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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第六章:遠江乱入【天文二十年(1551年)~天文二十一年(1552年)】
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川中島の戦い 前夜

三人称視点です。


天文21年3月。

武田家は雪解けもまばらなこの時期に軍を動かした。


信濃北部を流れる犀川の手前で軍を止め、そこに野戦陣地を構築し始めた。


彼らは年末から信濃での戦を想定して準備を進めていた。

連れてきた兵は4000。率いているのは武田家当主、武田大膳大夫太郎晴信。


その数は大軍と言えるものだったが、彼らが想定している戦からすれば物足りない数でもあった。


武田家は北信濃の豪族たちだけでなく、越後へ逃れた村上義清。そして、その義清が助力を願った長尾景虎との戦を想定している。


だからこそ、この勝てるかと言われれば言葉を濁すような数を設定したのだ。


「長尾景虎の評判を信じるに、彼は間違いなく村上義清の要請を受けて、旧領の奪還を図るでしょう。そしてそれに成功した場合、そのまま越後へと戻るでしょう」


この武田の行動の裏には、信廉のそんな進言があった。


「しかし村上の討伐、北信濃の完全なる平定は武田の悲願。ならば我々は越後勢が退いた後も信濃へ軍を進める事となるでしょう」


当然そうなると、再び長尾家が信濃へと戻って来るだろう。

だが、彼らには大義名分が無い。村上家からの救援を受ければ問題無いが、やはり彼らは武田を撃退したら越後へ戻るだろう。


いかに景虎に人望があろうとも無い袖は振れない。

そのような遠征を繰り返していたら、長尾家の国内はあっという間に荒廃してしまう。


そうなれば、武田や周囲の勢力から攻められ、調略をしかけられ、長尾家は早晩滅びてしまう。

それは景虎は勿論、彼の家臣もわかっている事だ。


「故に、彼らは村上家の旧領を奪還したのちは、信濃への侵攻の大義名分を手に入れてくるでしょう」


しかし長尾家がいかにしてそれを手に入れるのか。

武田を抑えるためには、長尾家が信濃を支配する必要がある。

村上家をはじめとした、北信濃の勢力からの援軍要請だけではそれが叶わないのだ。


「長尾景虎は越後国主、上杉定実の跡を継ぎ国主となりました。これは斎藤道三のようにその地域で最も力があるからと勝手に名乗っている訳ではなく、幕府から正式に認められたものです」


それを受けて、景虎は自ら幕府に参内するだろう、と信廉は続けた。


国主と認められても、書状くらいで済ますのが現在の幕府と武士の関係だ。献金すればまだいい方、という現状である。

京の近隣の大名ならともかく、遠い越後からわざわざ礼を言いにくるとなれば、その忠義心は他と比べ物にならない。


少なくとも、幕府はそう判断するし、国の乱れに頭を悩ませている朝廷もこれを支持するだろう。


「越後周辺の治罰の綸旨を賜ってくることは想像に難くありません。幕府や朝廷も、武田と信濃で争っている状況は把握できるでしょうからね」


そして隣国治罰の権利を与えられれば、長尾家が信濃へ軍勢を向かわせる事に何の障害も無くなる。

逆に、戦が長引くような事になれば、武田が朝敵として周辺勢力から攻撃される可能性が生まれる。


「故に、長尾家との戦はこの一戦で決着をつけねばなりません。叶うならば長尾景虎を討ち取る事が最良でしょう。彼は陣頭指揮を執るという事ですから、長尾家に勝てるならば不可能な事ではありません」


しかし、その『長尾家に戦で勝つ』事が何よりも難しかった。

相手は初陣で何倍もの数の敵を相手に勝利し、以降連戦連勝の『越後の軍神』。


決して楽観視して良い敵ではない。


「故に相手に与しやすしと思わせ、こちらの陣地深くに誘い込みます。その後、事前に配置しておいた伏兵で背後を強襲。包囲殲滅が可能ならばそれが一番ですが、難しいようなら武田の信濃領有を認める条件で和睦に応じましょう」


この信廉の意見は採用され、武田は犀川前に布陣した主力とは別に、犀川を越えた位置にある東西の山中にそれぞれ1000の兵を潜ませていた。

率いるのは信濃の旧領奪還を目指す真田幸綱と若手の出世頭、春日虎綱である。


これは川中島は一回で終わるかな。などと緊張しながらも軽い気持ちで戦の準備を進めていた信廉に、年明け、凶報が舞い込む。


長尾景虎が年始に将軍に謁見し改めて越後守護の役職を認定して貰い、更には朝廷から隣国治罰の権利を与えられたというのだ。


「其方の予想、当たったな」


昨年、どや顔で信濃での戦について語っていただけに、年明けの評定の際、顔を青くしていた信廉に、晴信がそう声をかけた。


越後国主と認められた礼をしに景虎が参内し、そして朝廷から信濃侵攻の大義名分を受け取って来る。

それは確かに信廉の口にした予想だ。

だが、それは村上の旧領を奪還したのち、武田がその後も北信濃を窺う動きを見せていた場合の予想だった。


「軍神がその上を行ったというだけの話よ」


「敵ながら流石ですな」


「それでこそ、倒し甲斐があるというもの」


晴信の言葉に追随するように、馬場信春ら重臣が信廉を責めるのではなく、景虎を称賛した。


「むしろ頼もしいではないか。我が弟は軍神との知恵比べに負けたからと悔しがっておるのだ。我らの中の誰があの軍神と対等に渡り合えると思えるのか」


自分は今、庇われている。

晴信の言葉に心を救われながらも、信廉は同じ心で臍を噛んでいた。


「兄上、戦を長引かせる事はできますか?」


俯いていた顔を上げ、信廉は晴信に進言する。


「物資が尽きないのであれば、いくらでも」


実際に槍を合わせるならば負ける事は有り得ない。晴信はそう即答した。


「ならば半年……いえ、三月みつきの間越後勢を信濃に留めおいてください」


「策があるのだな?」


「本来ならば、今回の戦で景虎を討ち取る事も、越後勢に壊滅的な打撃を与える事もできなかった場合に用意していたものですが、ここで使います。ただし、まだ機が熟すには不十分ですので、成功するかはわかりません」


