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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第五章:三河統一【天文十六年(1547年)~天文二十年(1551年)】
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五井松平


上ノ郷(かみのごう)城を発って半日ほど東へ進むと、五井城が見えて来る。

五井山の麓、南西の辺りに築かれた城で、すぐ北には曹洞宗の寺院、長泉寺がある。

どちらも鎌倉時代の建物だというから、かなり歴史ある建物だ。

堀の北側には八幡社があり、こちらも同時期に築かれたそうなので、何か関連があるのかもしれないな。


「三河守殿、ようこそおいでくださいました」


五井城に入る手前で、一人の中年武士が護衛と共に俺達を出迎えた。


五井松平三代当主、松平信長だ。

名前にちょっと引っ掛かりを覚えるけれど、まぁこれは仕方ない。

五井松平の初代が、宗家三代当主、信光の七男だから、そこから取られたんだろうから、これに文句を言うのは流石に言いがかりだ。


まぁ、いずれ変えて貰おうとは思うが、今はとりあえず置いておこう。

一応、降った訳じゃなくて、停戦条約を結んだだけの関係だしな。


広忠が岡崎城を追放された際、伊勢に同行したほどの忠臣で、広忠の岡崎復帰の手助けもしていた。

分立から宗家に従い、非常に忠誠心の厚い一族だ。


実際今川家も、東三河にある松平家分家の中で、長沢松平家を頼りにしていた。

これは五井松平家が長沢松平より格下というより、五井松平家が今川家にあまり従順でなかったためだろう。


長沢松平家も分立から宗家に従っていたけれど、清康横死後、長沢松平六代当主、松平親広が、広忠から岡崎城を乗っ取った松平信定の娘を娶っていた事もあって、宗家と距離を置くようになったんだ。

