那古野の茶坊主
今日も今日とて昼間は来客の対応。
教継はあれ以来こなくなったけど、何度も足繁く通ってくる人もいる。
大抵そういう人は反信長派だったり、俺に取り入る目的だったりだった。
まぁ、手ごたえがないんだからそりゃ何度もくるか。
流石に俺や信長の事をわかってる人は、信長を褒める方向で話を進めて来る。
下心があるのはわかるけれど、それを指摘しても意味ないからそのまま好意的に受け取って話を進めた。
将来的にこの時俺に対して口にした信長へのおべっかが、本心からの評価に変わる事を期待しよう。
「失礼いたします」
来客が途切れたところでそう声がかかった。
「どうぞ」
俺がそう返すと、襖が開く。
最初の頃は誰何の声もかけない俺の対応に驚かれていたけれど、流石にもう慣れたみたいだな。
入って来たのは一人の茶坊主だった。
お盆に茶と菓子を乗せている。
坊主とは言うけれど、茶坊主ってのは僧侶じゃなくてれっきとした武士の子だ。
身辺の護衛もこなす小姓よりももうちょっと雑用向きの側近って感じだろうか。
小姓と違って頭を剃髪してたから坊主って呼ばれてたらしい。
ちなみに石田三成は、秀吉と会った時はまだ寺にいたからその辺もややこしいのかもしれないな。
「しかし三河様は流石ですな」
それを良い機会に休憩に入ると、茶を運んで来た茶坊主がそう声をかけてきた。
確か拾阿弥と言ったか。平安末期から続く、愛智家の末裔という話だけど、どこまで本当かこの時代の武士はわからない。
ただ今回みたいにタイミングを見計らって茶を持ってきてくれるし、俺の様子を見て会話を振ってくれたりと、気遣い上手。
顔も整ってるし、これは前世の信長と真なる絆(意味深)を結んでいたのかもしれないな。
ただ今世の信長だとそういう関係になられるとちょっと困るんだよなぁ。
あくまで後継者候補、当主としてまずいって話であって、どこの馬の骨とも知れない相手に可愛い妹をやれないとか、そういう私情を挟んだ話ではないのであしからず。
「こうして茶坊主をさせていただいておりますと、色々な方が挨拶や陳情にこられるのですよ。勿論、中には腹に一物隠した方も大勢いらっしゃいます。それを三河様は特段感情を揺さぶられるような事もなく、かと言ってあからさまに興味がない風を装うでもなく、しっかりと対処していらっしゃいます」
身振り手振りを交えて大仰に話す拾阿弥。
単純に褒められるというだけじゃなくて、そこにしっかり感情が込められている。
恐らくおべっかなんだとは思うが、ひょっとしたら二心のない本心なのでは? とも思ってしまう。
これが話上手って奴か。
「あくまで今の儂は三郎の代役であるからな。勝手に物事を進める訳にはいかんし、話を決める訳にもいかん」
思わずにやけそうになる口元を抑えながら、俺はつとめて冷静な口調で応えた。
「それを心がけておるからそのように見えるだけよ。安祥や曳馬で聞いたら乗せられていたかもしれん」
「そこで御謙遜なされる所が一介の武将とは違う所ですな」
「三郎に近しい其方だからはっきりと言うが、そもそも儂は弾正忠家の跡取りが三郎である事になんの不満も不安もないし、これから先も弾正忠家を分家として支えていくつもりだ」
気持ち良くなってついつい口が回ってしまう。
「故に謀反や独立を唆す話には、どれだけ豪華な餌をぶら下げられても飛びつく事はないのだよ」
とは言え、完全に聞き流す訳にもいかない。
何故ならそういう話を持って来る武士は、信長が当主になった時に注意するべき相手だからだ。
「頼もしい限りですね。三河様のような兄上を持てた事は、三郎様にとって幸運でありましょう」
皮肉ではなく本心からの言葉であると、少なくとも俺にはそのように感じられるような口ぶりは流石と言えた。
しかしなんでだろうな。
この茶坊主の話を聞いていると、そこはかとなく不安に思えて来るのは……。
前世で何かしたのか?
