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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第六章:遠江乱入【天文二十年(1551年)~天文二十一年(1552年)】
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【画像掲載】遠江乱入 壱

いよいよ遠江侵攻開始です。

挿絵(By みてみん)


野田城から俺率いる三千の兵が遠江に向けて出陣する。

それに合わせて、吉田城から広虎率いる六千の兵が同じく遠江に向かって出陣する手はずになっていた。


野田城勢は総大将兼第一大隊隊長が俺。中隊長に堀内ほりうち公円こうえん。西尾城攻略後に安祥に降った若武者、細井勝宗。

そして元松平家家臣、鳥居家の次男、鳥居忠意(ただおき)

安城包囲網後、松平家でスパイをやっている鳥居家から、裏切らない証として送られて来た清丸が元服した姿だ。

ちなみに鳥居家自体はほぼうちに降っている状態であり、前当主である監物忠吉が松平家に残っている。


第二大隊は隊長に石川康正。中隊長にその息子、石川数正。元松平家譜代家臣の酒井正親。野田菅沼家当主、菅沼定村の弟の定圓さだかず

数正は父親の名前からなんとなくそんな気がしていたけれど、かなり有名な武将だった。家康の家臣の中では、のちに秀吉に仕えるせいもあってか、徳川四天王と比べるとやはり知名度的に一歩劣るか。

それでも軍事、内政、外交で数々の逸話を持つ知勇兼備の名将である事は間違いない。

これは上手く育成しないとな。責任重大だ。

正親は松平家宗家との停戦後にこちらに仕官して来た、元松平家家臣の一人だ。

矢作川の西側に領地を持つ者達が多く仕官して来てくれたからな。かなり助かっている。

とは言え、信用しずらいのも確かなので、分散して前線に配置している状態だ。


第三大隊は隊長に寺部鈴木家当主の鈴木重教。中隊長に安祥譜代七家の一つ、植村家の一族である植村正勝。元大給松平家臣の河合重明。伊奈忠基の次男の伊奈忠家を配置。

野田城勢は北部から宇津山城を牽制したら浜名湖の北へと進む予定になっている。その時、遠江の協力者とスムーズな接触を行うため、関係のある足助鈴木家の鈴木重時を案内人として従軍させている。

でまぁ、この鈴木家繋がりで重教を大隊長に抜擢した訳だ。勿論、研修の成績が良かったのもある。

正勝は正親と同じく、松平家宗家との停戦後に安祥家に仕官してきた元松平家家臣だ。

植村家の後継者は竹千代と共に尾張にいるらしい。

植村家前当主の氏明を討ったのは公円なんだが、その辺りはあまり気にしていないらしい。

勿論、鵜呑みにする訳にはいかないから、警戒は怠らないけどな。


そして輜重隊と共に鉄砲隊を率いる鈴木重兼。その部下に鈴木重秀、岡吉正の元雑賀衆をつけた。

こちらはある程度機動力を重視するので安祥砲は無しだ。


吉田城勢は総大将兼第一大隊隊長に武田広虎。中隊長に菅沼定村の弟、定自さだのり。大草松平五代当主、松平三光(かずみつ)。荒川義弘。


第二大隊は隊長に吉良義安。中隊長に鵜殿長照の叔父の鵜殿長成。鴛鴨松平三代当主、松平親久。岸教明。

鵜殿家は家臣を含めて処刑されるか駿河へ送られたかしたんだけど、長成はうちに仕官を求めて来たんだよな。

勿論、スパイを疑ったけれど、そのせいでちょっと他の人間より厳しくなった研修を耐え抜き、教官を務めた古居ふるいからシロだと太鼓判を押されたので戦に連れて行く事にした。


