瀬木城陥落
三人称視点です。
瀬木城を囲んでいる広虎の元へ、川路城城兵が、瀬木城の救援に出陣したとの情報が入った。
「数は!?」
「確認できただけでは三百ほど」
船や筏を使って豊川を下って来るというから、そもそも数が少ない。
そのくらいなら、包囲を続けながらでも迎撃は可能だ。
問題は瀬木城や周辺の勢力とどのくらい繋がっているか。
「牛久保城が怪しいか? 戦の準備ができておらんのは見せかけで、こちらの背後をつくための嘘だった可能性がある」
吉田城の勢力を率いるのは広虎である事は伝えてあったから、広虎の性格を知っていれば、牛久保城の手を借りずに自分達だけで出陣する事を予想できてもおかしくはない。
「野田菅沼も、確か初代当主が設楽家の養子に入っていたはず。五十年以上昔の話だが、その初代は三年前まで生きていたというから、繋がりが残っていてもおかしくはない」
川路城と野田城は距離が近い。
野田菅沼家が反今川派、あるいは親安祥派だったとしたら、これを放置して出陣する事はできないだろう。
この時点で広虎には、野田菅沼二代当主、菅沼定村の弟二人が離反し、牛久保城の救援に向かおうと挙兵した事で、内乱に発展したという情報が入って来ていなかった。
「数で圧倒的に勝っていても、周囲から攻撃を仕掛けられてはまずい。それこそ、牛久保城兵が吉田城へ向かう可能性もあるか?」
「一度牛久保城に伝令を出してはいかがでしょう? 今集まっている分だけでも率いてこちらに来るようにと」
葛藤する広虎に、松原福池がそう提案した。
「なるほど。応じるようなら裏切っておらん証明になるし、裏切っていたとしても、その動向を確認できるな。よし、すぐに書状を用意いたせ!」
広虎の命令を受けて、小姓が紙を用意し、陣幕にいたのとは別の祐筆が呼ばれた。
「川路城の兵はどうします? 豊川はそれほど流れは速くないですが、一刻もすれば到着するでしょう」
「城の南北のどちらに上陸するかだな。常識的に考えれば、北側の少し離れたところに船を泊めて接岸するはずだが……」
「歩哨を置いておくだけで十分でしょう。敵が上陸を始めてからでも十分迎撃は間に合います。上陸後、すぐに進軍することなどできないでしょうから」
「そうだな。よし、南北それぞれの場所に監視を置け。どちらから上陸されてもすぐに動けるよう、部隊の選定も済ませておけ」
「はは!」
瀬木城包囲の部隊が慌ただしく動き出した。
しかし、昨夜、休みなく戦っていたせいもあり、その動きは鈍い。
そんな自軍の状況に広虎がやきもきしていると、彼の予想外の事が再び起こった。
「牧野貞成様の軍勢が到着されました」
「はぁ!?」
その報告に思わず広虎はそんな声をあげてしまう。
百名ほどの兵を率いて、貞成が本陣に到着したという。
書状を出して一刻も経っていない。
瀬木城と牛久保城の距離が近いとは言え、この速度は異常だった。
「す、すぐに通せ!」
真意を探る意味もあり、広虎は貞成を陣幕へ呼ぶよう命じる。
「遅くなりまして申し訳ございません、無人斎殿。牧野新二郎貞成、援軍の要請に従い、馳せ参じました!」
興奮した様子で陣幕に入るなり叫ぶ貞成。
汗だくであり、息も荒い。牛久保城から走って来た、と言われても信じてしまいそうな様子だ。
事実、貞成は走ってこそいないが、可能な限り急いでこの陣幕までやってきた。
いつでも出陣できるよう、募兵しながら出撃準備を整えていた事もあってのこの速度だった。
「現在も牛久保城では募兵を続けております。最終的には六百名程を援軍として動員できるかと……!」
「そ、そうか、大儀である」
貞成の興奮具合に広虎は気持ちがおいつかず、気圧されてしまう。
「では新二郎殿、わざわざ本陣に来ていただいて申し訳ありませんが、包囲の北側で待機していただきます。現在瀬木城の救援に川路城の城兵が迫っておりますので、これの迎撃をお任せしたいのです。勿論、我が方の兵も協力いたします」
「惣兵衛殿、お任せください!」
福池の要請を受け、貞成は打てば響くような勢いで了承する。
「恐らく手柄を立てて、この戦が終わったあと、安祥家で良い扱いを受けたいのでしょうね」
貞成が陣幕を出て行ったあと、福池は広虎にそう呟いた。
「牛久保城で話した時、それは感じたが、まさかあそこまでだったとはな」
「今回の瀬木城の反乱で責任を取らされてはたまらないという思いが強いのでしょうね」
