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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第六章:遠江乱入【天文二十年(1551年)~天文二十一年(1552年)】
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宇津山城包囲

三人称視点です。

キリの良いところまで書いたらちょっと長くなりました。



武田広虎率いる吉田城勢が宇津山城を囲んで二十日ほどが経過しようとしていた。

数日前に長広の本隊から、堀江城の攻略に成功したという知らせを受け取っていた広虎は、宇津山城にも降伏を促す使者を送った。


緒戦で野戦に引き摺り込むのに失敗してから、広虎は包囲に飽いていた。

たまに、宇津山城の裏手から船で脱出し、宇津山城を囲む吉田城勢の側面や背後に回ろうとする部隊を蹴散らしていたが、数が数であるので、広虎自身がその指揮を執る事は無かった。


自身が城攻めが不得手だという自覚があるため、宇津山城に対して無理攻めを行う事もなく、時折銃撃を行うなどして宇津山城を休ませないようにしながら、大人しく囲んで待っていたのだ。


「まぁ、仕方あるまい」


今川家本隊が出て来る前にせめて浜名湖より西は押さえてしまわなければならない以上、宇津山城にいつまでもかかずらってはいられなかった。


「降るでしょうか?」


第四大隊で中隊長を務める柳生家厳が広虎の陣まで来て、そのような事を聞いて来た。


「降らんだろう」


広虎自身が若い武士達に恐れられているのもあって、茶飲み友達のような間柄となった家厳を邪険に扱ったりしなかった。

家厳には桑の葉茶を出し、自分は柿の葉茶を飲む。


「しかし、堀江城が落ち、大沢水軍も壊滅。遠津淡海の交易路は安祥水軍によって奪われましたぞ。この状況でまだ抵抗すると?」


あくまで宇津山城は三方を湖に囲まれ、宇津山の地に築かれた堅城であるから、安祥軍は無理に攻め落とそうとしなかったのだ。

敢えて浜名湖西の勢力を宇津山城に入れ、兵糧や物資の減りを早めさせようとした。

それにより五千を超える兵力が宇津山城には集結しているが、やはり寄せ集めであるため、安祥軍の要塞化された附城を攻略する事は難しいだろう。


一か八かで一点突破にかけても、松田城は西尾吉明によって囲まれており、宇津山城より西側はほぼ安祥軍の支配下にあるとなれば、どこへも逃げる事はできない。

このような事態に陥る前に、水運を使って中遠、東遠へ逃れるべきだったのだ。


勿論、そのような行動に出れば、勢いを得た安祥軍が中遠になだれこみ、今頃天竜川辺りまで押し込まれていたかもしれないが。


「つまりはそれこそが宇津山城の、朝比奈家の目的という訳だ」


「どういう事でしょうか?」


「今まで三河で戦っていた者達は、松平に臣従していたり、今川方の勢力であったりしていても、結局はその地を治めるだけの者達だった。だが、宇津山城は違う。宇津山城に入っている朝比奈家は違う。奴らは今川家の家臣なのだ」


「うぅむ、いまいちよくわかりませんな」


こればかりは、畿内でも家臣格でしかなかった家厳では理解するのが難しかった。

広虎のように国主を経験していれば思い至ったかもしれないが、教えられずにこれをわかれ、というのは酷な話だ。


「宇津山の朝比奈が、あくまで今川に臣従しているだけの土着の武家ならば、宇津山城を捨ててとっとと逃げるか、我らに降っていただろう。だが、今川家の家臣である朝比奈家の目的は、遠江の防衛なのだ」