第三大隊は隊長に本多俊正。中隊長に磯野員昌。元西条家家臣、高橋信正の息子の政信。元大給松平家臣の梅村正胤。


第四大隊は隊長に松平家次。中隊長に元家次家臣、長江景則の息子の景隆。藤井松平二代当主、松平信一。柳生家厳。

ちなみに、宗厳は安祥新年祭のメインイベント、天下一武術会で三年連続で優勝を逃した事を不甲斐なく思ったらしく、武者修行に出たいと暇乞いを申し出て来た。

実際、あまり部隊を率いるのには向いてなかったし、城内への乗り込み、船での戦闘、剣術指南など、剣の腕を活かして活躍して貰うつもりだったので了承した。

奥さん妊娠してるらしいから、その辺りを確認したら、既に許可を得ていると言うし、家厳にも許しを得ているそうなので、ならば問題無いと送り出したんだ。

筒井家家臣時代から一緒で、安祥までついて来てくれたし、良い奥さんだよね。

ちなみに宗厳が負けた相手は上州叢太郎と名乗っていたので、今頃関東にいるかもしれない。


第五大隊は隊長に元西条吉良家家臣の大河内基高。中隊長に岡崎五人衆の一人、成瀬正頼の息子、成瀬正義。元植村正勝家臣の神谷清次。米津(よねきづ)政信。

大河内は遠江に出自を持つ一族なので、成績も加味して大隊長に抜擢。正義も松平家宗家との停戦後に安祥家に仕えた元松平家家臣だ。父である正頼は、俺の初陣でもある親爺の安祥城攻めで討死しているので、よく仕官したな、という感じだった。

ただ、やはり戦で敗北する事は別段恨みに思う事ではないという考えだそうで、仮に恨むなら親爺であって俺ではない、というのが正義の言い分だった。

勿論それを信じるなんて以下略。


そしてこちらも輜重部隊と鉄砲隊兼任の隊長が津田有直。部下には佐武善昌をつけ、こちらは元根来衆で固めた。

一応安祥砲も編成してあるが、数はやはり四門だし、火薬と砲弾の数にも限りがある。


家臣の多くが安祥家に仕官しており、スパイを頼んでいた鳥居家も松平家を出て安祥家に仕えた事でかなりその力を削がれている松平家宗家だが、それでも俺達が遠江に進出している間、三河でよからぬ事を考えられてもたまらない。

そのため、一部家臣を岡崎の領民兵と共に今回の戦に参陣させている。

所謂与力武将だが、指揮系統は完全に広虎の下だ。

やって来た中で大物は大久保忠行、高力清長、内藤正成の三人だろうか。


大久保忠行は松平家譜代家臣であり、広忠の家老だった大久保忠俊の弟だ。

歳は俺より五~六歳上だろうか。それとなく元松平家家臣に評判を聞いたら、菓子作りが得意だという評判を聞いた。

武士の評判を聞いていの一番に出るのがそれってどうなの? しかも武骨中の武骨である三河武士で。

ただよくよく聞いてみると、食糧事情がよろしくなかった松平家で、食事に飽いて士気が下がらぬように、餅に色々工夫して味を変えていたのが始まりなのだとか。

成る程、それなら納得。食べられる野草はあちこちに生えているから、すり潰して練り込むなどするだけでも違うからな。

ひょっとしたら薬草や毒草の知識も持っているかもしれないから、誰かに話を聞かせるべきだな。

高力清長も祖父の代から松平家に仕える譜代家臣。その祖父と父親は、親爺の安祥城攻めでまとめて討死している。

内藤正成は元姫城城主、内藤清長の甥だ。彼の父親も、親爺の安祥城攻めで討死しているんだよな。


さて、俺が率いる野田城勢は宇利峠を越えて、浜名湖の北西に連なる猪鼻湖いのはなこの北を通り、浜名湖と猪鼻湖の間に位置する大崎半島の付け根にある、佐久城を攻める予定だ。

ちなみに、現在浜名湖は遠津淡海とおつあわうみと呼ばれている。

琵琶湖と同じ淡水湖であるからこう呼ばれているのだけど、五十年ほど前の明応地震によって浜名湖と太平洋を隔てていた陸地部分が津波などにより消滅し、海と繋がってしまったんだそうだ。