そこを今川家につけこまれた訳だな。

今川家の本格的な三河介入を防ぐために敢えて従っていた、という事もあるだろう。


丁度今の安祥家と松平家分家の関係みたいだな。


親広はうちにいる松平清定の義理の兄弟だけど、親広の息子の政忠が清康の娘を娶っていて、広忠の義理の兄になる。

そんな訳で長沢松平家も、うちにあまり良い印象を抱いていない。


まぁいいさ。反抗さえしなければこちらも強く言わないよ。


長沢城は東海道に近い位置にあるけれど、牛久保城と違って、豊川を越えた辺りで西へ街道を伸ばせば影響を受けずに済むからな。

関所だけは撤廃して貰うつもりだけれど。


「状況を教えて貰えるだろうか?」


「はい。我が五井松平家は六百名を招集できました」


入城し、評定の間に通される。

上座を自然と空けられたが、あえて座らずに空ける。

一瞬、信長……紛らわしいので輩行名でいこう。大炊助おおいすけが驚いたような顔をしたが、何も言わなかった。

多分、今川家の使者とかは普通に上座に座っていたんだろう。


俺の対面に大炊助が座り、その隣には顔立ちの良く似た、俺と同じくらいの歳の青年武士が座っている。

多分、次男の信次だろう。

ちなみに長男の忠次は、『矢作・緒川の戦い』に参加して討死している。

上和田城攻めに参加していたらしいから、直接顔を合わせて無いんだよな。


「そのうち二百名を拙者と共に留守居として残し、残りを息子の信次が率いて三河守殿の軍に帯同させていただきます」


「弥三郎信次と申します」


改めて大炊助が紹介すると、信次がそう言って頭を下げた。

声に感情が籠っていないな。

快く思っていないのは間違いないけど、どこまで悪く思われてるのか判断できない。


「弥三郎殿、よろしくお頼み申す」


多少は印象を良くしようと思い、俺も頭を下げる。

ざわつく、城内。


「こちらはおおよそ三千の兵を連れてきている。物資兵糧は五千の兵を一月食わせられるだけはある。勿論、五井松平軍にも提供させていただく」


「ありがたいことです」


東条城から上ノ郷城まで繋がっているから、足りなくなったら補充もできるから、実際にはもっと粘れる。


岩略寺がんりゃくじ城の様子は?」


「兵と物資を集めて籠城の構え。宮路山に砦を築いておりまして、防御の弱い西側から攻めるのは難しくあります」


「沿岸沿いを東に進み、東海道から攻めあがる予定であったから、それ自体は問題ないであろう。数は?」


「元々岩略寺城に入っていた千に加え、周辺の領地からかき集めておるようです。長沢城の領地からも人と物資を集めているようで、二千にはなるかと」


東海道を挟んで向かい合うような位置にあるからな、あの二つは。

岩略寺城は今川家が築いた城だけど、あくまで三河の戦に介入するための拠点でしかなかった。

だから基本的に紐付きの領地ってものが無いんだけど、周辺の領民もどこまで情勢を把握しているかわかったもんじゃない。


山の麓に築かれた城に、それと連絡する位置にある山の上に築かれた砦。

籠るのは二千の兵で、率いるのは今川家の『両翼』朝比奈家の一族。


普通にやったら、かなり厳しい戦いになるな。


「心配なさるな。上ノ郷城を半日で落としたのは、知略でも力押しでもない。安祥家が開発した新兵器によるものだ」


「それは、太原雪斎を討ち取った戦で使われたと言われる雷のような音を出す兵器のことでしょうか?」


そのくらいの情報は得ているか。

信次の言葉に、俺は頷く。


「うむ。上ノ郷城の城門を一撃で吹き飛ばし、城壁を薙ぎ倒した新兵器だ」


五井松平家家臣から感嘆の声が上がる。


「惜しむらくは、一度の戦で何度も使えないところであるな。まぁ、今の城ならばこの兵器の一撃を防ぐ事能わぬゆえ、数回使えれば十分ではある」


「なるほど」


「長沢松平家は岩略寺城の徴兵のあおりを受けて、あまり兵を集められておらぬようです」


「こればかりは仕方あるまい。元々東三河の諸勢力の牽制を頼んであったので影響は少ないと思うが、どうか?」


「瀬木城の牧野成定(しげさだ)が岩略寺城に協力。一族の牧野貞成(さだなり)に反抗しております」


「現時点では、お互いに戦の準備をしている状況のようですな」


「戦力はほぼ互角のはずですから、周辺の勢力に協力を頼むと思われます」


それなら吉田城から援軍があるから、牛久保城の方が有利か?

東三河の勢力がどれだけ協力するかによるな。


「それぞれにつきそうな勢力はわかるだろうか?」


「妹を妻にしている奥平家は、牛久保牧野につくでしょう。母は田峯菅沼家の娘ですから、協力はせずとも、瀬木牧野につく事はありますまい」


「その奥平家の当主、貞能さだよしの父、貞勝を我が安祥家は戦で討っているが?」


「戦での討死を恨む武士はおりませぬ」


大炊助に言われると、逆に含みがあるように聞こえてしまうのは罪悪感からだろうか。


「しかもその戦は、東三河の勢力が今川家に従って戸田家に仕掛けたもの。戸田家の援軍として戦った安祥家にわだかまりが残るような者は、三河にはおりませんよ」


信次の言葉は理想だとは思うが、そう中々割り切れないのが人間だからなぁ。


「三河守殿に降った、深溝松平家の娘を娶っている野田菅沼家も、少なくとも敵には回らないでしょう」


その松平好景の妹を娶っている菅沼定村も、田原城救援で倒してるんだよなぁ。

討ち取っていないだけマシか、それとも本人がいる分印象が悪いのか。


「西郷家は当主正勝の嫡男、元正が、今川義元より偏諱を賜っておりますので、瀬木城の反抗に今川家が絡んでいるならば、瀬木牧野につく可能性がございます」


しかも元正の弟は、やっぱり田原城攻めに参加していて、安祥家に敗北している。


「判断が難しいのが設楽家ですね。岩広城と川路城で勢力がわかれておりますが、川路城城主、設楽貞重に子が無く、先年、兄である岩広城城主、設楽清広の娘と結婚した足助鈴木の一族を養子としておりますので、結束は固いと思いますが……」