少しのミスで切腹、処刑は当たり前だったこの時代、一族を御しきれずに反乱を起こされてしまった、など、本来は許されざる失態だ。
貞成がそう考えてしまう事を、広虎も福池も理解できていた。
万が一それを免れたとしても、折角安堵された所領を没収されかねない。
その挽回の機会も、広虎の素早い動きで失われつつあったところに、その広虎からの援軍要請だ。
はりきるのも当然であった。
「まぁ、これで士気が上がるというなら良い事だ。精々頑張って貰おうではないか」
元々長広は牛久保城を罰する気は無いだろう事は広虎達も予想ができている。
牛久保城で会った時は、思いつめられて妙な気を起こされないよう、それを伝えたが、今は状況が変わった。
わざわざそれを伝えて、やる気に水を差す必要もないだろう、と考えていた。
それから暫くして、物見から、川路城城兵が瀬木城北方三町の距離に上陸を開始した事が伝えられた。
「特にひねりは無かったか」
素早い救援のために豊川を下るという発想は良かっただけに、広虎は設楽貞重を警戒していたが、杞憂だった事に気付いた。
すぐに選定してあった部隊と、貞成の部隊を迎撃に向かわせる。
敵兵を直接攻撃するのは貞成達牛久保城勢に任せ、安祥軍は火焔矢や炮烙玉を用いて、船や筏を攻撃し始めた。
退路を断って完全に殲滅する事で、川路城の攻略、あるいは降伏を容易にするための指示だ。
川路城城兵もこれに対抗しようとするが、やはり上陸直後では統制が取れておらず、陣形を整える事さえままならない。
「一度包囲を解いて、迎撃部隊をあえて挟撃させるのはどうだ?」
「乗ってきますかね? もし失敗したら、また曲輪を奪取するところからやり直しですよ?」
川路城と瀬木城が連携できていないのは明らかだった。
そのため、あえて援軍が来た事を瀬木城に伝え、城から出す事を広虎は提案した。
しかし、福池の言葉通り、失敗したら目も当てられない。
一度目よりは多少楽になるとは言え、再び曲輪の攻略から始めなければならないというのは、避けたかった。
「むしろ川路城城兵が救援に来た事を流したうえで包囲を続けましょう。そうすれば相手も、川路城城兵の状況を確認したがるはず。その後援軍が壊滅したとなれば、開城も早まるかもしれません」
結局広虎は福池の意見を採用し、瀬木城へ援軍到来の情報を流して包囲を続けさせた。
その後、設楽貞重討死と川路城城兵の壊滅が伝えられた。
「雅楽助の首とともに、降伏を促す書状を届けよ。右馬允の切腹は譲れぬが、それ以外の助命までは譲って良い」
「間違いなく、従兄弟を扇動した者がおりますが、よろしいのですか?」
使者に任命されたのは貞成だった。ここまで来たら、使えるだけ使おう、と広虎は考えたのだ。
「探している時間が惜しい。だが、そうだな。右馬允が自分に殉じて欲しいという者がいるなら、その願いを聞いてやれ。自主的に殉じる者を止める事もせぬと伝えよ」
「はは!」
その後、瀬木城は降伏勧告を受け入れた。
家老達は時間を稼いで今川家を待つべき、と説得したが聞き入れられなかった。
降伏を促すという事は、負けるかもしれないと思っているからだ、と言っても、それは流石に現実味がなかった。
結局、降伏するための条件として、宿老、稲垣重宗以下、家臣全員の助命を要請され、広虎はこれを飲んだ。
「間違いなく、従兄弟を扇動したのは稲垣三兄弟と山本帯刀の家老四人です」
「今川との繋がりも確認せねばならん。こちらで預かろう」
牛久保城を安祥家に渡し、瀬木城に貞成が入るが、成定の家臣も希望者は貞成の家臣となる事ができた。
しかし貞成自身、降伏の際のやりとりで、誰が獅子身中の虫なのかわかっていたため、進んで彼らを抱えようとは思わなかった。
だというのに、四人の家老は全員、貞成に仕える事を希望していた。
狙いは明らかである。
「敗戦に裏切りの疑い、度重なる尋問による心労は、想像を絶するものになるであろうな」
言って唇の端を吊り上げる広虎の瞳の奥に、貞成は狂気の輝きを見た。
そして確信する。四人が再び瀬木城に戻る事はないだろう、と。
読みにくいだろう通称にもルビを振ってみました。
これにて牧野家の騒動は一応終結となります。東三河の争乱はまだ続いていますが。
牧野成定死亡により、康成が生まれる前に歴史の闇に消える事になりました。ご了承ください。




