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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第六章:遠江乱入【天文二十年(1551年)~天文二十一年(1552年)】
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三国同盟

三人称視点です。


遠江において安祥家が着々とその勢力を伸ばしている頃、今川義元は駿河国内、伊豆国との国境付近にある善得寺にいた。


その寺は臨済宗の寺院であり、義元も幼い頃に入山していた縁の地。

また、この時代の多くの寺院がそうであったように、防衛施設の備えられた城郭寺院でもあった。


「では揃ったようなので始めさせて貰うとしよう」


義元の他には二人の男が座っている。

誰が上座という事も無い。三角形を形成する頂点の位置に、それぞれが座っていた。


義元の左手に座った中年の武士が口を開いた。


「改めて、武田太郎晴信である。此度は我が呼び掛けに応えていただき、恐悦至極にて」


「大膳大夫殿、それは良いのだが、何故この地にて会合を開いたのか理由を聞かせていただきたい」


晴信が挨拶をし、頭を下げると、義元の右手に座った大柄な武士が怒りを露に口を開いた。

顔に幾つもの傷を持つ、いかにも歴戦の猛将といった風体だ。


「左京太夫殿、それは我ら武田と、左京太夫殿の北条、そして治部大輔殿の今川で……」


「そうではない。何故駿河の地にある寺に集めたのかを聞いておる。この地は儂にとってはいわば敵地ぞ!」


「ほほ、物を知らぬ田舎者に文化というものを見せてやろうという義弟殿の心遣いであろう」


「公家かぶれの臆病者は黙っていろ! よもや、二人で謀って儂を亡き者にしようとする算段ではあるまいな!」


「いや、左京太夫殿、そのような事は……」


「臆病者とは聞き捨てならぬの。その臆病者のお情けで家を守れたのはどこの誰であろうか?」


「うぬは自らの目的を果たしたから早々に手を引いただけであろう! うぬに見捨てられた連合軍のなんと情けなかった事か……!」


「必要な事を必要な労力だけを用いて成す。それだけで十分であるからの。強欲者が痛い目を見るのは、歴史を見れば明らかよ。それがわからぬから、坂東武者は山賊と大差ないと言うのだ」


「うぬは今関八州を全て敵に回した!」


「その関八州全てに嫌われておるそちには言われとうないわな」


「……左京太夫殿、こちらも聞かせていただきたいのだが」


「なんだ!?」


 無言で睨み合う二人を前に、晴信はやや表情を引きつらせ、それでも落ち着いた様子で声をかけた。


「宗哲殿にも同行いただくようお願い申し上げてあったと思うが……」


「国境の守りも任せている大叔父上を同行させるなどできぬわ。その隙をどこぞの公家かぶれに突かれぬとは限らぬ!」


「ほっほ、四方八方が敵というのは悲しいの。これから話し合おうという相手さえ信じられぬか」


「うぬの何を信じろと言うのか! 父の代で結ばれていた同盟を一方的に破ったばかりか、古川公方を焚き付けて儂らにけしかけよって……!」


「自分の土地を取り返すために努力しただけの事であろ。余が家督を継ぐ際に助力してくれた北条とは良い関係を結べていたのだから、抗争状態にあった武田との関係を改善するのは当然の事であるしな。その辺りの事情も考慮出ず、考えなしに同盟を破棄したのはそちの父である春松院殿であろうが」


「武田は山内上杉と結んで我ら北条を攻め立てた仇敵! そのような相手と盟を結べば、そうなって当然であろうが!」


「当時の駿河は突然の当主交代でまともな軍事行動が取れなかったからの。武田に狙われないようにするのは当然であろうが。その後の河東への進撃を見れば、北条もそれはわかっていた筈だのう?」


「自分の国を自分で守るのは当然の義務であろうが」


「ならば自分の国を守るために他国と結ぶのも当然の話よの」


「左京太夫殿、父の行為に関しては改めて謝罪させていただく。その上で、これからの両家の関係の話をしたいのだ」


「大膳大夫殿、ならば何故この地を指定したかを答えて貰おうか!」


「それは双方に配慮したためである。我が領地に招くとなればどちらも良い顔はしないであろうから、ならばどちらかの領地で、という事になる。治部大輔殿の領地を指定する代わりに、左京太夫殿には宗哲殿の同行を求めたのだ」