「ははぁ、なるほど。自分達の命脈よりも、今川家の存続を重視する、という事ですな」


「その通りよ。朝比奈家が助かっても、天竜川まで押し込まれてしまうようなら、それは朝比奈家にとっては敗北なのだ」


そして今川家の本隊が準備できていない状態でそのような状況に追い込まれれば、今川家が、安祥家に配慮する形で和睦、という事になりかねない。

何故なら、甲斐の武田も相模の北条も、強い今川家だからこそ同盟を結んだり領土の一部にしか手を出さなかったりしていたのだ。

今川家が弱いと知れれば、彼らにたちまち駿河を食い荒らされてしまうだろう。


「だから、降りやすいよう条件を相当緩くした」


「ほう、苛烈で知られる無人斎殿らしくありませんな」


「こればかりはな。籠城に付き合って、奴らの本懐を遂げさせてやる必要はない」


広虎の出した条件は、兵の解散と宇津山城の明け渡し。武士階級は、浜名湖より東へ逃れるなら追わないし討たない、という勝っている側から出すのは弱気すぎるものだった。


「しかし、それでも無人斎殿は、朝比奈家は降らぬとお思いで?」


「ああ。降る訳がない。奴らが今川家の家臣であるが故にな」


何か他に、今川家への忠誠の他に、彼らが譲れないものでも見つけられない限りは。





「兄上、安祥家より使者が参りました」


「丁重にもてなし、帰ってもらえ」


城が囲まれてから何度目かも忘れた降伏を促す使者。

堀江城が落ちたという情報は宇津山城にも届いていた。

数日前から水上輸送が滞っている以上、少なくとも制海権は奪われたものだと理解していた。


城主、朝比奈泰長は、それでも降るつもりはなかった。


「一応、書状だけでもお確かめください」


そう言って、元岩略寺城城主の朝比奈元智が一通の書状を差し出す。


「条件を変えて来たか? 堀江城を落とし、遠津淡海を支配したのだ。余程強気な条件を出して来たのだろうな」


「それが……」


言い淀む元智を不審に思い、泰長は書状を受け取る。

開封された形跡はない。おそらく、使者から直接降伏の条件を聞かされたのだろう、とあたりをつけて書状を開く。


「…………肥後守、城を囲んでいる兵を率いる将は誰だったかな?」


「武田無人斎でございます」


「『甲斐の虎』か。なるほど。奴らは我らが降る事など無いとよくわかっておるようだ」


「…………」


「降伏の条件を聞いたのか?」


「はい……」


「聞いたのは其方だけか?」


「城兵と、武士も何人か……」


「武士は全て斬れ。兵は追放し戒厳令を敷け」


「兄上!」


「この降伏条件を聞けば、何故降伏しないのか、という意見が必ず出る。堀江城が落ち、遠津淡海の水運を押さえられ、陸路は完全に塞がれている状況で、これほど好条件を提示されて、何故応じないのか、と」


