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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第六章:遠江乱入【天文二十年(1551年)~天文二十一年(1552年)】
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信長と藤吉郎

三人称視点です。

時間軸は安祥新年祭以前のものになります。


「まぁ、体よく断られたのだろうな」


尾張へ向かう途中の道を歩きながら、木下藤吉郎は深いため息を吐いた。


主君親子こそよくしてくれたものの、仕えていた松下家では不遇の日々を送っていた。

そしてとうとう其方のためにならぬ、と松下之綱から改易を申し渡される。

之綱も藤吉郎に悪いと思ったのか、内容の良い紹介状と路銀としてまとまった銭を渡してくれた。


雇ってくれた事にも、そうして世話をしてくれた事にも感謝している。

だからこそ、余計に無念でならなかった。


同じ遠江に勢力を持つ安祥家に仕官を願ったのは、そうした思いがあったからかもしれない。

勿論、一番の理由は近場で最も勢いのある勢力だからだ。

家柄より実力で評価してくれると聞くし、例えかつて敵であったとしても、功績で重用されるという話も聞いていた。


今川と安祥の関係はまだまだ予断を許さない。

いずれ戦になるとしたら、支配領域の近い松下家は早い段階で標的になり、そして今川の援軍を待たずして滅亡する可能性がある。


その時に、自分が安祥にいれば、そこである程度の評価を得ていれば、松下親子を救う事ができるかもしれない、という思いが、当時の藤吉郎にはあった。


だが、藤吉郎の安祥家仕官は叶わなかった。


「やはり、こちらに非が無いとは言え、旧来の家臣と揉め事を起こすような人間はいらないか……」


松下家が藤吉郎を迫害していた家臣を諫めず、藤吉郎を追い出したのもそれが理由だろう。

藤吉郎がいらないという訳では勿論ない。

旧来の家臣と天秤にかけた場合、藤吉郎に傾かなかったというだけだ。


そういう意味では、将来的にそうなる事を危惧して雇う事すらしなかった安祥家には先見の明があると言えるのかもしれない。


「さて、どうするかな……」


安祥長広からは彼の弟にあたる、弾正忠家の嫡男、織田信長への仕官を勧められた。

紹介状も書いてもらったし、尾張までの路銀も渡された。


このまま正直に尾張へ行く必要は本来ならない。

路銀としては相当多いこの銭を使って商売をしてもいいし、別の仕官先を探しても良い。


それでも藤吉郎はひとまず尾張を目指した。

正直、家を飛び出した事で母に対して罪悪感があったし、関係の良くなかった義父の事を思えば、あまり向かいたくない場所だ。


ただ松下家にいた頃も勿論だが、尾張や三河で放浪生活をしていた時にも噂は聞いていた。


安祥長広の耳は閻魔のごとく。目は千里を見通し、腕は非常に長い。


自分のような小者に監視がついているとは思わないが、それでも決して少なくない銭を渡されている。

もしも安祥家の諜報機関が自分を見張っていたとしたら……。


万に一つも有り得ないが、億に一つの可能性で殺されてはたまらない。


別に那古野に行ったからと言って殺される訳ではないのだ。

できるだけ金を節約して素早く向かい、そして断られたら、残った銭を利用する方法を考えればいい。


仕官が叶えばそれでいいのだが。


「まぁ、無理であろうなぁ……」


尾張に入って藤吉郎はその頻度が多くなった溜息を吐く。


尾張と三河の国境には関所こそあるものの関税などは取られなかった。

そもそも、西遠、三河、尾張南部を繋ぐ街道は、安祥家、山崎織田家、水野家の領地を通っている。

藤吉郎の常識では、それぞれに関所が設けられていて、その都度税を取られるものだった。


しかし、それぞれの領域の境には関所すら存在しなかった。


流石に、山崎織田家と水野家、水野家と織田弾正忠家の領地の境には、砦のようなものが存在していたが、道行く人を監視する程度で、通行を止められる事すらなかった。


そして尾張に入れば、その発展ぶりに驚かされる。

これまでの街道もそうだったが、道が広く平坦であり真っすぐに伸びている。

脇に植えられた大木の下で、休憩している人が大勢おり、それらを相手にする行商人まで存在していた。


尾張国境から那古野城下までの間に相当数の茶屋や休憩所、宿場が存在し、そのどれもが賑わっていた。


土地で言えば尾張一国。しかし、その経済力は地方の数カ国に匹敵するだろう。


そんな大大名とも言える弾正忠家が、出身こそ同じ尾張とは言え、各地を放浪していた下級武士未満の下っ端をわざわざ雇うとは思えなかった。

下男として雇って貰えれば御の字といったところだ。


藤吉郎が尾張にいた頃、信長はうつけの若殿として悪い意味で有名だった。


はたしてこの尾張の発展ぶりは信秀の才覚か、信長の才能か。


那古野城下に入ったところで、藤吉郎は鼻孔をくすぐる臭いに引き寄せられた。

今まであまり嗅いだことのなかった甘い匂いは、年配の女性が切り盛りする一つの屋台から発せられていた。


「良い匂いですな」


