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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第二章:安城発展記【天文九年(1540年)~天文十三年(1544年)】
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ある侍たちの戦い

三人称視点です。


大久保忠俊は憤っていた。

広忠の成長ぶりは素直に嬉しい。

このままならきっと稀代の名将になるに違いない。

そのように考え、浮かれていた自分に腹が立つ。


織田信広は恐ろしい男だ。

決して忘れていた訳ではないが、広忠の頼もしさにばかり目が行き、都合の良い事しか考えていなかった。

それは確かに広忠も同じだ。

しかし、そのような時に諫めるのが忠俊達重臣の仕事だ。


頭にちらつくのは寝返った松平信孝達。

彼らを許す事はできないが、それでも、彼らの担っていた役目は非常に大きかったと嘆かざるを得ない。


阿部定吉は確かに広忠の波乱万丈だった幼少時代を支えた忠臣だ。

しかし彼は、広忠の耳に心地の良い事しか言わない。

何がなんでも肯定する訳ではない。広忠が無謀な事を口にすれば、それを実現可能な範囲に、実現可能だと思わせる範囲に調整する能力を持っている。

若くして息子を失い、その影を広忠に見ているのかもしれない。

だから、本来は厳しく接するべき息子のような相手に対し、甘い態度しか取れないのだろう。


「二度も息子を亡くしたくないのはわかるがな……!」


しかしこのままではその未来が訪れかねない。


「殿、少し速度を落として下さい。落後兵が一割を超えました……!」


忠俊の家臣が、馬で駆ける彼の横につけ、注進した。


「今ならまだ殿軍部隊と合流できるかもしれん! 勝てるとは思わぬ。だが、信広めに一撃食らわせてやらねばこの腹は収まらぬ!」


何より、自分が許せなかった。

このような状況に追い込まれるまで、楽観視していた自分に腹が立っていた。


「流石に距離が離れ過ぎています。陣地も何もない野戦で、十倍の敵と戦えば、一刻も保ちませんよ!」


「それでも、行かねばならぬ!」


このような状況で殿軍を任せられるとなれば、家中でもかなりの重臣だろう。

石川か本多か。

定吉は、無いだろうな。


これからの松平家にはなくてはならない重臣達だ。

一人でも多く救わなければならない。


「殿のお気持ち、この八郎五郎も理解いたしております。しかし、ならばこそ、生死が定かではない者達よりも、確かに生きておられる殿が確実に生き残らねば!」


「其の方……!」


馬を止め、家臣を睨みつける。

家臣も、目を逸らす事無く忠俊を見返して来た。


「くはは! 其方の負けだ、五郎右衛門!」


声が割り込んで来た。


目つきの鋭い、いかにも猛将然とした武将、長坂信政だった。


「彦五郎殿……」


「儂のような槍を振り回すしか能の無い武士と違い、其方のような知勇兼備の者は簡単に死んではならぬ」


「しかし……!」


「小僧、名は?」


「は! 杉浦政次が長男、杉浦八郎五郎吉貞と申します!」


「五百を預ける。大久保五郎右衛門と共に山中を駆け、岡崎城へ帰城せよ」


「彦五郎殿!?」


「うるさい、五郎右衛門。あまり聞き分けがないようだと、『荷物』として届けさせるぞ」


「むぅ……」


「どのみち多少急いだところで状況は変わらぬ。殿軍の救出なら儂らに任せて貰おう」


頭に上っていた血が退いて、冷えていくと、忠俊は信政に反論できない事を理解した。


「我らが殿を任せる、五郎右衛門。何年かかっても良い。必ずや、松平家の三河再支配を成し遂げるのだ」


「その時に朱槍の持ち手が居なくては締まらぬ。其方も必ず岡崎城へ戻れよ」


「くはは! 案外街道を南下する儂らの方が先に着くかもしれぬな。其方も山賊などに首を獲られぬようにな! なにせ、武辺者は皆こちらが連れて行くゆえ」


「すまぬ!」


そして大久保忠俊は、杉浦吉貞以下、五百名を連れて、三河高地へと逃れる。


長坂信政は遅れていた部隊の合流を待って南下を再開しようとしていた。


「殿、これ以上は集まらぬかと……」


忠俊と別れて半刻程が経ち、それから更に半刻は兵士が一切戻って来なかった。


「これほど奥に追撃があったとは考えられぬ。逃げたのだろうな。まぁ良い。右近、数は?」


「は! 先程確認させましたところ、三百二十八人です。馬は十八!」


「くはは、随分もっていかれたじゃねぇか。兵も三割が喪失か。一度も戦ってないのにな!」


「それは……」


「御注進! これより南に六町の距離、矢作川にて織田軍を確認!」


「待ち伏せか!」


物見の報告に信政の唇が思わず歪んだ。

戦わずして負けた自分達に更なる追い討ち。


