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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第六章:遠江乱入【天文二十年(1551年)~天文二十一年(1552年)】
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北遠調略


宇津山城の陥落、というか崩壊から五日後、俺は南信濃にいた。

なんでこんな所にいるかと言うと、これも遠江支配のための布石だからだ。


曳馬ひくま城を攻略するにあたり、刑部城に入っている、安祥軍主力と浜名湖北部連合、それに井伊家の部隊を合わせただけでは足りない。

城や領地の保持を考えて、出せるのは四千程だ。


そうなるように仕向けたとは言え、曳馬城には浜名湖東岸の勢力が幾つか入っている。

西尾丸の沿岸砲撃を恐れて城から逃げ出した連中だ。


けれど、彼らは数こそ少ないがみな武士階級だ。

しかも、塵も積もれば、という事で結構な数の武士、つまり専業兵士が曳馬城には集まっているという事になる。


広虎や吉明が到着するのを待ってから攻撃をしかけたいところだ。


ただ、先んじて降伏を促す使者を出したところ、反応は悪くなかった。

田植えの時期のせいで兵の集まりが悪い、あるいは士気が低いせいかもしれないな。


これは曳馬城に限った話じゃなくて、中遠の勢力は大体そんな感じだ。

ただ、天竜川を越えると途端に反応が悪くなるのは、矢作川の時と同じだな。


曳馬城攻略の準備が整うまでに他勢力の調略を試みていた途中、豊田郡や周智郡といった、所謂北遠の勢力の中心である、犬居城の天野氏から言われたのだ。

南信濃の遠山家から圧力をかけられているから、これをなんとかしてくれ、と。


南信濃の遠山氏は、武田家の信濃侵攻を受けて、彼らも圧迫されているから、上手くすれば協力を取り付けられるかもしれない。

信濃に入れている保長の配下からは、遠山氏が武田に降ったという情報は入ってないからな。


まだ抵抗を続けているか、南端の山間過ぎて放置されているかのどちらかだろう。


この遠山氏は美濃の遠山氏と色々関係が噂されているけれど定かじゃない。

というのも、遠山とは元々、美濃、三河、信濃の南部にまたがる山中の総称だからだ。


吾妻鏡には遠山庄と江儀遠山庄が出て来る。

このうち、遠山庄は美濃国恵那郡のあたりを指し、江儀遠山庄は信濃南端のあたりを指す。

南信濃の遠山氏はこの江儀遠山庄に広がる勢力で、江儀遠山氏とも呼ばれる訳だ。


江儀遠山氏と称されるようになったのは、現当主の遠山景広からだとされているが、じゃあ景広はどこから来たんだって言うと、美濃の遠山氏に繋がるとか繋がらないとか。

父正直の代には既に今の場所にいたって話だし、そもそも景広の現在の居城である和田城は、彼自身が築いた城だけど、その前にはもう少し南にある、長山城を居城にしていたそうだ。


