朝比奈元智
三人称視点です。
「状況はどうか?」
岩略寺城城内にて、完全武装した城主、朝比奈元智が家臣に尋ねた。
「は。各地にて戦が起こっているようですが、岩略寺城、瀬木城へ援軍に向かう勢力は少ないようです」
宮路山に築かれた砦の攻略に安祥軍がとりかかったというので、当初の予定通り、この側面を突くべく奇襲部隊を出撃させた。
しかし、相手は岩略寺城側の動きを警戒していたばかりか、準備万端で待ち構えていた。
奇襲部隊はあっさりと蹴散らされ、城に逃げ戻っている。
砦の攻略が見せかけで、岩略寺城の部隊を釣り出した、というなら長広恐るべし、で済んだ話だった。
勿論、それでも痛い敗北だった事には変わりはないが、結局は砦と岩略寺城を攻略するのが難しいからそのような作戦を取っているのだから、それは元智の目的と合致している。
元智をはじめ、岩略寺城に入っている今川家家臣の目的は時間稼ぎだ。
今川家が再び三河へ介入できるようになるまでの時を稼ぐのが彼らの仕事だった。
しかし、聞けば既に安祥軍は砦内部へ突入しており、陥落は時間の問題だと言う。
更に、撤退した部隊を追撃して来た安祥軍に城は包囲されている。
上ノ郷城を半日足らずで落としたという新兵器によるものだと元智は理解した。
城門も城壁も一撃で吹き飛ばすというこの新兵器に対抗する手段は無いように思えた。
とりあえず、奇襲部隊が逃げ戻ったのち、城門の裏に大量の岩を積んでみたが、城壁を崩されればどのみち一緒だ。
安祥軍はその新兵器の設置にとりかかっているというから、敵が城内に突入してくるのは時間の問題だろう。
ならば時間を稼ぐために岩略寺城以外の勢力を使わなければならない。
東三河の諸勢力に接近し、彼らの分断工作を行ったのもそのためだ。
親今川派でなくとも構わない。
親安祥派の一族に対し不満を抱いていさえすれば仕掛けようはいくらでもあった。
実際、安祥軍が岩略寺城へ接近した頃、東三河のあちこちで内乱が発生していた。
安祥軍の数からみて、今回の遠征で東三河の勢力全てを従えるのは不可能だろう。
ならば、諸勢力の内乱が長引けば長引くほど、安祥家の東三河支配は遅れる事になる。
「瀬木牧野が勝ってくれるとなお良いのだが……」
「吉田城から援軍が出たという話ですから難しいでしょうね」
「西郷家はどうか?」
「先に弾正忠家に抑えられてしまったようで、応じてくれませんでしたね」
「ふぅむ。今年中は保つかと思ったのだがなぁ」
顎鬚を撫でながら、元智はそう呟いた。
「いたしかたあるまい。城内に敵兵が突入したならば降伏する」
「よろしいのですか?」
「へたに粘っても城内に不満が溜まるだけだ。ならば、降伏の時機をこちらで決めてしまった方が良い。良いか? 降伏するのだ。逃げる事は許さぬ」
元智の念押しに、家臣は何かに気付いたようだった。
彼らの上役が、ただ抵抗を諦めただけではないと理解する。
「今後の事を考えれば、安祥軍もできる限り損害を出したくないであろうから、降伏を受け入れるであろう。ただ、戦の途中で突然の降伏だ。条件のすり合わせには時間がかかるだろうな」
「領民は解散させても、武士は拘束しなければならないでしょうから、牛久保城へ向かうにせよ、東三河の勢力へ向かうにせよ、兵を残していかなければならないでしょう」
「時間もかかり、兵も少なくなる。さて、安祥軍はそのまま東三河の勢力を制圧してしまえるだろうか」
そして彼らは額を突き合わせ、にやりと笑った。
「さて、当然だがまずは城兵全員の助命と、遠江への撤退を条件に降伏を申し入れるか」
「そのような条件は飲みますまい」
「飲まんであろうな」
岩略寺城の降伏には時間がかかった。
安祥砲で城門を砕いたまでは良かったが、その奥に積んであった岩山を崩すのに苦労したためだ。
通常の城にそのような備えは存在しない。安祥砲の存在を知った今川家が、第三次安城合戦ののち慌てて集めたものだった。
岩山ではないが、周囲は山だ。探せば岩はいくらでもある。
建築や道具の素材に使うのでなければ、岩の質や形は気にしなくていい。
重秀は、岩が積んであるだけなら大した事はないと、そこへ目がけて安祥砲を撃ち込んだ。
だが、ただの質量兵器でしかないこの時代の砲弾では、この岩山を崩す事ができなかった。
勿論、何発も撃ち込めば崩す事はできただろう。だが、木製大砲には使用回数に制限があった。
一撃で吹き飛ばせなかった事で頭に血が上ったらしい重秀は、結局岩山を崩すために、大砲を一門使い潰してしまった。
しかもそのうえで岩山を崩せなかった。
砲弾が命中し、崩れた岩を城兵が積み直していたのだ。
