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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第五章:三河統一【天文十六年(1547年)~天文二十年(1551年)】
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【画像掲載】鵜殿家と牧野家

三人称視点です。

十八松平家の位置関係を記した地図を掲載しています。

城の位置から、この辺り、という漠然とした範囲ですので、飛び地などは考慮していません。

なんとなく位置関係がわかる程度のものですが、ご了承ください。


2018/2/14追記

ぼたもち様より十八松平家の修正案をいただきましたので、差し替えさせていただきました。

挿絵(By みてみん)



「本当によろしいのですか?」


「くどい! 何を言われようと、我らの今川家への忠誠は変わらぬ!」


三河南部、宝飯郡の一部を領有する鵜殿家の居城、上ノ郷城にて、城主の鵜殿長照が一人の少年と相対していた。

まだあどけなさを残すその少年武士は松平清宗。

先年、安祥家に正式に降った、竹谷松平家の若き当主である。


竹谷松平家と鵜殿家は、どちらも今川家の一族が嫁いでいる。

しかし、鵜殿家が当地の今川家一門衆として重用されているのに対し、竹谷松平家は、あくまで今川方の松平家分家という扱いに過ぎなかった。

天文14年に起きた『矢作・緒川の戦い』では、鵜殿家の組下のような扱いで竹谷松平家は参戦していた。


竹谷松平家の先代当主、松平善清は、その扱いの差に不満を抱いていた。そしてそれは、当然のように家臣達にも伝播する。

そのような状態で、『矢作・緒川の戦い』において善清が討死。

家中では今川家に対する不信感が渦巻いていた。


そのような状況であったが、清宗は今川家に対しては特に強い感情を抱いておらず、鵜殿家に対しても友好的であろうとしていた。

安祥家や吉良家、田原戸田家といった三河の今川、松平以外の勢力に対抗するため、連携を密にしたいという考えの方が強かったのだ。


だがそれも、安祥家が今川家に人質に出されていた、清宗の姉を救出した事で状況が変わる。

姉を人質に、臣従を迫られたなら、宗家に倣い拒絶するつもりであったが、安祥家は姉を返すと言って来た。


これには、今川家や鵜殿家、松平家宗家にさえあまり良い感情を抱いておらず、安祥家も信用していなかった家臣も大いに驚いた。

そして、多くの家臣が親安祥派になってしまった。


父の討死で、十にも満たない年齢で家督を継いだ清宗が、家臣らの意見を無視する訳にはいかなかった。

せめてもの抵抗として、従属はするが、姉は返さなくて良い、と返答した清宗だった。


仮に安祥長広が姉を側室としたり、竹谷松平家が従順でない事を理由に処刑したりすれば、安祥に対して反旗を翻す、良い口実になると思っての行動だ。

その後も清宗は、安祥家に従属の姿勢を取りながら、鵜殿家との交流を続けていた。


清宗の祖母は今川義元の叔母であり、長照の母は今川義元の妹だ。

清宗と長照の血縁は遠いものの、確かに存在し、年齢が近い事もあって二人の仲は決して悪くはなかった。


今川家による本格的な安祥攻めの際にも、安祥家に従属している手前、兵を出す事はできなかったが、兵糧などを鵜殿家に提供したりしている。


そして太原雪斎が討たれ、今川家が一時的にとは言え、三河から手を引こうとしている今、清宗は長照に安祥家に降るよう説得を続けていた。

長照の母は駿河へ逃げる事ができても、元々三河の豪族である鵜殿家はそうはいかない。

彼らはこの地に残る必要があり、そうするべきだと誰もが信じていた。


歴史的に見ても、戦に敗れて故郷を追われた者は多いが、戦もせずに故郷を捨てた者は大体が辿り着いた地で非業の死を遂げている。


鎌倉の頃から続く歴史ある家だからこそ、鵜殿家は土地に拘っていた。

この時代の武士にとって、一所懸命の言葉もある通り、土地は重要な存在であり、鎌倉武士ともなれば尚更だった。


「降伏がならないというなら、一時的に同盟を組むというのはいかがでしょう? 今川家が再び三河に進出して来たならば、そちらにつけば良いのです」


一見すると蝙蝠と罵られても仕方がないような方法だが、この時代の武家としてはある意味当たり前の行動だった。

有名な話では関東、それも、北関東の諸勢力だろう。

越後から上杉家が攻め寄せて来たならばこれに降り、彼らが帰れば独立したり、他家に寝返ったりしていた。

そして、これを何度も繰り返していたのだ。


本拠地をほぼ動かさない戦国大名の弱点とも言える話である。

ただ、兵の多くが領民兵であり、土地の支配こそ重要だったこの時代では、統治の進んでいない前線に本拠地を移す訳にはいかなかったという背景がある。

そのため、自国内ならまだしも、他国へ進む際は遠征にならざるを得ず、降伏してくる相手は受け入れた方が、統治も進軍も容易であったのは確かだ。

その従属が信用ならないものだとしても、そういうものだと割り切る必要があったのだ。


「それもならぬ。安祥は例え同盟を組んだとしても、土地を開発する者を寄越す。これで生活が良くなれば、民は今川家ではなく安祥家を選択するだろう」


「ならば安祥家による開発を拒絶されては?」


「周囲の土地が次々と豊かになるのを、領民が指を咥えて見ていると思うのか?」


安祥家の支配地域に逃げられるだけでもまずいのに、反乱でも起こされたらたまらない。

関与した証拠こそ無かったが、小豆坂で今川家と安祥家が戦っている際、鵜殿家の領内で起こった一向衆による一揆は、間違いなく安祥家の要請によって起きたものだと長照は考えていた。

そんな安祥家が、不満が燻っている領民に対して、何もしないとは思えなかった。


「どのみち滅ぶのであれば、せめて武家と争って滅びたい。領民に討たれるなど、恥以外の何物でもないわ」


「ならば、家臣と共に一度駿河へ、せめて遠江に逃れるのも手では?」


「武士が土地を捨ててなんとするのか」


「藤太郎殿……」


「牧野家にも書状は送っており、協力は取り付けておる。和睦を結んだとは言え、五井、長沢松平もまだまだ今川寄りだ。岩略寺城も健在。これらの連携を密にして、安祥家を凌ぎ続ける。これが叶えば、今川家も我らを見捨てられぬ。早くに三河に戻って来るであろうよ」