源頼朝から地頭に任命された武士が遠山姓を名乗ったとか、応永7年(1400年)の記録に遠山出羽守なる人物が出て来るなど、色々あるからな。


まぁ伝聞だけだとよくわからん。

気になるならあとで本人に聞けばいい。


景広は遠山渓谷の中央部に和田城を築いて居城を移すと、周辺に一族を派遣して勢力を拡大。

時に同盟を結び、時に攻め滅ぼし、硬軟織り交ぜた外交戦略で、南信濃の強豪にまで一代で江儀遠山家を成長させた。


まぁ、その殆どが武田家の信濃侵攻で滅ぼされたり降ったりしてしまったわけだけど。


その武田に対抗するためか、元々狙っていたのかは知らないが、北遠に度々ちょっかいをかけているらしい。

遠江守を自称してるし、後者の可能性が高いかな。


という訳で俺は現在、南信濃と遠江の国境にある満島みつしま神社へとやって来たんだ。


天竜川と遠山川の合流地点のすぐそば。

井伊直盛からは、川を上ればすぐですよ、なんて言われたけれど。


くっそ険しかったからな。

信濃に通じている信州街道なんて全然整備されてないしさ。

途中から繋がる秋葉道も、他の場所よりは人が歩ける、程度だったからな。


昔から塩を運ぶ道として使われてたらしいんだから、もうちょっと整備しといてくれよ。


そういう余裕が無かったのが戦国時代だと言われたらそれまでだけど……。


保長とその部下数名を伴って神社に到着、境内で待っていると、修験者の恰好をした一団が神社にやって来た。


「安祥三河守殿とお見受けする」


「いかにも。其方は遠山遠江守殿であろうか」


「いかにも。遠山遠江守孫次郎景広にござる」


年齢は俺より少し上だろうか。

闊達とした印象を受ける武士がそう名乗った。


「改めて、安祥三河守五郎太夫長広にござる。此度はお会いいただき、誠にありがたく」


「いや、こちらとしても丁度良かった」


「立ち話もなんだからな。中で話そうか」


「うむ、そういたそう」


そして俺達は連れたってお堂の中へと入る。

護衛はそれぞれ二人までと決めた。


「さて、遠江への勢力拡大を止めて欲しい、という事であったな」


「うむ。叶うのであれば、安祥で生産されている塩を安く卸す事も可能だ。あるいは三河からの街道を整備し、交易路を繋ぐ事も考えておる」


「なるほど。こちらの現状はある程度わかっておる訳か」


「ああ。其の方が猛虎をどのようにいなすつもりかまではわからぬが」


「武田の狙いは元々北信濃よ。諏訪は通り道、小笠原、知久は太郎晴信の家督相続から続く、信濃連合との戦いで敵対していたから見せしめにされただけであろうよ」


俺が軽い調子で武田との今後の展望を探ると、そんな答えが返って来た。


「遠江や美濃に手を出すつもりが無いなら、信濃の南や西へ手を出す理由が無い。これ以上山ばかり増えても仕方ないであろうからな。むしろ良い関係を築いて、蓋として活用したいところだろうよ」


美濃は統治に苦戦しているとは言え、斎藤道三が作り上げた強国だ。それこそ、外部に敵がいれば団結しやすい、と嬉々として信濃西の勢力に手を貸すだろう。

遠江は同盟を結んでいる今川が支配している国だし、今は主に俺のせいで乱れているから手を出しにくい。

どのみち、信濃の勢力と争いながら対処できる場所じゃないよな。


仮に遠江や美濃に手を出すつもりがなくても、遠江や美濃から逆に手を出してくることも有り得る。

なら、緩衝材として国境付近の勢力を残しておくのはありだ。

武田家が江儀遠山家を放置しているのもその辺りが理由なんじゃないかな?


