天文壬子の変・終結
三人称視点です
(おそらく、信秀は三好に勝つ気は最初からなかったんだろうな)
宇治川を臨む小高い丘の上で、カンバスに筆を走らせながら信廉はそのように推測する。
討死した兵士の死体がまだそこに残る宇治川は、間違いなく先日まで戦が行われていた事を想起させる。
その死体からは既に武具が剥ぎ取られており、この時代の領民の逞しさを感じると同時に、信廉は現実の恐ろしさも感じていた。
この世界に転生して約二十年。
遅まきながら初陣も経験したとは言え、前線には出ずただ戦場にいただけだった。
そのため彼は、未だにこの戦国時代の非情さに慣れないでいる。
(足利幕府の事だけを考えるなら、撃滅はできずとも、今回の戦で三好にある程度打撃を与えておくべきだ)
しかし弾正忠家からすれば、今回の戦に旨味が全くない。
景虎がどのように考えているかは知らないが、足利幕府に忠義を尽くす事が最大の恩恵だと考えるような者でもない限り、これはどの勢力でも同じだろう。
弾正忠家は三好を撃滅せしめたからと言って、山城をはじめ畿内を支配して天下を握るなどという事はできない。
いつまでも遠征を続けることもできないので、いずれ尾張に帰る事になる。
勿論、ある程度打撃を与えておけば、弾正忠家が帰った後の将軍家、細川管領の無事が保証される。
しかし、時間が経てば再び三好が勢力を盛り返すだろうし、あるいは弱った三好を吸収した別の勢力が畿内掌握に動くのは想像に難くない。
当然、その時には再び弾正忠家は上洛しなければならないだろう。
(一度や二度はなんとかなっても、繰り返せば弾正忠家の国力はあっという間に激減する)
そうなれば織田伊勢守家や斎藤家が弾正忠家に手を出すだろう。
知多で勢力を拡大している水野も動くかもしれない。
今でこそ大人しくしている今川も、弾正忠家がそのような危機にあるとわかれば、遠江三河へと進出するはずだ。
少し話した程度であるが、安祥長広はその時に弾正忠家を見捨てられる人間ではないと信廉は考える。
安祥家と弾正忠家の二兎を追った結果、どちらも中途半端な対応となり、結局全てを失うだろうと。
仮に弾正忠家を見捨てたとしても、尾張を抑えた勢力に背後を脅かされながら今川を相手にするのは厳しいだろう。
(つまり足利幕府を救い続ける限り、弾正忠家には滅亡の未来しかない)
史実の織田家ですら、尾張、美濃を有しつつ、近江の浅井と三河の徳川と結んではじめて幕府の後見としての立場を保持できていた。
現在の織田弾正忠家で足利幕府を支えるのは不可能なのだ。
せめて六角定頼が存命であれば、六角と連携して尾張から山城までを細い生命線ではあるが繋げる事もできただろう。
しかし後を継いだ義賢ではそれは望めない。
周囲の人間からの評判でしか信廉も知らないが、畿内で勢力を増す三好を相手に足利幕府の味方をするだけの気概も実力も彼にはないだろうと考えていた。
なまじ定頼は自身が傑物であったが故に、様々な事を自分でこなしすぎていた。
そうしなければ、近江という立地で幕府という統治システムの守護者を続けながら勢力を拡大するなどという事はできなかったのだろう。
しかし、そのせいで六角家は後進が育っていない。
せめてもう少し、義賢は足利幕府に近付かせるべきだった。
良くも悪くも細川晴元から影響を受けるのを避けたかったのだろうが、そのせいで義賢には幕府に対する忠誠心が育っていない。
そんな相手に尾張と京の連携を任せられる訳がない。
(だから最初から、信秀は三好との戦に勝つ気はなかったに違いない)
かと言って、負けてそのまま尾張へ逃げたのでは晴元を排除し将軍を抑えた三好から討伐令が出される可能性が高い。
尾張から京が遠いのと同じように、京から尾張も遠い。だから三好がはるばる尾張へ遠征するような事はないだろう。
だが周辺はどうか。
特に先にも述べた伊勢守家は弾正忠家を討つ大義名分を得たと喜んで従うだろう。
簒奪によって美濃の支配者となった斎藤家も、三好、ひいては足利幕府から統治の正当性を保証されれば間違いなく転ぶ。
六角家だって伊勢湾の交易の独占を狙って動くかもしれない。
(だから信秀は、管領と将軍を尾張へ連れて帰った)
三好が傀儡を立てるにしても義藤に子がない以上、分家として独立した一門の者か、仏門に入った義輝の弟達を連れ出すしかない。
義藤が存命ではどちらも正当性が薄い。特に後者は家督相続権の放棄という意味合いがあるから尚更だ。
(史実で弟の義昭を擁立できたのは義輝が死んでいたからだ。義輝弑逆後、畿内の三好が義栄を将軍として擁立できたのは、義輝が死んでいた事に加えて義栄の祖父が十一代将軍位に就いていたからだ)
義栄の父である義維も時の将軍、義晴を一時は京から追い出し、朝廷から官位を賜って将軍位就任の下準備を整えるに至ったほどだ。
(つまり三好の天下掌握を阻止し、弾正忠家の滅亡の未来も回避する。そのための一手が晴元と義藤を尾張に逃がすこと)
そのために義藤自身ではなく晴元にはたらきかけたのも流石と言えた。
晴元は間違いなく取り込んだ勢力にとって毒になる人間だが、ただのロクデナシが細川家の名前だけで何十年も畿内で政治抗争を続けられるはずがない。
残せば残すで面倒な事になるのは間違いない。
(俺なら晴元は見限って義藤だけを連れていこうとしただろうな)
それに義藤を納得させるには、晴元の進言が必要だっただろう。
晴元がどれほどの奸臣であったとしても、義藤は敵に味方にその実力を目の当たりにしている。
例え晴元自身の利のためとは言え、その晴元が自身の運命を託すほどの相手であるならば、義藤も信頼できるというもの。
逆に言えば、それだけの信頼を短い期間ではいかな信秀でも築けないと判断したのだ。
(信秀が何を見越して今回の上洛を決めたのかはわからないが、将軍を手中に収めた分、間違いなく周辺勢力に対して有利な状況を作りやすくなった)
ただ勢力拡大に利用するだけなのか、あるいはその先を見据えてなのか。
そこまでは信廉にもわからない。
だが間違いなく、その動きは尾張とその隣国だけでなく、信濃や甲斐にも影響を及ぼすだろう。
(あとは上杉謙信が今回の事をどう考えているかだな……)
長尾景虎の幕府に対する忠義は本物であると信廉は確信している。
もしもその景虎が、信秀の上洛の真意に気付いた時、どのような行動に出るのか。
(それ次第では信濃を獲れるか……?)
自身の予期せぬ方向へ動く時代に憂鬱さを感じて信廉は溜息を吐いた。
そして彼はそのまま思考を中断し、目の前の戦場跡から予想される合戦絵巻の完成に集中するのだった。
という訳で、信廉の考察の形をとった上洛のネタバラシでした
当然、吉良義安、今川氏真も最初から信秀が負けるつもりだった事を知りません




