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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第六章:遠江乱入【天文二十年(1551年)~天文二十一年(1552年)】
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井伊家臣従


井伊谷いいのや城への救援、誠に有難く存じます」


「いや、こちらこそ、井伊家が無事でよかった」


井伊谷城を包囲していた土豪連合を蹴散らしたのち、俺は各隊長格を連れて井伊家の面々と対面した。

鈴木重兼を含む鉄砲隊は、城外の見張りと残党狩りのために外に残しているけど。


上座に誰も座らず、俺の対面で頭を下げているのが井伊家の当主、井伊直盛。

約二年前の安祥城攻めで今川家に従軍し、負傷。

同じく従軍していた父、直宗は討死したそうだけど、井伊家の怒りは今川家に向いてくれたみたいだ。


昔から今川家に仕える譜代の臣という訳じゃないからな、これはある種当たり前の反応だろう。


この井伊家は間違いなく、史実において後に徳川四天王の一人に数えられる、『赤鬼』井伊直政の実家だ。

確か、直盛の娘婿が直政の父親だけど、所謂連れ子になるんだっけ?

娘婿も一族の人間らしいけれど、それらしい人物がこの評定の間には見当たらない。


まぁ、直政の育ての母になる直虎っぽい人物はいるけどね。

直政自身の才能は勿論だけど、周囲の教育のお陰と考えるなら、井伊家は丸ごと召し抱えたいところだ。


実際、井伊家と安祥家うちの関係性は、同盟というより服従という形に近くなる。

直盛が上座に座っていないのがその証拠だった。


「約束通りに井伊家はこれより安祥家に従いまする」


「うむ。既に伝えてあると思うが、領地と城は安祥家のものとなり、其方らは俸禄によってのみ仕える事となる。とは言え、遠江が乱れた状態で、其方らを動かせば更なる混乱を生み出してしまう。今のところは城代、代官として井伊城、井伊谷城およびその領地の統治を任せる」