勿論、調子に乗って勢力を拡大し続けたら討伐対象になるんだろうけど。


「では江儀遠山家と安祥家で同盟を結びたいと思うが、いかがか?」


「それで遠江に手を出すな、と?」


「北遠の勢力でうちに降らぬところがあれば、そこは差し出そう」


「ふむ……」


景広は何やら考え込む。

俺は先に和田城に届けた書状で、会いたい理由を伝えてある。

となれば、ある程度の方針は固めて来ている筈だ。

ひょっとしたら降伏か戦かを選ばされると思っていたんだろうか。


三河を平定して、遠江に手を伸ばしている新興の勢力。

まぁ、周囲からしたら狂犬にしか見えないよな。


「ならばこちらからも一つ」


「なんであろうか?」


「武田の北信濃での戦があと十年続くか、あるいは北信濃で敗北したなら、我々は南信濃の武田領を攻めようと思う」


「また気が長い話だな」


「何のかんの言ったところで、武田は強大であるからな。そのくらい疲弊するか損害を受けねば太刀打ちできぬ」


「なるほど。それでその際に援助して欲しいという事だろうか?」


「それもあるが、兵を出して貰いたい」


「…………今川との関係次第だな」


決戦前後とか、決戦の最中とか、あるいは手ひどく敗北して西遠を守るので精一杯なんて状況になっていたら、とてもじゃないけど信濃に兵を回す余裕はないからな。

遠江から追い出されている可能性だってある訳だし。


「そのくらいの時期はこちらで調整する。なんならその時になったら今川にも情報を流し、目を甲斐に向けさせても良いだろう」


逆に言えば、俺が遠江で今川に苦戦していたり、遠江から追い出されたりしているなら、北遠に手を出す事を遠慮する必要なんてないか。


「わかった。約束しよう。すぐに誓紙を準備いたす」


こうして江儀遠山家と安祥家の同盟が結ばれた。

どこまで信用できるかはわからないけれど、とにかく、犬居城の天野家の懸念材料は取り除いた訳だ。




「ではもう一つ」


その事実をもって犬居城城主であり、遠江天野家惣領、天野景貫(かげつら)に降伏を迫ると、そんな事を言い出した。

元々の惣領だった、兄、景泰は田原城防衛の時にうちと戦って討死している。

景貫は第二次小豆坂の戦いに従軍していたそうだ。敗北こそしていないものの、勝ったのに俺を取り逃がした、という悔しさを覚えただろうからな。


中々降りたいと思わなくても仕方ない。


「先年より、我が城に奥山貞之の四男が居候しておる。治政に才覚を発揮するものの、争いを好まぬ大人しい若者だ」


「ふむ」


「この兵部丞定友は元々奥山家の領地に小川城という小さい城を貰ってそこで暮らしていたのだが、父の死亡に端を発するお家騒動に巻き込まれてな。貞之の次男、美濃守定茂に攻め落とされてしまったそうだ」


巻き込まれたっていうか、当事者じゃん。

ああ、本人は家督争いをするつもりが無かったって事かな?


「奥山美濃は三男、加賀守定吉の若子(わかこ)城をも奪い、長男、民部少輔貞益の高根城との対立を深めておる」


「件の次男坊を討てば良いのだろうか?」


「兵部丞ははっきりとは口にせなんだが、まぁ、なんとかして欲しいそうだ。ちなみに加賀守は二俣城におるそうだから、都合が良いのではないか?」


二俣城は天竜川の東岸すぐの小高い丘陵部に築かれた城で、赤石連峰南端と遠州平野の境目を抑える重要拠点だ。

天竜川の東側に位置するものの、三河の東西広瀬城と同じで、鉤状に曲がりくねった天竜川の北側に築かれているため、天竜川を太平洋から直線に上って行った場合、西側の勢力に含まれるような位置にあるんだよな。

