松平信孝の見た安祥城
三人称視点です。
安祥城を訪れた信孝は、開いた口が塞がらなかった。
対尾張との最前線拠点だったが、基本的には湿地帯しかないような場所だった。
よく整えられた広大な田畑など無く、多くの民が笑いながら田植えをする光景など決して見られなかった。
安祥城城主に信広がなってから、相当な速度で開発が進んでいるとは聞いていた。
だが、これほどとは知らなった。
げに恐ろしきは弾正忠家の資金力か、信広という男の才覚か。
広忠に城と領地を奪われ、頼るべき今川にも見捨てられ、ある意味自暴自棄になってこの地へと赴いた信孝の頭が急速に冷えていく。
同時に、心は早鐘を打つように踊り、体は熱い。
「おれたちゃじごくのおだぐんだーん」
「「「おれたちゃじごくのおだぐんだーん」」」
城に向かって、よく整備された街道を驚きながら歩いていると、遠くからそんな声が聞こえて来た。
不思議な調子の唄だ。
自分は参加した事は無いが、連歌の読み上げに似ている気がした。
月代を作り、髷を結った武士を先頭に、二十人程の男達が歌いながら領内を走って行く。
常備軍の訓練だろうか。
その様子を領民達が見てくすくすと笑っている。
子供が何人か、同じように笑いながらその一団の後を追っていた。
信孝も思わず口元が綻ぶが、次の瞬間には、雷に打たれたかのように背筋が伸びた。
一定の速度で走る訓練は松平家でも行っている。
長距離行軍、長時間の対陣。槍を抱えて戦うのも体力を消耗する。
武士は、体力が無ければ務まらない。
だが、この訓練はそれだけではない。
あの歌を唄いながら走るのはどう考えても恥ずかしい。
信孝もやれと言われたら、武士の恥だと固辞するかもしれない。
だからこそ、度胸がつく。
訓練と実戦は別物だ。一番大きな違いはやはり精神面だろう。
訓練では冷静な指揮を見せていた若武者が、いざ実戦になったら戦場の空気に頭をやられ、呆然と立ち尽くす様を何度も見て来た。
だがこうして日頃から心を鍛えていれば、そうなる可能性は低いだろう。
そして何より、領民達に、自分達を守っているのは彼らだと知らしめる事ができる。
領民達もあの部隊に親しみを覚えているようだ。
もしもこの地が攻められたなら、領民全てが武器を持って立ち上がるだろう。
恐ろしい。
一体訓練一つにどれだけの意味を込めているのか。
海千山千の軍師でもついているのか。
それとも信広という男の才覚か。
「虎が翼を持った虎を産んだ」
尾張から流れて来た信広評だ。最初に聞いた時は、信秀辺りが三河を威圧するためにわざと流しているのだろうと思ったものだ。
しかしこの光景を見ると……。
安祥城の周囲には背の低い囲いがあり、三町(約三百メートル)程草の生えた平地が続いている。
本格的な城壁はその奥だ。
この平地はなんだろう? そう言えば堀が無いな。
安祥城の縄張りは水堀に囲まれた本丸、その西側に二の丸、本丸の西に三の丸だった筈。
しかし、見た限り、水堀が無くなっている。
「うん? 立札?」
囲いに近付くと、幾つもの立札が立っているのに気付いた。
「カラボリ アリ キケン タチイル ベカラズ」
立札にはそのように書いてあった。そして、その文字の下に、穴に落ちているような人影を現した絵が描かれている。
成る程、これなら文字が読めない者でも書かれている内容を理解できるだろう。
そして感心すると同時に戦慄する。
空堀、あり?
しかし見渡す限り平地だ。
はったりか? いや、隠されているとしたら?
城門から囲いまで板を繋ぎ合わせた橋のようなものが続いている事を考えると、この平地には縦横無尽に空堀が掘られている可能性もある。
空堀のままなのは、水を入れるための工事の手間を惜しんだからだと考えられる。
敵の進撃を止めるだけなら空堀だけでも十分な効果を発揮するだろう。
だが、何故隠す?
確かにこれなら、一歩を踏み出す事を躊躇してしまうから、更に足止め効果は大きくなるだろう。
だがそれだけか?