「謹んでお受けいたします」


「さて、今後の予定であるが……」


「はい。忠誠の証として、我が妻、祐椿尼ゆうちんにを安祥城に向かわせましょう。それと、娘の次郎法師を……」


「待て待て、違う、そうではない」


直盛の言葉を俺は慌てて遮った。

一瞬感じた、年若い尼僧の放つ怒気からすると、続く言葉は予想ができる。

とは言え、それを言わせないために遮った訳じゃない。


「これからの安祥軍と井伊家がどのように動くかという話だ。服従のためのやり取りは、色々落ち着いた後でよい」


「そうですか?」


直盛は若干残念そうだ。

やっぱり、恐らく件の娘だろう若い尼僧を俺か俺の配下に嫁がせて、井伊家と安祥家の繋がりを強固なものにしたかったんだろうな。

選択肢としては有り得ない事はないけれど、もうちょっと考えさせてくれないか。


申し込まれたら断るのも難しいし、全て受け入れていたら、俺は親爺以上の女好きになってしまう。


「我々はこれから刑部(おさかべ)城の庵原(いはら)家を攻める。その際には、井伊家に先鋒を務めて貰いたいのだ」


「武士の誉ですな。しかし、先程までの籠城戦でこちらの兵は少なくなっております。城の守りも考えると、三百程度になるでしょう」


一番槍を武士の誉。そして先鋒を任せるというのは、それだけ相手の力を評価しているという証でもある。

けれど、流石に直盛も、先鋒を任せるという言葉の持つもう一つの意味に気付いているようだ。


先鋒を任せるという事は最前線に立たせるという事であり、当然、最も被害が出る配置である。


「井伊家の精強さは儂も身をもって理解しておる。問題あるまい」


それに気付いていながらあっさりと受け入れ、それでいてやんわりと拒絶する直盛に、俺もそのように返す。


「しかし、まもなく田植えの時期ですので、兵らの士気が気がかりですな」


「作事衆が五百人、入る手筈になっている。従軍している家の田畑を手伝う事を優先させよう」


三河統一に時間がかかった理由は、間違いなく人手不足だった。

敵の城や領地を奪っても、すぐには支配体制を確立できないから、そこで軍の足はどうしても止まってしまう。

根本的な人数が足りてないから、一度軍を解散して土木工事に従事させる必要があった訳だ。


まぁ、ゆっくりじっくり進められたお陰で、安祥を中心とした西三河の発展があると考えれば、悪い事ばかりじゃない。

その基盤があるから、こうして遠江に侵攻できている訳だし。


そして今は、敵と戦う部隊と、占領した土地を統治し、開拓、開発する者達とで分けても十分な人数が確保できるようになっていた。

工兵的な扱いの作事衆の他に、手の空いている領民を東三河や遠江の北西部に派遣して開発と侵攻を同時に行う事ができる。


これにより、うちと違って多くの常備兵を抱えていない、遠江のこちらに降った者達を、すぐに戦線に投入できた。

戦力の増強と補充が容易になるし、降った振りをしている者達も、最前線に配置されては死に物狂いで戦うしかない。


単純に進軍の速度が上がる以上の恩恵が存在しているんだ。


戦争は数だよ兄貴。あ、兄は俺だった(二回目)。


「しかし、安祥家の手を煩わせる訳には……」


「いや、井伊谷の発展はこちらの望みでもあるのだ。街道の整備や、今年の収穫後には田畑の整理と再開発も行わねば。勿論、資金も人でもこちらで都合する」


やはりというかなんというか、直盛はこの出陣を拒否したいようだった。

まぁ、戦わずに済むなら誰だってそうしたいだろうし、井伊家としても、俺達が今川家に勝てるかどうかは半信半疑だろう。

勝てないまでも西遠を保持できれば良いが、もしも俺達が遠江から引き揚げてしまったら。

降っただけでなく、共に戦った井伊家の扱いは相当悪いものになる。


「…………」


「…………」


「父上!」


暫く無言。お互い穏やかな表情を浮かべている筈だけど、何故だろう。火花が散っているようにも見える。


そんな空気を破ったのは、例の若い尼僧だった。


「井伊家は既に安祥家に降ったのですから、その命令には従うべきでしょう」


「次郎法師、口を出すな」


「いいえ。この場に呼ばれたという事は、その権利があるものと判断しました」


直盛が諫めようとするが、次郎法師と呼ばれた尼僧はすぐさま反論する。

次郎法師が呼ばれていた理由は、多分俺への紹介だけだったんだろうけど、俺がそれを遮っちゃったからなぁ。


「最早我々のような小勢力が独立を保てる情勢ではないのです。父上が井伊家を思っておられる事は重々承知しておりますが、そのような井伊家の態度の結果が今川家の対応ではございませんか。降るか逆らうか、二つに一つ。降ったならばより良い策も無く、徒に反対するものではございません!」


「むぅ……」


直盛は次郎法師に言い包められてしまった。

この時代に彼女の考えは中々斬新だ。流石はあの『赤鬼』を育てただけはあるか。


「決まりですな」


次郎法師によって口を噤んでしまった直盛に、一人の老将が声をかけた。

確か、家老の中野信濃守直由と紹介された武将だ。


「信濃……」


「これまでの我々の煮え切らぬ態度が今川家の反感を買っていたと言われれば、その通りだと納得せざるを得ませんな。そのせいで大殿を、彦次郎様を失ったとなれば、同じ道を辿る訳には参りません」


「……三河守様、いえ、殿()。井伊次郎直盛、出陣の命、謹んでお受けいたしたく」


「うむ、励めよ」


渋面こそ浮かべていたが、直盛はそう言って頭を下げた。


「その上で忠告させていただきます。刑部城攻め、決して油断なさらぬよう」


「戦に絶対など無い事はよく理解しておる。だが、理由を聞こう」


刑部城現城主の庵原忠良は、今川家に代々仕える庵原家の分家にあたる。

この庵原家は太原雪斎の生家であるから、どのくらい立場が上かなんとなく理解できるだろう。


忠良は雪斎の甥であり、今川家家臣が城代として配置されているという事からも、今川家との繋がりは強いのだろう。

刑部城は三河との国境から続く姫街道の要衝にあるので、重要度が高いのかもしれない。


「彼らの団結力は非常に高く、士気もおいそれとは下がりませぬ」


「それは今川家への忠誠によるものか?」


「それもあるでしょうが、一番の理由は城主忠良の娘にあります」


「娘?」


「はい『金襴の蛇』に例えられる美貌を持つその姫に、家臣は勿論、城兵、領民全てが魅了されているのだとか」


なにそれ怖い。

とは言え、語る直盛の表情は真剣だ。


他の井伊家家臣の顔を見回すと、みな真面目な表情で頷いている。


えぇ……マジ……?


この時期の刑部城は今川家家臣の新田美作入道の居城らしいですが、徳川の遠江乱入時点では庵原忠良を城主とする資料があったので、そちらを採用しています。ご了承ください。

まぁその資料だと、野戦で新田入道が行方不明になったので、忠良が城主になった、としています。いつの野戦か書いてませんでしたが、普通に考えれば時期は同じなので、忠良は城主というよりあくまで守備の総司令官という立場だったとは思いますが。

ちなみに、井伊氏の庇護を受けた豪商、瀬戸方久と同一人物とされる新田喜斎と新田美作入道は別人とも同一人物とも言われています。


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