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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第七章:尾張統一【天文二十一年(1552年)~】
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天文壬子の変・弐

三人称視点です

室町幕府における政所執事は、政所の長官であり、主に幕府の財政と領地の裁量を司る役職である。

それを康歴元年の伊勢貞継以来、世襲を続けてきたのが伊勢氏だ。


土地の力はそのまま武家の力となるので、その裁量権を持つという事は、足利幕府に従う全ての武士に対して優位性を保持するということであり、財務を担当するなら人事にも強い影響力を持つ。


貞国から貞親へ引き継がれるまでのおよそ十年間は、伊勢以前に家職としていた二階堂家に譲るものの、財務は変わらず伊勢氏が任されており、領地の裁量権こそなかったものの、裁判に携わる官僚の人事権を握っており、政権運営の実権そのものは伊勢氏が握っていた。


幕府の要職は世襲制ではあるが、絶対の規則ではないし、また勝手に子供や一族の者に役職を引き継ぐ事はできない。

そこには幕府の承認が必要になる。


その判断に強い影響を与えていたのもこの伊勢氏だ。

世襲制は悪いイメージがつきまとうものの、幼少からそのための教育を受けられたり、一族から手厚いサポートを受けられるなど、悪い事ばかりではない。

そして世襲制のデメリットを打ち消せるのが、この承認制度だった。


しかし、どんな素晴らしい制度であっても、それはある前提あってのことだ。

即ち『まともに機能すれば』という前置きである。


家職を継げなかったから家督も継げないという訳ではないが、幕府から承認されなかった人物が家督を継ぐというのも心象が悪い。

そんな前例はなくとも、その可能性がある以上、避けようとするのが人間だ。

誰だって不名誉な第一号にはなりたくない。


家職を継いだものに家督継承を変更するのが、その家の幕府に対する忖度で済んでいればよいが、世襲を承認する事で、伊勢は他家の当主に対して優位性を保持するようになっていた。


そして自信の勢力拡大だけでなく、他家の力を削ぐことにも利用し始めた。

有能な次男がいる家の長男の世襲を承認する。

あるいは、有能な次男に世襲させる事を要請する。


どちらにしても高い確率で家が割れ、その家の力は減衰する。

そのうえで、承認された側は伊勢に強く感謝するようになる。


そうした伊勢の影響力が、ついには伊勢貞親の代には将軍家の跡取り問題にまで及ぶほどになっていた。

しかし流石にそこで待ったがかかった。

当然、流石に調子に乗り過ぎたので自重しよう、で済むはずがなく。

貞親は追放され、子の貞宗に政所執事の跡職が与えられた。


この時、反伊勢派は幕政からの伊勢一族の一掃を狙っていたのだがこれは叶わなかった。

言ってしまえば、どこまでを追放してどこから許せばいいのかわからなかったのだ。


伊勢の一族やそこに連なる者、その関係性の深さがわからなかった、という事だけではない。

誰を追放したらどこまで政務に影響が出るか、誰にもわからなかったのである。


それほどまでに、伊勢の一族は幕府の政務に広く深く関わっており、これを一掃した結果政務が滞るとなれば、彼らこそ幕政を停滞させ幕府の衰退を招いた大罪人であると断罪されかねなかった。


父貞親のように辣腕を振るった訳ではないが、貞宗にも結局、政所執事の枠を超えた権限が与えられる事となり、足利義政、義尚の親子二代の政権を支えた。


時の当主が将軍後継者謀殺計画を主導していたにも関わらず、族滅を避けられるどころか、要職そのままで残された成功経験からかはわからないが、伊勢家はそれ以後、仕える相手が誰であれどのような立場であった相手であれ、自分達と敵対関係にあった相手だとしても、ただただ政務を続けてきた。


