表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第三章:安城包囲網【天文十三年(1544年)~天文十四年(1545年)】
66/209

上和田城防衛戦 弐

三人称視点です。


7/5追記。

ネタとして考えていたのに忘れていたものを後書きに追加しました。

更新30分後の追記。バタバタしてて申し訳ありません。


夜更けに新田しんでん達は上和田城付近に到着し、北西の竹林の中に姿を隠した。

とはいえ、二千名もの人間が完全に隠れる事ができるような場所ではない。

歩哨が近くに来れば、簡単に見つかってしまうだろう。

安楽あらくの情報によると、この辺りに歩哨は来ないという話だった。


それだけ松平勢は油断しているのだろうと新田は思った。

千名足らずの城兵が籠る城を八千人で包囲。しかも一部は既に城内へ入り込んでいるという。

この状況では油断しない方が難しいかもしれなかった。


歩哨はまばら。しかもこの雨だ。見つかる可能性は確かに低い。


伝え聞くだけでも上和田城の状況は相当厳しい。

ここに二千の援軍が現れたとして、果たしてどれだけの役割を担えるだろうか。


私語を禁止しながらも、兵らに休息を命じ、新田らも腰こそ降ろさないものの、緊張を解いていた時、城内の様子を探りに行っていた安楽が戻って来た。


「城内の兵は脱出の準備をしています。今から籠城に意識を切り替えるのは難しいでしょう」


「であろうな」


安楽の推測を新田も肯定した。


「ならばこちらもそのように動こう。複数の指揮系統を持つ軍勢が、それぞれ別の目的で動いては混乱するだけだ」


住吉すみよし親田ちかだも首肯する。


「解囲を試みる先発部隊は桜井城の城兵を中心に編成され、松平内膳正清定様が指揮を執られる模様。殿軍は松平安城次郎信孝様が率いる、姫城の部隊が任されるそうです」


「上和田の兵はどちらにも参加せぬのか?」


新田の言葉には侮蔑の感情が含まれていた。

居城を攻められている上和田の城兵が何故一番危険な役目を引き受けないのか、と内心で憤っていた。


「城兵には伝えられておりませんでしたが、城主、松平三左衛門忠倫様は亡くなられており、兵の士気は非常に低くなっております」


「なに!? 討死なされたのか!?」


「いいえ、松平勢が攻め寄せる直前に暗殺されたようです」


「なんと……!?」


驚きながらも、新田はどこか腑に落ちた感覚があった。

いかに大軍に囲まれたからと言って、信広が構築した防御陣地を備え、防御戦術を知る上和田城が一日二日で落ちるとは思っていなかった。

しかし現実には陥落寸前だ。

安祥織田不在では防衛戦が上手く行えなかったのか、松平勢が上手だったのか、と考えていたが。


「その死を隠したまま初日を戦いましたが、やはり城主不在では士気が上がらず。その夜に援軍に来た安城次郎様が代わりに防衛戦の指揮を執ったものの、陥落を防ぐ事叶わなかったようです」


さもありなん。むしろよく耐えたと言っていい。

脱走は勿論、叛乱が起きていてもおかしくない状況だ。


「なるほど。その状況でこれ以上負担を強いれば、上和田城内で暴動が起きるかもしれんな」


上和田城の城兵達も、既に城が落ちる事を理解しており、むしろ脱出の準備を命じられて安堵している様子だと言う。

これでは先行も殿軍も務まる訳がない。


「上和田城は落ちる。これは最早確定事項だ。であるならば、せめて城兵だけでも救わねば。藤五郎ふじごろう


「おう!」


新田の呼び掛けに住吉が応じた。


「五百を率いて矢作大橋へ向かえ。退路の確保。それと、火薬を仕掛けておけ。濡らすなよ?」


「いいんですかい?」


新田の指示は、大橋を爆破するためのものだったからだ。


「上和田は落ちる。だが、敵はここで食い止めねば。殿が負けるとは思えぬが、上和田がこの状況では上野城もどうなっているか怪しいものだ。姫城を抜かれて安祥城までなだれ込まれる訳にはいかぬ」


