井伊谷城下の戦い
井伊家への救援に向かう途中、その井伊家から俺に書状がもたらされた。
『援軍御無用、刑部城へ向かわれたし』
色々と書いてあったが、要約するとこんなところだ。
さて、これをどう見るか。
行軍を停止させ、兵達に休憩を取らせている間、中隊長以上の面子で緊急の軍議を開く。
「どう見る?」
「恐れながら申し上げます」
俺の問いかけにいちはやく応じたのは第三大隊長の鈴木重教。
「井伊谷城は川と山に囲まれた天然の要害。井伊家も歴戦の古強者です。戦力的にも城攻めの常道を大きく逸脱しておりませんし、防戦叶うかと」
井伊家の家臣である、一族の鈴木重時と繋がりがあるだけに、井伊家への救援を優先するよう進言すると思ったから、その発言は意外だった。
「井伊谷城が敵を引き付けておいてくれるなら、遠津淡海北部の攻略が容易になるでしょう」
「しかし、これが罠って可能性も捨てきれませんぜ」
反対意見を出したのは、鉄砲隊隊長の鈴木重兼。
最初からぶっきらぼうだった孫一と違い、しっかりしていたように見えたんだけど、最近は口調が崩れてきている。
まぁ、うちに馴染んだって事にしておこう。
「井伊家の寝返りが偽りで、これも殿を油断させるための策かもしれねぇ。忠告通りに刑部城へ向かったら、井伊谷との挟み撃ちって可能性もありますぜ」
「日向守、その辺りはどうなのだ?」
「は、井伊家はこれまで何度も今川家に反抗してきた家。従っていたのはあくまで強大な武力に逆らえなかったからでございます。先年、一族の者が今川によって謀殺され、後継者として教育されていたその息子が追放されておりますれば、今川家への忠誠心など欠片も残っておらぬはず」
俺が重教に尋ねると、彼は淀みなく答えた。
逆に怪しいと思ってしまうのは、この時代に慣れた証拠だろうか。
重教を大隊長に据えているのは、井伊家との繋がりを期待して案内役としてだけの理由じゃない。
絶対とは言い切れないけれど、研修などの結果によって、彼が裏切る可能性が無いと判断できたからでもある。
「九郎右衛門、其方はどう思う?」
敢えて、この軍議に参加している中で最年少の植村正勝に訊いてみる。
「そうですね。罠かどうかはどちらでもよく、井伊谷城の救援に向かうべきかと愚考いたします」
流石は名門、安祥譜代七家の一つ植村家の子息ともなれば、16歳でも落ち着いているな。
一つ年上のはずの鳥居忠意なんて、緊張でがちがちになってるのに。
「何故そう思う?」
「はい。まず井伊家の安祥家への寝返りが真実だった場合、救援を果たす事で彼らに恩を売る事ができます。井伊谷城が堅牢で、城兵が精強であっても、何が起きるかわからないのが戦でございますから」
「なるほど、確かに」
「そして井伊家の寝返りが虚実だった場合ですが、なればこそ、井伊谷城を囲んでいる者達を蹴散らしてやれば、彼らは安祥家に従う他ありますまい」
「しかし九郎右衛門殿、其方は大事な事を見落としておりますよ」
と、横から異議を申し立てたのは細井勝宗だった。
あ、すっかり忘れていたが、最年少というならこいつじゃないか。
昔からうちに仕えているから勘違いしてたぜ。
「喜三郎殿、それはどういう事でありましょうか?」
「左近大夫様率いる第二大隊が細江の砦に入っておりますから、我々の軍勢は二千と少し。城を囲んでいる兵も二千。こちらの動きが敵に伝わりにくいようにしているとは言え、背後からの奇襲のみで確実に勝てる、と言い切れる数ではございません。そのような状況では、井伊家の寝返りがたばかりだった場合、我々への味方はもとより、城にこもっていてくださるでしょうか?」
勝宗の意見は中々鋭い。
「いや、喜三郎殿、それこそ気にする必要は無いのですよ」
「何故でしょうか?」
「気にする必要が無い、と言うと言い過ぎでしょうが、それは我らが刑部城へ向かったとしても同じ事。むしろ、刑部城の兵とも戦わねばならない分、我らが不利となってしまいます」
「むぅ」
「第二大隊を砦に残しておくのは、井伊谷城へ向かう我々の背後を突かれないようにするためのはず。井伊家を信用してこのまま刑部城へ向かうとならば、万が一に井伊谷城が落とされた時に備えて、第二大隊は砦に残したままにしなければなりませぬ。予定より兵力が減っているのは我々も同じ、という事になってしまうのですよ」
元々の予定だと、井伊家の協力をしっかりと確かめたのち、彼らの戦力も含んで、刑部城を攻める手筈だった。
しかし井伊谷城をそのままにしておくという事は、井伊家の戦力を当てにできないというだけでなく、第二大隊も動かせないという事でもあった。
