未来の英雄との邂逅 千成瓢箪編
「拙者は農民の出でありますが、つい先日まで遠江頭陀寺城の松下加兵衛様に仕えておりました。槍働きだけでなく、馬の世話、炭などの日用品の仕入れ、城の普請など様々な仕事に従事しておりましたので、大抵の事はできると思います……」
マジか……。秀吉マジか……。
逸話を紹介するまでもなく有能な武将だし、話半分だったとしても相当な『当たり』だぞ。
「三河様の領地では土木工事や田畑の開発など作事の仕事が多いと聞きます。それならば、拙者にも経験がありますので、必ずお役に立てると存じます」
しかも例えば本多忠勝やら井伊直政らのように、養育を間違えたら史実のような活躍ができないかもしれない人物と違って、仕事さえ与えておけば史実通りに活躍してくれるだろう逸材だ。
欲しい。すげぇ欲しい。
けれど問題がある。
それは、信長の覇業に秀吉は必要だって事だ。
俺が信長周りの若い武将に声を掛けないのは、誰が信長にとって必要な人材かわからないからだ。
前田利家だったり、佐々成政だったりといった有名どころは勿論、俺がよく知らない武将が何か重要な役目を担っていた可能性は捨てきれないからな。
ひょっとしたら柴田勝家を引き抜いたとしても、代わりを別の武将が担えるかもしれない。
けれど、秀吉はわかりやすく、替わりがいない武将だ。
墨俣一夜城くらいなら、任務を言い渡された武将に入れ知恵する事で再現可能かもしれないが、金ヶ崎退き口や、横山城の戦いなんかは難しいよなぁ。
まぁどっちも起きないようにする事が重要なんだけど、保険は必要だ。
秀吉は欲しいけれど、信長の勢力を削るのはまずい。
さて、何と言って信長の元に行ってもらおうか……。
追い返すだけなら簡単だ。
けれど、それで尾張に、信長の元へ向かうかと言われると微妙なところでもある。
松下家に仕えてる間なら、その義理によって引き抜きを防げていたかもしれないが、フリーの身になれば信廉が放っておくとは思えないからな。
「確かに得難き人材のようだ。しかし、それならば何故当家に仕官を願い出た? 松下家は滅んだわけではあるまい」
今川方の遠江衆として頭陀寺城で健在だ。
むしろ、過去に安祥城攻めで太原雪斎を庇って命を落とした武士の首を持ち帰った功績から、その発言力は大きい。
「それは……」
俺の質問に目を逸らし、言葉を濁す秀吉。
そう言えば、秀吉が信長に仕える以前、今川家の家臣に仕えていたってのは聞いた事があったけれど、そこを辞めて信長に仕える経緯は知らないな。
桶狭間で義元が討たれたせいか?
あれ? 秀吉って桶狭間の時信長家臣じゃなかったっけ?
「そう言えば、松下の家にやたらと目端の利く者が仕えていると聞いた事があるな」
気まずい沈黙を打ち破ったのは、何故か面談に同席していた氏真だった。
「知っているのからいで、彦五郎」
「詳しくは知らないが、左助……ああ、加兵衛之綱の父だな。その者が周囲に『いいの獲ったわ』と自慢していると噂で聞いた事がある」
「親子そろって信頼されているというなら、ますます出奔する理由がわからないのだが?」
「三河殿ならばそうだろう。だが、外様の雑用係が主君に褒められるという事態を良く思わない者は多いのだ」
「ああ、なるほど」
これが武辺者というなら別だったんだろうけれどな。
「そ、その通りでございます! さすがは治部大輔様のご嫡男」
退職理由を口にするならこの流れだと察したのか、秀吉が前のめりになりながらそう声を上げる。
「拙者のような流れ者を重用していただいた松下家の恩に報いるべく、任務に邁進していましたが、それを快く思わない者から嫌がらせを受けまして。勿論拙者はそれでも松下様さえ理解していただけるなら我慢する事もできたのですが、そのように理不尽な扱いに耐える姿を見るのは忍びないと加兵衛様は仰られて……」
よく喋るだけじゃなくて身振り手振りを交えて感情たっぷりに話すなぁ。
氏真なんか聞き入ってるし。
まぁ、松下家が秀吉を重用していたのは事実みたいだし、何か粗相をして追い出された訳でもない事は実は知っていた。
秀吉が之綱から渡された紹介状を持参してたからな。
何故クビにする事になったかは流石に記されてなかったけど、真面目で丈夫で機転が利く、とベタ褒めだった。
しかも秀吉は城を追い出される際、之綱にまとまった金を渡されていたそうだ。
外様で下っ端の雑用係に対するにはかなり丁寧な扱いだ。
松下家が秀吉を追い出す事に負い目を感じているのがわかる。
秀吉の優秀さもさることながら、そんな考えを持つことのできる松下家に対する俺の評価が上がっていくのを感じる。
「ならば当家では其方を雇う事はできぬ」
しかしこれは良い情報だ。
秀吉を体よく追い払い、尾張に向かわせる方便を思いつく事ができた。
「な、何故でございましょうか!?」
「知っての通り、当家と今川家は戦が終わったばかり。和睦が成ったとは言え、予断を許さぬ状況である事は、天竜川を越えて来たならわかるだろう」
「そ、それは……」
秀吉は俺の隣に座る氏真をちらりと見た。
うん。こいつがここにいると説得力ないよね。
それでもここは押し通す。
「いつ再び戦になるかわからぬ。安祥家と今川家の本格的な戦ならともかく、家臣格同士による小競り合いならばすぐにでも起こりかねないのが現状だ」
「あ……」
そこで秀吉は、俺の言いたいことを理解したようだ。
「その時の相手が松下家だったとして、其方は槍を向けられるのか?」
「…………」
「むしろ最前線で逃げ出してくれた方が、其方一人の損失で済む。だが、其方を後方に配置していたなら、松下家に手柄を立てさせようと画策された場合、その損害の大きさは計り知れない」
「決してそのような事は……」
「無いという事を今この場で証明できるか?」
「う……」
「それ故に当家で其方を雇う事はできぬ。その代わりの家を紹介しよう」
「え?」
「儂からの紹介であれば間違いなく仕官が叶うであろう。しかし、そこは当家以上の実力主義の家だ。仕えた後の評価は其方の働きによってのみなされる。逆に言えば、実力のある外様が出世を目指すなら、最適の場所だと言えるだろう」
「そ、それはどちらで……!?」
「尾張の那古野城城主、織田三郎信長だ」
なんとかうまく誘導できたな。あとは秀吉が素直に尾張に向かってくれればいいんだが……。
遠江や三河に留まるならともかく、信濃や美濃に向かうようならいっそ……。
なんとか丸め込んで仕官を断る事に成功しました。
最後が若干不穏ですが、那古野城に行くかはともかくとりあえず尾張には向かうでしょう。