「構わぬ。勝てると思うたらこちらも独自に動く故、其方の思うようにいたせ。して、その策とは?」


「はっ。長尾が朝廷を利用したように、我らも朝廷を利用いたします。それも信濃治罰の大義名分などという回りくどいものではございません。信濃の支配者としての権利を貰ってきましょう」


信廉の言葉に、評定の間がざわつく。


「可能なのか?」


「可能です。ただし、信濃で長尾家が戦をしており、まだまだ決着がつかない、という前提が必要です」


「どのような妖術だ?」


訪ねたのは信繁だった。

彼の物言いに、評定の間の空気が一瞬和む。


「幕府は現在管領細川晴元の傀儡となっております。しかし、その権勢も盤石ではありません。むしろ、状況としては不利でしょう」


「畿内の争いに武田が介入するのか? その対価として信濃を要求すると?」


「いいえ。畿内に軍勢を派遣しても、土地が遠い我らには何の利益もありません。それは他の大名も同じです。しかし、一つだけ、そんな遠い京に軍勢を派遣する物好きが、いえ、派遣せざるを得ない間抜けが存在しております」


「……長尾か」


「はい」


晴信の呟きを信廉が肯定する。


「彼らは打算的な考えか、あるいは本当に義に厚い故かはわかりませんが、国主に任ぜられた礼をしにわざわざ京へとおもむきました。それ故の朝廷からの綸旨でしょうが、逆に言えば、幕府が今頼れる相手は長尾家しかいないのです」


「管領殿の状況が圧倒的に不利になれば、長尾家に上洛を要請すると?」


「はい。しかしその時、長尾家は信濃で戦をしていて動けません。私欲に基づく戦であれば、すぐにやめてこちらに来い、と強引に呼ぶ事もできますが、朝廷から隣国治罰の権利を受けた上での戦です。影響力の落ちている幕府が強引に停戦させれば、朝廷は管領政権を見限る可能性さえあります」


「そうか。長尾家は朝廷の命令で信濃で戦っているようなものであるから、幕府がそれを超えて招集する訳にはいかない。とすれば、幕府が停戦命令を出すのは長尾家が戦っている相手となるな」


「しかしそれでは、我らが得るものが逆にないのでは?」


口をはさんだのは信春だった。


「幕府には時間がありません。すぐさま長尾家を呼び寄せたいはず。しかし、武田家が幕府の命令に従わなかったらどうでしょう?」


「本来なら討伐命令を出すだろうが、それで武田が亡びるまで時間がかかるな。その間に管領殿が敗北すれば意味が無い」


「そうか。そこで条件を出すわけだな? 武田家による信濃支配を認めるなら、長尾家と停戦する、と」


「実際この数ヶ月、北信濃は武田家が実質的に支配してきましたので、平時なら認められない主張も、今回に限れば正当性を持たせる事が可能です」


それは信廉の前世において、三度目の川中島の戦いで武田が用いた策だった。

一度目の戦いである村上家の旧領奪還と、二度目の戦いが融合されたような流れになったのが今の戦であるならば、前世においては今川に停戦の仲介を要請する事になっていただろう。


しかし、今の今川では脅しにならない。

前世では三国同盟もあっての停戦だ。それこそ、長尾は北条と結んで今川を攻めさせる事も可能なのだ。


それに、前世の知識があるため、信廉は対長尾家用に幾つもの策を巡らせているし、戦の準備も万端整えている。

今川に仲介して貰って仕切り直しをする必要も無いのだ。


しかし同時に不安もある。


「勿論こちらで風聞を流し、管領の対抗勢力を煽り、管領の不安も煽るつもりですが……」


「なるほど、機が熟しておらんとはそういう意味か」


ただ細川家の影響力が落ちているだけでは長尾家に上洛要請を出す可能性が低い。

実際に、対抗勢力から圧迫され危機感を覚えて貰う必要があった。


前世ならここから三好長慶が硬軟織り交ぜた政治手腕を発揮して、細川晴元を権力の座から引きずり下ろすのだが、果たして今の時点でも可能なのか。

それが未知数であった。


「先も言った通り、成功しなくとも構わぬ。今回で決着がつかなければ再び信濃で長尾家と相まみえる事になろう。その時に使えるようになっていれば良い。長尾家が信濃から手を引くまで、何度でも戦を仕掛けてやろうぞ。その間の一回で成功すれば良いのだ。孫六信廉に太郎晴信が命ずる。京へ赴き、幕府から停戦要請を引き出す手筈を整えよ」


「はは!」


晴信の命を受けて、信廉は頭を下げた。

頼りにされた事を嬉しく思う反面、やはり、庇われている事に力不足を感じていた。

晴信は、停戦命令を引き出して来いとは言わなかった。

彼が言葉にしていた通りに、今回成功しなくても良いという命令だった。


それはつまり、失敗した時に信廉に責が及ばないよう配慮したという事でもあった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 以前信廉が残念な人と書いた者ですが、活躍しているようで嬉しいですね。 色々な読者がいるでしょうが、私は個人的に、信廉にも情が移ってしまったようです。 今後の展開楽しみに…
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