井伊谷城を攻めているのは周辺の土豪達だと言う。
刑部城や堀江城を攻める際に彼らが援軍として向こうに加わらないのは助かるが、逆に言えば、刑部城の兵力はまるまる残っているんだ。
「あいわかった。我々は予定通り井伊谷城への救援に向かう事とする」
「はは」
と全員が頭を下げるが、流石に理由を説明しておかなきゃまずいよな。
まぁ大体は正勝の言った通り。
寝返りが本当だろうと嘘だろうと、井伊谷城を解放した方が俺達にとって利があるのが一つ。
刑部城や堀江城の攻略に使える兵が少なくなってしまう事を懸念したのが一つ。
「そして、刑部城、堀江城を攻略したのちの事を考えての決定だ」
「詳しく説明いただいてもよろしいでしょうか?」
おずおずと手を挙げたのは伊奈忠家だった。
こういう時、わかったふりをせず、きちんと疑問を口にしてくれるのは、うちで数年教育を受けている成果だな。
「両城を獲ったなら、当然これを守らねばならぬ。予定では物資の輸送と人員の補充がなされたのちは更に進軍するが、井伊谷城の救援を後回しにした場合、城を守りながら彼らも助ける事になる。それまで耐えていたからと言って、今後も耐えられる保証が無い以上、できるだけ素早く動かねばならぬからな。明らかに手が足りぬ」
「刑部城や堀江城を落としたなら、井伊谷城を攻めている奴らも降伏するんじゃないですかね?」
「それも希望的観測に過ぎぬ。降伏しなかったという結果が出てからでは後の祭だ」
重兼の疑問に答えるが、最後の慣用句はこの時代に通じるんだったかな? とどうでもいい不安が頭をよぎった。
「なるほど。三河守様の深きお考え、理解いたしました」
そう言って重教が再び頭を下げる。
「うむ。皆も良いかな?」
周囲を見渡すが、反対意見を述べる者は、誰もいなかった。
という訳で予定通りに井伊谷城へ。
道中で部隊を三つに分け、本体が正面から包囲中の部隊へ攻撃を仕掛ける。
相手の注意がこちらに向いたところで、両側からの挟み撃ち。
しかも両翼には鉄砲隊を配置してあるので、奇襲と挟撃の効果は更に高まるだろう。
井伊谷城包囲部隊は、日の入りと共に撤退するという情報を得ていたので、その直前に襲撃できるよう時間を調整。
彼らも同じ事を何度も繰り返しているからな。そろそろ終業時間か、と気が緩んでいるところを狙う訳だ。
そしてその効果は抜群だった。
俺が率いる第一大隊と、第三大隊の中で重教が率いる第一中隊が正面から攻撃する囮部隊となった訳だが、そこに配置されている弓兵の殆どが射程に収められる距離まで、相手は俺達の接近に気付かなかった。
突然の背後からの矢の雨を受けて混乱する敵兵。
数は多いけれど、包囲中のせいである程度分散しているし、何より遠目からでも装備が悪いのがわかった。
「まさに烏合の衆だった訳だ」
「多少の勢力を持っていると言っても、一土豪程度ではあの程度が限界なのでしょう。むしろ、数だけで言えばよく集めたものです」
俺の呟きに公円が応える。
まぁ、今川家本隊か、その家臣の部隊でもなければしっかりとした装備を揃えるのは難しいか。
「お前の出番、無いかもな」
「それはまずいな。五三郎、突撃許可を」
「予定通りに鉄砲が二回発射されたあとだ」
「むむむ」
何がむむむだ。
気持ちはわかるけれど、あまり調子に乗るなよ。それ明らかにフラグだから。
「三郎兵衛が恋しいのはわかるが、儂を置いていくな」
「……すまぬ」
勿論公円が死に急いでいる訳じゃないだろう。
ただ考えが足りなかっただけだ。
俺の尾張時代からの古参として、これからどんどん家臣の中で立場が上になっていくんだから、もう少し落ち着いて欲しいところだ。
「家庭でも持てば変わるのかな……」
「ん? なんだって」
聞いていて誤魔化しているのか、本当に聞いてなかったのか、判断しにくい反応をするなよ。
相手も何とか混乱を収め、こちらに対して隊形を整えようとするが、そこへ左右からこちらの別動隊が攻撃を加えた。
多くの兵の怒号を打ち消すように銃声が両側から二度轟くと、公円率いる騎馬隊が、敵部隊に止めを刺すべく突撃していったのだった。
損害は軽微。
あれこれ考えていたのが間抜けに思えるほど上手くいったな。
案ずるより産むが易しとはよく言ったもんだ。
まぁ、毎回こう上手くいくとは限らない以上、これからも慎重にいこう。
俺は兜の緒を締め直し、開門された井伊谷城へと向かった。
井伊谷城の救援は成功。
そして井伊家の真意は前話の通り。
結論:深く考えすぎ。
井伊家「ここは任せて先に行け」
疑心暗鬼に陥らなくても、こんな手紙貰ったらフラグ折りたくなりますけどね。