「わかった!」


力強く頷き、住吉は兵士の選別に入る。


弥次郎やじろうは百を率いて堤に向かえ」


「はい……!」


親田はその指示の意味するところを理解し、顔を強張らせる。


「合図があれば躊躇なく壊せ。上和田城を暫く使い物にならなくする」


「わかりました。父上はいかがなさるので?」


「解囲の手伝いをしなければならん。残りを率いて上和田城西側の包囲勢力へ攻撃を仕掛ける」


「危険では? 敵は多勢ですよ」


「八千全てがそこに居る訳ではない。単純に東西南北の四つに分かれているとして二千だ。向こうも攻城でその数を減らしているだろうから、実際にはもっと少ないだろう。数的には負けていない」


新田の言葉に親田は納得したのか、表情を緩めるが、住吉は無言で新田を見ていた。

八千人全てが西側に居る訳ではない。それは確かにその通りだ。

しかし、全方向に同じ密度で配置されている可能性も低い。

必ずその軍勢は偏っている。

そして、最も敵の配置が厚いのは、間違いなく西側だろうと住吉は勿論、新田もわかっていた。

城を脱出するなら、そのまま安祥織田家の勢力内へ逃げる事のできる西へと抜ける事は、誰もが予想できる事だからだ。


「安楽殿は再び城内へ入ってこちらの動きを伝えてもらえるか? 脱出の先発隊が出撃するのに合わせて、我らも攻撃を仕掛ける。その後は、拙者の号令に合わせて弥次郎の部隊に合図を送っていただきたい」


「わかりました」


頷き、闇へと消える安楽。それを見届けて、新田も戦闘準備を整えるため、兵らに向き直った。




雨が強くなり始めた深夜。上和田城の西門が突然内部から吹き飛ばされた。


「な、なんだ!?」


囲んでいた松平勢は突然の事態に混乱した。

明日はいよいよ決戦の時。備えてしっかり休んでおこうと、多くの兵が気を抜いていた事もあって、その混乱は瞬く間に西側の部隊に波及していく。

雨のせいで篝火も焚けず、雨雲に月や星を隠された真の闇の中で、彼らは状況を把握できないでいた。


次いで、城内から蛮声と共に兵士が飛び出して来る。

混乱の只中にある松平勢は短い時間ではあるが恐慌状態に陥った。

完全に動きが止まった兵士の中を、城兵が解囲を試み、突撃する。


安楽はその様子を見ながら、長い筒のような笛を取り出し、長く吹いた。


「合図だ! これより上和田城兵救出のため、包囲中の松平勢へ攻撃を仕掛ける! 桜井隊、全軍突撃!」


「「「おおおおおおおおお!!」」」


安祥城を出立した時から変わらず士気の高い織田兵は、新田の号令に絶叫で応えた。

暗闇に突如轟いたその声に、松平勢は恐怖した。


「何が起こっている!?」


西側の包囲を任されていた松平清善は、状況を理解するべく大声で叫んで周囲に問うた。


「城内の兵が脱出したんだろう。西から来たのは織田の援軍だな」


答えたのは松平忠定だった。北の包囲から西側へと加わっていた。


「弥次郎殿、織田は来ない筈では!?」


「不測の事態が起きるのが戦よ。我らは北の部隊へ援軍を求める。其の方も南の今川勢に援軍を求めよ。織田、上和田城兵を一網打尽にする」


「今川が、動いてくれるだろうか……」


「消耗を抑えたいと言っても、この機を逃す程愚かではあるまい」


「う、む。その通りですな……。ならばすぐに動きましょう。織田の数はわかりませんが、上和田の城兵は昨日加わった桜井、姫城の分を合わせても千程度の筈。この暗闇で散り散りになられたら探しようがない」


