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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第二章:安城発展記【天文九年(1540年)~天文十三年(1544年)】
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内政日和に訪問者


天文12年5月。田植えの季節だ。

安祥城を中心に、俺の領地は相当広くなっていた。

安祥城のある碧海郡東部(西部は刈谷城のある忠政さんの領地)、岡崎城のある額田郡西部と、碧海郡北の八名群南部。そして碧海郡南の幡豆郡北部。

これらが今俺の領地だ。


別に戦で切り取った訳じゃない。

安祥城周辺を開発していたら、向こうから頭を下げて来たんだ。


頭を下げて来たのはその地を支配している土豪、領主じゃない。

その地に住む住人だ。

各村の代表、庄屋と言った辺りが、よろしくお願いします、と挨拶に来たんだ。


この時代、税は年貢だ。

五公五民を基本として、民政化として有名な北条は四公だったらしいし、なんか民には苛烈なイメージのある武田も三割だったとか言われてる。

まぁ武田の場合は鉱山アホ程持ってたからそれでも十分だったんだろう。

というか、少ない盆地以外はあまり米が育たない土地だから、年貢を安くしても何とかなったんじゃないかな。分母が小さければ割合の差も小さくなる訳だし。

それで領民から人気が得られるなら安いもんなんだろう、多分。


そしてこの年貢、相当いい加減に徴税されている。

だって、戸籍とか碌に無い時代だよ? 誰がどれだけ稼いでるかなんて知る術がないもん。基本は自己申告さ。

それも領民一人一人が税を持ってくるんじゃなくて、一旦庄屋に預けて、庄屋がまとめて領主に収めるのが基本。


この庄屋が集める年貢の量も相当いい加減。だって検地しようにも四角形の田畑の方が珍しい時代。

おまけに数学なんて発達してない。

前世の知識がある俺でも、これどうやって面積出すんだ? と思える不定形の田んぼばっかなのに、この時代の人間が厳密に測れる訳が無い。

だから基本目分量。年貢も丼勘定です。


そんな状況だから、庄屋は悪さをしようと思えば幾らでもできる。

隠し田だけじゃなくて、集めた年貢の一部をちょろまかしたりな。


これが五公五民の五公の方から引かれるならまだマシだ。

勿論問題が無いどころか大問題なんだけど、それでも、損をするのは領主だけだからまだマシだ。


これがもしも、五公五民なのに、庄屋が嘘吐いて六公集めていたら? そしてこちらには四公分しか収めていなかったら?

領主は収入が減ったうえ、民から恨まれるという踏んだり蹴ったりの状況。

おまけにまともに検地も税の計算もできないこの時代。庄屋が嘘を吐いている証拠なんてどこにもないから民に説明する事なんてできない。

不満が溜まれば一揆に発展する可能性は十分にある。

百姓一揆は農具や竹槍もってうぉー、なんてものばかりじゃなくて、村を捨てて逃げる逃散も相当多い。

けれど、領主に不満を溜めている民が多い村を、近隣の領主や、寺社勢力が放っておく筈が無いよね。

武士が絡めば国人一揆。僧侶が絡めば宗教一揆だ。

有名な一向一揆を纏める一向宗なんて、「信長の天下を十年遅らせた」とか言われてるんだぜ、恐ろしい。


明智さん、民の嘘は全然可愛くないですよ。


まぁ、わかりやすく言うと、この時代の徴税者は相手の収入を正確に把握しておらず、納税者の丼勘定で税が収められていた訳だ。


これをきちんと正すのは俺には無理だ。だって下手な事したら即反乱だからな。

領主が税を納めてくださいって頭を下げる事も珍しくないってんだから。

江戸時代の農民締め付けはこの辺が基になってんのかね?


