蝮と息子
三人称視点です。
「そうか、守り切ったか」
美濃国、稲葉山城にて、禿頭の男が部下の報告にそう言って笑った。
男の名前は斎藤山城守利政。
油商人から、機略智謀を用いて、一国の国主にまでのし上がった男である。
守護代の頃から尾張と何度も矛先を交え、守護である土岐頼芸を追い出してからは、信秀に度々美濃国内への侵攻を許しているが、その全てを撃退していた。
矢作・緒川の戦いにおいても、今川からの要請を受けて信秀を美濃に呼び込み、緒川城への援軍に向かわせないよう行動を起こした。
利政は土岐頼芸を追い出したが、そこに大義名分などなく、完全に武力によって乗っ取った形であるため、美濃国人の支持を得られていなかった。
その非道から『蝮』と呼ばれただけでなく、「主をきり 婿を殺すは身のおはり 昔はおさだ今は山城(主君や婿を殺すような荒業は身の破滅を招く。昔で言えば尾張の長田忠致、今なら美濃の斎藤山城守利政であろう)」などという立札が立つほどであった。
そのせいもあって、美濃支配の手助けとするため、今川の要請を受けたのだった。
今川家と縁戚関係にある吉良氏は、美濃守護である土岐氏と縁戚にある一色氏と縁戚関係にあった。
遠い繋がりであるが、美濃支配の正当性を少しでも得るために、利政はなんでも利用しようとしていた。
結局緒川城に安祥織田から援軍が出たという情報を得た時点で、利政は信秀に和睦による停戦を要請。
信秀も劣勢であったため、これを受け入れ、美濃から兵を退いた。
そして利政は、矢作・緒川の戦いの顛末を聞き、上和田城こそ落とされたものの、矢作川西側と緒川城を守り切った信広を讃えた。
「父上、何故兵を退かれたのか!?」
その時、一人の若者が評定の間に入って来た。
六尺五寸(約197cm)を超える巨体を持つ、利政の長男、新九郎義龍だった。
「田植えの時期に自領内で戦をするなど愚か者のする事よ」
それまでの上機嫌から一転、顔を顰めて利政は答えた。
「それで勝機を逃していては意味がありません!」
「民を蔑ろにしては国を守れぬ。左京太夫が追放されたはそれが原因よ」
「戦に勝てば国を守れるでしょうが!」
「たわけが! 国を動かす者がそれでどうする!? 巨人の視点でものを見ぬか!」
義龍の言葉に、利政から鋭い叱責が飛んだ。
確かに、座を排し、二毛作を奨励した利政の息子とは思えない発言だった。
「武士の本分は戦で勝つ事ではないですか!」
「それがたわけと言うておる! 其方は士でも将でもなく帥となるのだぞ!」
「城の中でいくら策略を練っても、戦には勝てませぬ!」
「其方が母から継いだのは、その無駄にでかい体だけのようだな!」
義龍の母は鎌倉時代から続く、名門一色氏の出だ。その教養は多くの戦国武将に寵愛されるほど。美濃一の美女とも言われるが、その身長は六尺二寸(約187cm)もあった。
義龍の大きな体は、まさしく母譲りであると言えた。
「貴方が母を語らないでいただきたい!」
そして件の母は、元々利政に追放された土岐頼芸の愛妾であった。
土岐頼芸の信頼を得た利政に下賜されたのだが、この時既に義龍を懐妊していた、という噂が美濃内ではあった。
時期的にはどちらの子でもおかしくはないため、頼芸追放の大義名分を得るために利政が敢えて流したとも、旧土岐派の家臣が義龍を擁立するために流したとも言われ、真偽はわかっていない。
少なくとも、正室との間に子が生まれてから、利政が義龍の母を無下に扱うようになったのは確かだ。
「其方とは政治の話が出来ぬ! 出て行け!」
「言われなくとも! 武士の本領は戦にこそある! 私の方が正しかったと、いずれ後悔する時がくるでしょう!」
そう言い捨てて、義龍は立ち上がると、わざと大きな音を立てて評定の間を後にしようとする。
「それほど槍働きがしたいなら、孫四郎の下ででも存分に振るうが良いわ!」
背中に投げかけられた利政の言葉に、一瞬義龍の動きが止まるが、しかしすぐに歩みを再開すると、そのまま出て行った。
「…………ふぅ」
何とも言えない空気が評定の間を支配する中、利政は溜息を一つ吐いた。
戦と謀略に明け暮れ、息子の養育を怠った自分の不始末を恥じていた。
そうしなければ今の地位まで上り詰める事など不可能だったとは言え、後悔する他なかった。
義龍は長男であるが側室の子である。
最近話題の、弾正忠家の翼を持った虎も、考えてみれば境遇は同じだ。
しかも義龍とは一つしか歳が違わない。
だが、利政の集めた情報によると、件の若虎は、家督相続の野心を持たず、信秀の命を忠実に守る、実に有能な息子だと言う。
義龍と信広、果たしてどこで差がついたのか。
出自に色々と噂があるからこそ、利政は側室の子でありながら、長男である義龍を後継者として育てている。
だが、実際にはあの反抗的な態度だ。
いつ自らを討ち、土岐や一色を名乗るか知れない。
そういう意味では、正しく義龍は『蝮』の息子であるのだろう。
「だがそれではいかんのだ、新九郎。儂は今の地位を得るために手段を選ばなかった。だが、其方には最初から地位が与えられておる。其方は奪い取る必要はないのだ」
今からでも、後継者を正室腹の孫四郎や喜平次に変えた方が良いのだろうか。
長男ではあるが後継者ではない信広を見ていると、そのように思えてくる。
「美濃の蝮も、老いたものよ……」
土岐頼芸を追放した頃の自分なら、間違いなく義龍を殺して強引に後継者を変更していただろう。
年を取って死を身近に感じるようになり、息子達の行く末を気に掛けるようになるなど。
油商人を辞めて武士となるべく鍛錬を開始した頃の自分では、予想もできないだろう。
自分はここまでかもしれない。
にわかに感じる老いの気配に、利政は自らの限界を感じ取っていた。
信広視点では道三で通している利政ですが、今回は三人称視点かつ、(道三と名乗るのが)未来の出来事という事もあって、利政=道三という事を説明するのが難しかったので、利政で通させていただきました。
道三と義龍の確執は、長良川で決定的になってしまったせいで、二人の言動の悉くが、これが原因じゃないか? などと言われており、邪推邪推&邪推になっている資料が沢山あります。義龍の母親も、拙作の通りに頼芸から下賜された説が主流なのに、頼芸を追放してから道三が奪った、家臣時代に道三が寝盗った、なんて説も普通に創作物以外で見る事があったりしますからね。特に追放してから奪った説は、義龍の年齢との矛盾から、義龍が実の息子でない説と結びついたりして、創作物を中心に猛威を振るっています。




