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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第三章:安城包囲網【天文十三年(1544年)~天文十四年(1545年)】
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寺社対策 弐


「綿花……ですか。これが。話には聞いていましたが、見るのは初めてですな」


そう言う空誓の声は震えている。


「ええ。古い文献から、およそ700年前に日ノ本に伝わり、その後、三河で栽培されていたという情報は得たのですが、隠されていたようで、まるで行方がわかりませんでした」


「そ、そうですか……」


「しかしつい最近見つけ出したのですよ」


「な、馬鹿な! あの畑は……!」


「碧海郡の南で少数ですが自生しておりまして……。うん? 畑?」


「い、いや、なんでも……」


ははぁ、やはり一向宗が隠していたか。

三河で生産されている三河木綿。京や奈良に送らているのはわかっていても、どこで栽培されて、どこで製造されているのかはわからなかった。

けど、秘匿されているという状況から鑑みるに、宗教勢力が関わっているだろうと思っていたけど、その通りだったようだな。


武家ならこちらに寝返った元三河武士から何か聞ける筈だし、商人であれば大量生産して儲けを拡大させる筈だ。

隠して少量を生産など、金銭を目的としていない者しかしない事だ。


じゃあ宗教勢力のどこか。

権威を重んじる真言宗なら、生産量を絞っても、隠す事はしない。

天台宗なら商人と同じく金になる限り増産するだろう。

時宗にそんな余裕は無いし、日蓮宗も隠さない筈だ。


曹洞宗や臨済宗なら武士に対して隠し事はしない。俺達が安祥城を支配した段階でこちらに献上しただろう。


だから消去法で浄土宗か一向宗。

まぁ浄土宗なら真言宗と同じく、隠すよりは大っぴらに喧伝して、信者獲得に利用するだろうから、一向宗が一番怪しかったのは確かだ。


そして一向宗はこれら宗派の中でも、各地の勢力が独立性を持っている宗派だ。

信長が宗教を弾圧、というと語弊があるな。ともかく、宗教勢力と対立した際、天台宗の中にも信長に敵対しない組織があったし、真言宗だって日和見する宗派、寺は多くいた。

その中で一向宗は、一向宗を攻撃する一向宗まで現れた。


一枚岩じゃないにもほどがある。


恐らく、本證寺は綿花の栽培、木綿の製造を上役である石山本願寺に隠している。

三河での独立性を保つため、独自の収入と、朝廷との繋がりを持つためだ。


だったらそこには介入しない。

俺達は独自の点からお前達に利益を提供しよう。


「これを、三河一向宗の各寺で栽培して欲しいのです」


「ほう……何故? 津島や熱田の港を持つ弾正忠家を本家とする、貴方がたが栽培すれば良いのでは?」


「勿論、こちらでも栽培します。しかし、我々には余裕がありません」


「余裕が……?」


「ええ。田畑の再開発、新田の開墾、新たな農業技術、農耕具の導入で確かに収穫量は上がりました。けれど、まだ民が自分達で食べていくだけで精いっぱい。今、食べる事の出来ない作物を育てる余裕はないのですよ」


「成る程、それで」


「ええ。これまで守護使不入権を理由に再開発を拒んで来たのは知っています。ですが、この綿花を育てるために、一向宗の土地をお貸しいただけませんか?」


守護使不入権はその名前の通り、幕府や守護が、犯罪者の捜査や徴税のために、立ち入る事を禁じる事ができる権利の事だ。

外国の大使館に対する治外法権のようなものだ。

検地なども当然行えないし、勝手に土地を開発する事もできない。


基本的には幕府が与えるものだけど、その権威が失墜してからはその地方の守護、守護代。国人までもが与えるようになった。

ちなみに理由としては寺社勢力のご機嫌取りだ。

しかし逆に、この守護使不入権を剥奪する事で、両国支配を堅固なものとする者も居た。

近いところだと今川氏親。未来の話だと家康や信長。


今川は上手く寺社勢力からこの権利を剥奪できたけど、家康や信長は失敗したので宗教一揆へと発展してしまったんだ。


なので俺は温和路線でいく。

強引に進めると一揆が起こりかねないし、何より俺の立場が色々まずい事になる。

俺が弾正忠家の当主なら、一向宗滅すべし、と全面戦争する事も吝かではないんだけど、流石に家臣格の一門が勝手に寺社勢力と喧嘩する訳にはいかない。


へたすりゃ尾張にまで飛び火するからな。


「この綿花は花が咲いてから暫くすると、実がつき、これが弾けて白い毛に覆われた種子が姿を現します。これが綿であり、これを加工して作られるのが木綿布ですね」


「そ、そうですな」


「しかし我々は、この種子をそのまま使う方法を考えました」


「そのまま?」


「はい。勿論ある程度加工はしますが、この種子を木綿布や絹を合わせたものに詰める事で、寒さを防ぐ衣料となるのです」


「ほう……」


よし、食いついた。


「冬の寒さに死ぬ民は相変わらず多い。特に寝ている間にそのまま息を引き取る事が多いですが、これを用いて寝具を作れば、冬の寒さに怯える事無く安心して眠る事ができます」


「成る程。民を安んじる安祥織田らしい考えですな」


「これを三河一向宗で栽培していると知れれば、人々は感謝し、益々信心深くなる事でしょう。御仏への祈りは平穏の証。矢作川西岸のみではありますが、この地が安らぐ事は我々にとっても喜ばしい事です」


