天文壬子の変・肆
三人称視点です
「何がどうなっているんだ!?」
下京から避難する人々の流れに自分も乗りながら、武田信廉は困惑と苛立ちを綯い交ぜにした感情を言葉に乗せて呟いた。
松永久秀が数千の兵を率いて大和へ向かい、それを追いかけるように織田信秀も出陣した。
宇治川を越えて二つの軍勢がぶつかったという情報が入って来たのが今日の朝。
その数刻後には、三好が挙兵し将軍足利義藤のいる御所を襲撃した。
建前は幕府に巣食う逆賊細川晴元の討伐。
勿論、それが成されれば、義藤に刃が向けられる事はないだろうから、その建前はただの大義名分ではない。
しかしその先にあるのは、義藤を傀儡にした三好政権の誕生だ。
晴元側もこの状況は予想していたようで、手元に軍勢を残していた。
だが、三好軍が四千もの大軍であるのに対し、晴元側はわずか三百程度。
そのほぼ全員が武将格の幕臣であるから、質のうえでは勝っているものの、数の差はいかんともしがたい。
晴元側としても不幸中の幸いだったのは、三好は率いているのが当主の長慶でもなく、その長慶の元服当時から後見人として支えた従姉妹の長逸でもなく、父長久の代から長慶に仕える、摂津出身の重臣野間泰久だったことだろう。
晴元討伐の失敗は勿論、事が速やかに為されなかった場合、長慶に責が及ばないようにするための配置だった。
長慶はこの時、居城の越水城にて茶会を開いている設定となっていた。
事が済んだところでようやく情報が届く段取りになっている。
「三好が挙兵してくれたのは有難いが、俺の策が上手くいったとは到底思えん。あまりにも管領との戦力に差がありすぎる。簡単に負けて貰っては、信濃統治の許しを得る暇がない」
こういう時、細川晴元なら周囲の国衆、大名を説得して味方に引き入れそうなものだと信廉は思ったが、それらの援軍は一向に姿を現さない。
今川や吉良が弾正忠家の勝ち戦に便乗するという噂も流れていたが、これは信廉も嘘だとわかっていた。
「伊勢や伊賀で弾正忠家の別動隊が戦をしているのは事実。碌な情報元を持たない国人なら勘違いして晴元の口車に乗りそうなもんだが……」
最初妹を長慶の嫁に出したが、晴元との対立によって離縁させられた波多野秀忠あたりは長慶憎しで参陣してもよさそうなものだが。
「いや、まだ情報の精査が終わっていないだけかもしれない。管領の言葉に感情を優先してほいほい乗っていたら畿内で生きていけないからな」
そうこうしている間に戦は激化。
この時の京都は続く戦乱で荒れていたが、それは下京の話で、上京は比較的栄えていた。
この上京まで戦で荒らされる訳にはいかないと、時の主上が正式な命令ではないものの、嘆きを口にしていたため、三好軍は大軍を上手く展開できないでいた。
通常の市街地戦であれば、邪魔な建物は壊してしまえばいいが、上京でそれをやれば野間の自刃だけでは済まないだろうことは誰もがわかっていた。
そんな三好軍をわずかな手勢で攪乱していたのが、誰あろう、初陣以来無敗の軍神、長尾景虎だった。
晴元の軍勢は御所の防衛に残し、自分は越後から連れてきたわずかな手勢で京の街中を所せましと縦横無尽に駆け巡っていたのだ。
まるで空から戦場を見ているかのようだと、後にその用兵について戦を目にした者が語った通り、景虎は三好の軍の動きが悪い所を的確に攻撃し、三好軍が御所の攻略に注力できないようにしていた。
突然目の前に現れたかと思えば、そのまま軍勢の横を駆け抜けていずこかへと疾風のごとくに立ち去ったかと思えば、三好が目を向けているのとは反対の辻から姿を現し、後方の兵に一当て。部隊が気付いた頃にはもうその場から逃げ去っている、という神出鬼没ぶりを見せていた。
「とは言え、武田に長尾との戦を止めるように書状を送るだけの時間は稼げないだろう。今回は管領側に勝って貰うのが有難いな」
できれば双方痛み分けの幕切れが望ましい。
そうなれば弾正忠家は尾張に帰らざるを得ないだろうし、その間を長尾の僅かな手勢だけというのはいかにも心もとない。
波多野や遊佐、畠山辺りはどのくらい頼りになるだろうか。
再び信秀が上洛要請に応じられるようになるまでの間、長尾の主力を呼び寄せるだろうというのは、決して希望的観測だけに因った予想ではないはずだ。
戦に巻き込まれないよう京都を離れ、しかし状況の推移に取り残されない程度には近い距離で身を隠した信廉の元に、そんな彼の浅慮をあざ笑うかのような報告が齎された。
織田弾正忠家軍が松永久秀に敗れ、命からがら宇治川を渡り、敗走を始めたという報告だった。
相変わらず状況が想定通りに動いてくれない信廉
そして信秀、梟雄に敗北(七年振り、四度目)