様々な思いが頭の中を駆け巡る。
橋は意外と安定しており、これなら騎馬隊が上を駆けても砕ける事はないだろう、などと信孝は考えていた。
城門に辿り着くと二人の門番が立っていた。
誰何の声をかけられたので、信広に会いに来た旨を伝えて書状を渡す。
「暫し待たれよ」
そう言うと門番は、門につけられた小さな窓を開き、その奥に書状を差し出す。
書状を受け取る手が見えた。誰かが走って行く音が門の向こうから聞こえる。
成る程。見えているのは外に居る二人だけだが、門の後ろにも何人か控えているようだ。
これなら取次の時に門番の数が減る事がない。
ややあって、中から先程の小窓が開き、門番に何やら話しかけた。
門番が頷き、城壁の方へ近付いていく。
「どうぞ、こちらから中へ」
城壁に偽装された扉を開いて信孝に言った。
どこまで警戒しているのか。だが、ここは言ってしまえば敵地だ。門を開けた瞬間に、隠れていた兵が突撃しないとは限らない。
扉を潜る時にも気付かされる事がある。
扉が小さい。決して体が大きい訳ではない自分でも、少し屈めないと通れない程だ。
これではここから大軍がなだれ込むのは無理だ。
扉を潜ると三人の武士が立っていた。
「これより城主、五郎三郎信広様がお会いになります。申し訳ありませんが、大刀をお預かりさせていただきます」
当然の話だ。信孝は腰から刀を鞘ごと抜いて武士に渡す。
「申し遅れました。某、五郎三郎様が家臣、桜井玄蕃新田と申します。安城次郎信孝様をご案内するよう仰せつかっております」
「これは丁寧に。改めて、松平安城次郎信孝と申す。よろしくお願いいたす」
そして新田の後を信孝はついていく。
二人の武士も、その後ろからついて来た。
信孝が通されたのは中庭のある一角だった。
入口は入って来た木戸だけで、周囲は板塀で囲まれている。
白い玉砂利が敷かれており、更にその中心に筵が敷かれていた。
そこに座るように言われる。目の前には縁側。
「織田五郎三郎信広様のおなーーーりーーーー」
暫くするとそのような声が上がり、続いて鼓の音が聞こえて来た。
縁側の奥にある障子が開くと、そこには盛装に身を包んだ信広が居た。
すぐに信孝は頭を下げる。
「松平安城次郎信孝と申します。お目通り叶い、恐悦至極に存じます」
「うむ、安城次郎殿。儂が織田五郎三郎信広である。面を上げよ」
信孝が顔を上げたのを確認すると、信広は隣に控える小姓に手を差し出した。小姓はすぐに一枚の書状を手渡す。
「この書状によると、我が方に降るために参ったとか?」
「は、相違ございません」
「しかし安城次郎殿は松平家の一門。現当主、広忠の叔父にあたる血筋。それが何故に?」
「三河安定のためでございます」
信広が広忠の諱を呼んだ事を指摘せずに、信孝は即答する。
敢えて、旧主君への非礼を放置する事で、心が松平家に無い事を示してみせたのだ。
「というと?」
「は、現在の松平家は三河奪還にのみ傾注しております。しかしそのせいで民は疲れ果て、土地は荒れておりますれば、このままでは三河の地は荒廃していく一方! それ故、拙者は松平家を出る決意をしたのであります。そして、この地を見て拙者の考えは間違っていなかったと確信いたしました。安祥織田家こそ、拙者が仕えるべき家だと断言できます!」
「本当にそうか? 広忠に居城を奪われ、領地を横領されたためではないのか?」
そこまで調べているのか。諜報の分野でも大きく差があるようだ。
「それが確かに切っ掛けではあります。三河の民の安寧のため、拙者は常々、主君広忠を諫めてまいりましたが、一向に聞き入れて貰えず、そして今回の沙汰。最早我慢も限界、愛想も尽き申した!」
「ふむ、どう思う?」
信広がそこで、左に座る人物に水を向ける。
「安城次郎殿は真っ直ぐな御仁でございますから二心は無いかと」
「広忠の癇癪が演技であったなら、それはそれで驚くべき事でございますな。あの確執は本当だと思われます」
「まぁ、実弟の遺領をそのまま支配するような男であるから、広忠による三木郷横領が矜持を傷つけた可能性もありますが……」
信広の視線を追うように、そちらに目を向けた信孝は、驚き、目を見開いて固まった。
そこに居たのは、かつての自分の同僚、酒井忠尚、松平忠倫、松平清定だった。
「そ、其方ら……どうして……?」
「安城次郎殿と同じく、我が方に降りに参ったのだ。弥生の頃だったかな」
そう言ってにやりと笑う信広は、悪戯が成功した童子のような顔をしていた。
という訳で訪問者は信孝。
しかし既に何人か内通していたようです。
感想にてご指摘のありました「諱」についての解説は活動報告にてさせていただいております。
戦国時代の文化についてあれこれ「御屋形様」「諱」
をご覧ください。
2/20追記
活動報告では新しい読者が探すのに苦労する、旨の報告をいただきましたので、こちらでも解説させていただきます。
「諱」について
今話において、信広が広忠を諱で呼んだ事を非礼として表現しました。この点について、これが非礼だと伝わらない可能性がある、とご指摘を受けましたので解説させていただきます。
この時代の武将の名乗りは複雑怪奇なので、シンプルにいきますが、
「織田五郎三郎信広」と名乗る場合、「織田」が苗字あるいは家名。「五郎三郎」が通称あるいは輩行名。「信広」が諱となります。名乗りによっては、通称が官職に置き換わったり、官職と通称が同居していたり、氏という家名より更に大きな括りや、姓という朝廷との関係を表すものが入る場合もあります。
「織田(家名)上総介(官職)三郎(通称)平(氏)朝臣(姓)信長(諱」フルネームの信長(1560年版)です。
まぁ、今回は諱の話。
忌み名とも読み、字面から予想できる通り、「呼ぶこと忌み嫌う名前」という意味です。親や上司が諱を呼ぶことは普通にありますが、同輩、ましてや格下の人間が呼ぶ事は大変失礼にあたります。
なので、特に目上でも血縁でもない信広が広忠を諱で呼んだ時、広忠の家臣なら憤って当然ですが、信孝はそれをスルーする事により、「自分はもう広忠の家臣じゃありません」と示した訳ですね。
ちなみに忠政さんと信広が互いを諱で呼び合っていますが、これは親しみの表れだと思ってください。
諱は実名とも言い、その人の人格を現す名前、という意味もありました。
つまり、ここで信広と忠政さんが諱で呼び合っているのは、「渾名」でお互いを呼び合っているような感じでしょうか。
「マサ」「ヒロ」と呼び合っているようなものだと思ってください。