「松明に油は染み込ませてあるか?」


「少数ですが。短い時間なら保つ筈です」


徐々にではあるが、松平勢も混乱から抜け出し、統制の取れた動きをし始めるのだった。




「織田の援軍もあって、脱出は順調のようです」


城内にて、矢田助吉が安堵の表情を浮かべて松平信孝に話しかけていた。


「今は奇襲で混乱しているだけに過ぎぬ。すぐに統制を取り戻し、反撃を始めるだろう。さて、その時標的にされるのは脱出しようとする城兵か、援軍に来た織田か……」


これからの松平の目的を考えれば、安祥城攻略の障害になる織田勢を少しでも削るのが正しいように思える。


「しかし西側の大将は弥次郎忠定だったな。あれは敵を全て殲滅しないと気が済まない性格だ。良く言えば猛将だが……」


「上和田城兵と織田を両方叩こうとして欲をかくと?」


「結果どちらも取り逃がす、というのが印象だな」


忠定はもう六十を超える老齢だ。そうそう性格も変わらないだろうから、信孝の見立ては間違っていないと考えられた。


「南の鵜殿長持も動くまい。むしろこの機に、城内を掌握しようと動き出すかもしれぬ」


先代当主松平清康の死後、松平家は今川家に強い臣従を迫られていた。

その過程で、今川方の武将が松平家をどのように扱うかを信孝は熟知している。

中でも長持は、今川義元の妹を娶っている事もあって、尊大で自意識が強い。

勝ちの決まった戦で戦力を削られる事を良しとしないだろう。

雨中の野戦に出る事も嫌うかもしれない。


「となれば、我ら殿軍が懸念すべきは北の動きだな」


東側の部隊が負うには、上和田城が邪魔になる。西の突破に余程手間取らなければ追いつかれる事はないだろうと信孝は考えた。


「我らが北側へ出陣したならば作十郎も脱出せよ」


「かたじけのうございます」


そして信孝は姫城の兵を連れて北側へ向かい、助吉は最後の一人として、上和田城からの脱出を果たしたのだった。




「何が起こっている!?」


伝令の兵にたたき起こされ、松平忠次は不満も露に叫んだ。


「夜襲だら? どうも城兵が脱出しとるようだね」


弓矢を手にし、篝火の準備を指示していた内藤清長が答えた。


「城の西側に布陣されている、松平弥次郎忠定殿より援軍の要請が入っております。城の西門が突然破られ、城兵が突撃して来た模様。また、それに合わせて包囲の西側から織田の援軍と思われる軍勢から攻撃を受けていると……」