うぅむ、記憶にない。
というか最近前世の記憶が大分怪しくなってきている。
こっちで生まれて三十年近くになるからって言うのもあるけれど、なんとなく、俺が歴史を変えた結果のような気がしている。
この歴史が前世の歴史と離れれば離れるほど、俺の前世の記憶が薄らいでいく。
そんな感覚が俺の中にあった。
まぁ歴史に関してはもう前世の通りにはいかないだろうから、正直忘れてしまっても問題無い。
技術知識に関しても、思い出せるものは既に書き出して親爺や的栄達に伝えてあるから、あとは彼らが研究して完成させるかどうかの領域にある。
信廉とまた話をしてみてもいいかもしれないな。
前に話した時はどうにも戦国時代に染まってない感じだったから、ひょっとしたら俺より前世の記憶が色濃く残っているかもしれない。
「三河様、今よろしいでしょうか?」
拾阿弥と話していると、襖の向こうからそんな声がかけられた。
帰蝶だ。
「ああ、問題無い」
「失礼いたします」
俺が答えると、襖がすっと開いて帰蝶が姿を現す。
流石にそこは城主の奥方。襖は侍女に開けさせ、本人は堂々と立っていた。
俺も信長もその辺りを気にしないので、帰蝶も影響されているのだけれど、今日は拾阿弥がいるからか『城主の正室』として振舞っている。
「それでは、拙者はこれで」
「うむ」
そして拾阿弥が自然な形で席を立つ。
一瞬、二人の間にピリついた空気が流れたように思えたが、気のせいだろうか。
いや、気のせいじゃないな。
二人がすれ違う際、一切目を合わせようとしなかった。
拾阿弥は立場が低いので目を伏せて頭を下げていた。これだけなら何も違和感はなかった。
けれど、その間、帰蝶は彼の方を見ようともしなかった。
自然な態度で流しているんじゃなくて、意識して顔を背けようとしているように感じられた。
泰然自若という言葉がぴったりくる落ち着いた雰囲気を纏っている帰蝶にしては珍しい態度だ。
いや、俺はこんな帰蝶を見た事があるな。
それもごく最近。
「彼が苦手か?」
俺の前に座り、侍女が新しく運んで来た茶を口にする帰蝶に、俺はそう話しかける。
「……そうですね。苦手です」
誤魔化す事もできただろうに、帰蝶は素直に認めた。
「あの方なのです。その、殿に伝えたのは……」
「伝えた?」
「私に子供ができないと、斎藤家と弾正忠家の関係が悪化するかもしれないという話をしたのです」
「ああ……」
考えてみれば、信長にしてはおかしな思い付きだった。
自分でその可能性に至ったのなら、それがどうした、と開き直るのが信長だ。
斎藤家との関係悪化に憂慮する帰蝶を励ましこそすれ、一緒に悩み思いつめ、俺に妙な提案をしてくるような奴じゃない。
「言っている事は正しいですし、殿の事を第一に考えての事だというのもわかるので、あまり強くは言えないのですが……」
成る程、帰蝶の話で俺が拾阿弥に抱いた違和感の正体がわかった気がする。
拾阿弥は良くも悪くも信長が第一なんだ。
だから例え信長の意に沿わないとしても、信長の立場が危うくなるなら帰蝶との婚姻を続ける事に疑問を抱きそれを信長に進言できる。
本来であれば良い部下だ。
主君の顔色を伺って言うべきことを言えない家臣は奸臣にも劣ると言われる。
けれど、俺や帰蝶からすれば『信長の感情』を排除したその正論に反発を覚えるんだ。
そして帰蝶は頭が良いから、拾阿弥の言葉が『当主の後継者』に対する諫言としては正しい事を理解してしまう。
そして彼が信長を第一に考えている事もわかってしまうから、帰蝶は彼に反論らしい反論もできずに苦手意識を抱いてしまうのだろう。
「他の家臣に対してもそうなのか?」
「目の前で堂々と言うような事はありませんけど、殿に他の家臣の至らない所を話しているのは聞いた事があります」
きっとある事無い事吹き込んでいる訳じゃないんだろう。
ちゃんと、客観的に見て、信長にとって有益かどうかを評価して伝えているはずだ。
短い間ではあるけれど、彼と話をしていれば、それは理解できる。
彼は正しく、そして賢い。
だからこそ……。
「危ういな……」
「……はい」
正論は基本的に相手を傷つける。
心だったり、誇りだったり、その対象は様々だ。
「お前は間違ってるなんて言われて、嬉しい奴なんていないからな……」
そしてそれを受け入れられる人間ばかりじゃないからな。
とりあえず拾阿弥は十代の少女が好みそうな美少年となりました