「容赦がないな、安城の奴らは」


「酒井忠尚殿の旗が見えますので、恐らく上野城から出陣した部隊ではないかと……」


「成る程。西広瀬城への援軍と両天秤だった訳か。これは勝てぬ筈だ」


想定も準備も、何もかもが松平家の上を行っている。


「一体何手先を読むのだろうな」


未だ一度も槍を交えていない信広を相手取り、碁を打ったなら、果たしてどのような手を打ってくるのか。

絶対に訪れない未来を夢想し、信政は笑った。



「来ました! 松平勢先鋒です。数は四百程にまで減っております」


「逃げたか、それとも、別の道から岡崎へ向かったか……」


物見からの報告に酒井忠尚が呟く。


「どちらにせよ、殿にとっての脅威はその部隊だけのようですな。こちらは将監殿の兵と併せて八百。まぁ、なんとかなるでしょう」


隣に立つ桜井さくらい新田しんでんが言った。

彼らは矢作川の中で、筏を並べて作った橋の上に布陣していた。

この筏の橋は西岸から続いているが、東岸には届いていない。

敵を一方的に遠距離射撃で攻撃するためだ。馬も用意してあるので、素通りするようなら追撃できるようにもしてある。


「一部敵騎馬隊、二十程が先行しております。こちらへ向かって来る模様」


「よし、射程距離に入り次第矢を射かけよ。少数で単独行動する騎馬など大した脅威ではない」


忠尚の言葉に弓隊が矢を番えた。


「なっ……!?」


だが、次に見た光景に忠尚は言葉を失う。


「赤い槍……!? まさか血鑓九郎か……!」


部隊に先行する騎馬隊。その先頭を行くのは朱槍を持った長坂信政だった。

合戦の度にその槍を血で染める事から、当時の主君、松平清康から血鑓九郎と呼ばれ、剛の者の証、皆朱槍を持つことを許された、松平家屈指の、否、随一の猛将。


「弓隊! 奴に射撃を集中せよ! 奴だけは必ず殺せ!」


「血鑓九郎の名は我々も聞き及んでいますが、それほどの相手なのですか?」


「奴一人で百人を殺しかねません!」


「成る程。織田勢、我らも射撃を集中させよ!」


例え話半分だったとしても、その存在は脅威だ。

川にその身を投じ、自分達に向けて突撃して来る騎馬隊に向けて矢が放たれる。


「な、何故だ!? 何故当たらぬ!!?」


矢は騎馬隊に次々と命中し、川中に没していくが、信政には矢が当たらず、どんどん筏へ近付いて来る。


「ぐっ!」


遂に信政だけになり、矢が命中し始めた。

しかし、信政はそれでも構わず進んで来る。


「何故、何故まだ進める!? 何故まだ死なぬ!?」


「其の方にはわからんだろう! 忠尚! 主君を裏切り、簡単に寝返る其の方には……! 武士のなんたるかは、わからぬであろう!」


「治めるべき民を戦に駆り立てて、何が武士か!」


「それを考えるのは殿のお役目! 我ら武士は主君のために命を捨てる事こそ本望!」


「…………!!」


遂に筏の手前まで辿り着き、信政は裏切り者にその赤い槍を突き立てんと振りかぶる。


「ぐ……!?」


振りかぶったところで、その喉に一本の矢が突き刺さった。


信政の気迫に動けなくなっていた忠尚が思わず振り返ると、矢を放った体勢で残心している新田が居た。


「そのような古い考えだから、其の方らは負けるのだ」


「おの……れ……」


信政はそのまま崩れ落ち、槍は投げられる事無く、川へと沈んでいく。


あれ(・・)は少々追撃するのは難しいな。おい、五郎三郎様に歩兵隊三百が向かっている事を伝えて来い」


「はは!」


川の向こうでは、騎馬隊を囮にした、歩兵隊が街道を南下している最中だった。

数的優位はあるが、手負いの敵に覚悟を決められたら、想定以上の損害を受けるかもしれない。


新田は小物に信広達への伝令を命じた。


「さて、将監殿。我らは遺体の収容をしましょう。皆朱の槍を持っている重臣を討ち取ったとなれば、日和見を決め込む三河の諸将も安祥織田家になびくかもしれませんからな」


「う、うむ……」


こうして天文13年秋に起きた、仁木殲滅戦は幕を閉じたのだった。


生涯で93もの首級を上げた、血鑓九郎こと長坂信政、史実より約十年早く退場です。

同時に、三方ヶ原で家康の身代わりになったとされる武士も一人、退場しました。

杉浦吉貞は生誕年不詳。どこかの城主、という訳でもないようなので、大久保忠俊の家臣に設定させていただきました。きっとその繋がりで蟹江城攻略戦に同行したのでしょう。史実では。

次回はリザルトか輿入れか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 楽しく読ませていただいております。 歴史小説はすぐギブアップしてしまうことが多いのですが、この作品は、大変面白く、ここまで読み進めることができました。 [気になる点] 歴史小説は、登場人物…
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