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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第三章:安城包囲網【天文十三年(1544年)~天文十四年(1545年)】
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三河の者達

三人称視点です。


岡崎城城内にて、留守居を命じられた鳥居忠吉は大きくため息を吐いた。

彼の下に齎されたのは、広忠敗走の報。

安祥城どころか、上野城すらも辿り着けずに、矢作川にて撃退された。


先だって、上和田城陥落の報こそあったものの、矢作大橋を落とされ、その後の侵攻が不可能であると聞かされたばかり。

しかも上和田城では織田軍の奸計によって寄せ手の将兵の多くが溺死させられ、とてもではないが勝利とは言えない状況だと言う。


恐らく、緒川城も落ちていないだろう。

仮に落とす事ができたとしても、松平家が行動できない現状ではなんの意味もない。


上和田城が落ちた事がせめてもの救いだろうか。

これなら西広瀬城の攻略に赴いた時と違って、上和田城を陥落させる事ができた、と領内に触れ廻り、戦勝を強調できる。


「…………やむを得んな」


立ち上がり、忠吉は岡崎城を後にする。

向かったのは岡崎城下の武家屋敷。忠吉に与えられた住居だ。


「お待ちしておりました、父上」


広間に入ると、そこには一人の若者が座っていた。

かつて信広の下を訪れた、岡崎城の出入り商人の息子である、わたり長太郎ちょうたろうだ。


「賭けは其方の勝ちだ、彦左衛門」


そう声をかけながら、忠吉は上座に腰を下ろす。

矢作川で渡し守を営んでいる商家の息子とは仮の姿。その正体は、松平清康の代から松平宗家に仕える岡崎譜代、鳥居家の長男、鳥居彦左衛門忠宗である。


岡崎譜代と言っても、鳥居家は忠吉の代に、西三河に進出してきた清康に仕えたばかりの言わば新参であり、清康個人への忠誠はともかく、松平家そのものへの忠義は薄い。

何より、居城の渡城は矢作川の西側に存在し、領民の多くは松平家より安祥織田家に心が傾いている。

元々矢作川の水運で財を成した豪族であったため、経済に明るく、武士が矜持と共に口にする精神論を常日頃から苦々しく思っている。


「つまり岡崎殿が負けましたか。当然ですな。過去の栄光に縋って忠義を煽らねばならぬ松平家が、現世利益を追求し、安全と生活を担保してくれる安祥織田家に敵うはずがありません。戦に臨む姿勢そのものが違いますからな!」


しかし、少々商人寄りに育て過ぎたとも、忠吉は思っている。


「約束だ。儂は隠居し、家督は其方に譲る。鳥居家の行く末は好きにいたせ」


矢作・緒川の戦いが始まる前、忠宗は忠吉に対し、松平宗家を見限り、安祥織田家につくよう進言していた。

清康への忠義がある忠吉は、それを理由にこれを拒んだのだが、忠宗は絶対に安祥織田が勝つから、家を守るなら松平を捨てるべき、と譲らなかった。

それほど強く断言するのなら、と忠吉は息子と賭けをしたのだ。

安祥織田が勝ったなら、家督を譲り、家の方針は全て忠宗に決めさせる、と。


「わかり申した。では一先ず父上は岡崎城にお戻りください」


「うん?」


「そして今暫くは、鳥居家は岡崎松平家に仕える事といたしましょう」


「よいのか?」


「上和田城を落とされ、矢作大橋も壊れてしまいましたからな。今寝返っても旨味がありません。むしろ、私が管理を任されている橋元町。あれを、此度の戦のゴタゴタで、火事場泥棒的に鳥居家が奪取したとして、松平家に矢作大橋の修復を依頼しましょう」


ある意味、武士よりも容赦をしない提案をする息子に、忠吉はただただ呆れた。


「そのような余裕があるものか」


岡崎松平の台所事情を最もわかっているのが忠吉である。

失うばかりで得るものが何もなかった今回の戦。冗談抜きで、岡崎松平家は滅亡寸前であった。


「今川家にでも出させればよいでしょう。此度の戦で岡崎松平家は三河での求心力を失いました。また、多くの松平家分家が被害を被った事で、三河全土から、松平家の影響力が薄れたと言えます。ならば、今川がそこを狙わぬ道理はありません」


「まぁ、そうだな……」


忠宗の理屈は忠吉にも理解できた。

しかも、今川家は、直接支配せずに、松平家を介しての間接支配を狙うだろう。

今川家は今東国との問題を優先しなければならない事情もある。

それに、求心力が低下し、影響力が薄れたと言っても、まだまだ三河における松平家の力は強い。

松平家が復活するとなれば、力を貸す者は多くいるだろう。


ならば、その忠誠心ごと今川家に取り込みたいはずだ。

間接的に三河を支配し、一族の者を嫁がせ、乗っ取りを画策する。今川の常套手段でもある。


「わかった。そのようにしよう。矢作大橋の修復は、現状の岡崎松平の財政回復に必要だとでも言えば、今川に要請がいくだろう」


「お願いします。それと、清丸か康千代のどちらかを安祥織田家へ送りましょう」


まだ元服も果たしていない、二人の弟の名を忠宗は出した。


「構わぬが、何故だ?」


「安祥の殿様には、この戦の後に寝返る約束をしておりましたので、それを反故にする事への詫びです。そして、敵対する意思がない事の証明ですね」


「安祥殿であれば書状の一つでも送れば問題ないと思うが、まぁ、誠意の問題か」


「はい。それと、岡崎松平への言い訳として、安祥の動きを抑えるため、とでもしておきましょうか」


「ならば信用を得るためにも片方だけにするべきだな」


「では、年若い康千代を岡崎城下に残しましょう」


「任せる」


それだけ言うと、忠吉は立ち上がり屋敷を後にした。今後の鳥居家の方針を岡崎城へ報告するためだ。信用を得るなら、広忠に直接話すより、先に阿部定吉に話しておくべきだと考えた。