長照の言葉を、清宗は否定できなかった。

鵜殿家や岩略寺城が攻略されてから戻るより、準備不足であっても、安祥家に抗する勢力が残っているうちに三河に戻る方が今川家にとっても利がある。

清宗も、それは理解したからだ。

鵜殿家や牧野家が、安祥家に碌に対抗できないと知られれば、中途半端に介入せず、すっぱりと見捨てられる可能性が高い。

だから抗うのだと、長照は言っている。


しかし二人は気付いていない。

それは戦でいうところの戦力の逐次投入に等しい行為であり、東三河にて安祥家の攻撃を凌ぎ続けるだけでは、今川家は消耗してしまうだけだ。

かつて安祥家が松平家や今川家に仕掛けたように、よほど上手く計画的にやらなければ、ただ疲弊するだけに終わってしまう。


そして、今川仮名目録に基づく、この時代では一歩も二歩も進んだシステマチックな領国経営を行う今川家が、そのような博打にも似た手段を取る可能性は低い。

むしろ、安祥家に対して鵜殿家、牧野家が連携して抵抗を続けたならば、安祥家の相手を彼らに任せ、三河再侵攻の準備を入念に行うだろう。

安祥家と東三河の勢力が消耗した結果の、漁夫の利を得るために。




牧野家は元々三河の守護を務めていた一色氏の守護代であり、同じく守護、細川氏の守護代だった戸田家と三河の覇権を賭けて争っていた。

結局、漁夫の利を得る形で松平清康にどちらも敗れる。

清康横死後は影響力を増して来た今川家に協力。

これはかつて仕えていた一色氏と今川家の間に繋がりがあった事も大きい。


この繋がりから、戸田家によって奪われていた、牧野成富(しげとみ)によって築かれた今橋城の奪還を今川家に要請。

これを受けて今川家は軍を出し、見事、奪還に成功する。


しかし、約束されていたはずの今橋城の返却が果たされず、今川家は小原鎮実を城主に、伊東元実を城代として派遣しこれを保持した。

そして竹千代誘拐に端を発する、渥美半島の攻防において、豊川を遡上した安祥軍によって今橋城改め、吉田城は奪われてしまう。


それから約三年。かつての今橋城は、牧野家のもとに戻って来ていない。


「これは明らかな裏切りである」


牛久保城の評定の間にて、城主、牧野貞成(さだなり)は家臣達を前に宣言した。


「結局、今川家は我らを三河支配に利用したかっただけなのだ。そして今、我らは今川家から見捨てられつつある」


松平家宗家が安祥家と和睦した事で、五井、長沢松平も安祥家と和睦してしまった。

今川家はこれを止めるどころか、軍事制裁を課す事も無く、兵を引き上げている。

今川家が築いた岩略寺城ですら、駐留している兵は徐々に減っている有様だ。


今川家が三河から手を引こうとしているのは明らかである。

たとえ一時的なものだったとしても、三河に残される者達からすれば、それは見捨てられたに等しい。


「ならば家を守るため、我らが今川家を見捨てる事は道理に反しているか? 否、むしろ正道である」


「しかし殿、上ノ郷城の鵜殿家からは安祥家に対抗するため、協力を要請する書状が届いておりますが?」


「今川家の一門衆である鵜殿家と、我ら牧野家は立場が違う」


「田三郎保成(やすしげ)様が今川家に仕えておりますが」


「今橋城返還を果たせないどころか、要求すらできぬ役立たずに配慮する必要は無い」


保成は貞成の兄だが、現在は駿河にて小領を与えられて今川家家臣となっている。

いずれは今川家の一族、あるいは一門衆のどこかから嫁を貰い、牛久保城へ復帰するだろう事は予想できた。

しかしその時、牧野家惣領の当主であり、牛久保城主として戻って来るのは明白だった。

つまり、今川家による牧野家の乗っ取り計画の一環として帰ってくるのだ。