むしろ、東側の勢力とは、秋葉山と八高山によって隔絶されていて、平野から繋がっている、天竜川西側の勢力との関係の方が深いようだ。


城主の松井宗信は、今川家をあまりよく思っていないという情報がある。

というのも、今川家に松井家が臣従するようになったのは、元々の主家であった横地家が今川家に滅ぼされたからだ。

臣従後、松井家は暫く堤城に入っていたが、今川家に命じられ、二俣城へ移る事になった。

遠州平野にあった堤城から、要地とは言え赤石連峰内の盆地の城への転居命令。しかも堤城が廃城となり領地は取り上げられた、事実上の移封だ。


恨みに思わない方がおかしい。


そして宗信の息子の宗恒は、曳馬城城主、飯尾連龍(つらたつ)の妹を妻としている。


曳馬城のこちらからの調略に対する反応が悪くないのは先に述べた通り。

そして、その理由も、先に述べた農繁期である事以外にもいくつか存在している。


城主である連龍の父は、田原城攻略失敗の責任を負い、三河奉公人を説かれた乗連のりつらだ。

そしてその後の今川家からの飯尾家に対する扱いはあまり良いとは言えない。


連龍の大叔父にあたる為清は第二次小豆坂の合戦に従軍して討死。

乗連も安祥城攻略に従軍して討死。


どちらも今川軍の主力は、太原雪斎の本隊を除けば遠江の家臣、国人衆だった事を考えれば、今川家が何を思っていたかはおのずと推測できるだろう。

事実である必要は無い。


大事なのは、当人達がどう考えるか。


そのうえで、今川家は農繁期を理由に、遠江に援軍を寄越さない。

敵である俺達は、農繁期でも好き勝手に戦をしているのに。


国家運営のシステムの違いである事は、飯尾家をはじめとした遠江の者達も理解しているだろう。

けれど、実際に危機に瀕している彼らからすれば、そんな事は関係ないんだ。


話を戻して天野家、というか奥山氏。

次男に城を奪われた三男が、二俣城に匿われているから、次男との問題を解決すれば、二俣城の調略も上手くいくかもしれないよ、と景貫は言っている訳だ。


「わかった。一度奥山家と話をしてみよう。兵部丞に民部少輔殿に書状を書くよう伝えて貰えるか?」


「なんならすぐに用意させよう。暫し待たれよ」




そして二日後、俺は奥山家の本拠地である高根城に来ていた。

天竜川を北上し、途中で水窪川との合流地点があるので、今度は水窪川沿いに浅間山を迂回する形で北上する。


最初に見えるのは小川城。水窪川の東、1キロ程の位置にある。

ついで、高根城への道を塞ぐように存在している若子城。

そこからもう1キロ程北上すると高根城へとたどり着く。


定茂の居城である水巻城は、水窪川方面へ向かわず、そのまま天竜川沿いに信濃方面に進んだ先にある、佐久間湖と天竜川の合流地点に築かれている。

高根城との距離は、他の城に比べて非常に遠い。


定茂の心根を知っていた父が遠ざけたのか、それとも、遠くの地を与えられたから叛意が芽生えたのか。

遠江と三河の国境付近だから、要地を任されたと考える事もできるが……。


「恐らくは今川家のはかりごとによるものです」


奥山家当主、貞益はそう話した。


「父が亡くなり暫くして、いきなり美濃守が兄弟の城に攻め寄せて来たのです。我々は犬居城の天野家を介して今川家に臣従していましたので救援を求めました」


しかし今川からの援軍はなく、小川城が落城。城主の定友はなんとか犬居城へと逃亡する事に成功する。

戦になっただけでなく、城を攻め落とされた事で、本格的に今川家に介入する事を要請したそうだ。


「臣従していたと言っても、我々の領地は山間で遠かったですからね。それで繋がりが薄かったせいで援軍が来ないのだと思いました」


しかし城が落ちたとなれば話は別だ。

治罰はその国を支配する者の義務だからな。


けれどそれでも援軍は来ず、今度は若子城を落とされてしまう。


「援軍が来ないだけなら見捨てられたのだと考えました。元々独立の機運の高かった家でしたので、それ自体は別に良かったのですが、弟の戦力が異常だったので……」


今川家の定茂支援を疑ったというわけだ。

確たる証拠こそ無かったものの、疑惑が確信にいたるには十分な情報が上がってきたという。


「その後、今川家からの仲裁で一応停戦となりましたが、小川城と若子城、及びその周辺の領地は定茂が支配したままです」


せめても小川城と若子城を本来の城主に返すのが普通だが、今川家はそうしなかったのだそうだ。


「そして昨年から、若子城に兵と物資を入れているようなのです」


まさしくそれは戦の準備だろう。


多分これ、あれだよな。

遠江支配のために元々の国人衆の力を削ぐ策略ってだけじゃなくて、第二次小豆坂の戦いの前に、太原雪斎がやったやつ。

遠江で起きた反乱の鎮圧のために一年間軍を動かし続けているとみせかけて、三河侵攻の前準備をこちらに悟らせないってやつ。


カモフラージュのために支援して反乱を起こさせたけれど、山間で遠いから雪斎軍も鎮圧に向かわず、そのまま三河に侵攻しちゃったから、援軍が来なかったんじゃないだろうか。

しかもその後、安祥城攻略のために軍を出しているからな。

その後安祥城攻略に失敗し、兵の多くと雪斎を失ったから、停戦を仲介はしても、定茂に有利な条件になっちゃったんじゃないか?


そして定茂は、東三河での敗北と遠江の乱入を受けて、今川軍の目がこちらに向いていない隙に高根城を落とし、奥山家を乗っ取ろうとしてるって訳か。


うん、今川も悪いけど、二割くらいは俺のせいだな。


佐久間全孝「うちも遠江侵攻に一枚噛みたいなー」

田峯菅沼「うちも」

長篠菅沼「うちも」

牧野「うちも」

奥平「ちょっと遠いか」


水巻城「こっち見んな!」


飯尾連龍の妹は、宗恒ではなく宗信の妻とする説もあります。年齢的には宗恒の方が妥当なので拙作ではそのようにしています。ご了承ください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 誠にありがとうございます。 [気になる点] 犬居城が地図で見ると意外と結構山の中にあるのもここで初めて知り驚きましたが、でも平野部ではないとはいえ遠江の中央部ですよね。こんなとこを南信の遠…
[気になる点] >佐久間湖と天竜川の合流地点に築かれている。 戦後天竜川の本流に建設された佐久間ダムによりできたのが佐久間湖では?
[一言] 本編だけでなく、後書きも実は楽しみな俺w
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