「足助鈴木は拙者の義理の父である佐久間全孝が攻め、領地を併合した勢力だ。その繋がりでこちらに協力してくれるのか、あるいは、それゆえに敵対的なのか」


義父さんはこちらに気を遣ってか、三河北部の山地を東に向かって勢力を伸ばしているんだよな。

本来は攻めにくい相手の筈なんだが、林業や果樹園、桑の木の育成に付随した養蚕なんかで得た銭と、それらの技術供与を餌に、周辺の勢力を味方につけて、倒すべき相手を孤立させピンポイントで攻略する事で、順調に勢力を拡大している。

弾正忠家の後ろ盾がある事も大きいかもしれないな。


このままだと設楽家は勿論、田峯菅沼家の勢力も飲み込みかねないから、それを警戒されてしまう可能性はある。

義父さんの侵攻に備えるために、力を蓄えようと、大人しくしていてくれると楽なんだが……。


矢作川の西岸で色々動いていた頃は、こちらの勢力が小さかった事もあって、一つの城、一つの勢力ごとに戦えて楽だったけど、ここまで来ると敵対勢力は連合を組んで対抗してくるよなぁ。

流石に東三河の勢力がまとめて敵に回ると、今の戦力じゃ対処できない。

安祥城に文を出して、別動隊を準備させるか?


あるいは、田原戸田や弾正忠家の力を借りる事も考えるべきか。


今更ながら、今川家が間接的に三河を支配しようとしていた理由が理解できる。

昔から、中小勢力がひしめいていただけならともかく、大きな力を持った支配者が存在し、それが入れ替わってきたのが三河だ。

生き残るためには、そうした勢力に阿るのは勿論だが、中小勢力同士で徒党を組まなければならないんだ。


そして徒党を組んでいるから、そうした中小勢力を一つ一つ潰そうと思っても、あちこちから繋がりのある家が援軍に来てしまう。

三河を支配する一番簡単な方法は、今三河を支配している勢力を叩き潰す事。

そうすれば、他の中小勢力は勝手にこちらに降ってくれる。


けれど、今三河に影響力を与えている大勢力はどこか? それは安祥家であり、今川家だ。

東三河の勢力を無視して今川家を潰す事はできないから、中小勢力からその影響力を完全に消し去る事はできない。


うーん、殆ど三河から撤退しているのにこの粘り強さ。

流石今川家。改めてその大国ぶりが理解できる。


「東三河の諸勢力に改めて書状を送るべきだな。今こちらに従うなら城と領地の一部を安堵する。逆らうならば攻め滅ぼす。これは、瀬木牧野へ協力した場合も同じだ」


「些か強気に過ぎませんか?」


「下手に出過ぎれば、今川家の影響力が上回ってしまう」


「難しいところですな」


「ああ、難しいところだ」


そして俺と大炊助は同時に溜息を吐いた。


「十日こちらに留まり、その後岩略寺城を攻める。勿論、他の勢力の出方次第では、牛久保城の救援に赴かねばならないかもしれん。その時は、五井松平家にはこの城を守って貰う事になるだろう」


