那古野の夜
大変長らくお待たせいたしました。
一人称視点です
天文21年6月。
親爺が現足利幕府将軍、足利義輝の要請を受け上洛を開始した。
ちなみにこの時期の義輝は義藤を名乗っていて、先に聞いてなかったら、道三の時のように間違えた名前で呼んでしまっていただろう。
今川家の歴史を氏真が語っている時に流れで義藤の名前が出てきたんだけど、最初、俺はそれを義輝の親か兄の事だと勘違いした。
正直この頃の畿内の動きは前世でよく知らなかったからな。
塚原卜伝に師事した関係だと氏真が自慢げに語らなければ、義輝の事だと思い至らなかっただろう。
将軍の名前を間違うとか、そもそも知らないなんて、武士としては少々まずい話だ。
そういう意味では氏真に感謝しないとな。
当時は自慢話うぜー、と思って聞き流しててすまんかった。
これからはもうちょっと真面目に聞く事にするよ。
いや、真面目に今川家は名門武家だけあって、その歴史を聞いているだけで色々と勉強になるんだよな。
前世の知識と合わせて思い違いをしていたりした事が結構あった。
さておき、その親爺の上洛を助けるために、信長が北伊勢に進軍するという。
その間の終わりの守りを俺に任せるという話だ。
織田弾正忠家一門とは言え、分家の当主に持って来る話じゃないだろう。
それこそ城主に任命されているけれど、一応弾正忠家の家臣になる山崎城の信時とか、先年生まれた俺の妹との婚約が発表された佐治家とか、まずは頼るべき家が他にあるんじゃないのか?
今川との戦が終わって落ち着いているだろうって話だけど、むしろ戦が終わったからこそ、俺は忙しいんだが……。
とは言え、忙しいんで無理です、とはいかないのが俺の立場の難しいところ。
俺が断ったからって、すぐに安祥に対して討伐命令が下される事はないだろう。
流石に、もうそれが可能な国力差じゃなくなってる。
けれど、これが原因で尾張国内が乱れてしまえば、安祥も安泰とはいかなくなる。
安城的栄が義元の弟という立場を活かして、今川家と色々交渉してくれているが、その今川家がうちとの和睦を飲んでくれたのは、天竜川での勝利もあるが、何より安祥家が安定しているからだ。
なのに、尾張、つまり安祥家の西側が騒がしいとなれば、義元の野心に再び火がつかないとは限らない。
だから、尾張の安定は三河と西遠の平穏にも繋がる。
そう家臣たちを説得して、俺は兵二千を連れて尾張は那古野城を訪れた。
「兄上、はなしがある」
「三郎か。暫し待て」
夕食を終え、あとは寝るだけ、という時間帯。
ある程度重要度の低い書類仕事を持ち込み、与えられた那古野城の一室で仕事をしていると、障子の向こうからそんな声がかけられた。
「うむ。多少時間がかかっても良いからおれの部屋にこい」
そう言い残して信長が去っていく気配がする。
わざわざ自分で呼びに来るとはよっぽど重要な案件か?
それとも、小姓にすら秘密にしたい話だろうか。
とりあえずキリの良い所まで仕事を終わらせて、俺は足早に信長の部屋に向かった。
「して、何用だ?」
部屋には信長の他に帰蝶がいた。
どこか、思いつめたような表情をしている。
「うむ、あす、おれは兵を率いて北伊勢へと出発する」
「そうか。大きな戦にはならんと思うが、それでも何があるかわからん。決して油断せぬよう気を付けるのだぞ」
「うむ」
信長の出発予定は聞かされていたから、これが本題という訳じゃないだろう。
この程度の話で、わざわざ人払いをしてまで俺を呼ぶ必要がない。
「当然のはなしではあるが、お濃はつれていけぬ。この城に残すことになる」
「帰蝶の身の安全の話か? 勿論、大事な其方の妻であり、儂の大事な義妹だ。言われるまでもなく……」
「いや、そうではない。いやそれもなのだが……」
信長が俺の言葉を遮るが、どうにも歯切れが悪い。
いつもの言葉が足りないのとは少し違う。
言いたい事、言わなければならない事はあるが、どう言えばいいのか、迷っている感じだ。
「長広兄上」
逡巡したのち、信長は覚悟を決めたように俺を真っすぐに見据えて名前を呼ぶ。
何故その瞳の奥に、大合戦を前にしたような決意の炎が見えるのだろうか。
「孕ませてくれ」
「…………は?」
信長の言葉の意味を理解できず、俺は反応が遅れた。
そしてようやっと発することができたのは、その一言だけだった。
つまりまだ、俺は信長の言葉の意味を理解していなかった。
という訳で更新再開です
何やら爆弾発言で終わりましたが、信長の真意は果たして……




