姫城陥落
三人称視点です。
「これは勝てんでや……」
丘の上に布陣した織田軍。恐らく下り坂の勢いを受けて突撃してくるだろうから、そこへ弓を射かけてやろうと考えていた。
多少でも混乱すれば儲けもの。足止め程度の効果しかないだろう事はわかっていた。
その間にこちらから突撃を仕掛けるつもりだったのだが、初手で全てが覆された。
織田勢の陣から放たれた陶器の玉。
矢作の戦いで焙烙玉を多く用いていたという情報は得ていたので、あれもそうだろうと考えた。
矢盾を掲げて身を守るよう命令したが、その衝撃は計り知れなかった。
空中で爆発した陶器玉は先端を尖らせた木片や石を撒き散らした。
範囲が広く、矢盾で守り切れない兵が出た。
矢盾も粉砕され、多くの兵が犠牲になった。
「兵を落ち着かせりん! 二発目に備えるがや!」
「殿! 丘を織田軍が下って来ます!」
「弓隊……」
「先程の爆発で混乱し、隊列崩れております!」
「構わんでや! 一発でも多く撃ち込むだら!!」
しかし混乱した状況では命令が上手く伝わらない。
弓を放てる者も少なく、散発的な射撃では効果は上がらなかった。
そして二発目の焙烙玉が炸裂。
内藤勢は最早軍隊としての体を成さず、壊乱した。
「一旦城に入る! 物資を持ってからめ手から脱出しりん! そのまま矢作川を渡って上和田へ逃れる!」
撤退命令はよく通る。兵らは我先にと逃げ始める。
矢作川での織田軍の行いを知っている領民兵は姫城ではなく散り散りに逃げる者も出た。
姫城に入り城門を閉めさせると、すぐに物資の運び出しを命じ、長清は物見櫓に愛用の大弓を持って登る。
「せめて一矢報いさせて貰うでや」
もしもこの一撃で信広を討てたなら、自分は間違いなく助からない。
このまま逃げれば織田軍はそれほど執拗に追って来ないだろう。しかし、総大将が討たれたとなれば、報復のために地の果てまで追って来る筈だ。
早馬に追い抜かれれば、上和田に情報が飛ぶかもしれない。
そうすると、今逃げ出そうとしている兵らはかの地で屍を晒す事になるだろう。
ここはおとなしく逃げるのが正解だ。
「それは三河武士とは言えんでや」
自分の身長より巨大な大弓。並の人間では弦を引く事すらままならない程の強弓だ。
飛距離はおよそ二百メートル。致命傷を与えるなら百メートル程。
十分だ。信広の居る丘の上は既に射程距離。
「八幡菩薩には祈らん。鎮西八郎の加護が欲しい!」
そして強弓を引き絞る。
丘の上には数人の騎武者が残っていた。
その中に居て、人際目立つ大男。兜も鎧も地味な色で華美な装飾は施されていない。
「戦に使う道具なら、見た目よりも性能を重視するのは当たり前だで」
自分と同じ気質かもしれない。そう考えると、清長はその大男に僅かに共感を覚えた。
しかしあれこそが清長がこれから狙う敵の総大将、織田信広である。
六尺を超える長身に質素な鎧兜。
清長が得ていた情報と同じだ。ならば容赦はしない。
若干、弓を上に向けて矢を放つ。
空を切り裂き飛んだ矢は、放物線を描いて騎武者の一団へと突き進む。
「ちっ!」
矢が命中した。しかし清長は舌打ち一つ。
胸を狙ったのだが、矢は僅かに左に逸れた。肩の上辺りに突き刺さったようだ。
「なにっ!?」
しかし次の瞬間、清長は自分が目にした光景に驚愕する。
矢が刺さり、グラリ、と傾いたかと思うと、信広は流れるような動きで担いでいた長弓を抜き、矢を番え、引き絞り、そして清長へと射返してきたのだ。
何という胆力。何という判断力。何という速さ。そして……。
「ぐぅ……」
何という正確さだ。
清長は、自らの肩に刺さった矢を睨みつけ、呻いた。
「おそらくはわざとだて……。意趣返しって事だら……」
肩を射られたので肩を射返した。
なんとも豪快で、粋な真似をしてくれる。
「成る程、清康の子倅じゃ勝てん訳だで……」
「伯父上、お早く!」
櫓にかかる梯子から、一人の若武者が顔を出して叫んだ。
清長の甥の内藤正成だ。清長の弟である父忠郷が信秀による安祥城攻撃にて討死したため、現在は清長の庇護下にあった。
「わかっとる!」
刺さった矢は抜くと経験上まずいとわかっていたので、途中で圧し折り、動きの邪魔をしないようにして、清長は甥に続いて梯子を下りた。
「あのような真似、拙者にお任せいただければ……」
「お前の弓の腕前はようわかっとる。ほれでも今回はそれは関係無いでや。お前はさっさと逃げりん!」
「織田勢は城門の前で立ち往生しております。まだ時間はありますよ」
「戯け! 逃げる敵を追い討たんのは安城信広の手だて!」
「甘いですな」
「それが戯けだと言うとる! 勝ちの決まった戦で犠牲を出すのを嫌っとるんだら!」
「しかし、相手に損害を与えるには追撃をした方が……」
「その損害は民だでよ!」
殿軍が相手なら別だが、逃げる敵を追い討っても、名のある武将を討ち取れる可能性は低い。
そのような武将は先に逃げているか、撤退が始まる前に討死しているからだ。
後に支配するかもしれない領民の恨みをいたずらに買う必要は無い。
勿論、状況によりけりではある。
徹底的に叩く事によって相手に暫く軍事行動をさせないようにするためなら、追撃は必須だろう。
しかし今回の信広達は城攻めだ。城さえ獲れれば軍事目的は達したのだから、これ以上の戦果は必要としていないのだろう。
いずれこの地に戻って来る民を殺す必要は無いと考えているのだ。
城に籠られたなら殲滅もするだろうが、逃げるのならば追わない。
むしろ、城が無傷で手に入るのだから楽で良い。
そのくらいに考えているのではないだろうか。
「つくづく、器が違うでや……」
内藤軍は搦め手から城を脱し、矢作川を渡って上和田城へと逃げた。
こうして姫城は織田信広の手に落ち、情報提供などで城攻めに貢献した松平信孝へ譲られる事になる。
という訳で姫城攻略完了です。
甥の正成が弓の名手で、色々弓に関する逸話が残っているので、清長にも弓を射らせてみました。
撃ち返してくる信広もおかしいですけど。