藤井松平家当主でもある、松平利長が部下から受けた報告を要約して忠次に伝えた。


「織田は来ないのではなかったのか!?」


「殿は来ないように状況を作っただけだら? 織田の若虎が上手だっただけだがね」


公然と広忠を批判する清長を忠次が睨みつける。清長は柳に風と受け流し、その場から離れようとした。


「弥次右衛門殿、どちらへいかれる?」


「この脱出が計画的なもんなら、西側だけで終わらんがね。東は遠い。南は動かん。となれば、殿軍は間違いなくこちらへ来るだら」


「西側への援軍は彦四郎殿、任せても良いか?」


「任せられよ。五百も連れて行けば十分だろう」


直後に、篝火目がけて城から矢が射かけられた。その殆どは兵の誰にも命中しなかったが、混乱を助長する役目は務めた。


「動きが早い。指揮官は信孝か……」


唇の端を吊り上げ、清長が弓を引き絞り、そして放つ。

遠く、城壁の近くの兵に命中し、これを倒した。


「むしろここは内藤隊だけで十分だら? 五郎左衛門殿も西へ行きん」


「いや、しかし……」


「儂らの目標は上和田城でのうて安城城だら? だったら殿軍に足止めされる訳にはいかんがね」


清長にそのように言われて、忠次も納得したようだった。

殿軍は清長に任せて、自分達は上和田城兵や援軍の織田を攻撃するべきだと理解する。


しかしその動きは、少々遅かったように思われた。




「敵の勢いが強い……!」


織田勢と上和田城兵は合流こそ果たしたが、西側の松平勢に囲まれてしまい、大橋の方へ逃れる事が難しくなっていた。

城兵を含めて、自分達が逃げるには矢作川を越えて西へと向かうのが一番だ。しかしそのためには大橋を渡らなくてはならない。

渡河のための他の準備などしていないし、雨で増水した矢作川を、敵に追われた状態で夜に渡るなど、それは自殺に等しい行為だ。


「先発隊の勢いも止まってしまったな。どうされるつもりだ?」


思わず弱音を吐いた新田に尋ねたのは、先発隊を率いていた桜井城城主、松平清定だ。

口調はともかく、詰問するような様子は無く、純粋にこれからの計画を尋ねているだけのようだった。


「包囲を抜ければ矢作大橋までは敵はおりませぬ。大橋に辿りつけば、我が方の西尾隊が退路を確保しております」


「問題はそこまで、という訳か……」


「我ら織田勢の背後までは敵もまだ包囲しておりません。故に、我らがここに留まり()となりましょう」


「よいのか?」


新田の言葉は、自分達が犠牲となる事を示唆していたため、清定は眉を顰めた。

そもそも織田にはそこまでする必要がない。

大橋を落として川の西側を固めていればそれで済む話なのだ。

新田らが派遣された時点では上和田城の防衛が目的だったかもしれないが、落城が決定した以上、矢作川の東側で粘る必要はないのだから。


「ええ。我らの役目は上和田城の救援。城が救えないなら、せめて城兵だけでも救わせていただく」


それはまさに、忠義の臣と言うべき言葉だったが、同時に清定は、新田を不器用な男だと思った。

ここで上和田城の城兵を見捨てたところで誰も責めはしない。

むしろ、織田勢二千を無傷で残した方が、今後の展開は有利に運べるだろう。


「かたじけない」


そう一言だけ言い残し、清定は自分の部隊へと戻って行った。


すぐに新田の部隊がその場に留まり、上和田城兵を西へと逃がし始める。

当然、松平勢がこれを追おうとするが、新田の部隊に阻まれてしまう。

丸ごと包囲するべく、松平勢が新田隊の後方へ回り込もうとするが、新田はこれを予測していたため、すぐに部隊を動かして阻止した。


勿論、これは新田隊にとって相当無茶な動きだ。

ただでさえ新田隊の数は松平勢より少ない。そのため彼らは、その場に留まるのではなく、動き続ける事によって、常に少数の敵と槍を交えるように戦っていた。

暗闇や雨も、この動きを助ける一因になっていた。

しかし今は、上和田城兵を逃がすために、新田隊は動きを制限されている。

少数で、圧倒的多数の敵相手に、足を止めて殴り合っているのだ。

被害が大きくならない訳がなかった。


玄蕃げんば様! 上和田城兵の最後の一団が我々の先頭を通過しました!」


「よし! 頃合いだ! 合図を送れ!」


「はっ!」


そしてこれまで、必至に濡らさないようにしていた人の頭くらいの玉を取り出す。玉から飛び出ている紐に火を点け、兵は全力で空へと投げた。

空で爆発する玉。


