ。


しかしこの場に次男が降伏の使者としてやって来た、という事は……。


「はい。その条件の全てを当主師貞は呑みます。家臣はみな安祥織田家に従うという事。明日の夜明けには、城門の前に、当主師貞と兄康貞の首が並ぶでしょう」


「ではそれをもって三宅家の降伏とする。其方は人質としてこのままここへ残れ」


「は!」


「三郎兵衛」


「はい!」


戦いが無くなった事で、若干物足りなそうにしている四椋に声を掛ける。


「其方はこの文を矢に結び付けて、梅坪城の城門へと放ってまいれ」


「はは!」


俺は梅坪城が降伏条件を飲んだ時に渡すために用意していた書状を懐から取り出し、四椋に渡す。

受け取った四椋は、足取り軽やかに陣幕から出て行った。



翌日、政貞の言葉通りに梅坪城の城門前に、城主師貞と、その長男康貞の首が並び、城門が解放された。

俺は福池に三百の兵を率いさせ、それぞれ百の兵を率いた常隆と隼人正と共に城内へと入らせた。

師貞の妻と他の子ども、政貞の妻子、そして城内に居た家臣団が、彼らに囲まれて城から出て来る。


こうして梅坪城の仕置きは終わった。

空いた梅坪城は暫く福池に任せるが、使い道は別に考えてある。


それには親爺の協力というか、許可が必要なので、一度古渡城へ行かないといけないな。

信長の元服が近いから、俺の今後の身の振り方も相談しないといけないし。

書状で子供が産まれた事は報告したけど、直接の報告も必要だよな。


師貞の長男は作者の資料に載っていませんでした。複数の資料がありますが、そのどれにも、です。

史実において師貞が討死した時、長男の記述はなく、次男政貞が父の仇を討ち、家督と城を継いだ、という記述しかありませんでした。なので長男の生死がわからず、生きているなら行方、死んでいるならいつ死んだのかも不明なため、今回のようにさせていただきました。ご了承ください。

また、長男の名前も一切なかったので、政貞の長男の名前を拝借しています。あちらは元康から康の一字を貰って康貞としましたが、こちらは清康から貰ったという設定です。ご了承ください。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ありがとうございました。 [一言] 子育ての基礎なので皆さんご存知でしょうが念のため獅子丸くんに口付けしちゃだめですよ。虫歯予防で18ヵ月我慢しましょう。離乳食みたいなものも無精して噛んで…
[気になる点] ずっと思ってたんですけど、五郎三郎じゃなくて三郎五郎じゃないですか?
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