言いながら、泰長は書状を破り捨てる。

その目は、ひどく冷たい。


「このような条件、降らせるための甘言、虚言であると断じて捨てるのは簡単だ。しかしそれでも、聞いた者達の心の中には残る。それではいかん。戦えぬ」


「兄上……」


「肥後守、其方もわかっておろう? このまま降る事などできぬと。我が朝比奈は今川家を支える『両翼』。その一族たる我らが、このように簡単に降ってはいかん」


降るのならば徹底抗戦を行い、落城が先か全滅が先か、というところまで追い詰められてから、と泰長は考えていた。


「安祥家に兵と民を残してやる訳にはいかんのだ」


今川家は常備軍の割合が多い。

しかしそれはあくまで他の武家に比べて、という話であって、主力はあくまで領民兵だ。


そしてそれは、駿河の主力の話であって、遠江の家臣、協力者の軍における常備兵の割合は、他の武家と大差ない。


武士階級が全員無事、と言っても、遠江の東へ逃げられるのはせいぜい数百人。

集めた五千人の殆どは、この地に残るのである。


安祥家が支配する事になる、この地に。


彼らは労働力として開発の加速を促し、戦力として安祥家の軍事力を底上げする。


極端な話、宇津山城を囲んでいる六千の兵が、三日後には一万の兵となって中遠に向かって来るかもしれないのだ。

今川家による遠江の防衛を考えれば、それは絶対に許容できない。


五千の兵が全滅していたならば、開発に人手が足りないから三河から持ってこなくてはならない。

それは、三河の発展を阻害する。


徹底抗戦となれば、吉田城勢も無傷とはいかない。

損害を補填しようと思えば、やはり三河から持ってこなければならず、更なる足止め、時間稼ぎが可能となる。


その間に駿河の軍備が整えば、遠江の防衛は叶うのだ。


「兵を、民を犠牲にして遠江を守るという事ですか……」


「我らの本領は今川家にせよ、朝比奈家宗家にせよ駿河だ。遠江の支配はあくまで国力を増強させるための手段に過ぎぬ。敵に渡す前に潰さねばならぬ」


「…………」


「其方は物心ついた時から宇津山にいたから思い入れがあるかもしれんな。だが、遠江朝比奈に限ったとしても本領は佐野郡の掛川城だ」


「宇津山を捨てるのですね」


「ああ、捨てる。だが、ただで安祥家にくれてやる訳にはいかぬ」


「……わかりました。拙者も今川家家臣、朝比奈の一族に名を連ねる者。浜名郡の民と駿河全ての民を秤にかけることはできませぬ」


そう言って頭を下げ、元智は泰長の部屋を後にする。


(兄上にあそこまで覚悟させておいて、自分だけがただ討死したり腹を切るだけではいかん)


元智は岩略寺城から遠江に逃れてきてずっと、自責の念にかられている。

落城時の戦だけでなく、岩略寺城に入っていた期間にもっと何かができていたはずだと。


間違いなく、安祥家を侮っていた。

少し勢いを得ているだけの新興の家。今川家が本気を出せば簡単に潰れるだろう。


そう考えて元智は、安祥家が東三河へ勢力を伸ばそうとした時に、周辺の勢力を動かせるようにしておく工作しかしていなかった。

もっと早くに動いていれば結果は違っていたかもしれない。

安祥家の勢力を削ぐようにしていれば、小豆坂で長広は無様な死体を晒していたかもしれない。


言い出せばキリがないが、それでも、元智は考えずにはいられなかった。


(宇津山城の陥落は避けられぬ。ならばそれを踏まえて何ができる? 何をするべきだ)


第一には時間を稼ぐ事。

農繁期を終えるまで安祥軍を足止めできれば、駿河が動いて押し返せる。

第二に、浜名湖西をまともな形で安祥家に渡さない事。


既に城に押し込められている状態では焼き働きは不可能。ならば、泰長の言っていた通り、徹底抗戦により領民兵を使い潰すしかない。


(包囲の大将は武田無人斎。かの悪逆非道の『甲斐の虎』。ならば、使えるやもしれぬ。時間を稼ぎ、更に徹底抗戦へと兵を導くことができるやもしれぬ)