左京太夫、北条左京太夫氏康から迫られた晴信は、しかし毅然とした態度でそのように説明した。

どうせ同盟相手である今川の都合だろうと高を括っていた氏康は、その理由に口を噤んでしまう。


「山猿の家とは言え、歴史ある家は違うの。そのような配慮もきちんとできるという事よ。そちが勝手に勘違いして気遣いを台無しにしてしまっただけという事よの」


「うぬの領地を指定されれば誰だって勘繰ろうというもの! 遠江で何をしていたか、早雲庵宗瑞の孫である儂が知らぬと思うか!」


「奸智に関しては伊勢新九郎にこそ負けるわ。幼い時の今川家当主に取り入り、補佐をする傍らでまんまと伊豆国を手に入れてしまったのだからな。相模が北条の手に零れ落ちたのは今川の助力あっての事ではないかえ!? 新九郎死後に勝手に独立しておきながら、大名のように振る舞うのは滑稽だわ。そんなだから坂東武者に嫌われておるのだ」


「独立を認めぬというなら力ずくでねじ伏せれば良かったのだ。それが武家というものだろう! 結局当時の今川家にはそれだけの力が無かったに過ぎん!」


「これだから田舎者の猪武者は。なんでもかんでも武力で解決していては民は安まらんぞ? 民政家である左京太夫殿の言葉とは思えんの」


「民を守るという事は綺麗事だけでは収まらぬ。うぬが軍事を疎かにしている間に随分と領地が減らされたようだが?」


「あのような新興の若造、いつでも叩き潰せる。しかし物事にはそれをするのに適した時機というものがあるのだ。躾のなっていない遠江の野犬に、誰が主人であるかを教える良い時機がの」


「その新興の家に滅ぼされた名門は少なくあるまい。今川が例外になれればいいがな!」


「……そう言えば、先の地震からの復興、随分と早かったそうだの」


「それは儂が領地をよく治めている証よ」


「三河や伊勢湾から出た船が多く駿河湾を通過していったそうだが、織田や安祥と繋がっているのではあるまいな?」


「敵対しておらぬ家と交易をして何が悪いというのだ?」


「治部大輔殿、西に注力するためにも、東の憂いを無くす必要があるだろう? 天竜川を越えられれば……」


「田舎者の片手間に相手をできぬと思われておるとは、侮られたものよの!」


話を進めるために宥めようとするが逆効果になってしまう。


「そもそもこの三国同盟、そちだけが得する話ではないかえ?」


「……どういう意味であろうか?」


にわかに緊張し始めた晴信を見て、義元は口元を吊り上げる。


「信濃の侵攻が上手くいっておらんと聞いておるぞ。旨味が薄いうえ、時間と労力ばかりかかる北信濃は諦めて、上野へ進出したいのではないか? そのために、田舎者の動きを抑えたいのであろ?」


「我ら北条はそもそも西へ向かう気はない。河東への侵攻は盟を破った今川への報復だ」


「このような田舎者、どのような盟を結んだとて信用ならぬわ」


「その言葉、そっくりそのまま返す!」


「であるから、それぞれの娘と嫡子を婚姻させて……」


「田舎者の家は今川の家臣よ。そのような家の娘を我が子の室とせよというのか? 山猿の娘ならまぁ多少は譲ってやろうかの。我が姫を降嫁させるという事は、田舎者が再び余に頭を垂れるという事でよいかの?」


「いいわけあるか! 娘を駿河に送れば不幸な目に遭うのは目に見えておる。どうせ都合が良い時に病死(・・)させて盟を破る気であろう! 大膳大夫殿の娘を貰うとしたら、それは仇敵扇谷上杉と縁戚関係になるという事。事実上滅びたとは言え、とても許容できるものではない!」