郷に入っては郷に従え、とは少し違うけど、そういう慣習を打ち破るならそれなりの力を持ってないと無理だ。そんな力が無い俺は時代に迎合する事にする。

安祥城城主になったばかりの時、俺が行ったのは領地内の村へ挨拶回りに行く事だった。

今度この辺りを治める事になりましたのでよろしくお願いしますって感じだな。

ついでに、


「あ、今年は戦で迷惑かけましたんで、税は昨年の半分でいいですよ」


とも言っておいた。


ようは俺を領主と認めない村が、自分達で溜め込むならまだいいけど、他の領主へ年貢を持って行かないようにした訳だな。

城の紐付きと言っても、何か明確な基準やルールがある訳じゃないから、それこそ、誰に年貢を払うかは村人の腹積もり一つな訳だ。


更に、いきなり検地をすると言っても良い顔しないと思ったので、俺は領地の村へ、田畑の区画整理、再開発を申し出た。

勿論、強制じゃない。嫌なら拒否していいよ、とも伝えてな。

しかもこの田んぼの整理後の再分配は、今年うちに支払った税を基に計算するとも伝えた。


検地を行わずに、あくまで収められた税を基にする。年貢を誤魔化して安く払おうと思っていた村人達も、これなら正直に年貢を納めるしかない。

逆に今年分を多めに払って従来より大きな田畑を貰おうと考える者も居るだろう(何せ今年の税は昨年の半分な訳だし)。

それならそれで構わない。だって土地は余りまくってるからな。

あくまで新しく開墾する労力や技術が無くて放置されてただけだ。物理的に場所が無い訳じゃない。

開墾の難易度は、銭の力で強引に解決。

戦いは数だよ兄貴。あ、俺が兄だった。


勿論それでも、ここは松平家の土地だ、と俺に従わない村もあった。

俺は「その忠誠に敬意を払う」とだけ言って特に何もしなかった。

そんな彼らも、次の年には俺に頭を下げる事になる。


だって俺が再開発、新開発した田んぼの稲は、六月にもなれば明らかに生育状態が俺を拒否した村の田んぼより良いんだから。

更に収穫の時期には各村に一台ずつくらいの数だけど、尾張で開発が間に合った千歯扱きと千石どおしが送られて来たから、収穫以降の手間も軽減された。


いくら頑固で一途な三河者(偏見)でも、この明らかな差を見せられては、心が折れても仕方ないだろう。

そして新たに頭を下げて来た者達には、


「今年の年貢は元の領主に渡して良い。その代わり、其方らの取り分から一割をこちらに渡せ」


と伝える。

先に俺に降った村との差を明確にしたかったのと、俺に許された、とはっきりわかる証を相手に与えたかったからだ。

これで彼らは何のわだかまりもなく、こちらの紐付きになってくれた。


そうすると、本来安祥城の紐付きじゃない村まで、俺の所に開発してください、と頭を下げるようになった。

小豆坂の戦いで勝利するとその数は更に増えた。


先にも述べたけど、この時代、徴税する側は納税する側の事なんて大して気にしてない。

武力蜂起でもされない限り、その村が寝返っても気が付かないのが殆どだ。

気付くのは収穫後、年貢を取り立てる時。

取り立てるって言っても、あの村から年貢が来ないなー、で見に行くと、


「ここはもう織田の若殿の村になりましたから」


なんて言われる訳だ。

そう言ってくれる村はまだ良い方で、相手がきちんと調べるまで、


「今年の年貢はもう収めました(誰にとは言ってない)」


としか言わない村が殆どだ。実際村には年貢米が無い訳だしな。

碌に在庫管理もしてないのが殆どだから、収めたと言われたら、記載漏れかもしれない、と領主も引き下がる。

数が合わなくても、どの村が年貢を納めていて、どの村が年貢を納めていないかを記録してさえない場合だってある。

その辺は徴税者の勘と経験で管理していたから、真相は誰にもわからない。


結果、俺は一度も合戦せずに周辺の土地を取り込んでしまった訳だ。


流石に刈谷城の紐付きになっている村から年貢が来た時は、慌てて忠政さんに連絡して年貢を色付けて返したけどな。


「なんならうちの村の田畑も開発してくださらんか?」


と言った時の忠政さんの苦虫を噛み潰したような顔といったら……。


流石にそれを始めるときりがないので、その村の代表にもきちんと話をして、刈谷城の紐付きに戻しておいた。


土地を獲る時には合戦はしなかったけど、流石に異常に気付いた元領主達が兵を出して来た。

けど、兵の大半は領民を徴兵して集める以上、その領地が減っているんだ。大した数は出て来ない。

しかも領内に居た孤児達を使って諜報活動もしていたから(陣触れの有無を確かめるだけだから大して教育しなくてもできる)、こちらは事前に動く事ができる。

作事衆と新たに設置した警邏衆によって、土地を奪還するために出撃した国人、領主の軍はあっさりと蹴散らされた。


それが余計に、他の領地の村の寝返りを加速させる事になり、現状、俺の領地は開発待ちで渋滞が起きている。

嬉しい悲鳴とはこの事だけど、マジ人手が足りん。


まぁ、人手が足りない理由は年が明けてから新しい城の建築に取り掛かっているのもある。

現在、安祥城の西側の丘の上に城を作っている途中だ。

第一次安城合戦で、俺が突撃した例の丘な。


いつまでも弱点晒してらんねーもんよ。

まぁ、その先にあるのは刈谷城だから、そこまで気にしなくていいんだけどさ。

後は安祥城南、矢作川東岸の城を獲るか、新しく築くかすれば、それなりの防御線ができあがる。


問題は、城作っても入れる武将が居ない事だけどな。

でも武将雇ってから城作っても遅いから、まずは入れ物を用意しようと思ったんだ。


既に建築済みの城あるよ、今なら城主になれるよ。


って勧誘すれば、そこそこ有能な牢人でもやって来てくれないかなー? なんて期待もした訳だ。


「殿、今よろしいでしょうか?」


今後の開発計画を記していると、障子の向こうから声がかかった。

声からして昨年元服を迎えたばかりの若武者、桜井さくらい親田ちかだだろう。

父親も俺の尾張時代からの家臣で、名前は桜井さくらい新田しんでんと言う。


「どうした?」


「殿にお目通りを願っている者が参っております」


またか(・・・)


小豆坂の戦勝と安祥城周辺の開発で、俺も三河においてかなり有名になった。

そんな訳で、自分を雇って欲しい、という人間がよく訪れる。


何人かは登用しているが、中には明らかに間者だな、って奴もいるから、採用面接は俺と古居、それからうちの家臣団で軍事のトップにある新田の三人で行うようにしている。

やり方は前世での経験が記憶にあった圧迫面接だ。

食らった方か、食らわせた方かはわからないけど、まぁ、多分前者だろう。


白州・・に入れておけ。監物(古居の事)と玄蕃(新田の事)も呼んでおけ。儂もすぐに行く」


「はは」


障子の向こうから気配が消える。

さて、今日は誰が来たのやら。

それとも、村からの陳情か?


前回の流れから訪問者の予想は大体つくと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] 桜井親田・新田の名前でアメリカのテレビドラマの中の日本人の名前「佐藤田中(サトウタナカ)」を思い出しました。佐藤が姓で田中が名。
[一言] 年貢ってそんなザルどんぶりだったんだ。何か現代の情報社会の一般的な村人たちの方が搾取されて悲惨な感じ。
[一言] つきますねw
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