勿論、一撃で砕けた岩もあったので、岩山の総量自体は減っている。
しかし粉々に砕けたのでなければ、割れた岩をそのまま積んでしまっても問題無かったので、その減少量は少なかった。
翌日、周囲から諭されて頭が冷えたのか、宮路山の砦を攻略して戻って来た宗厳に対抗心を抱いたのか、重秀は目標を岩山から変え、もう一門潰して城壁と櫓を崩した。
その後にようやく城内に突入するが、岩略寺城兵は城内での迎撃も準備していたため、これの攻略にも時間がかかった。
東曲輪を攻め落とし、二の丸に迫ったところで日が落ちたので、反撃に備えつつ陣を張る事になった。
その日の夜にようやく岩略寺城側から降伏の使者が来たが、最初の条件はかなり岩略寺城側に有利なものだった。
城主の朝比奈元智を含めた城兵の助命はともかく、遠江への撤退は認められなかったので、安祥家はこれを拒否。
元智と話して来ると言って、使者が立ち去ったが、夜が明けるまで戻って来なかった。
翌日に使者がやってきた。譲歩はされていたが、逆に別の条件が付随していたりして、やはり受け入れられなかった。
使者は再び主郭へと戻り、そして翌日まで戻らなかった。
「殿、これ以上はまずいです」
「わかっている」
岩略寺城の目的が時間稼ぎである事は明白だった。
それに気付いても、即座に交渉決裂とはいかなかった。
安祥軍は既に勝利している。今後のためにも余計な損害は回避したい。
そして、勝ちが決まっているので、士気も低下していた。
これ以上長引かせると、戦いそのものに支障が出る可能性が高い。
仮にそこで岩略寺城側を全滅させられたとしても、果たして牛久保城の救援が叶うだろうか。
牛久保城は吉田城に任せても良いかもしれないが、東三河を放置せざるを得なくなる。
「今川家がいつ戻ってくるかわからん以上、できるだけ素早く東三河を治めたい。できれば、遠江に橋頭保を得られれば良いのだが……」
翌日、使者が持って来た書状には相変わらず受け入れ難い内容が書かれていたのでこれを拒否。
代わりに、あらかじめ用意してあった、安祥家側の条件を記した書状を持たせた。
「明日、昼までに返事が無ければ根切りにいたす」
そう言付けられた内容は、領民兵を解散させ、城主、朝比奈元智をはじめ、足軽組頭以上の武士の拘束。
解放時期は年明け後、というものだった。
「ここまでだな。受け入れろ」
元智も限界を感じ、条件を受け入れる事にした。
「肥後様の首は要求されませんでしたな」
「長引くのを避けたのだろう。最後通牒とは言え、こちらに拒否する理由を与えたくなかったのだ」
強かな相手だ、と元智は長広を評価した。
まともに戦ったのはこれが初めてだが、長広の本質はこちらだろうと考えた。
軍師、あるいは参謀として実力を発揮するタイプだと推測する。
攻城や防衛の巧みさは、副次的なものに過ぎない。
行動に直感よりも理性が見て取れる。
戦の天才とは、その勝利に説明がつかない事がままあるが、長広にはそれがない。
何故自分達が負けたのかが理解できる。
この手の相手は手の内を読みやすく、対策もしやすい。
思考を誘導する事で罠にはめる事もできるだろう。
だが同時に、勝てる戦で負けるようなミスをしないという安定感もある。
対策を立てた結果、勝てない事がわかる、という事態にも陥りかねない。
その後、領民兵の解散と足軽以下の武士の解放。それ以上の武士の拘束にまた時間がかかり、二日を費やした。
既に十一月に入っている。
岩略寺城の防衛と、武士の見張りに兵を置いていく状態で、東三河の小競り合いに介入する余裕はない。
牛久保城を救援して、一度戻るべきだ。
戦国時代は気候的に小氷河期であった。
そのうえで湿度の高いこの地方、冬になれば普通に雪が降る。
長広の前世では、一年のうち、一月分も雪の日があれば多い方だったが、この時代ならそれくらいは降るし、積もる。
融雪剤や除雪車、ロードヒーティングなど無いこの時代、雪が降れば行軍がままならなくなる。
これまで冬の戦は、一日で往復できる距離だったが、東三河までとなると流石に遠い。
行軍が遅くなるので兵糧は余分に必要だし、雪で兵糧輸送が遅れれば、遠征軍が壊滅しかねない。
来年、年明けから素早く東三河を制圧するため、今年中に幾つかの勢力に介入しておくか。
それとも確実に牧野家の内乱を鎮めておくか。
ある意味、三河を統一するに向けての岐路に長広は立たされていた。
時間を稼ぎたい岩略寺城側と、損害を減らしたい安祥家側の思惑が一致してしまった結果、城の攻略に時間がかかりました。
損害を厭わず勝利する事も大事、と広虎にかつて言われたものの、バランスが中々難しいですね。