「ふむ……」


口元に手を当てて考えるふりをしているが、空誓の口元がにやけているのは隠しきれていない。

少し考えればわかるんだ。この計画がどれだけ一向宗に利をもたらすかが。


「しかし、効果の程がわからぬでは、すぐには頷けませぬ。不入権を行使しないという事は、民の安住の地である寺を危険に晒す事にもなりますからな」


その民の安住の地が一揆においては民を死地に送り出すくせによく言うよ。

ついでに信長との抗争が長引くと、ウリの一つだった低い税率も徐々に上がって、最終的には織田家の税率を大きく超えたって言うからな。


「ではこうしましょう。一向宗の地で作られた綿花は全てこちらで買い取ります。我々はこれを加工し、衣服や寝具として販売します。更にそれで得た利益の一部を、本證寺に寄進させていただくというのはどうでしょう?」


だから当然対策はある。

渋る一向宗でも、デメリットがほぼ無いとなれば乗って来るだろう。

だって今はまだ、織田家と一向宗は敵対してないからね。

むしろ、親爺が朝廷に献金したのと同じように、石山本願寺にも寄進を行っているんだ。

神官の家系なので寺社勢力を蔑ろにするような真似はしませんよ、というわかりやすいアピールだよな。


「それに、一向宗には他の宗派のような厳しい戒律は無いと聞きますが、それでもやはりお釈迦様の教えを蔑ろにしている訳ではないでしょう?」


「え、ええ、勿論」


「仏教では自らが食べるために畑を耕すのも禁止されていた筈。勿論、寺社やそこに保管されている、仏像、経典。何より、民の心の拠り所を守るために、寺領を持つのは当然の事と思います。そしてその中で田畑を耕し、作物を作る事も。しかし仕方がない事とは言え、やはりお釈迦様の教えに背いているのは確か。しかしこの綿花ならば、そうした教えに背く事無く、民を養う事ができます」


仏教徒は菜食主義じゃない。

正確には、どっちも食べてはいけないんだ。

仏教徒が口にして良いのは基本的に托鉢などで得た『施し』のみ。

そしてその『施し』も、あからさまに自分のために調理されたものは、魚肉は勿論、野菜でさえ口にしてはいけないとされている。


だけど空誓に言った通り、綿花なら大丈夫。

食うためのものじゃないから栽培可能。その上で、金銭を得る事ができるから、得られる利益としては米と変わらない。

むしろ、今の痩せて碌に整備もされていない田畑で獲れる作物よりは、よっぽど収入になるだろう。


「その綿花は、どの程度自生していたのですか?」


「私も部下から報告を受けただけですので詳しい数や広さまではわかりませんが、百はあったそうです」


これは本当。だって綿花なんて見た事無いから、確認に行ってもわからないもの。

確認にはわかる奴に行って貰った。


安祥城に入ってから俺の家臣になった元僧の安城あんじょう的栄てきえいって奴が居て、こいつが知ってたんだ。

明眼寺出身の僧だと言う話だけど、実に怪しい。まあその知識は広く、時に深いから重宝している。

寺出身らしく寺社勢力に顔が効くのは確かだ。明眼寺は一向宗の寺なんだけど、他の宗派の寺にまでツテがあるのは何故なんだろうな。


「わかりました。民だけでなく、我々への配慮もなされたこの提案、お断りする理由がございません」


そう言って空誓が頭を下げる。

利益を優先する一向宗なら乗って来る事はわかっていた。

しかも「うちそういう戒律じゃないから」と半ば強引に行っていた稲作以外で大きな収入を得る事ができるんだ。

年を経るごとに、間違いなく一向宗の寺領では、稲と綿花の割合が徐々に逆転していくだろうな。


得られる収入は同じ。尊敬や信仰を得られ、戒律を破る訳でもないとなれば、尚更だ。

しかしいつ気付くかな。


銭と引き換えに軍事物資になり得る米を手放している事に。


勿論金はあるから周辺から買い集めればいい。

けどその周辺ってどこだ?

そう、安祥織田家ウチだ。


寺領をそのままにしておくのと比べて、寺社勢力が得る利益は同じ。

けど、うちにも利益が入るようになるので、放置よりは何倍も良い結果を生んでいる。


しかも一向宗が敵に回った際、米を作っていたのでは、それを止められた時にウチにもダメージが来る。

けど、綿花に切り替わっていれば、それほど痛くない。おまけに、相手は兵糧を得るために溜め込んだ銭を吐き出してくれるんだ。


「お受けいただきありがとうございます。早速城に戻り、作事衆を派遣させていただきたいのですが、どの辺りを開発いたしましょうか?」


「我々では綿花の栽培に適した場所がわかりませんので、そちらにお任せいたしますよ」


しゃあしゃあとのたまう空誓。


「では後ほどそちらの担当者と話し合う形がよろしいでしょうか? 間違えて稲作用の田畑を潰してしまうと問題ですからね」


「ははは、それは勘弁願いたいですな」


空々しい笑い声が室内に響く。

ともかく、寺社対策、政教分離のための第一歩は踏み出す事ができた。

信長が政教分離に乗り出すまで時間はまだある。ゆっくりやっていこう。


綿花については諸説あり、この時代に三河木綿が製造されていたのは確かですが、どこで、どれだけ、どのようにして、製造されていたかは諸説ある上、詳しい資料が(作者の下には)ありませんでしたので、今回のようにさせていただきました。

次回も寺社対策の話です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 寺領への綿花の導入、どこかで既視感あるなと思ったら、欧州諸国の植民地で横行したプランテーションやんけ たぶん隠れてある程度の田畑は残すだろうとはいえ、見える部分の作物を全部綿花に変えたら、兵…
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