巨獣、動く
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天文二十年六月。遂に巨獣が動いた。
駿河を支配する『海道一の弓取り』今川義元率いる三千人に加え、東遠に配置されていた今川家家臣を中心とした一万五千もの大軍勢が、遠江天竜川西に居座る安祥家を目指して行軍を開始した。
一門衆である堀越氏延、義元の父、氏親の娘婿の瀬名氏俊。
同じく一門衆の新野親矩、氏親の代から仕える小笠原家当主、小笠原氏興。
そして今川家の『両翼』朝比奈家から、若き当主泰朝に代わり、掛川城城代、朝比奈泰以。
更に駿河の国衆から家老の三浦正俊、岡部親綱などそうそうたる顔触れが揃っていた。
駿河東の守りは残しているが、この隙を突いて北条が進出してこないよう、上総の里見家、常陸の佐竹家に先年の河越夜戦で関東勢で北条に味方した数少ない大名家である千葉家を攻めさせるなどの裏工作も施している。
また武田家を介して武蔵の山内上杉家を支援し、一時的にとは言え、北条の動きを完全に封じる事に成功していた。
先の三国同盟の申し出から、武田が今川との関係悪化を懸念しているのは明らかであったので、そこをつついて上手く動かした形だ。
三国同盟が成らなかった以上、武田も北条の動きは煩わしく思っているはず。
その北条の勢力拡大を遅らせられるなら、武田は承諾するだろうと義元は踏んでいたが、難なく成功させてしまうのは、流石と言えた。
農繁期が終わってすぐに動けるように準備していただけあり、今川家の動きは早かった。
寄り親寄り子制を採用し、有事の際に素早く兵力を集める事ができるようになっている今川家とは言え、その速度は完全に安祥家の想定を超えていた。
農繁期が終わってから出陣の準備を始めるだろうと考えていた長広は、天竜川東の匂坂城の調略を中止し、これに備えなければならなくなった。
「安祥軍は曳馬城を中心に天竜川西に複数の砦、城を築いている模様」
小笠山西麓にある、小笠原氏興の居城、馬伏塚城に入った義元は、そこで安祥軍の動向を探らせていた家臣から報告を受けていた。
「ふん、天竜川西側全域を広く守る布陣か……。舐められたものよの」
地図に書き込まれた布陣図を見て、義元はつまらなそうに呟く。
安祥軍は天竜川を巨大な堀に見立て、渡河してくる今川軍を阻止する戦略だった。
攻撃地点の決定権は寄せ手にあるため、天竜川全域に兵を配備している安祥軍の考えはある意味で正しい。
「だがそれは、並みの武将が相手の場合の話よ」
情報では安祥軍は西遠の国人衆を上手く取り込み、二万の大兵力になっているという。
正面からぶつかりあえば勿論今川家が不利だし、どこかを一点突破しようとすれば、周囲の城から出た兵力によって包囲されてしまうだろう。
一万五千の兵力があるからと言って、それが一度に一つの城に向けてぶつけられる訳ではない。
過剰戦力は遊兵を生み出してしまうだけだ。
「西遠の奴らは安祥の勢いに従っているだけにすぎん。ならば、安祥長広の本隊さえ叩いてしまえば、二万の軍勢はたちまちに烏合の衆となろう」
「しかし、そのためには天竜川を越え、その西岸に並べられた城や砦を攻略せねばならないのでは?」
「攻略する必要はあるまい。出て来ぬようにすれば良いだけだ。上杉や佐竹が北条を滅ぼせると思うか?」
「いえ……」
「ならば、余が出陣前にしてきた工作は無意味なものか?」
「……浅はかでございました」
「なに、理解したならよいのだ」
里見や佐竹に千葉家を攻めさせ、武蔵と上野に領地を持つ山内上杉家に支援を行う。
彼らで北条を滅ぼせるとは欠片も思っていない。
その目的は足止めであり、時間稼ぎだ。
本命の目標を達成するまで相手を拘束するだけの小細工でしかない。