間違いなく立場を奪われる事になる貞成に、兄に対して思うところが無い訳がなかった。


「安祥家につくならむしろ今しか無い。今川家と繋がった兄が戻ってくれば、今川の三河再侵攻の準備が整うまでの時間稼ぎに利用されるのは明白である」


牧野家がすり潰される前に間に合えば良いが、その可能性は低いだろうと貞成は考えていた。

また、間に合ったとしても、その時点では消耗しきっているだろう牧野家を、果たして今川家がどのように扱うだろうか。

東三河の戦線を支えた功労者として重用してくれるなら良いが、これ幸いと完全に取り込まれてしまったら?


結局独立領主である牧野氏は滅びる事になる。


「そもそも、本来の牧野家惣領は大伯父、田三郎信成(のぶしげ)の血筋であり、その子、田蔵成継(しげつぐ)は現在、刈谷水野家家臣となっている」


貞成の祖父、成勝しげかつの兄である信成は清康による今橋城攻めで討死している。

その際、信成の正室は尾張国知多郡大野へと逃れた。

正室はこの時懐妊しており、同地にて生まれたのが成継だった。


その後、信成の母は当時知多郡で力を持っていた水野忠政に保護され、成継はのちに家臣となっている。

尾張と三河の国境で独立を保つため、忠政が三河守護、一色氏との繋がりを欲した結果だった。


「ならば、その水野家の惣領、緒川水野家と婚姻による同盟を結んでいる安祥家と結ぶ事は、牧野家惣領の意思を継ぐ事でもある」


勿論詭弁ではある。

詭弁ではあるが、このような繋がりはこの時代では重視され、そしてしばしば戦の大義名分として使われて来た。


「我ら牧野家は今川家と断絶し、安祥家と結ぶ。これこそが、我らの大義である!」


「「「おおおおおおおお!!」」」


拳を振り上げ宣言した貞成に呼応し、評定の間は家臣達の鬨の声で満たされたのだった。


ごちゃごちゃした血縁関係を紐解いていくと、思わぬ繋がりが出て来る時があります。

そのせいで真っ直ぐに進めず、プロットを変更せざるを得ない時もありますが、逆に説得力を増す結果に繋がる時もあります。楽しくもあり、面倒臭くもあり。

牧野家は資料を見ていると、出て来る武将の悉くに「牛久保城城主」と書かれているのですが、以前にも書いた通り、城主時代が被っている武将が相当数存在しています。いつ交代したのか?がわからない場合が多く、他の情報や前後の状況から設定しています。ご了承ください。

今回の保成と貞成が良い例です。どちらも牛久保城主。ただ、この時期の牧野家はあくまで今川方の家、という立ち位置だったようですが、保成ははっきりと今川家家臣、と書かれている資料がありましたので、貞成を城主としました。ご了承ください。

あと、牧野一族はルビが降ってありますが、オリジナル武将ではありません。成が『しげ』で統一されてないのは伝承ミスなのか、何か理由があるのか……。

あとわかりにくいですが、成継の田蔵は輩行名であって家名ではありません。牧野田蔵成継となります。

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― 新着の感想 ―
>結局独立領主である牧野氏は滅びる事になる。 今川一門の嫁を貰って兄が帰って来る事を嫌がる心理の説明だけど、全く意味が解らなかったのでコメント。 コイツらがやってる政略結婚政策と何が違うん? 乗っ取…
[気になる点] >その際、信成の正室は尾張国知多郡大野へと逃れた。 >正室はこの時懐妊しており、同地にて生まれたのが成継だった。 >その後、信成の母は当時知多郡で力を持っていた水野忠政に保護され、成継…
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