「の? このようないつまでも昔の事を引っ張る家と盟を結ぶなど怖くてとてもできんわえ」


「その言葉、そっくりそのまま返す!」


晴信が同盟を結ぶにあたって用意していた条件はあっさり蹴られてしまう。


「それに、同盟破りはまさに山猿の山猿たる所業よ。盟を信じて遠江に全力した隙を突くつもりではないかえ? 諏訪の滅亡理由、知らぬと思うておるのか?」


「戦続きで塩の価値が高騰しているらしいな! 上野ではなく相模を狙っているのではないか!?」


「そのような事はない。盟が成ったならば武田は駿河にも関東にも手を出さず、信濃へ向かうと約束する」


「「信用できん!!」」


見事に言葉が重なった事で、再び二人はいがみ合うのだった。




夜、善得寺のある部屋にて、晴信は書類仕事しながら溜息を吐いた。


「会合の結果は、芳しくなかったようですな」


同じく書類仕事をしていた武士が、そんな彼に声をかけた。


「一応、明日もう一度話し合う事になっているが、まとまるとは思えん」


「でしょうな。この手の話は貴方では無理でしょう」


武士の辛辣な言葉に、晴信は苦笑いを浮かべた。


「そもそもどうして国主のお二人を招いたのです? 重臣同士で話を纏めてからなら、彼らも冷静に考える事ができたのでは?」


「大事な話だからな。本人同士で話した方が良いと思ったんだよ」


「一人、国主でない(・・・・・)のが(・・)混じって(・・・・)いる(・・)事に気付かれたのではないですかな?」


義元(・・)なら気付けば嬉々として突っ込んでくるだろうよ」


「本能的に気付かれたのでしょう。 あれ? こいつなら無下に扱っても大丈夫そうだぞ、と」


「辛辣だな、馬場美濃……」


「拙者の主君は御屋形様でございますれば」


馬場美濃と呼ばれた武士は、馬場美濃守信春。晴信の父である信虎の代から武田に仕える重臣だった。

武田家に忠誠を誓いながらも、一族の者達に横柄な態度を取る事もあり、他の配下が晴信にその事について苦言を呈したところ、


「美濃守は年上だから仕方がない」


と返されたという。

長幼の序を晴信が重んじているのと同時に、信春がそれだけ重用されていたという証拠でもある。


だが、この場で無礼とも言える態度を取っているのはそれとは別の理由があった。

それは彼と相対している武田晴信が、武田晴信ではないからだ。


彼の名は武田刑部少輔孫六信廉。

武田晴信の同母弟であり、弱冠十八歳ながら武田家の内政を担う俊英だった。

また側近でも見間違うほど晴信と顔つきがよく似ており、影武者の役割も持たされていた。


戦場に晴信がいて、対応できない重要な案件が発生した際には、晴信として表に出る事もあった。

流石に、今回のように外交に出向くのは初めてであったが。


ちなみにこの時、晴信は三十歳。

その晴信とそっくりである信廉は、老け顔である事に悩みを抱えていた。


「そもそも兄上が私の忠告を無視するから、信濃で敗北してしまったのだ」


「仕方ありませんね。孫六様は戦の経験がほぼありませんから」


「頼重を許してやれって言ったのに自害させるから姉上まで自害するし、北条と今川はほっといて河東で争わせろって言ったのに停戦を仲介するし、義清と野戦するなって言っておいたのにするし、砥石城攻めるなら幸綱使って周囲の城から切り崩せって言ったのに力攻めして負けるし……!」


「孫六様の見識が正しいかどうかを試しておられる節がありますな」


農地の改革や堤の整備、金山の再開発などは信廉の意見がすんなり通るのだが、軍事や外交の件になると晴信は途端に頑固になる。

信廉は軍議の場に呼ばれないため、戦に関して進言するのはいつだって晴信の私室だ。

信春や他の重臣がいる時もあったが、他の家臣や従属している国人衆の前で意見を言えたためしがない。


「三ツ者も最近ようやく設置の許可が降りただけだしな」


その間に、安祥家には随分と先を行かれてしまっていた。

真田幸綱や山本晴幸から接触があった事を聞いた時は肝を冷やしたものだ。


「それに、太原雪斎が討たれていたから、せめて氏康を抑えて貰うために幻庵も呼んでおいたのに……」


「そもそも、治部大輔様の抑えがなくば、通る話ではないでしょう。将軍家に連なる名門の矜持を甘く見過ぎです。そんなだから、御屋形様に外交や戦を任せて貰えないのですよ」


「辛辣だな、馬場美濃……」


「孫六様のお守りより、できれば信濃で槍を振るいたいもので」


暗に八つ当たりをしていると言っていた。

このような事を言っても、罰せられる事はないという自負と信頼あっての態度だ。


「ならばやはり、太原雪斎が討たれた事が痛いか……。あんなに早く討たれるとは思わなかったからなぁ……」


「安祥長広ですか……」


戦場での事であるので、名のある武将が突然死ぬ事は珍しくはない。

それでも、武田の、少なくとも信廉の計画が狂ってしまった事は確かだ。


「ああ、安祥三河守五郎太夫長広……」


その計画を狂わせた男の名前を口の中で弄ぶように呟く。


「……そんな武将は知らないんだがなぁ……」


調べれば調べるほど、この関係性でよく三国同盟なんて成立したな、と思える甲相駿。

うまく時機を読んでそれぞれに利のある提案をした太原雪斎の凄さがわかりますね。

そしてなんだか怪しい信廉。

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― 新着の感想 ―
[一言] まさかの二人目⁉
[一言] この信廉の言い草…コイツも転生者⁉️
[良い点] 実際に当主会談があったのか定かではありませんが、この設定の方が会話が面白くなりますね。 [気になる点] > 古川公方を焚き付けて 古河(こが)公方のことでしょうか?
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