天文壬子の変・伍
三人称視点です
織田信秀敗戦。
その報告に最も動揺したのは、誰あろう細川晴元だった。
信秀が負けたという事は、大和遠征に向かった三好軍が引き返してくるという事である。
更に言えば、本来は彼らを宇治川に釘付けにしている間に、織田勢が引き返してきていた筈なのだ。
その援軍がないとなれば、御所での籠城はほぼ無意味となる。
長尾勢が上手く立ち回っているとは言え多勢に無勢。いずれ落城する事は明白であった。
彼らこそ、信秀敗戦の報を聞いて、いの一番に逃げ出している可能性すらある。
このままでは晴元は良くて捕縛されて追放。悪ければ自刃。最悪は処刑として汚名を残す事もあり得る。
将軍義藤が自分を庇うという事もまずないだろう。
義藤の父義晴と晴元は元々政敵の間柄。
三好との争いに晴元が義藤を巻き込んだので行動を共にしているが、いつ手切れとなってもおかしくない関係なのだ。
三好も将軍弑逆の罪は背負いたくないだろうし、新しい足利一門の者を将軍として立てるより、義藤にそのまま将軍位につけておいて傀儡にした方が楽なはずだ。
かつて自分達に逆らい敗北したという事実、そしてそんな相手に許されたという負い目は、義藤の反抗心を奪ってしまうには十分だからだ。
だからこのままでは、晴元は破滅する。
「恐れながら申し上げます!」
そんな晴元のもとに、一人の中年の武士が駆け込んで来た。
兜もとらず、いかにも戦場から慌ててやってきた様子だった。
「織田弾正忠信秀家臣、野々山藤兵衛秀政と申します!」
「ああ、戸田家の……」
その武士はかつて三河渥美半島にて権勢を誇った戸田家の家臣、野々山元政だった。
竹千代を誘拐したのち、そのまま織田弾正忠家に仕え、信秀から偏諱を賜り秀政と名乗っていた。
かつて仕えていた戸田家は、細川京兆家の三河守護代であった一色家の養子分となった間柄であった。
また、竹千代の誘拐は弾正忠家に要請された戸田家に命じられたものだったが、その弾正忠家と戸田家に今川の三河進出を阻止するよう命じたのは晴元だった。
「主君信秀は宇治川より撤退し、伊賀と大和の国境にて軍勢ともども無事であります。そして、公方様と管領様をお連れするよう仰せつかっております!」
「なんだと……!?」
信秀の軍勢が無事だと聞いた時、晴元はすぐに京へ呼び寄せようと考えた。
しかし、続く秀政の言葉を聞き、その考えを改める。
義藤を連れて逃げるのは名案というか、当然の話だ。
晴元単独で逃げれば三好が足利幕府を掌握してしまい、細川家はやはり滅亡の憂き目にあうだろう。
だが現将軍を連れて逃げれば、三好の畿内支配の妨害となる。
逃亡先は近江か若狭と考えていた晴元だったが、尾張もありではないか、と思い直したのだ。
再起を掲げるなら、確かに京に近い場所に拠点を移すのが良い。
しかし、同時にその場所は三好からの影響も受ける。
監視も厳しいので、帰京のための戦力を集めるのにも苦労する。
それならば、確かに一度それなりの距離を取るのも手だ。
下手なところに逃げ込めば、三好から敵視されるのを恐れて自分の首を差し出されかねないが、弾正忠家ならそれもないだろうと推測できる。
勿論、今回の敗戦で三好に屈してしまい、その証として晴元の身柄を確保する可能性もないではない。
だが、それはどこに逃げても同じことだ。
(近江が生きていればそちらを頼ったのだが……)
政治バランスに優れるだけでなく、近江を支配し、その経済力を背景にした武力も持ち、硬軟織り交ぜた辣腕ぶりで畿内でも強い影響力を誇っていた六角家十四代当主六角定頼。
彼は足利幕府そのものの維持を最優先に考えており、そこに座る大樹がなんであろうと気にしなかった。
だがそれ故に、足利将軍家と行動を共にしていれば、間違いなく味方になってくれるという信頼感もあった。
しかし晴元の舅でもあったその定頼は先年亡くなっている。
跡を継いだ息子の義賢は、悪い噂も聞かないが特に良い評判も聞こえてこない。
比較対象が戦国随一の名君であった定頼では厳しいかもしれないが、それでも後継者として物足りないのは間違いない。
だがそれ以上に、晴元は義賢を頼れない理由があった。
その心根がわからないのだ。
親幕府派として代々中央の政治に強い影響力を持っていた六角家だが、その志まで継いでいるとは限らなかった。
義弟だからと無条件に信用する訳にはいかない事は、晴元自身が一番理解していた。
「公方様。ここは弾正忠の提案に乗るべきです」
秀政から上申を受け、晴元はすぐさま義藤にそう切り出した。
「このまま近江や若狭に逃れても結局は同じことの繰り返し。ならば、一度京より遠く離れてじっくりと力を蓄えるべきです」
「…………」
晴元の言葉にしかし義藤は無言を返す。
義藤とてわかっている。
ここで晴元を見捨てても、自分は助かるだろう事は。
そして一度三好の傀儡となれば、二度と足利幕府の手の中に天下が戻ってこない事も。
義藤はわかっていた。
このまま尾張に逃れても、結局晴元の手中から抜け出す事ができない事は。
それでも――
「よかろう。尾張へと下る」
足利家が再び幕府の権勢を取り戻すには、それが最適であると判断したのだった。
野々山元政が信秀に使えて秀政と名乗るのは、当然ながら拙作独自の設定です
ご了承ください