「おやいらっしゃい。見ない顔だね。商人……旅のお侍さんかい?」


藤吉郎が声をかけると、店の女主人は笑顔でそう応じた。

明るく張りのある声。

女性の生来の性格もあるだろうが、生活が豊かで余裕のある証でもあった。


「これは……食べ物なんですか?」


屋台で売られていたのは、金色に輝く芋のようなものだった。


「ああ、これは安祥で最近作られるようになった、安祥芋を焼いて、蜂蜜をかけたものだよ。蜜芋焼きって食べ物さ」


「蜂蜜を!?」


それを聞いて藤吉郎は思わず値段を確認する。


「さ、三文!?」


木皿に一口大に切り分けられたと思しき、安祥芋が三つ乗ったものが一つ三文。

砂糖ほどではないとはいえ、自然から採取するしかない蜂蜜も相当に高価だ。


「まぁこれは今年の値段だよ。安祥家で蜂蜜を作る、養蜂ってのが始まったらしくてね。今年は成功したけど来年はどうなるかわからないそうだから」


「な、なるほど……」


「それに、清州や古渡じゃあ、安祥家から砂糖が献上されてる事もあってか、蜜芋焼きに砂糖をまぶして食う事もあるらしいからね」


「これに更に砂糖を……!?」


「まぁ安祥家では少ないけれど砂糖が作られてるそうだから、相変わらず高いけれど、他の領地に比べたら随分と安いらしいよ」


ちなみに、多くを献上品に回しているため、出回っている量は安祥家の領地よりも弾正忠家の領地の方が多くなっており、値段の逆転現象が起きている。


「ひ、一つ貰おうか……」


「はいよ、三文ね」


細く小さな木製の針を一つ刺し、店主は藤吉郎に蜜芋焼きを手渡す。


「あむ……」


恐る恐るといった様子で口に運んだ瞬間、藤吉郎は脳が蕩けるような快感を味わった。

普段藤吉郎が食べている芋と比べて、この安祥芋なるものはそのものが甘い。

それにかかった蜂蜜とはまた違った甘さだ。

種類の違う甘味が口の中で絡み合い、濃密な甘さを形成、藤吉郎の脳を直撃したのだ。


普段からあまり甘いものを口にしない藤吉郎には、耐性がほぼ無かった事も原因だろう。


(これが、三文……!? これが弾正忠家の力。これが安祥家の力……!)


あまりの衝撃に藤吉郎は目の前が真っ白になった。


あまりにも自分の想像を超えていたため、理解が及ばなくなってしまったのだ。

そして、残された冷静な部分が、糖分という栄養を得て別の事を考える。


(このような家に拙者のような存在が仕官する事は勿論、仕官を願う事すら本来ならばできまい。それを安祥の殿様は紹介状を持たせて推薦してくれたのだ)


自分では気づいていない何かが、自分にはあるかもしれない。

故郷では望めなかった何者かになる。漠然とそんな事を抱いて、家を飛び出してから生きてきた藤吉郎だったが、そんなあやふやな願いは成就されるはずがなかった。

しかし、自分でもわからなかったその『何者か』を、安祥長広は見抜いたのかもしれない。


見抜いたからこそ、松下之綱は自分を解放したのかもしれない。


(ならばこれは運命か)


藤吉郎の視界が戻って来た。

顔上げると、町並みの奥に那古野城が見えた。


これまでのように、行けと言われたからとりあえず行ってみよう、などという考えではなく、藤吉郎はこの時初めて、自らの意思で那古野城に向かう事を決意した。




城に着くと門番に紹介状を渡す。

面倒くさそうな様子で最初は応対していた門番だったが、中を一瞥しただけで突然態度が変わった。


「し、少々お待ちください!」


藤吉郎のような武士かどうかすら怪しい存在にそのように言うと、門番は城の中へと駆けて行ってしまった。

暫くして、門番が一人の武士を連れて戻って来た。

どちらも慌てた様子で、まるで藤吉郎を待たせてはいけないと思っているかのようだった。


「お初お目にかかる木下殿。拙者は織田三郎信長が家臣、毛利新左衛門秀高と申す。当家への仕官をお望みとあるが誠であろうか?」


目つきの鋭い若武者が頭を下げて挨拶をすると、そのように聞いてきた。

はっきり言って、藤吉郎のような者に対する態度として丁寧過ぎて異常だった。


「は、はい。その通りです……」


何故そのような事になっているかはわからなかったが、原因が長広の書いた紹介状である事は間違いがなかった。

一体あれにはなんと記してあったのだろうか。


「ではご案内いたします。殿の準備ができますまで、そちらでお待ちくださいますよう……」


このような時は屋敷の外の庭にでも適当に放置して待たせておくのが普通だし、安祥家でさえそうだった。

しかし、藤吉郎が秀高に案内されたのは屋敷内のそれなりに広い部屋だった。


ふかふかする感触の布に座る事を許され、茶と菓子まで出される厚遇ぶりである。


本当に、あの紹介状にはなんと書かれていたのだろうか。


「三郎様の準備が整いましたので、お通しさせていただいてもよろしいでしょうか?」


「あ、お願いいたします」


暫くすると襖が叩かれ、返事をするとそのように声がかけられた。

既に緊張と混乱で思考がいっぱいいっぱいだった藤吉郎は適当にそう答えてしまう。


そして気付く。


お通し(・・・)させて(・・・)いただく(・・・・)


それは藤吉郎が信長の待っている部屋に向かうのではなく、信長がこちらに来るという事か?