焙烙玉か!? と松平勢が身構えるが、しかし、派手な光と音以外は特に何も無かった。


「こけおどしか! 最早奴らに対抗する手段は残っていない! 一気呵成に……」


忠定が命令を出そうとした時、遠くから地鳴りのようなものが聞こえて来た。


「急げ! 巻き込まれるぞ(・・・・・・・)!」


そして忠定の目の前で、織田勢が一目散に逃げ始める。

槍も弓も捨てて全力で逃げ始めるその潔さに、一瞬松平勢は呆けたようにその光景を見守ってしまった。


「何をしておるか! 追撃! 追撃せよ!」


すぐに我に返った忠定が怒号を轟かせると、松平勢が背を向けた織田軍に襲い掛かる。

いくら遮二無二逃げようとしていると言っても、それは秩序だった撤退とはほど遠い。

すぐに追いつかれ、次々に兵が討たれていく。


「貴様が織田の大将か!」


そして、自身は逃げながらも、兵の撤退を助けるために殿軍を務めていた新田に、松平清善が攻めかかる。


「我は竹谷松平四代当主松平玄蕃允清善! 三河松平繁栄の礎となれ!」


「ぐっ!」


繰り出された槍が、新田の胸を貫く。


「よし! 敵の大将を討ち取ったぞ! これで今川の支配から脱し、竹谷松平が新たな三河松平の……」


栄光の未来を夢想した清善だったが、引き抜こうとした槍が動かない事に気付いて口を噤んだ。

深々と突き刺さった槍を、新田が握り締めていたのだ。


「竹谷松平は報奨を貰えるかもしれぬが、うぬはここで死ぬのだ、玄蕃允清善……!」


口を開く度に血が溢れる。槍が、臓腑を傷つけた証拠だった。

この時代に内臓を損傷しては、まず助からない。


「死にぞこないが! 部下は逃げた! うぬは致命傷! 一体どこの誰がこの状況で儂を殺すと言うのだ!?」


「儂の息子だよ!」


遂に響いていた地鳴りはお互いの声を掻き消す程になり、次いで悲鳴が聞こえ、その悲鳴もすぐに轟音に飲み込まれた。


「なにが……!?」


疑問の答えを知る前に、清善は黒い何かに飲み込まれた。

黒く、冷たく、形の無い何か。

しかしそれは、圧倒的な勢いでもって、その場にある全てのものを、薙ぎ倒していった。




「これは、凄いな……」


同じころ、上和田城北側。

目の前の状況に、信孝は言葉を失っていた。

彼の目の前には、荒れ狂う濁流が広がっていた。

突然響いた轟音と地鳴り。安楽と名乗った織田の女忍が避難を促さなかったら、信孝達もこれに飲み込まれていただろう。

矢作川を挟むように築かれた、東西の堤。

その一部を破壊する事によって、城の周囲に矢作川の水を呼び込み、即席の堀を造り出す。

田植えの時期には一部を放流して水田を作り、夏に干上がるようなら同じく水を呼び込む。


城を包囲するように布陣していた松平勢はその殆どが飲み込まれた。

無事なのは城内に侵入していた一部と、撤退までに猶予のある南側の部隊くらいだろう。

本来なら西側と南側には膝丈程度の水しか引き込めない筈だったが、雨で増水した矢作川は上和田城の周囲全てを飲み込んだ。

それでも尚足りなかったのか、城の一部にまで浸水し、施設を破壊した程である。


新田の言葉通り、上和田城は暫く使い物にならないだろう。


「既に西側は水が引きつつあります。そちらから脱出しましょう」


「う、うむ」


安楽に促され、信孝が歩き出す。


「殿! 危ない!」


その時、一人の武士が信孝を突き飛ばした。


「なにを……」


するのか、と怒鳴る前に、信孝は目の前の光景に絶句した。

自分を突き飛ばした兵の喉元に矢が突き刺さっていたからだ。


思わず、矢が飛来したと思われる方向を見る。

そこに、居た。


土俵に弓を突き立て、濁流の流れに逆らいながら、矢を番える清長が、そこには居た。


「あ、あれを殺せ!」


それを見た瞬間、信孝の背を怖気が走った。周囲の兵に命じる。

あれはここで殺さなければならない。あれは、生かしていてはいけないものだ。


直感的にそのように感じた信孝は、動きの遅い部下に痺れを切らし、自ら弓を持ち、矢を放った。


しかし、濁流から腕と顔だけ出しているような状態の清長は的が小さく、動揺している信孝では当てられなかった。

雨の夜で視界が悪いせいもあっただろう。


その間に清長が再び矢を放ち、別の武士を討つ。


だがそこまでだった。

水の流れにその体積を削られ続けた土俵が、遂に形を崩した事で、清長自身も水中に沈んだ。

その光景を見て、ほっと信孝が安堵の溜息を吐く。