懸念材料はある。

だが、あそこまで覚悟を決めた泰長は、多少の事では心を動かさない筈だ。

この城には彼の二人の息子も入っている。

そのような状況で徹底抗戦となれば、一族皆殺しは避けられないだろう。

つまり、泰長の血筋はここで途絶える。


それを理解していない訳がない。

それを理解していながら、泰長は今川家のために宇津山城を根切りにさせよう(・・・・)としている。


ならば揺るぐまい。

娘一人の命程度では、あの覚悟は揺るがないだろう。




「無人斎様」


宇津山城へ送りだした使者が日中に戻る事は無かった。

服部保長の部下が苛立ちを隠せない広虎のいる本陣に姿を現す。


「いかがした」


「宇津山城より少数の兵が出陣した模様。日が落ちる頃を見計らって抜け出したようです。捕捉はできております」


「今更少数で城を脱出してなんとする気だ? 城主が捨てて逃げたというなら楽で良いのだが……」


「部隊は附城の間を縫うようにして抜け、西へと向かっておりまして、その手前で吉良上総介様の部隊と交戦状態に陥りました。その先には薬師山がございます」


「事前の調査で朽ちた古い砦があっただけであったな? あのような場所拠点とする意味はなかろうて……」


何やら考え込んだ後、広虎は忍びに命令を下す。


「首だけでも良いから全員ここへ連れて来いと伝えよ」


「は」


そして暫くして、吉良義安が何人かの捕縛した武将と、幾つかの首を持って本陣にやってきた。


「無人斎殿、ご要望通り、全員連れて参りましたぞ。半三殿の手の者が周辺くまなく探しましたので、取り逃しは無いでしょう」


「ご苦労、上総介殿。今茶を用意させておるゆえ、腰を下ろして落ち着かれよ」


「ははは、ではありがたく。其の方らも適当に座れ」


「しかし、万が一の事を考えますと……」


義安が部下達にも休むよう伝えるが、岸教明とその部下は安全確保を理由に固辞した。


「頼もしいではないか。さて、茶が運ばれてくるまでに首実検を済ませてしまうか」


「数は二十二人。皆武士階級です。拙者でも知っておる首が幾つかありまして、中々大物揃いですよ」


「益々わからぬ。そのような者達が逃げるのであれば、まだ湖を泳いで東へ渡った方が、逃げ切れる可能性があったであろうに」


「中でも大物はこやつです」


そう言って義安が一つの首を指し示す。

その首には、広虎も見覚えがあった。何せ二年以上も顔を突き合わせていた相手だ。


「朝比奈肥後守……。一族を捨てて逃げるような不忠義者ではあるまい……」


その首は朝比奈元智だった。


「うぬら、何を隠しておる?」


床几から立ち上がり、広虎は捕らわれている武士を睨みつける。

だが、彼らはそれに憶する事無く睨み返して来た。


「全員が猿轡を噛まされている理由がこれか……」


「ええ。実は何人か我々が討ったのではなく、捕らえた段階で自害した者がおりまして……」


「……何か聞こうとするだけ無駄か。暫くは転がしておけ。宇津山城との交渉に使えるかもしれぬ。さて上総介殿」


小姓にそう命じたのち、広虎は義安に向き直る。

丁度、運ばれて来た茶を受け取っていた。


「疲れているところ悪いのだが……」


「わかっておりますよ。これを飲んだら薬師山を調べて参りましょう」


元智とその配下の動きは明らかにおかしかった。

逃げるにしても逃走ルートとしてはまるで適さない方向だ。

囮か。だが、他にそのような報告は上がっていない。

追っ手を撒くために迂回していたにしても、不可解だった。


ならば、彼らが向かおうとしていたという薬師山を探ってみるのが一番だ。




そして翌日。

早朝に帰した使者が、昼を過ぎた頃にまた宇津山城にやって来た。


降伏するように、との要求は同じで、書状に記された条件も同じ。

昨日の失態は犯すまい、と今度は泰長が応対し、勝手な事を言われぬうちに客間に通した。


「……この書状に書かれている事は本当か」


「はい。昨日遅くに、薬師山の朽ちた砦に隠れている所を確保させていただきました」


そこには、朝比奈泰長の娘である、かく姫を捕えたと記されていた。

降るのならば穢れ無きまま返すとも。


戦が始まって暫くして、泰長は角姫を密かに城から脱出させ、薬師山にかつて築かれ、放置されていた砦に隠れさせた。

逃がすには安祥家の情報網を把握する必要があったため、宇津山城が落ちるまでどこかに隠れていた方が良いとの判断だ。


薬師山は宇津山城から西に3キロ程の距離にある。

多米峠越えの街道筋を視認できる位置にあるため、宇津山城を囲む前に安祥軍は調べていた場所だ。


調べ終わった場所なら安全だろう、と姫の隠れ場所に選んだのだ。

昔から体が弱く、滅多に表に出ないためかく姫などと呼ばれていたが、名は体を表す通りに、隠れる才能があったらしく、姫は宇津山城が囲まれてから約二十日、誰にも見つからずに過ごしていたのだ。

食料や水は、麓の民家や村の井戸から勝手に拝借していたというから、姫を確保した時に誰より驚いたのは広虎だった。


その角姫が見つかった。

しかし、泰長には理由がわからなかった。

一度調べた場所を二度調べる事はないだろうと考え姫を隠したのだ。


何か、安祥軍がその地を再び調べる理由ができた?

宇津山城がもうすぐ落ちそうだというこの時機に何故?