それが彼らの処世術であり、生存戦略であるかの如く。


「ゆえに伊勢は動かぬ」


伊勢氏が三好との戦に参陣しない理由を語っていた氏真は、最後にそのように締めくくった。


文正の政変から応仁の乱へと繋がる流れとして、おおまかな歴史は知っていた信秀であったが、流石に細部に関しては理解していなかった。

ましてやそこに関わっていた人々の思慮となると想像さえもした事がなかった。


そこは遠縁とは言え将軍家に連なる今川家であり、伊勢氏の遠縁と繋がる今川家だからこそ語れる話であった。


「ふむ。納得も理解もした。将軍家、伊勢氏共に関りの深い今川家の嫡子が語るなら間違いもなかろう」


しかし理解しただけで済ますわけにはいかない。

伊勢の戦力が使えないとなると、信秀の戦略そのものが瓦解する。


間違いなく実戦経験に乏しいだろう伊勢の軍勢でも、景虎に率いさせれば三好の本軍相手に時間稼ぎくらいはできるだろうとというのが信秀の目論見であった。

普通に考えれば、いきなり景虎をトップに据えても軍勢は従わないし、それこそ伊勢氏が了承しない。


だが、越後の軍神としてのネームバリューと、将軍義藤からの命令でその問題は解決できると考えていた。


「となると別から戦力を用意せねばならんな。管領殿の手腕に期待できれば良いが……」


今は三好と細川の戦の趨勢を見極めている畿内の勢力を、晴元の説得で味方に引き込めないか、と信秀は考えた。誰ならばその可能性が高いか、あるいは、可能性の高まる餌を用意できるのは誰か、を考える。


「ならば我らの立場を利用するのはどうでしょうか?」


提案したのは義安だった。


「彦五郎殿と拙者が弾正忠殿の上洛に便乗している。京都ではそのように思われております。しかし、ただ公方様と管領殿の覚えを良くするためだけに、嫡子と吉良家惣領当主がわずかな手勢のみで付き従うのはやはり不自然だと思う者もいるでしょう」


しかしそこに納得できる理由がつけば話は別だ。


「弾正忠家が優勢だった場合に、手柄を独り占めされないよう、今川家と吉良家がその情勢を見極めるために同行させている、などはどうでしょう」


その情報をもって晴元が働きかければ、ならば自分達も、と便乗する勢力が出るかもしれない。


「いや、それでは我らが劣勢となれば、援軍は来ないという事であるからな……」


それでは現状と変わらない。

勿論、まるっきり無意味という訳でもない。

そのような話が出ていれば、弾正忠家が優勢となった際、今川や吉良に先を越されないよう、素早く動く者達が出るかもしれないからだ。


「ですが、我らの立場を利用するというのは良いですな」


信秀に追従しながらも、義安の提案を評価する氏真。


「ではこれでいかがでしょう。弾正忠家に手柄を独り占めされないために、今川家と吉良家が援軍を出すために同行している、とするのは?」


一見すると義安と同じ提案だ。

しかし、そこに含まれたニュアンスの違いに信秀は気付いた。


「優勢になったら援軍を送れるように、ではなく、戦になるようなら援軍を送れるようにするため……という事か」


戦になれば弾正忠家が勝つ。だから戦になるようなら援軍を送る。


本来なら鼻で笑われるような話だ。

晴元が直接話を持って行っても、むしろそんなわかりやすい嘘を吐かなければならないほど追い詰められていると思われかねない。


だが、実際に氏真と義安は同行している。

弾正忠家の分家に敗れた今川家と、その分家に家臣格として服従している吉良家。


事情をよく知らない者から見れば、どちらも弾正忠家が負けてくれた方が良い立場だ。

その二つの家が、嫡子と当主を同行させている。


ならば、もしかして……、と思う者は少なからず出るだろう。

そしてそこに初陣以来無敗の軍神が加わればどうなるか……。


「話に乗りやすい相手の選別は管領殿に任せればよろしい」


「で、あるな」


こうして管領側の作戦は決まり、信秀は松永の軍を追いかけて出陣していった。


文正の政変のいきさつや、それにまつわる伊勢や周辺の動き。そしてその後の伊勢の処遇に関する話は、当然諸説あります。

今回の前半の説明は、あくまで拙作の設定となりますのでご了承ください

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― 新着の感想 ―
情報操作で周辺の国人などの戦力を集めても、所詮烏合の衆だろうに… 率先して矢面に立つ筈もないしせいぜい要所要所に陣取って備えるだけ、 主戦力の自分たちが分が悪くなれば途端に逃げるか三好方に付くことにな…
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