自ら殺す事は叶わなかったが、この濁流に飲まれては助からないだろう。

自分の懸念は杞憂に終わったのだ。


「が……!?」


次の瞬間、信孝の喉を熱さを伴った痛みが走った。

見ると、自分の喉に矢が突き刺さっている。


「か、は……」


そのまま信孝は力なく崩れ落ち、濁流の中へと消えて行った。


「まさか、水の中から……?」


兵の一人が戦慄と共に呟いた。

周囲を見回しても、矢を放ったと思われる相手が見当たらない。

信孝に刺さった矢は、下から上へと放たれていた。

その角度で矢を当てるには、水の中から撃つしかない。


濁流に飲まれて尚矢を放つ事も恐ろしかったが、それを当てた事が兵らを震撼させた。

例えそれが偶然だったとしても、その偶然を引き起こしたという事実が恐ろしかった。

しかも相手は水中に没している。つまりは、ほぼ死人だ。


「た、祟りだ!」


「内藤清長の怨念が与十郎様を殺したんだ!」


そして兵らは我先にと逃げ始める。

自分達を案内していた女忍が既にいなくなっている事は、誰も気に留めなかった。




「橋を落とせ」


矢作大橋の上に布陣した西尾住吉とその兵士達。

彼らの元へ姫城の城兵が辿り着いたと同時に、住吉は部下にそう命じた。


「まだ父上が来ておりませぬ!」


堤を壊した後、素早く住吉達に合流した親田が異議を唱えた。


「上和田城脱出の殿軍を任されていた姫城の兵が既にここに来た。ならばもう……」


「兵らは父上の最期を見ておらぬと言います! ならば、まだ……」


「だめだ! これ以上は鵜殿勢に追いつかれる! そうなれば矢作の西側が戦場になる! 安城が荒れる!」


「…………!」


住吉に諭され、親田は無言のまま俯いてしまった。

彼も本当はわかっている。

新田の生死が、ではない。

父の帰還を信じて待つ事が、どれだけ安祥織田家を危険に晒す事になるかを。


「橋を落とせ!」


再びの住吉の命令に、待機していた兵達が、仕掛けた火薬に向かって火矢を放つ。

そして火矢が命中した火薬が爆発し、矢作大橋の一部を吹き飛ばす。


自分達で作ったものを破壊しなければならないのは、惜しくもあったが仕方ない。

矢作大橋は東岸から十間(約20メートル)の位置、三間(約5メートル)程の距離が吹き飛ばされ、燃えて落ちた。


「戻るぞ」


東岸には追いついた鵜殿、松平勢が到着していたが、長持は追撃を諦めた。


「渡河の用意はありますが?」


「増水した矢作川を渡る危険は犯せぬ。最後の水流でこちらの兵も大分食われてしまったしな」


対岸にて待ち構える、意気軒昂した手負いの敵を相手にするには、損害が大き過ぎた。


「上和田城もほぼ使い物にならん。駿河に書状を送り、今後の方針を相談せねば」


自らの居城である上ノ郷城を長く空けておくわけにもいかない。

なにせこれから三河、特に矢作川の東側は荒れる。


「岡崎松平に代わる、三河の統治者を担がねばならんからな」


こうして後に、第二次安城合戦、あるいは、矢作・緒川の戦いと呼ばれる戦いは幕を閉じた。

結果を見れば、自領を守り切った安祥織田の勝利のように思えるが、彼らが受けた被害も決して小さくはない。


長持の予想通りに、これから三河は荒れる事になるだろう。


くぅ、つか(略)

これにて安祥包囲網と一連の戦は一先ず終了です。

なんで長くなりそうだったから二つに分けた筈の後半が、前半より期間も量も長くなるんでしょうね。

次回は暫くリザルト回。三人称視点の予定でしたが、感想などで信広視点を望む声がいくつかありましたので、信広の話を先にやりたいと思います。


7/5追記

某野望風に死去したオリジナルキャラを紹介する予定。

こういうのをあまり好まない人は申し訳ありません。

創造PK準拠です。




桜井さくらい 新田しんでん

永正7年生~天文14年没(1510~1545)

通称:玄蕃 孫太郎

織田信広家臣。安祥織田家の軍務を司り、多くの戦で信広の代わりに総大将を任される。

安城包囲網の際、上和田城の救援に赴き討死。


統率67

武勇63

知略58

政治53

戦法:臨戦

特性:統率型

士道:義 主義:中道 必要忠誠3 格付けB

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
信考に新田、お疲れ様でした!悲しい・・
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