「……肥後守が見えぬのはそういう理由か……」


泰長は安祥軍がもう一度調べようとした理由を理解した。


昨日の暮れに密かに城から脱出した朝比奈元智とその部下達。

しかし、安祥軍の警戒網からは逃れられずに見つかってしまう。

元智達は討たれ、捕らわれた者も何故城を出て薬師山に向かっていたのかを言わない。

だから、広虎は義安に命じて調べさせた。

そして角姫を発見、確保する。


ならば広虎は理解する。

元智達の目的は、隠れていた角姫を逃がす事だったのだと。

わざわざそんな危険を冒してまで逃がそうとするほど大事にしている姫ならば、交渉に使えるだろう。


そう、広虎に思わせる事が(・・・・・・)、元智の策だった。


元智は逃げるつもりなど毛頭なかった。

角姫を敢えて見つけさせることで、広虎に交渉に使わせる。


当然、泰長は降伏を受け入れない。

一族が絶えても今川家のために時間を稼ぎ、安祥家に打撃を与える事を優先した泰長が、姫一人のために降伏しないと元智は考えた。


先に姫を逃がしていたから、泰長の血筋が途絶えないと思っていたなどという事は無い。

姫が見つかる前に降った後、姫が発見されたなら、無事に返して貰えただろう。


だが、徹底抗戦で悉く討死した後に発見された姫が、無事に済む筈がない。


だから、徹底抗戦を決意した段階で、泰長は姫の事も諦めていたのだ。

できれば逃げてくれれば良い、程度の認識だった。


無事に逃げてどこかへ落ち延びたとしても、泰長の血筋だとは名乗れないだろう。

子を成し、血を繋げたとしても、武家としての宇津山朝比奈は終わりだ。


そんな泰長が、姫の無事を条件に入れたところで、降伏を受け入れる訳がないのだ。

泰長が降伏を受け入れなければ、当然城攻めという事になる。


ならばその前に、兵の士気を上げるための生贄にする筈だ。

あるいは、泰長以外の朝比奈一族や、家臣の心を折るために、処刑して首を送ってくるかもしれない。


どちらにせよ時間が稼げる。

そして、泰長が徹底抗戦を唱える理由ができる。


それが、元智が自らの命を使って成した、最後の策だった。


「馬鹿め、馬鹿者め……」


今すぐ目の前の使者を切ってしまいたい。部下を引き連れ、安祥軍に向かって出陣したい。

だが、弟が自らの命を捨ててまで整えた舞台を、台無しにはできない。


「これより軍議を開く。すぐには返事はできぬと、無人斎殿に伝えてくれ」


まずは時間を稼ぐ。

だが、稼げて二日だろうと泰長は考えていた。


その間に、徹底抗戦のための火種を用意しておかなくては。

情報を操作し城兵を煽る。あるいは、降る事に対する不安を植え付ける。


そしてその下地ができあがった頃に角姫の首が届けられたなら、憎悪の炎は一気に燃え上がるだろう。


泰長の想定通りに、二日後に再び使者が宇津山城を訪れた。

泰長はこの使者を部屋へと連れ込み、斬り捨てると、誰にも見られぬように浜名湖へ捨てた。


降伏を拒否する事と、使者を斬り捨てた事を記した書状を用意し、一人の領民兵にそれを持たせる。


「使者殿に持たせる手紙を一通渡し忘れてしまった。使者殿は既に安祥軍の陣へ戻ってしまった故、済まぬが届けて貰いたい。その後は城に戻らずとも良い」


そう言って、わずかながら銭を握らせ、城から送り出した。

広虎の苛烈な性格なら、これを知れば間違いなく角姫を処刑する筈だ。


そして翌日、一房の髪と、かつて角姫に送った櫛が入った木箱が城の中に投げ入れられた。

その中には書状も添えられており、朝比奈泰長の一族の首を差し出せば、他の者の命は助けるとあった。


書状だけ泰長は抜き取り、家臣達に髪の束と櫛を見せた。

泰長が降伏を拒否した事と、使者を斬り捨てた事を知らない家臣は、交渉途中の広虎の非道な振る舞いに激怒した。

その怒りは下級武士にも伝播し、領民兵にも広がる。


爆発した怒りが作ってあった火種に引火し、憎悪の感情を燃え上がらせる。


そして宇津山城は、城兵五千と城主泰長と共に、この世から姿を消した。




交渉が決裂した翌日(・・)