この部分は今切いまぎれと呼ばれていて、東海道でも有数の難所として知られるようになってしまった。


遠江を支配したのちは橋をかけたいところだけど、さておき。


この俺達の動きに合わせて、吉田城勢は本坂峠を通って、宇利峠と本坂峠と連なる街道が合流する地点にある日比沢城を攻める事になっている。

佐久城は周辺を支配する浜名家の居城であり、日比沢城はその家臣である後藤真泰が城主を務めている。


要衝を任されているだけあり、後藤真泰の息子の直正は、現浜名家当主、浜名重政の妹を妻としており、その団結力は中々のものだ。


とは言っても、合計一万近くにもなる大部隊に、同時に攻撃を仕掛けられては、どれだけ強固な連携を誇っていても対抗できるものではないだろう。


野戦に出て来た浜名家の部隊を軽く蹴散らし、佐久城を囲んでいると、日比沢城が落ちたので、浜名家に降伏勧告を行う。

当主重政の切腹を条件に、一族家臣全員の助命を約束するとあっさりと降ってくれた。


日比沢城の方は武士階級以上はほぼ皆殺しだったらしい。流石広虎、えげつねぇ。

まぁ、落城の速度を重視するよう命じたのでそのような手段を取るのは仕方ない。

岩略寺城攻略の時は交渉で引き延ばされたからな。


その吉田城勢は日比沢城を拠点に南下。宇津山城攻略を目指す。

本坂街道と、遠江国境付近に横たわる石巻山に連なる本城山ほんじょうやまとの間くらいの平地で、宇津山城兵を中心とした今川方遠江国人衆と吉田城勢がぶつかり、戦になった。