慌てて立ち上がり、襖の向こうに声をかけようとする前に、目の前の襖が開かれた。


(やはり運命だったのだ……)


開かれた襖の先にいた人物を目にし、藤吉郎は呆けたように固まってしまう。

盛装をした信長は部屋に入ると、固まって動かない藤吉郎の脇を抜け、上座へと移動する。

その間、藤吉郎はかろうじて顔だけ動かして信長を追っていた。


整った顔立ちに怜悧な切れ長の目。灯る知性の輝きには情熱の炎の揺らめきも見えた。

鼻筋は通り鼻梁はやや上向き。大きな口は唇が厚く艶めかしさを感じられる。

顎は細く丸みを帯びていて、首筋の白さは背徳的な興奮を藤吉郎に齎す。


(拙者はこの方に仕えるために、これまでを生きてきたのだ……!)


上品な仕草に堂々とした振る舞い。

神々しさすら感じられる信長を前に、藤吉郎は興奮と歓喜の坩堝の中にいた。


藤吉郎に衆道の趣味はなかった。

むしろ、寺に入れられていた時代、上役が好みの子供を寝所に引っ張りこんでいたのを見て嫌悪感を抱いていたくらいだ。

藤吉郎は彼らの好みに合わなかったのか、夜の修行に付き合わされることはなかったが、その代わり、昼に彼らの鬱憤を晴らす道具にされ、青痣の絶えない日々を送っていた。

それらが合わさった結果、藤吉郎にとって衆道とは憎むべき相手となっていた。


その自分が、信長から目を離せないでいる。


女性と言われても信じられる美しいかんばせ。そういう目で見ると、体つきも女性のそれのように見える。


衆道を忌み嫌う自分にこれほどの感情を抱かせる男性(・・)がいるだろうか。

いやいないに違いない。


ならばこれは、間違いなく運命だったのだ。


欲しい。今すぐ信長が欲しい。

だが相手は弾正忠家の跡取り。これから自分の主君になるかもしれない存在。


立場的に手に入れるのは不可能だし、力ずくでは猶更無理。

多くの武将は小姓を相手にそういう事をすると聞いた事があるが、自分の年齢と容姿ではそれも望めまい。


ふと、信長には顔つきの似た妹がいるという話を思い出す。


弾正忠家の娘ともなれば、自分のような下級武士との婚姻は許されないだろう。

それでも万が一にも億が一にもなかったとしても。


例え那由多のほどに遠い可能性だったとしても。


死に物狂いで働いて功績を挙げれば、下賜されるかもしれない。


「紹介状は読ませてもらった。ずいぶんと兄上から評価されているようだな……」


「なんでもします! 雇ってください」


「ん?」


信長の言葉を遮るように、藤吉郎はそう叫ぶと、見事な土下座を決めてみせた。

信長の後から入って来た、家臣達がざわつく。


「なんでも……か。ならば、貴様ひとりで城をおとしてこいといったらどうする?」


「幾らかの銭をお貸しいただければ、見事やり遂げてみせましょう!」


「ほう……」


ただ闇雲に精神論を口にするのではなく、何かしらの策があるかのような返答に、信長は口の端を釣り上げる。

もしからしたら口から出まかせかもしれない。

しかし、即座にそのような答えが出せる頭の回転の速さを信長は気に入った。


長広からの紹介状にも、丈夫で真面目。機転が利いて要領が良い。と記されていた。

何故長広が手放そうとしたのかはわからない。しかし、拾い物である事は間違いがなかった。


「よかろう。ならばしばらくその働きぶりをみさせてもらおうか。うまや番を申しつける」


「はは!」


信長の言葉に額を畳みに擦りつけ、藤吉郎は平伏して承服するのだった。


感想でご指摘いただいていた通り、女好きで知られる秀吉は信長から何かを感じ取ったようですね。

具体的には女性ホルモンというか、フェロモン的なものを。


藤吉郎「信長は女性としてなら好みだけど、男性じゃ手を出す気がおきない。しかし顔の似ている妹がいるそうだ……ひらめいた」

勝家「ロリコン巣に帰れ」

利家「なんというおまいう……」

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― 新着の感想 ―
利家はおまいう資格ねえわ
[一言] そんな利家におまいうwww
[一言] 懐で草鞋を温めるのが変態的理由になりそう
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