「わかりました。しかし十日ですか……」


「その間の物資は五井松平の分も含めて安祥家が受け持つ。心配なさるな」


「いえ、しかし、はい。わかりました。お言葉に甘えさせていただきます」


そしてこの場は解散となった。

俺達は兵の一部を城に入れ、残りは城の周りで野営する事になった。


「少々甘すぎるのでは?」


「今味方をしている者にはわかりやすい飴をくれてやるべきだ」


陣幕にて、吉明が尋ねて来たので、俺はそう返した。


「支配するうえで重要なのは飴と鞭、それを程好い配分で与える事。そして、飴と鞭は同じ相手に与えなければならない訳でもない」


味方をする者には飴を与え、反抗的な者には鞭によって罰する。

それを見た第三勢力は、飴を欲しがり味方するだろう。

少なくとも、鞭を嫌って大人しくなるはずだ。


「できれば此度の遠征で東三河の問題を片付けたかったが、難しそうだな」


「瀬木牧野以外の全ての勢力が味方するか、せめても動かないでいて貰わなければ、無理でしょうね」


新年祭の時、信長に三河統一は、今年中には無理だと言った。

ただあれは、多少余裕を持たせて言っただけで、上手くすれば今年中に片がつくと思っていた。


けれどどうやら、言葉通りになりそうだ。


そして十日後、返事が来たのは奥平家だけだった。

奥平家からの返事は、牛久保牧野に協力を請われているため、これに応える事を安祥家への返答とする、というもの。


要は安祥家には従わないけど、敵対もしないし、安祥家に協力する家に協力するから所領を安堵して欲しい、という感じだ。


まぁ、これは問題ないだろう。奥平家の領地は殆ど山がちで、支配する旨味が薄いからな。

義父さんのところと同じで、林業なんかの知識を与えて、独立して貰っていた方が面倒が無くて良い。


他の家は返事こそ無かったけれど、戦準備を始めているらしい。

漁夫の利を狙うつもりか、こちらが攻め込んで来る事を警戒しているのか。


この十日間で、吉田城の援軍が牛久保城に到着。瀬木城に向けて進軍を開始した。

これに合わせて西郷家が二連木城に向けて軍を動かしたという情報も入って来たので、吉田城と老津城の留守居の一部に加え、田原戸田家と、田原城に入っている弾正忠家に援軍を依頼。

そもそも二連木城を管理しているのは弾正忠家なんだけど、動く気配が無かった。


どうも二連木城を敢えて奪わせて、それを条件に西郷家と協力するつもりだったようだ。


親爺の指示じゃなくて、田原城に入っている飯尾定宗の独断のようだ。

勢力を拡大する安祥家を警戒して、吉田城への抑えを任せられる勢力を欲したのだろう、とは義安の談。


弾正忠家はあくまで田原家の復興に協力しているだけで、いずれは渥美半島から引き揚げるから、影響力を残しておきたかったんだろう。


吉田城と老津城の留守居だけで二連木の防衛が叶うかはわからなかったから、弾正忠家と田原戸田家の援軍が来るまで城を出ないように伝えておく。

へたに救援に出て負けて、そのまま吉田城や老津城まで失うとまずいからな。


さっきも言ったように二連木城の管理は弾正忠家。

その弾正忠家が降伏の条件としてくれてやる、って言うなら、まぁ俺が口を出すべき事じゃない。


面白くはないけどな。


色々と指示を出しながら出陣し、行軍中も目まぐるしく変わる東三河の情勢に注意しながら、山地を海岸沿いに迂回し、二日ほどかけて俺達は岩略寺城付近へとたどり着いた。


東海道を望む山地には砦が建設され、このまま岩略寺城へ向かうと、砦に側面を突かれてしまう形になっている。

かと言って、砦の攻略にかかれば、今度は岩略寺城の兵から攻撃される配置だ。


損害を厭わなければ砦を落とす事はできるが、それはそれで、岩略寺城を落としたあとが問題になる。


「時間稼ぎだな」


つまりこの配置はそういう事だ。


「今川家の三河への再侵攻の準備が整うまで粘るつもりなのでしょう」


はたしてそれは一年後か二年後か。

ただ、時間をかければかけるほど、安祥家が不利になるのは間違いない。


今は太原雪斎を討ち、今川家の大軍を撃退し、松平家との抗争をひとまず終わらせた事で勢いを得ている。

だけど、それが失われてしまえば、今はうちを恐れて大人しくしている諸勢力が、反抗的になってしまう可能性は高い。


「ただ、相手にとって想定外だったのは、安祥砲が攻城にも使えるという事でしょうな」


岩略寺城と宮路山に築かれた砦の厄介さは、定石通りの装備で城攻めを行う場合に発揮される。

大砲で砦を吹き飛ばされる事なんて、想定している訳が無い。


「まずは宮路山の砦を攻略する。安祥砲を数発撃ち込めばそれで済むだろう。念のため二門だけにしておけ。残りは岩略寺城の攻略に使う」


「は!」


そして暫くしたのち、晴れた三河の空に、雷のような轟音が響き渡ったのだった。


岩略寺城にもルビを振りました。

がんりゃくじ城です。

複雑に各勢力の思惑が絡み合う東三河の情勢に、とうとう弾正忠家まで参加してきました。

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