相手は三千近い人数がいるが、戦力として倍であり、士気も連携も上の吉田城勢が負けるはずがない。


はずがないが、適当に戦ったところで吉田城勢は撤退を開始したらしい。

勿論罠だろう。


宇津山城は今川家の『両翼』朝比奈家の一族が守る城であり、遠江国境を守るための重要拠点である。

浜名湖を用いて周辺勢力と連携もでき、城自体も浜名湖を背にした堅城。


まともにやり合えばどれだけの時間がかかり、どれだけの損害が出るかわかったものじゃない。

なので広虎の得意とする野戦でできる限りその兵力を削りたかったんだろうな。


そのため一度退いてみせ、相手が前のめりになったところでカウンターを食らわせる戦術だったのだろうが。


食らいついてきませんでした。


あの太原雪斎の副官まで務めた朝比奈泰能の従兄弟なだけはあるか。

冷静だし、戦局を見る目があり、予想も的確だ。


宇津山城兵が再び宇津山に戻ってしまったので、当初の予定通り付城戦術へ移行したようだ。


宇津山を囲むように砦を築き、陸路での周辺勢力との連携を断つ。

その間に俺の部隊が浜名湖を北から東回りに回って、水運での連携もできなくする。


そしてこの時、広虎から吉田城へ伝令が出される手筈になっていた。

その伝令を受けて、吉田城に残っていた兵の一部、約千を西尾吉明が率いて、東海道から浜名湖の南へ攻め入る予定だ。


吉明の部隊には、かつて岡崎城のスパイとなっていたが、停戦後に改めて安祥家に仕官した鳥居家当主、鳥居忠宗も帯同している。

商人気質で兵站というか、後方任務の重要性をわかっているからな。

前線で使うなら輜重部隊を任せるのが丁度良い。


広虎には今後も、野田城勢や吉明隊との連携を密にしつつ、決して無理攻めしない範囲で好きにして良いと伝えてある。

偽装撤退からの引き込み戦術で早速好きにやってくれた訳だ。

結果としては相手に見破られた形だけど、ああいう動きをさらりとやってくれる辺り、やはり部隊の指揮に慣れていると感じられる。

今後も頼りにさせて貰おう。


俺達野田城勢は、浜名湖北東、細江湖の西側に突き出した寸座半島の付け根に砦を築く。

この間にも周辺の勢力への調略は続け、砦が完成すると第二大隊を残して、浜名湖北東端から北北東へ約五キロの位置にある城へと向かう。


そこにあるのは井伊城。

南方を神宮寺川、三方を山に囲まれた山城、井伊谷城の南東麓にある平城だ。

井伊城は普段の生活用で、戦になると井伊谷城へと移るらしい。


そこにいるのは勿論井伊家。

のち徳川四天王になる、『赤鬼』井伊直政を輩出する家だ。


歴史ある遠江の国人の家であり、今川の支配に何度となく抵抗した反骨の武士。

安祥家も言ってしまえば彼らにとって侵略者だし、現当主、井伊直盛は父直宗と共に今川家の安祥城攻めに従軍。そこで直宗が討死している。

本来なら交渉すらできない相手だけれど、井伊家の重臣であり三河の菅沼家と繋がりのある遠江菅沼家当主、菅沼忠久を調略する事に成功。

彼は佐久間家に降った足助鈴木家の鈴木重勝の娘婿であり、現在うちに従軍している鈴木重時の義理の兄にあたるのだ。

しかも忠久は、井伊家を安祥家に寝返らせる工作を了承したばかりか、同僚の近藤康用(やすもち)の調略にも成功。


常日頃から今川家に思う所のあった井伊家は、この重臣二人の説得を受けて安祥家との同盟を決意。

安祥家の遠江侵攻を手伝ってくれる事になったのだ。


「殿、井伊家の者達は既に井伊谷城に移っている様子」


進軍中、周辺の情勢を調べている安楽あらくからそう報告を受ける。


「そうか。戦の準備は万端という事だな」


「いえ、殿、それなのですが……」


流石井伊家、と俺が思っていると、安楽は言い難そうに俺の予想を否定した。


「井伊谷城は現在今川方の勢力によって包囲されております」


「何!? 寝返りがばれたのか!」


「はい。井伊家家老、小野道高が謀反を今川家に密告した模様」


そいつって確か、数年前にも武田家への備えに軍勢を準備していた井伊家の一族を義元に謀反の疑いがあると密告して自害させた奴じゃなかったっけ?

なんでそのまま使ってるんだよ。あ、元々井伊家の家臣じゃなくて、今川家から派遣された奴だからか?


「数は?」


「およそ二千といったところでしょうか。井伊谷城城兵は五百ほど……」


ほぼ互角か。けれど、攻城中の部隊を背後から攻撃できるなら何とかなる数ではある。


「小左衛門に書状を送り、援軍を送るよう伝えろ。大隊長は本多忠俊。小左衛門の裁量で千名まで好きに編成して良い」


「はっ!」


本多忠俊は三河国宝飯の土豪だ。今川方の武将だったが、上ノ郷城が陥落したのち、安祥家に降って来た。


「遠津淡海周辺と、井伊谷周辺の今川方の物見を排除。こちらの情報を流すな」


「はっ!」


「逆に見ればこれは好機だ。利害が一致していただけだった井伊家に恩を売ることで同盟を強固なものにする事が出来る。周辺勢力の戦力を削ぐ事で、今後の侵攻が楽になる」


勿論、勝てればの話だけれど、これに勝てないようじゃ遠江侵攻はままならないだろう。


とは言え楽観視もできない。

井伊家の謀反が今川に知られたと言う事は、相手が遠江の支配を強固なものにするため、援軍を送って来る可能性は非常に高い。

こちらの準備が整う前に、駿河勢に天竜川を越えられる事は避けたいところだ。


宇津山城を信頼して任せるか、宇津山城失陥を恐れて大軍を送って来るか。

井伊家攻撃に周辺の勢力を用いている事から、前者の可能性が高いけれど、どうだろうな。


援軍を送られても、浜名湖内に閉じ込める事ができれば良いが、そう上手くはいかないだろうし。


松平家の事実上の降伏により、松平家家臣と三河の豪族が安祥家に仕官しております。

今回いきなり出て来た感じなので、信用しにくいかもしれませんが、研修と安祥家の発展ぶりに、手の平クルックルですのでご安心ください。

長広「また協力者の所で内乱起こってる……」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 最初は面白かったですが、だんだんシュミレーションゲームで終盤の勝敗決まってマンネリ化と同じような感じになってきましたね。
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