「そう、目標を達成するまで相手を拘束するだけで良いのだ。城を攻略する必要も、敵兵を殲滅する必要もない」
言って義元は家臣を見回す。
自らの言葉が浸透し、彼らの頭に入った事を確認してから、再び口を開いた。
「源五郎」
「はっ!」
一つ年下の義理の弟の名を呼ぶ。瀬名氏俊が短く応えた。
「六千を預ける。過不足なく分配せよ」
「本当に、睨み合うだけでよろしいので?」
「それ以上の事ができるのか?」
「いえ、わかりました。まずは二俣城ですが――」
本来であれば戦力を分散させてしまう愚策。
だが、そもそも相手も戦力を分散させて待ち構えている。
「ならば付き合ってやろうではないか。若造が。いつまでも戦場が自分の思い通りになると思うなよ」
馬伏塚城から出た今川軍が、幾つかの小部隊に別れて、複数個所で同時に天竜川を渡河しようとしているとの報告を、長広は曳馬城で受けた。
「やっぱり、そうなったか」
本来なら天竜川の渡河点の一つを押さえる匂坂城とその東に位置する向笠城を手に入れて、そこで今川軍を受け止めるつもりだった。
勿論、その二つの城だけで持ち堪えられる筈がないので、折を見て撤退。
追いかけて来る相手の目の前で天竜川を渡ることで、本来なら今川軍に選択権のある、渡河点を限定するつもりだった。
しかし、今川軍の予想以上の動きの速さでその計画は頓挫。
最初から天竜川西側で待ち構える事となってしまった。
だが、この状況も想定していなかったわけではない。
今回に限って言えば、プランBがしっかりと存在していた。
天竜川西側に多くの砦、城を築いて待ち構えた時、義元ならその意図を見抜くだろうと思っていた。
そして見抜いたならば、攻略こそできないが、反撃を受けて壊滅しないだけの兵力を振り分け、同時に攻撃する事により、安祥軍の動きを抑えるだろう事もわかっていた。
義元ならば、曳馬城を攻略できるだけの兵力を残して、真っ直ぐにこちらに向かってくるだろう事は予想ができていた。
何故ならそれは、戦国時代において、最も有名と言っても過言ではない戦いの、数ある説の一つだからだ。
国境沿いに複数の城や砦を築き、相手の戦力を分散させ、本体を露出させた、この世界では未だ到来していない彼の戦。
戦国の風雲児、戦の申し子がその才能を日ノ本に見せつけた大番狂わせ。
「これがこの時代の桶狭間だ。今川義元」
義元が安祥長広の首を真っすぐに獲りに行くように。
長広もまた、義元の首を狙っていた。
そのためには、義元のいる本隊の位置を特定しなければならない。
義元のいる本隊を、前線に引き摺り出さなければならない。
東海の覇者、今川家を相手に勝利する。
非常に困難な事ではあるが、決して不可能ではない。
だが、お互いに戦力消耗し、疲弊しきった状態に陥っては、勝っても意味が無い。
遠江の諸勢力は間違いなく独立に動くだろうし、へたをすると折角治まっている三河まで乱れかねない。
信濃を獲るより楽だと見れば、武田がなだれこんでくる可能性だってある。
勝つなら余裕をもって勝たなくてはならないのだ。
今川義元を相手に、何のリスクも負わずに勝利しようなどと、それは思い上がりも甚だしかった。
自分の命を賭けの対象に差し出すくらいしなければ、今川家に余裕を残して勝つ、などという無謀とも思える目標を達成することなど到底できない。
「各城から迎撃のための部隊を渡河点に向かわせろ。だが無理はさせるな。危険だと判断したらすぐに撤退させろ」
こうしてのちに、『天竜川の戦い』と呼ばれる激戦の火蓋が切られたのだった。
桶狭間のあれこれは諸説ありますので、そういう解釈もある、程度の認識でよろしくお願いします。
信廉と長広の絡みは暫くお待ちください。