瓦礫の山と化した宇津山を見上げて、広虎は溜息を吐いた。


角姫の髪と櫛を宇津山城に投げ入れてすぐ、広虎は保長の配下に湖上に合図を送るよう指示を出した。

指示を受けた忍びはすぐさま浜名湖北部へと走り、そこから見える、湖に浮かぶ巨大な物体に向けて合図を送る。


それは全長70メートル、幅30メートル、排水量は二千トンを超えるという、巨大な帆船だった。

四本のマストを備え、その巨大さに似合わず速度は出るが、回頭性能はすこぶる悪い。

ただ、喫水線が深いだけでなく、船底には長切ながきると呼ばれる突起物が取り付けられているため、帆走の際の横滑りを減少し、波に対する復元力も高かった。


武装は木製大筒が全十一門と、南蛮人が見たら船体の大きさに対する武装の少なさを笑うかもしれない。


それでもこの国この時代では、水上においては最強の存在である事は間違いがなかった。


砲撃艦西尾丸。


合図を受けたその巨大な物体は、ゆっくりと回頭し、弧を描くような軌道で宇津山城に接近。

側面に取り付けられた四門の大筒で、宇津山城を砲撃したのだった。


山城である事も、城壁も殆ど意味をなさず、城郭はその悉くが薙ぎ払われた。

木製大筒が使用限界に達するまでに放たれた砲弾は二十三発。


時間にして一刻にも満たない間に、宇津山城は見るも無残な姿となった。


城兵の多くは城の南側、つまり湖とは反対に集まっていたため、城の状況に反して死者はそれほど多くなかった。

逆に、城郭施設の中に入っていた武士階級の者達は、わかりやすい砲撃目標だったという事もあり、その多くが砲撃で押し潰され死亡した。


その中には城主、朝比奈泰長も含まれていた。


砲撃が止んだ頃を見計らって、広虎が降伏を呼び掛けると、一人の武士が城門から出て来て、その場で座り込み頭を下げた。


切腹をしようとしたところで慌てて周囲の者が止めに入る。

それを降伏宣言と見做して、広虎は領民兵は解放、武士階級は捕虜としたのち、駿河へ護送する事を約束して城から出て来るよう説得した。


切腹しようとした武士は泰長の次男の朝比奈真次(させつぐ)だった。

泰長と兄、泰充が砲撃で死亡したため、生き残った家臣と領民兵を纏め上げて、降伏しようとしたのだ。


宇津山城の落城が、その経緯と共に伝わり、松田城も降伏。

その他、浜名湖周辺の勢力が次々に安祥家に頭を下げる事となる。


勿論中には徹底抗戦を唱え、水上からの砲撃を受ける前に、物資や兵を城から運び出して、東へ逃げる者達もいた。


そんな彼らが集うのは、姫街道と東海道が交差する中遠の要衝、曳馬城である。




「そうですか、父と兄は亡くなりましたか……」


義安の部隊の陣中において、運び込まれた物資の入っていた空の木箱の中に座り込んだ、一人の少女が力無く呟いた。


「孫六郎殿は生きておられます。暫くすれば駿河か掛川へ護送する事になると思いますが、一緒に行かれませんので?」


「私は死んだ事にしておいた方が色々と楽でしょう?」


「ええと、それは……」


応対している義安も、少々ばつの悪い表情を浮かべる。


「これで習い事や一族の行事から解放されます」


「あ、そっちですか。我々の事情を汲んでくださったのではなく、ご自身が楽だと……」


「ご飯に昼寝つきでちゃんと匿ってくださいね。でないと、父上と兄上の名を使って浜名の民に決起を促してしまうかも……」


「わかっていますよ。せめて田植えが終わるまではきちんと養うので大人しくしていてください」


「ふつつかな姫ですが、よろしくお願いしますね」


「はいはい。……ん?」


実際、薬師山にある城は隠之城かくのじょうと言って、宇津山城の姫を隠すために築かれた城らしいです。但しその姫が、朝比奈家の姫なのか小原家の姫なのかは不明のようです。

拙作では朝比奈泰長の娘としています。ご了承ください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 男たちによる一族の悲哀… からの、姫の態度! 大事にしてもらってたのと違うのかい!? 楽しく拝読してます
[一言] ・・・・・・んん?どゆこと?義安のヨメになる?
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