三河の情勢は大きく動く。ならば、そこに住む自分達も、その動きに合わせなければならないのは、道理だった。




矢作川東岸近く、岡崎城より南へおよそ一里(約四キロ)の位置に、一つの寺があった。

親鸞聖人の直弟の信願房が、正嘉二年(1258年)に建立したとされる、歴史ある寺、浄妙寺。


「彦五郎さん、よろしいですか?」


その寺の一室で、一人の少年が書を読んでいた。背筋がぴんと伸び、清廉とした雰囲気を纏った若武者だった。


「はい、どうぞ」


声をした方を向き、少年が答える。障子が開き、一人の女性が姿を現した。


「なんでしょうか? 母上」


その女性は彦五郎の母、妙春尼だった。水野忠政の娘であり、於大の姉。

仁木の戦いで安祥織田の捕虜となった、石川清兼の妻でもある。


「旦那様から手紙が届きました」


「父上から?」


「すぐに準備をしてください。私たちはこれより、安祥城へと向かいます」


「それは、父が安祥織田に寝返ったという事ですか?」


「…………」


真っ直ぐに目を見て尋ねる彦五郎に対し、妙春尼は、目こそ逸らさないものの、無言だった。


「寺とは言え、この浄妙寺は岡崎松平の影響下にある場所。そのような場所に届く手紙に、安祥織田への寝返りの事実が記されていた? それはつまり、この寺に手引きする者がいる? それとも、この寺そのものが、安祥織田に寝返っているということでしょうか?」


「……前者が近いですが、惜しいですね。安祥織田についているのは本證寺。本證寺の僧がこの手紙を持って参りました。三河一向宗の触頭の一つである本證寺の僧の持ち物を改める事などできませんからね」


「三河石川氏は、酒井と並んで、松平家に代々仕える家。その惣領たる父上が松平を裏切ると?」


「三河の安寧のためには、岡崎松平家ではなく、安祥織田家に託すべき、だそうです」


「…………わかりました。父上がそのようにお決めなされたのなら、それが石川家にとって、何より三河の民にとって最も良いのでしょう」


彦五郎の言葉に、妙春尼はほっと安堵の溜息を吐いた。


「兄上はどうされるのですか?」


「三河石川家の嫡男は与八郎殿です。機を見て安祥へ移るでしょうね」


清兼の長男であり、彦五郎の兄である与八郎康正は、既に元服して広忠に仕えている。安城譜代七家の一つ、石川家の嫡流という事もあって、彼は広忠から重用されていた。

康正には既に子もおり、彦五郎にとっては一つ年上の甥となる。


「わかりました。それではすぐに準備をいたします。出立はいつ頃でしょうか?」


「できるだけ早い方が良いでしょうね。あくまで安祥織田についているのは本證寺であって、この浄妙寺ではありませんから」


「わかりました。では、今夜のうちにでも」


こうしてこの日、浄妙寺から、一組の母子が姿を消したのだった。




岡崎城から北北西におよそ一里半(約七キロ)。矢作川の西岸にある浄土宗の寺、隣松寺。


「これで清康への義理は果たした。儂は隠居する」


隣松寺内の一室にて、初老の男性が若武者を前にそのように言い放った。

上半身をはだけた湯帷子という寛いだ格好だが、その上半身には何重にも包帯が巻かれていて、痛々しい姿を晒している。


上和田城の大水で流され溺死したと思われていた、内藤清長だった。

すんでのところで被害を逃れた、甥の正成が発見した時、両手と右足が折れ、同じく折れた肋骨が皮膚を突き破っているという凄惨な状態だった。

死んでいると思って近づいた正成が、大きく開かれた目を閉じさせようと跪いたその時、裾を掴まれ情けない悲鳴を上げたのは、内藤家の笑い話としてこれから伝わるだろう。


「内藤の家督は甚一郎、其の方に譲る故、後は好きにせい」


「はぁ、ではこのまま岡崎城へと出仕いたしますが、できれば伯父上も怪我が治り次第帰参していただきたいのですが?」


「もう十分だでよ。近くの村で寡婦でも娶って静かに暮らすわ」


「似合いませんよ」


「ぬかせ!」


そして伯父と甥は笑い合った。

正成は、戦と共に四五年を生きた伯父が、このまま引っ込むなどとは思っていなかった。

怪我さえ治せばどうせ体が疼くに違いない。

ならば今は、無理強いをせずに好きにさせておこう。


正成はそのように考えて、清長を残して岡崎城へと向かうのだが、しかし彼は知らない。

この翌年、本当に近くの村の寡婦と夫婦になり、子が産まれるという事を。


忠宗は何気に死の未来が否定された武将です。

また、弟の清丸康千代は作者の資料には幼名が記されてなかったので、それっぽい名前をつけさせていただきました、ご了承ください。

また、彦五郎の母親は、於大の妹とする説もありますが、この時点での彦五郎の年齢が12歳。現在18歳の於大の妹とするには無理があるので、拙作では姉としております。ご了承ください。

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[一言] 生きてたのか。生命力が強いな
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